2021-10-03

名前のついた職業って良いよね、という話

タイトルのとおりである

名前のついた職業って良いよね。

弁護士税理士建築士みたいな士業もそうだし、医者看護師教師パイロット公務員というのも良いね

他にも挙げればキリがないが、こういった分かりやすく名乗れるものを持っていたいと誰しもが思うだろう。それは小学校の時の"将来の夢"の欄に「サラリーマン」と書くよりも「商社マン」と書く方がまだ幾分か格好がつく感覚と似ている。ある程度具体性のある肩書きの方が自分という人間アピールとして使い勝手が良く、そういう意味職業は一つのアイデンティティであると言ってもよい。

しか現実には単に「サラリーマン」と言うほかない職業の人が多い。営業企画経理など諸々の業務内容で区分けすることができても、社内における役回りの話であり、社外に出てもアイデンティティとして通用するものでない。もし仮に職務質問された時に「サラリーマンです」と言わず営業担当です」と言うのでは変であろう。

さて少し話は脱線するが、世の中には「丸の内OL」という肩書きがある。そこから分かるのは「丸の内頭脳労働をしている女性」というだけで、良く言えばかなり広範囲職業の人を指すものであり、悪く言えばかなり具体性に乏しいものである。こういった職業、堅苦しく言うなら生産活動において確固たるアイデンティティを構築することが難しい人は一体何でアイデンティティを確保しているのかというと、恐らく消費活動においてであろう。「何を買ったか」「何を食べたか」「どこに泊まったか」というのが自己表現の大部分を占めるようになる。そうした消費活動アピールの場として有効SNSは発展を遂げた。消費によって自己表現をする、世はまさに大資本主義時代である

改めて思うことだが、何かを消費するためのお金を得るための就労ではなく、自己実現のための就労をしたいものだ。それには誰にでもできるような仕事ではなく、専門性のある職業に就くしかないのだが、社会には「誰にでもできるけど誰かがやらないと困る」という職業が多いので、難しいところだ。

名前のついた職業というのは良いものだ。

しかし、名前のない職業も良いと思いたい。

そんな時代は来るのだろうか。

とあるドラマの一節

『どこにでもいる人になりたくない人はどこにでもいる』

いかなる職業に就いても、生産活動においても消費活動においても自己実現の果たせるような世の中を希求してやまない。

それではさよなら

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