真夜中に救急車のサイレンが表通りから聴こえることがあって、ああ、誰か卒中でも起こしたかな、とか思う。
少しでも早く病院に着けるといいな、助かるといいな、と他人事なりにうっすら心配する。文字通り、一刻一秒を争う、というやつだ。
そこで、ふと不思議に思うことがある。
事態はもちろん、早く到着できれば早いほどいいわけで、予後が良い、後遺症が残らない、なにより生還できる可能性として「太い」わけだが、この生還の可能性がゼロになる時間上の一線というのが、どこかに存在するんだろうか? もしあるとしたら…その一線というのは、超超…細かい単位まで分解できるのだろうか?
普通、俺たちの反省や後悔は分、せいぜいが秒レベルだし、それ以上分割することなんて当然ナンセンスだが、実際はどうなのだ?
「もう○○(超小さい単位)、執刀・止血できていれば、薬効が出ていれば、生きる側のルートに乗っていたのに…」
分や秒なんて次元でなく、物理学で登場する単位とか、仏教の「弾指」のレベルで、もはや神の視点において、人間が生のルートに乗れるかどうかを仕切る時間上の一線が存在したりするのだろうか?
…
話はいきなり飛ぶが、俺は先日人間ドックを受けていて、医者の雰囲気的におそらくあんまり内容が良くなかったので、いま戦々恐々で結果が出るのを待っている。
仮に上で書いたような時間上の一線がこの世に存在するとして、それは、こういう慢性的な疾患の場合にも当てはまるだろうか。
一秒を争う緊急医療のケースだと想像しやすいわけだが、イメージが簡単かどうかは別にして、ゆっくりと遅効的に病魔に侵されていくパターンであっても、「あの日あのとき、あの瞬間、あと1弾指早く薬を飲んでいれば助かったのに…」みたいな、極細の時間の一線があったりするのだろうか。
というか、疾病に限らず、この一線はなんにでもあるのか?
将来の夢を叶えるために、「あの瞬間がタイムリミットでした。着手するのがあと1弾指早ければ…」とか、好きな人を射止めるのに「あのときモーションかけるのが最後のチャンスでした。あと1刹那早ければ…」みたいな。
まあ、夢だとか恋愛だとかは、時間が経過して大きく潮目が変わってきて…みたいなこともありそうだから、直線的な時間の流れを一点で前と後ろに区別する、みたいな考え方とは相性が悪いかもしれないが、健康に関しては、マジでこういう一線が存在する気がする。
なんかどうでもうんちでした