志村けんが感染したからそれだけ感染が広がっているというのは間違い。
ただし、これをなぜ人間が間違えだと感じてしまったのかの説明は簡単にできる。
ここで隣に住んでいるおじさんに登場してもらおう。
志村けんと隣のおじさん、それぞれ新型コロナにかかる可能性はほぼ等しい。
あの哲学者を否定する人間はこの部分だけを切り取ってボコボコに叩きに行った。
なぜなら、志村けんと隣のおじさん、どちらも新型コロナにかかっていたとして、それだけでどれほど感染が広がっているかの判断はできないからだ。
ではここでもうひとり隣のおじさんに登場してもらう。
もし、この二人目の隣のおじさんが新型コロナにかかっていたとしたら、自分はどう感じるだろうか。
「自分の身の回りに二人もかかっているのだから、自分の周りにおいては(ここ重要!)感染が広がっているに違いない。」
そう感じることだろう。
どちらの隣のおじさんも、新型コロナにかかっているかもしれない可能性は全国民と等しいはずだ。
もしこれが宝くじなら、隣のおじさん二人が宝くじに当選したとしても自分が当選する確率に変化はない。
近い人間がかかればかかるほど、自分の周りににおいては(くどいけどここが重要!)蔓延していると考えることは論理的に正しいと言えるのだ。
そして問題は、この隣のおじさんを志村けんに置き換えてよいのかどうかという点にある。
芸能人というのは日々テレビに出続けることで、一般人に対して距離感を誤解させる存在だ。
あの哲学者は自分からが一方的に知っている芸能人に対してまるで隣のおじさんかのように距離感を誤解してしまったことで、自らの近い存在が感染した=それだけ身近に感染が迫っていると勘違いしてしまったのだ。
隣のおじさんが感染したと感じたときの自分の周りとは、おおよそ半径数キロの圏内である。
コロナ自体はクラスターというものが発生して感染を拡大させるものでもあるので、日本全体の発生率に比べて局地的な発生率に偏りが起こりやすいと言える。
たとえ隣のおじさんがふたりともコロナに感染していたからといって、それはあくまで局地的な話である。
その実に局地的な話を、日本全国規模にまで置き換えてしまったことで、自らの観測範囲を全体に置き換えるな!というつっこみが殺到したと言える。
どちらにしても自らの観測範囲を誤ってしまったことが原因なのだが、それをややこしくしたのが志村けんという国民の多数から一方的に知られる芸能人という存在だからだと言えよう。
まとめると、
・芸能人という特殊な距離感が、まるで自らの身近なことのように勘違いを誘発した
・自らの身近な観測範囲を全国規模に置き換えて数字の否定をしてしまった
ここでもう一つの勘違いを指摘するなら、志村けん一人の感染しかまだ確認されていないのに、それがあの界隈で連続するであろうと予測をしてしまったことも加えておきたい。
これは人間がデータの裏に規則性があるものと思い込むバイアスが原因なのでどうか責めないでやってほしい。
志村けんが演じたのは、変なおじさん だからね。
日本では研究者と医師は神 どんな放言をしても許される 嫌なら日本から出て行け アカデミアの人間としては不適切な表現だったがもっと深刻なシーンで放言している連中がいる 「都内...
志村けんのパラドックス 志村けんのジレンマ 志村けんの夢 志村けんの猫 志村けんの船 志村けんの猿定理 志村けんの誤謬 志村けんの部屋 志村けんの哲学者 他には?
哲学的志村けん 水槽の志村けん
この件では本当にはてなーの知能の低さがあぶり出されて歯痒かった。 結論は志村けんが含まれているから蔓延率は高いということになるのだが、どうやって説明されても理解出来ない...