エロい目で見てるかどうかはすぐにわかるとおっしゃりますし、多分その見立てに間違えはないと思われます。
そして、逆はあまりないように思われますが、同じ現象には心当たりがあります。
それは、キモがっているかどうかです。夜道にしばらく同じ方向を歩いた場合、あるいは閉所に一緒にいた場合、多くの人がこちらを警戒しキモがります。
これは生物的な自然な反応なのでしょうがありませんと反論する人がいそうですが、それをいうと、エロがるのとキモがることにどれだけの差があり、どれだけひとがそれを隠したままでいられるか。そして「(隠すなんて)簡単なことだろ?」と無責任に言ってのけることができるのか?
エロいと思う感情、キモいと思う感情もコントロール下に置けないことでは同等ではないでしょうか。感情を持つ人種性別に貴賎はありませんし、感情の種類にもそうです。笑い、怒り、悲しみ、エロさ、キモさ、全ての感情はひとの持つ感情として平等のはずです。
そしてそれらを努力で抑えることは難しいはずです。「私の方が絶対に努力してる」と言い切れる指標はどこにもないからです。
パイスラ広告を性的でキモいという感情とパイスラ広告を性的でエロいという感情に実は差がないです。不満の声をあげるかどうかだけです。
パイスラ広告を性的でエロいと思う目線がキモいと思う目線がキモいという袋小路に入り込むので今回は何がいいたいのかというとせっかくのエロがキモキモで消えていってもったいないなと。