2019-12-24

工場は意外と人間的な職場だった

まさか30代も後半になってから工場肉体労働するはめになるとは想像もしてなかった。

中高生の頃はホワイトカラーの、デスクワークを将来するものだと疑わずに過ごしていた。

それが男女関係のいろいろな事情によってそういう仕事に突かざるをえなくなって、案外と悪くない環境だと気がついた。

工場自体製品を低コスト納期製造するためにあるので設備無骨人間味は感じ難い。

自分も初めて入場した日には、こんな砂漠みたいな場所毎日を過ごすのは耐えられないだろうと思っていた。

でも休憩室の何十年使い込まれた天然木の机だとか、ロッカーの中を使いやすくするための手作りの棚だとか、違う部署同士の仲の悪さだとか、工場中の人間臭さに気づいてからはぐっと過ごしやすくなった。

2年も過ぎると、合理的なはずの倉庫の配置や配管の取り廻しにも積年のその場しのぎと後悔がそこここに感じられるようになって、職場への愛着が日々増しているのを自覚している。

労働組合に顔を出すと、なぜか生産性向上には反対すべきだと聞かされていまだにそれは意味がよく分からない。生産するのが仕事なのに。

でも労働法歴史簡単に学ぶと、産業革命以来の工場労働者の血と汗と涙の上に自分たちがいるのだと思うし、法律は守るべきだし、守らせなければいけないと感じる。

今の世の中では健康子供でも老人でもなければ基本的には働くべきとされていて、つまり労働人口に数えられる人間労働者とみなされている。

でも人間的に労働するのはこのグローバル社会では本当に難しいことで、逆に今の時代工場労働者特に人間的に扱われているのではないかと思う。

仕事は朝始まるし、夕方に暗くなる前に終わり家に帰れる。

毎日自宅に戻って料理をしたり、まともな食事もできる。

自分幸せかどうかはよく分からないけど、幸せになれる最低限の条件はそろっていると思う。

から工場仕事は悪くないし、自分は好きだ。

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