件の事件には幾つかの要素に分けて考えるべき事があると思った。
c_shiika 本音を申し上げると、あれは周囲もその店員さんが妄想持ちだってことを知らなかったわけで、不幸な事故でしたね、で終わらせとけという話ではないでしょうかとも思う。防止するのはきわめて難しい事故だったと思う。
こういうアホな考えでは、障害を持った人を社会から排除するのが最も妥当な解決案だという風にしか考えられなくなる。
という事ではないか?と思う。差別うんぬんではなく現実的に問題を切り分けていくべきだろう。
健常者であっても仕事には適不適がある。向いていない仕事に就く不幸に関しては、心当たりのある人は少なくないのではないか?だから、障碍者であれば、なおの事だと考えるのは難しくはない。職業を制限する事は差別に繋がるという綺麗ごとを押し付ける限り、ならば障碍者を社会から排除すべきという強烈な反発を生み出すことは避けられない。
例のコンビニのケースの場合は、コンビニ店員の様な客商売は、精神的な障害を持ってる人間にやらせるべきではなかったと言う話にしかならんと思う。肉体的なハンディキャップを持っている障碍者や、生まれつき知能にハンディキャップを持っている障碍者は、自ずと仕事が制限されるのだけど、精神的な障碍を持っている連中は、一見すると何でも仕事は出来そうに見える事がよろしくない。精神科医などの専門家等で、精神的な疾患を持っている障碍者について、就業可能な職業を決めておくべきだろう。
企業が肉体的、知能的な障害を持った人を労働者として受け入れる場合には、公的な補助が出る代わりに受け入れ態勢を問われる。精神的な障害を持っている精神病患者についても、同様に企業の受け入れ態勢を問うべきではないかと思う。例の事件の場合は、コンビニには明らかに、その態勢は出来ていなかった。この事が不幸な事件を産んでしまった。
障碍者が起こしがちな問題点と、その対処法の共有、精神科医のサポート体制など、問題が起こる前に企業サイドで対応できる仕組みがなかった事が良くない。それが出来ない企業は障碍者を受け入れるべきではないというのは肉体的な障害を持った人と精神的な障害を持った人とで違いはないはず。
客のサイドから見れば、レジに立っている人間が障碍者だという事は、精神的な障害を持った人の場合には分かりにくい。肉体的なハンデや、ダウンなどの病気とは違って、一見すると彼らは正常に見える。障害を持った人を受け入れた店舗の入り口に、「この店は障害を持った人を雇用してますよ」と言うようなサインがあればどうだっただろう?「この店にはガイジがいるかもしれん」という心の準備が出来てさえいれば、理不尽な事があっても「なんだよ、ガイジかよw」と笑って済ませられる事も多いだろう。客が気に病む必要がなくなる。
と言うように、客が心の準備を済ませておける様な体制は必要だろう。名札に「障碍者」のサインが入っているのは、流石に論外だろうと思うが、店舗単位でそう言った警告を客に発しておく必要はあったのではないかと思える。
という点を、差別だなんだと言わずに、互いに丸く収められそうな所で折り合いをつけていかないと、社会は障害を持った人を排除する方向にしか傾かないと思うぞ。問題となったコンビニの事件に関してもそうだけど、社会全体は被害を受けた少女に同情的になる。彼女を守った上に、障碍者にも仕事をさせたいと考えるならば対策は必要だ。
なかなかキレイに整理できてて良い内容だと思った。 見てて一番厄介なのが「受け入れ体制」ってやつだね。 ついこないだ、障害者雇用のパーセンテージを役所が水増ししてたってニ...
リベラルがネトウヨだなんだって叩きがちな意見程、現実的に問題を切り分けられているというね https://anond.hatelabo.jp/20181001161404 こういう考え方の出来るリベラル論者の少なさが不幸な...
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