生きる意味が見出せない。
欲しいものがない。
あるいは欲しいものを得られない。
孤独や疲労、世間の冷たい態度や疎外、そういったものものを越える理由がない。
あそこでの仕事をしていた時も、虚しさが拭いきれなかった。生きることはできても、動いていても、心は死んだように輝かず、生きているのに死んでいるようだった。
とてもとても、虚しかった。
それを克服しようと、したいことをしようとこちらへ来たけれど、その仕事も「違う」と感じ、その仕事をなすためのハードルを越える必要もないと感じ、やめてしまった。
自分の持つものを上手く活かせる場はあるのだろうけど、探す気にならない。
そうまでして生きる意味が僕にはない。
それに、したいことが思い浮かばない。
自信がなくなってしまった。自己の能力、体力に対して、そしてまた、自分を動かす「したいこと」に対しても。
力が湧いてこない。この心と体で出来ることなど、なにもない。それほどまでに、心と体が動かない。
居場所があれば違うのかもしれない。
でも依るべき場所がない。
実家はない。
ママは僕が自死したら死ぬまで苦しむだろう。一人でに自分を責めるだろう。
可哀想だとは思う。
ママはあの苗字として出来る限りのことを僕にしてくれたけど、でもやはり、あの苗字という選択は僕にとって大きく間違ってたみたいだ。僕には、母が消えてしまったような、取られてしまったような、そんな気持ちが常にあり、こんな歳になっても消え切らなかった。
その反動で恋人に熱を入れたけれど、あの人とも一緒になることはできなかった。でも僕も子供が欲しかったし、いい父親になるだろうと思ったから、可能になったとしても一緒にいない選択をとるだろう。
それでもあの人との恋愛は、生きていて良かったと、それまでの孤独や寂しさは、この幸福を感じるためだったのだと思えたほど、素晴らしいものだった。あんな素敵な体験が出来る人は、地位や富や歴史的人物だとしても、そうはいない。そう思える。
でも逆に、失った後に苦しむことにもなる。
あれから数年が経っても、落ち着いた恋愛が未だ出来ず、「出来ない」という経験だけが積み重なった。
全てにおいて失った感覚。
日々や人生で沈むときは、そういった捉えを強く感じる。そんな僕には、何かを得られる気がしない。ただ転がり落ち続けるだけだ。
生きたい理由がなく、不幸を避ける。
僕と関わった方々の今後の日々に、一抹の影を残してしまうことを心苦しく思います。申し訳ありません。
僕の死は、誰にでもある宿命や産まれながらの不幸に対し、僕自身が勝てなかったというだけです。そしてまた、破滅的な傾向と不安定な精神に依ります。たまたまが重なり、ここまでに至ってしまった。そういう人生もあります。人生を選択できるほどの熱量を、誰しもが持てるわけではない。
🐈あのね、ねこなんだけど。 お水と、ごはんと、おやつと。そして遊んで欲しいよ。
世の中のことはすべて虚しいだけってことに気づけて良かったね(ニッコリ) お見舞い http://www.christian-life.jp/Bible_D02/Shinkaiyaku/Rom/Rom001.htm http://www.christian-life.jp/Bible_D02/Shinkaiyaku/Eccl/Eccl001.ht...