2018-09-19

生きる意味が見出せない。

欲しいものがない。

あるいは欲しいものを得られない。

孤独や疲労、世間の冷たい態度や疎外、そういったものものを越える理由がない。

あそこでの仕事をしていた時も、虚しさが拭いきれなかった。生きることはできても、動いていても、心は死んだように輝かず、生きているのに死んでいるようだった。

とてもとても、虚しかった。

それを克服しようと、したいことをしようとこちらへ来たけれど、その仕事も「違う」と感じ、その仕事なすためのハードルを越える必要もないと感じ、やめてしまった。

自分の持つものを上手く活かせる場はあるのだろうけど、探す気にならない。

そうまでして生きる意味が僕にはない。

生きるというより、諸処のストレスを越える理由が。

それに、したいことが思い浮かばない。

自信がなくなってしまった。自己能力、体力に対して、そしてまた、自分を動かす「したいこと」に対しても。

力が湧いてこない。この心と体で出来ることなど、なにもない。それほどまでに、心と体が動かない。

場所があれば違うのかもしれない。

でも依るべき場所がない。

実家はない。

ママは僕が自死したら死ぬまで苦しむだろう。一人でに自分を責めるだろう。

可哀想だとは思う。

ママはあの苗字として出来る限りのことを僕にしてくれたけど、でもやはり、あの苗字という選択は僕にとって大きく間違ってたみたいだ。僕には、母が消えてしまったような、取られてしまったような、そんな気持ちが常にあり、こんな歳になっても消え切らなかった。

その反動恋人に熱を入れたけれど、あの人とも一緒になることはできなかった。でも僕も子供が欲しかったし、いい父親になるだろうと思ったから、可能になったとしても一緒にいない選択をとるだろう。

それでもあの人との恋愛は、生きていて良かったと、それまでの孤独や寂しさは、この幸福を感じるためだったのだと思えたほど、素晴らしいものだった。あんな素敵な体験が出来る人は、地位や富や歴史的人物だとしても、そうはいない。そう思える。

でも逆に、失った後に苦しむことにもなる。

あれから数年が経っても、落ち着いた恋愛が未だ出来ず、「出来ない」という経験けが積み重なった。

仕事家族恋愛

全てにおいて失った感覚

日々や人生で沈むときは、そういった捉えを強く感じる。そんな僕には、何かを得られる気がしない。ただ転がり落ち続けるだけだ。

生きたい理由がなく、不幸を避ける。

から死ぬ

僕と関わった方々の今後の日々に、一抹の影を残してしまうことを心苦しく思います申し訳ありません。

僕の死は、誰にでもある宿命や産まれながらの不幸に対し、僕自身が勝てなかったというだけです。そしてまた、破滅的な傾向と不安定精神に依りますたまたまが重なり、ここまでに至ってしまった。そういう人生もあります人生選択できるほどの熱量を、誰しもが持てるわけではない。

これまでの日々で、笑顔や温かい気持ち、感動する体験ができたことを幸福に思います

  • 🐈あのね、ねこなんだけど。 お水と、ごはんと、おやつと。そして遊んで欲しいよ。

  • 世の中のことはすべて虚しいだけってことに気づけて良かったね(ニッコリ) お見舞い http://www.christian-life.jp/Bible_D02/Shinkaiyaku/Rom/Rom001.htm http://www.christian-life.jp/Bible_D02/Shinkaiyaku/Eccl/Eccl001.ht...

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