今、大学生をしている。私は門限がある。友達と遊ぶときは、誰とどこで帰りは何時かを事前に伝える。そして帰るときは連絡を必ず入れる。
門限に間に合うように、駅から何度も走った。べつに門限を過ぎると家に入れないことも、携帯をとりあげられたりすることも、ご飯がなくなったりすることはない。ただのきまりだ。
私にとっては、ずっと当たり前のことだ。それを周囲に『過保護だ。』と言われる。
小学生の頃、母親が働いている子と、働いていない子はどこか違う気がした。
母親が働いている子は、しっかりしていて、運動神経が良かったり、どこか性格的にも精神的にも強い。もしかすると、強くならなければいけなかったのかもしれない。反対に、母親が働いていない子はどこかのんびりしていて、門限が厳しいことが多いように感じた。
私が低学年の時、母は仕事をしていなかった。そして私は、母親が仕事をしていない子と仲が良いことがほとんどだった。家におやつを持っていって遊んだ、そして皆同じ時間帯に家に帰った。
ある日、あまり遊んだことがなく、母親が仕事をしている同級生複数人と遊んだ。よく知らない児童館に行った。「○時だから家に帰らなきゃ。」と言うと、『私たちは、まだ遊びたいから先に1人で帰って。』と言われた。泣きながら1人で家に帰った。門限に対して初めて嫌悪感を抱いた。
小学生から中学生、高校生と移り変わる中で、周囲から何度も『過保護』や『箱入り娘』と言われ馬鹿にされるようになった。
同世代が自由を謳歌する中、私は門限や決まりごとがある。児童館から泣きながら帰った小学生のときより、今が辛いと強く思う。ある程度決まりがある中でさらに決まりごとが多い私より、みんなが決まりごとがないなか決まりごとのある私の方が、よっぽど周囲から様々なことを言われるのだ。
何度も『過保護』と言われて嫌な思いをするなかで、私は1番辛いことは『過保護』に対する批判が、自分の母親を否定されていると感じることだ。
私は母が嫌いではない、大学生となった今でも私の1番の理解者だと思っている。私は人より危なっかしく、それを心配する母の気持ちも分かる。
母は信念を持って、私が低学年の頃仕事をせず、私の帰りを家で待っていた。母は子供の頃、自分が家に帰った時に、『家に誰もいないことが悲しかった。』とよく話す。
そして家庭のことを何も知らない人間が、門限があると聞いた途端、『私だったら、耐えられない。』と言い、将来の心配を勝手にしたり、門限があることを可哀想とする。なぜ私だけが、私の母だけが、周囲に、気兼ねなく否定されなくてはいけないのか。
もちろん、門限が無いにこしたことはないと思っている。『なぜそこまで言われるの?周りはもっと自由なのに、私だけ。』と思うことは何度もある。『何故、自分には門限があるのか?』と母に泣きながら、訴えたこともある。
しかし、門限も決まりごとも、正直もうどうでもいいと思っている。きまりはきまりだ。わざわざきまりを破ることが、面倒だ。
それに、『過保護』と周囲に言われることが1番の苦痛となった。もう『過保護』の話は飽きたから、ほっといてくれ。
私は友人に、『裕福だから過保護なんだよ。』と言われたことがある。
今まで言われた過保護批判のなかで、1番悲しかった。悲しかったというより、悲しいと思い続けている。
友人と遠出をする際に、『夜行バスは危ないから、ホテルに泊まって帰ってきなさい。』と私が言われたことがきっかけだ。大学生の遠出というと、やはり選ぶのは安さだ。私の抱える過保護問題が引っかかった、そしてその言葉を言われた。
私が小さい頃、母は仕事をしていなかった。それは、母が仕事をしなくとも生活できたからかもしれない。父親の稼ぎだけで、人並みの生活が送れた。
それは裕福にも見えるのかもしれない。危ないから、『ホテルに泊まりなさい。』というと発想は、お金がある人じゃないとできないのかもしれない。
しかし、交通手段もホテル代も出すのは私だ。だから、「裕福だから‥‥」と言われると「私がいけないのか?」と思う。
『過保護』は悪か。誰かに迷惑をかけたのか。門限があるのが、そんなにおかしく、いけないことなのか。なぜ私がとやかく周囲に言われなくては、いけないのか。私は門限がなくなることが1番の望みではない、望みは周囲に『過保護』ととやかく言われないことだ。
べつに『過保護』が悪なのではなく、人と違って門限があることが悪と考えられているのかもしれない。
これを書いたのは、小学生の時に言われて傷ついた言葉や、大学生になって言われて傷ついた言葉を、今でもずっとずっと昨日のことのように引きずって私がいるからだ‥