これは人間がこの世に生まれた時にはみんなおんなじ裸の赤ん坊で、
生まれながらの血筋の良さとか人種とかによる上下の違いはなく、
衣食住を用意したり、自由に、
でも他の人と争わないようにしながらいきいき暮らしていきましょうねというような意味だ。
でも実際のところ狭いネットの中を眺めているだけでも、賢い人もいるし、馬鹿な人もいるし、お金がなくて困ってる人もいれば、高潔な人間もいるし、ヘイトを撒き散らす炎上芸人もいれば詐欺師もいるしで、なんでおんなじ人間なのにこんなに違うものになるのかというふうに思うものである。
その原因のひとつは明らかにあれ。
昔の偉い人が「学ばない人は知恵がなくて、知恵がない人は馬鹿」だとか言っているけれど
つまり、少なくとも賢い人と愚か者の違いは勉強するか勉強しないかによって決まってくるもんだと言える(賢いから勉強ができるわけじゃねえよ)
キレイ事をいう人もいるけど難しい仕事をわざわざしてくれるひとは偉い人ということになっていて、簡単な仕事をする人を身分の軽い人ということになっている。
(難しい仕事は実入りもいい。じゃないと誰も難しい仕事をしないからな)
いろんな複雑なことに考えを回して思考を働かせる仕事は難しくて、体を使って働く肉体労働は簡単な仕事だ。
(体があれば誰でもできるから。……いや創造性が出しにくいからか。だからダンサーなんかは別枠になる)
だから、医者、学者、国家公務員、取締役や起業家、資産家なんかは偉い人というわけだ。
そういう偉い人は当然裕福になるし、他の人と比べるとなんだか根本的に全然違う人間に見えてくるものだけど、
その本質は何かというと、その人間に学問があるかないか、その違いによって将来的に大きな違いができたという話であって、生まれた時から運命的に決まっていたとかそういうことではない。
ことわざに「天は富や誉を人に与えない、人の働きに与える」というのがある。
人は生まれた時から偉いとかくだらないとか貧乏とか金持ちとかの格差があるわけではない。
ただ、学問をしっかり行って、物事をよく知る人が、偉い人になったりお金持ちになったりして、
学問を行わない人が貧乏人になったりくだらない人間になっていくだけのことである。
(逆説的だが前提として"もしそうではないのならそうではないことが問題になること"はない)
勉強するというのは、ただ難しい字を知っていたり、やたら難しい文章を読んだり、あと英単語帳を作ったり、ひたすら授業の内容をノートに綺麗に書き写したり、教科書の内容を意味もわからず丸暗記して受験対策をするということではない。
そういうのも本人や学歴をありがたがる人は満足するかもしれないけれど、褒められたものじゃないし第一くだらない。
これが勉強した結果だとしたら非常に皮相的で薄っぺらい。 ある意味間違った方向に進んでいるとは言える。 勉強した感じに見えない稚拙な文体にも違和感を感じる。