<<まとまらない気持ちを落ち着かせるために書いていたもののままで、誤字とか文体とか滅茶苦茶だと思います。>>
12/25 「作品」という言葉を遣うが、箇所によっては「人生」と置き換えてもらってもいいです。
「この世界の片隅に」を見た。
終わった後、とりあえず泣いていた。
どいう感情だったのか分からないし、数時間経った今でも分からない。
普段接するものとは違う、何か特別なものを感じ取ったのだろうか。
ただ特別なものに出会ったというのを演出して気取りたいだけなのだろうか。
本当に分からない。
僕はこの作品から何を感じ取ったのか。ずっと、ぼやっとしたままで。
ぼやっとではないかもしれない。鮮明なんだけど、全ての色が違ってまとまらない。
得意でもないのに表現者ぶって下手に表現しようとすると陳腐になる。
この作品に対して失礼極まりないな。書きながら自分に対して嫌悪する。
ふと思うことは、良かった。
良かった、と思っている自分がいる。
ただ、僕はこの作品に対して、良かったという感情の言葉で表してはいけないと思っている。
心底思っている。
良かったという言葉で片付けていいものではないから。そう思っている。
彼女は表には出ない芯の芯、彼女も気付かない強さで生きていた。
その強さにも、尊敬の念を抱いた。
当時を生きた人は僕なんかが想像するより確実に酷く辛い思いをしただろう。
そんな時代を生きた彼女に、僕なんかの物差しで気持ちを共感しようだなんて
なので、同情や尊敬といった感情を持ってしまい、分かってる風になる自分が嫌でたまらない。
そんな彼女が生きたこの作品を、良かった、なんかで表現してはいけないのである。
ハッピーエンドだったのか、
(戦争にハッピーなんてものは無いのは当然だが(これも当時を生きていない僕が口にするのもおこがましいが))
それすらも分からないし、哀しいこともたくさんあった。
これが本当に分からなくて、ずっと考えていた。
何故なのだろうかと。
良かったと。
ふと気づいた。どう気付いたかは忘れたが気づけた。
ずべて附に堕ちた。なるほど。
これは本当にそうだ。
見終わった後、嬉しいのか哀しいのか楽しいのか、
この作品に出会えて良かった。というのは本当の本当の気持ちである。
「この世界の片隅に」は自らすすんで、人にお勧めするようなものではないと思っている。
興味が無ければ当然観なくていい。観ないと人生を損するなんて全く思わない。
ただ、ただこの作品に少しでも興味があるのなら是非見て欲しい。見て欲しい。
素の状態で見て欲しい。
僕が実際そうだったように。
期待して観るものでは無いと思う。
期待という言葉がふさわしくない。
少しでも興味がある→見る。それだけでいいと思う。
みんなの見終わった後の感情を知りたい。
ただ、「この世界の片隅に」と出会えて、本当に本当に良かった。
彼女の生を遠くから遠くからだけども、少しでも見ることが出来てよかた。
これが僕の生にどう影響を及ぼすかとは無いかもしれない。
ただ今は出会えて良かったと本当に思える。
僕は基本的に好きだと思ったものは、設定や携わった人について調べてしまう質である。
しかし、この作品に関しては、それはいけないという気持ちになってしまう。
誰が作って誰が声をあてていたなんてどうでも良いのだ。
僕は彼女の生を見た。見た全てが全てなのだ。純粋に見たものだけを心に宿したい。
そう思わせてくれてありがとう。
また時間を置いたら、色々考えが変わるかもしれないが、今はこ初めてで不思議な気持ちである。
人に映画どうだったって聞かれたらなんて答えようかな…笑