この現象って何ていうんだろう?知ってる人がいたら教えてほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20150917135550
芸術や作品、音楽に面白さを感じるときは、たいてい何かしらの共感を持つ。
例えば悪人や弱いものいじめは許さない!っていう主人公の漫画がいたとして、
自分(読者)が過去にいじめられたり、普段から犯罪者を憎んでいたら
主人公が代弁してくれたことにより、より読者の心に対して共感を得て、
深いところで作品と読者の心が繋がりあう。つまり深度が深くなっている。
もっと限定的に、いじめられたストーリーとか事細かに書いたりすると、
主人公が復讐する場面などでは大きなカタルシスを感じることができる。
そのため、深いところでつながることができなくなる。
一方では深度が深くなり、もう一方ではその深度の進む先から外れてしまう。
つまり究極の面白さというものは、人間の数だけこの「深度」の深いものが求められていて、
どれだけ作品が心を深く潜ってこれるか、共感させられるかに掛かっている。
大衆作品が毒にも薬にもなりにくいのは、ようは共感させるものが最大公約数として常に提供され続ける多数派であって、
はみ出し者や少数派にとっては深度が低すぎるせいだ。
自分にとって最も面白い漫画を探したいなら、あらゆる面で深度が用意されているメジャー作品を探し当てるか、
もしくは一点集中型で共感を求めていないくらい狭いターゲットに対して自分が当てはまるものを探すのがいいだろう。
話を戻すが、つまり椎名林檎がメンヘラ好きにウケるのは、椎名林檎がメンヘラに共感してもらえる深度設定の曲を書いてるから
セカオワが中高生にウケるのは中高生に共感される深度を持つ曲を提供し続けているから。
演歌が幼稚園生にウケないのはそもそも人生経験が少ないのに共感を得るわけがないから。
それぞれ作品が持つ深度の種類が違う、違うからこそ客層が分かれるという話。
例外として新しいジャンルを開拓した先駆者は共感には頼らずに、
ただインパクト、衝撃、未体験ゾーンへの突入という麻薬のような要素で人を引き付ける。
インディーズはフロンティアを開拓する姿で価値を提供しているが