2015-09-17

作品に対する好みは「深度」で変化する

音楽って不思議だね。

この現象って何ていうんだろう?知ってる人がいたら教えてほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20150917135550

 

それは「深度」という単語説明ができる。

芸術作品音楽面白さを感じるときは、たいてい何かしらの共感を持つ。

例えば悪人や弱いものいじめは許さない!っていう主人公漫画がいたとして、

自分(読者)が過去いじめられたり、普段から犯罪者を憎んでいたら

主人公が代弁してくれたことにより、より読者の心に対して共感を得て、

深いところで作品と読者の心が繋がりあう。つまり深度が深くなっている。

もっと限定的に、いじめられたストーリーとか事細かに書いたりすると、

いじめられた経験のある人間さら共感を感じ、

主人公復讐する場面などでは大きなカタルシスを感じることができる。

しかし、単に犯罪者を許せないという意味で好きだった人には、

いじめられた話は共感できず、想像の域を出ることはない。

そのため、深いところでつながることができなくなる。

一方では深度が深くなり、もう一方ではその深度の進む先から外れてしまう。

 

まり究極の面白さというものは、人間の数だけこの「深度」の深いものが求められていて、

どれだけ作品が心を深く潜ってこれるか、共感させられるかに掛かっている。

大衆作品が毒にも薬にもなりにくいのは、ようは共感させるもの最大公約数として常に提供され続ける多数派であって、

はみ出し者や少数派にとっては深度が低すぎるせいだ。

自分にとって最も面白い漫画を探したいなら、あらゆる面で深度が用意されているメジャー作品を探し当てるか、

もしくは一点集中型で共感を求めていないくらい狭いターゲットに対して自分が当てはまるものを探すのがいいだろう。

 

話を戻すが、つまり椎名林檎メンヘラ好きにウケるのは、椎名林檎メンヘラ共感してもらえる深度設定の曲を書いてるから

セカオワ中高生ウケるのは中高生共感される深度を持つ曲を提供し続けているから。

演歌幼稚園生にウケないのはそもそも人生経験が少ないのに共感を得るわけがないから

それぞれ作品が持つ深度の種類が違う、違うからこそ客層が分かれるという話。

 

例外として新しいジャンル開拓した先駆者共感には頼らずに、

ただインパクト、衝撃、未体験ゾーンへの突入という麻薬のような要素で人を引き付ける。

インディーズからメジャーに移って支持層が変わるのも

インディーズフロンティア開拓する姿で価値提供しているが

メジャーになると売るために深度の最大公約数を求めだすから凡作になっていく。

まり作者自身ターゲット露骨に変えているから、インディーズ好きはインディーズ好きから卒業できないのだ。

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