ユーザからみると課金はするものじゃなくされるものであってアプリで金払ってなにかを購入する行為は「課金した」ではなく
「課金された」とか「課金(コンテンツを購入)した」が正解なはずなんだが、もう「課金した」に慣れてしまった。
繰り返すが「課金」というのは「金銭の支払いを課すこと」であり「金銭を支払うこと」ではないので、ユーザの立場にある者が「課金した」というのは明確なまちがいだ。
大多数の人は誤用をわかった上で、コミュニケーション上「課金した」って言っちゃったほうが通りがいいので使っている言葉だと思うが、とくに子どもなんかは「課」の意味を誤って覚えて、将来別のところ(受験、ビジネス、フォーマルな場など)で失敗したり恥をかくこともあるだろうな。
こんなのはもう3周くらいまわってるありふれた議論だと思うが、ここらで「課金した」「課金する」の誤用に対する意識を元に性格タイプ診断してやるからお前らもやってみろよ。
ああ、俺は大学でこういう専門、まあ社会人間工学っていうんだけどそういうのの准教授やってて、あと今は社会になじめず苦しんでる人の自立を支援し社会復帰させるようなNPOのサイエンスアドバイザーを複数掛け持ちしてる。
言語学は専門外だが、まあ個人と社会、社会と社会の関わり様についてはいっぱしの知見は持ってるつもり。
A 一般論として言葉は時代とともに変わるものだと思う Yes→Bへ / No→Cへ / わからない→Fへ
B 「課金する」の意味も変わっていいと思う Yes→Dへ / No→Eへ / わからない→Gへ
C 「課金する」という言葉を使う Yes→【保守・ハト派】 / No→【保守・タカ派】
D 「課金する」という言葉を使う Yes→【革新・タカ派】 / No→【革新・ハト派】
E 「課金する」という言葉を使う Yes→【中道・ハト派】 / No→【中道・タカ派】
F 「課金する」という言葉を使う Yes→【なんとなく流されちゃう系】 / No→【なんとなく反抗しちゃう系】
G 「課金する」という言葉を使う Yes→【考えるの面倒くさい系】 / No→【日常で使う場面がない系】