独白がソーシャルメディアでしにくくなってきたので、この辺りにつらつらと書き綴ることにする。
twitterやブログで自分の家族の気持ちを知ったり、今晩帰ってこないけどどこにいるかを知るなんていうのはおかしな世の中になったと思う。
というか、自分の家の家族関係が微妙におかしなことになっているのだと気付かされる。
直接話しても解決していないことは案外多い。
昔は妻の年収が自分よりも150万くらい多い、とかそういうのも微妙にひっかかって将来が見えない自分に苛立ってた時期もあったけど、幸運にも今は年収が倍に増えたことでそういうことはいつの間にか解決されていたし、そんなこと気にしてたのがウソのようになっている。
経済的に、社会的に地位は安定してきたけれど、圧倒的に欲求不満が満たされていないままだった自分の状況は未だ放置されたままだ。
セックスレスはもう長年の域に入ってきた。1〜2年前は気持ちのギャップが大きすぎてもう張り裂けそうな気持ちだったと思うが、皮肉なもので人は年を取ると急に性欲も無くなってしまうのだと最近実感している。
いわゆる男性更年期の一種なのだろうが、これでまた人に説明しようのない悩みがひとつできてしまった。
妻は家庭を大事にさえしてくれたら浮気はしてもいいのよと言うが、浮気する前に言われてもそれは必ず裏切られる約束に違いないと感じている。浮気するほどモテないのでそんなことはきっと起こらないという余裕で言えるだけなのだろう。
40代に入り妻は趣味で家を空けて外を忙しそうに飛び回るようになったが、親の介護の問題もあり、あらためて夫との関係をメンテナンスする必要など感じる余裕もないのだろう。
何年か前に見た「最近恋してないなぁ」という妻のmixiの日記を思い出す。
40を過ぎて最近悟ったことは人間も所詮生き物であり、恋とか何とかいうのも最終的には子孫を残すために必要な感情の変化であり、性欲が落ちてきたというのは生殖の面では生き物としての役割を終えようという反応にほかならない。
最近恋してないなぁ、はそろそろ他のオスとも関係を持って子供を作ってもいいかなぁという意味になる。
そのころから夫の優先順位は相当堕ちていたことは間違いない。経済環境の変化もあり、自信がついたことで家族の関係は行く分か持ち直したように思うが、オスとしての立場は地に堕ちたまま拾われる気配は今後もない。
その方面の展開をとりあえず、忘れるか諦めるとして50歳になったら、自由人になろうと心に宣言している。
いまのところ、そんなに自由人になりたいわけでもないが、50になった時に体も心も健康を保っていて、経済的自立を果たして、何者にも縛られない自由な生き方ができる身分になっていたいと思うことにしている。
カネのことは気にせず、時間のことも気にせず、ただ自由に生きる。家族にも縛られず、寂しさは友達をつくって紛らわせながら、自由に生きる。パートナーはそのときにつくればいい。
その頃にはいまの気分は忘れ去られているだろう。
早く自由になりたいが、10年後にそれが得られると信じて今を生きることにする。10年後、人生の後半は自由に自分のことだけに集中して生きる。