2013-03-25

偶然と境遇がもたらすもの

昨今話題になっているアスペ自分当事者の一人としてかれこれ10年近く、他の当事者交流してきた。

そして一口当事者といっても本当に色んな人がいるのだが、中には酷くこじらせた人が結構いる感じだったり。

彼らの典型的な言動は


空気?読めませんよ何か問題でも?てか俺にどうしろっていうの?」

「私は確かに障害を持っているけど、いつも酷いことをするのは定型(要するに健常者)の人達


というもので、とにかく取り付く島がない。

一生一人で生きるのでもない限り、空気が読めなくても相手の気持が分からなくても、他者への思いやりは絶対に必要だし、そのための工夫はいくらでもあると思うのだが、そもそも彼らには世の多数派とうまくやる気が全然ない。

なのでいつまでも普通の人たちとのトラブルが絶えないし、他の当事者ともトラブルを起こすことすらある(というか自分も何回か巻き込まれた)。

あと彼らの言い分には「もっと我々少数派が生きやすいように(ry」という主張もセットでついてくるのだが、人類が数千年かけてようやくたどり着いた、今までで一番マシなやり方である民主主義であっても「最大多数の最大幸福」がやっとなのだ。即ち、それ以上に少数派のケアを望むなら、そういう社会制度をこれから作り出していくしかなくて、一方的なクレクレアピールでどうにかなるものではない。

というわけで、色々ズレている上に凝り固まっていて、こりゃ大変だって感じ。


でも彼らがこうなってしまったのは、今まで受けてきた「迫害体験」の積み重ねから二次障害という形で心身に著しいダメージを被った結果なのだろう。

人間、誰でも体調が悪い時は、周りのことを省みるのが難しくなる(少なくとも薬の世話になるレベルなら)。

更に、心の病気になるくらい身の安全が脅かされ続ければ、原因がどっちにあるか関係なく、危害を加える相手に恐怖や憎しみを抱くのもまた当然で。

そこに自身が障害者であるという現実が合わさり、遂には社会に対して歪んだ怒りを抱いて生きるようになったと。

憎んだらそれで世の中が良くなるのかよと思うけど、今の俺の辛さをどうしてくれるんだと怒っている人間に言っても通じないだろう。

端的に言って、自身や周囲を省みるには、残念ながら本人の境遇が悪すぎるというか。


かくいう自分は今のところ、かなり平穏な環境にあって、目下自分黒歴史を整理中。

いじめられたとか、異性からバイキン扱いだったとか、仕事でのトラブルとか、過去の出来事のほぼ全て、障害特性ゆえの必然的結果だったことに「フヒヒww」と苦笑しながら納得する日々で、「あーなんか色々遠くに来たもんだなあ」と思うことしきり。


でも、もし自分が親兄弟からキチガイ扱いされて育っていたら・・・

異性だけでなく、同性からも蛇蝎の如く忌み嫌われて生きてきたとしたら・・・

不登校引きこもりになるくらいいじめを受けていたら・・・

学校先生からも無理解で通されたら・・・

自分の適性にそれなりにマッチした仕事に就いていなかったら・・・

仕事を転々とし、いつも泣く泣く職場を去るばかりだったら・・・

仕事以外に、幼少の習い事学生時代部活きっかけに続けている趣味が無かったら・・・

心身の不調を薬で凌ぐのが日常化していたら・・・


そう考えると、自分が今そこそこの境遇にあるのは殆ど偶然でしか無い上に、明日は我が身なのだと痛感させられる。

つくづくアスペというのは不幸を呼ぶ障害だと思う。

  • アスペは本当に不幸な障害だとは思うんだが、ネット+身の回りを観察するかぎり、自分の位置からは境界事例が多く見られるんだな。 本人はアスペってのを公言してて、それを盾にし...

    • いちど弱者のふりをしてみればいいんじゃないか。 そうすれば本当に得かどうか分かる。 レポートを書いて増田に上げてくれ。 よろ。

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