2023-06-06

ニュースをまったく見なくなって2ヶ月が過ぎた

ふと思い立って、実験的にニュースをまったく見なくなって2ヶ月が過ぎた。
ニュースというのはテレビネットもなにもかもである
どうしても気になるとき職場の先輩に「なんかニュースあります?」と聞いていた。
あと、ついでに音楽を聞くのも酒を飲むのもやめてみた。

さてどうなったでしょう。
ある程度分かってきたことがあるのでメモしておこうと思う。

本をよく読むようになった
私は動画はそれほど見ない方だしゲームもやらないので、ニュースを見ないとなれば家に帰ってやることといえば読書くらいしか残っていない。
実際、この2ヶ月間の読書ははかどった。あれほど積みに積んでいた本があれよというまに積読解消である知識量は明らかに増えたように感じる。知らなくていいことまでね(笑)

記憶力がよくなった気がする
頭のなかは机と同じで、余計なものを置かないほうが捗ると聞いたことある。たしかにその効果を感じる。
「あれなんだっけ~?」ということが少なくなり、調べ物をする手間をかけずに済むようになってきた。
世の中の些事が記憶に悪影響を与えていたのだろうか。よくわからない。

仕事が早くなった
ニュースのことは考えてもいけない縛りがあるので、やることといえば仕事中は作業や調べ物、企画案出に集中するしかない。
なので仕事が終わるのが早くなり、帰宅も早くなった。
図書館に通う時間も増え、料理をする余裕ができた。お金があれば習い事ジム通いもしてみたいところである

家事を細かくやるようになった
特に掃除。うちはきれいですよ。上がってく?

人と会うことの尊さが身にしみてわかった
これが一番大きいかな。ニュースを見ないと社会や人の情報に対する飢餓感が出てくる。だから今までより人と会うことがとても重要イベントになった。人が自分のために時間を作ってくれてお話ししてくれるのってなんとありがたいことか。
ちなみに人と会うときお酒は解禁していた。ついでの酒の美味しさも再確認した。

理由もなく不安になる
ニュースをまったく見ないということはここに自分がいるということと、仲間がそばにいるということ以外の現実を知る手立てがないということでもある。そのためか社会とのつながりが絶たれたような、なんともいえない不安感を感じるようになった。ニュースって社会を感じることで不安を解消させる効果もあったんですね。

突発的な話題に参加できない
なんせ直近の時事情報をまったく知らないので、会話に時事関連の話題が出ると詰む。これは予想していたがなかなか厳しい。時事ニュースではない情報の取り込みはOKにしていたので、AI関連の知識などにはついていけた。

帰宅してなにをすればいいのかわからないことがある
一般的には帰宅すると手を洗ってテレビをつけて一息つくみたいなパターンが多いのだろうけど、私の場合はテレ禁、音禁、ついでに酒禁なのでコップに水を汲んで一息つきながら本を開くということになる。あるいはジョギングにでも出るか。
今は慣れてきたが当初はすごく戸惑った。だって帰宅していきなり読書ですよ。中学生みたいですね。

なんか人生を考えちゃう
これはメリットかもしれないけど、人生の重さや暗さに目を向けざるをえなくなる。今までいかに考えずにきたのかがわかって愕然とした。

その他気になったこ
ニュースを全く見ないと豪語していたが、突発的かつ強制的ものしょうがない。
先日、先輩の車に同乗したんだけれど、車載テレビがついていたので例外的に視聴した。ちなみに先輩は朝夜のニュースをみる普通の人です。あたりまえだけど。
で、夕方ニュースを見たんだけど衝撃を受けましたね。
知らない地方絶対行くことのない地域衝突事故を微に入り細に入り報道しているんですよ。それも何度も続けて。みんなこんな情報毎日頭に入れているんだ・・・絶句してしまった。
あと冒頭で先輩にニュースを聞いているといったけど、先輩に聞いても10秒くらい考えてから特にないよ?」と言われる始末。「え、でもウクライナとか」と振っても「相変わらずだよ」、「政治は?」と聞いても「変わんないよ」、「経済とか?」と聞いても「そりゃ良くないよ」というだけで。
要はわざわざ話す価値があるニュースなんてそうそうないということだ。
この実験はもうちょっと続けるつもりだけど、自分人生を考えたり、なにか転機がほしいという人には一度やってみたら?という感じですね。

ではまたお会いましょう。



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