2020-07-06

[] #86-11「シオリの為に頁は巡る」

≪ 前

それは数週間前、栞サービス軌道に乗り始めていた頃。

マスターはブックカフェをより繁盛させるため、更なるアイデアを投入した。

「多くのシールが貼られた栞は、このように目立つ場所に配置して、ささやかながら表彰しようと思うんです」

「何でそんなことするんだ?」

「このサービスを利用している方々は、他人の栞にも興味があるわけです。けれども、お客が増えていくにつれ栞も増えていきます。それらに全て目を通すのは大変でしょう」

「だから店側で、人気のある栞は選別しておこうと?」

「その通りでございます

嬉々として説明するマスターに対し、タケモトさんとセンセイは難色を示した。

「一人で複数シールを貼ったり、自分の栞に貼るような人もいるんじゃないですか?」

「どれだけ貼っても同じ人なら1ポイントとして数えます。見分けがつくよう客ごとに印もつけるので大丈夫ですよ」

「誰がどの程度シールを貼ったかなんて、ほとんどの奴はちゃんと見ないと思うぞ」

二人は今まで、思うところはありつつも直接的な意見はしなかった。

しかし、この時ばかりは強く反対したという。

「そういう支持システム自体が危ないんだよ。一般社会と異なる環境で、烏合の衆に名声をチラつかせても持て余すだけだ。どれだけシールを貼られようが、そんな物に大した意味はない」

「そうです。有象無象意思決定は、不必要な自信と愚かな決断にも繋がる。彼らの曖昧な“発露欲”に不必要価値をつけ、イタズラに煽るべきじゃない」

「各々が思うまま栞に感想を書く。そんな単純な行為権威付けたら角が立つ」

そもそも本来サービス意図から離れてる。栞は読書のための補助グッズであって、ちっぽけな自尊心を満たすための落書き帳じゃないはずです」

二人は説得に言葉を尽くしたが、マスターは「もう決めたことだ」と取り合わなかった。

「お二人の言っていることも分からなくはないですよ。ですがウチだって慈善事業じゃないんです。需要があれば供給します」

「それがワガママな客をつけあがらせるとしてもか?」

「店をやっていくなら、時にそういうことも必要なんですよ。鉄道だってそうでしょう。移動目的だけでいいならば電車座席も空調もいりません。ホーム自動販売機立ち食い蕎麦だっていらない」

半ば道楽経営していたマスターにしては、随分とビジネスライクな考え方だった。

今までにない繁盛ぶりを体験し、少し魔が差していたのだろう。

…………

こうして栞サービスランキング制が導入されたが、二人の予想どおり事態殺伐となった。

これを受け入れる者も多くいたが、それは悲喜こもごも表裏一体なもの

上位になれば裏でほくそ笑み、納得がいかなければ暗い情念を宿す。

その渇きがなくなることはない。

栞に「シールを貼ってください」なんていう恥も外聞もない人間もいるほどだ。

納得がいかなくて他の栞に文句を書き連ねたり、レスポンスが極めて悪い媒体なのに議論を試みる者までいた。

中には、一人で同じ本に何枚も栞を貼り付けて、血で血を洗う戦いに身を投じる者もいるらしい。

なるほど、あの本が百足のようになっていたのも、それが原因か。

次 ≫
記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん