10年をさくっと語ってみる。
小説家ワナビ人生のはじまりは高校生だった。あるラノベを読んで、衝撃を受けた。それで、自分も書こうと思った。
書けると思ったんだ。
でも、高校生のときに書けたのは、1年半くらいで、結局2作。しかも短編。
そのときに知るべきだったのだろう、「書ける奴はこの時点で長編書けてる」ってことに。
夢だ、夢をかなえるんだ!
いろいろあったけど、略。
小説のことだけ書くと、大学で書いた小説、計4作。しかも短編。
でも長編一作も書けない。
小説家になるために、小説を読もう読もう、と努力しまくった。なにしろ文学部だ。
でも、もっとすらすら読めるのは、文学理論とか、作家のエッセイとか、創作理論とかだった。
ところで、話は前後するけど、高校生のときから、どうも自分には精神病のケがあったらしい。
このころは、強迫性障害になってた。
簡単にいえば、水道の蛇口がいつまでたっても確認しまうとか、ガスの元栓が以下略とか、家の鍵が以下略とか、物を落としたんじゃないか、と思って地面をガン見したりとか……。
大学時代、これは加速していった。
だから。
だから、小説家になって、見返したかった。いろんなものを。バカにしたあいつらを。
小説なら、こんな屈託が書けると思った。
自分を救ってくれる、と思った。
で、話は元にもどる。いや、実際は繋がってるのだけど。
大学院にいった。
文学部だ。
小説家になるために、知識をたくわえるのだ……というのは、半分嘘。
社会が怖かった。
小説家になってないままだったら、自分は社会に出られない、と思い込んでた。
精神病は、小説家になれば治るんだ、と思って、薬物療法をしていた。
体重は、20kg上がっては、20kg下がる、みたいなことになってた。
このころには、もう統合失調症になってた。そんな人間が、大学院での修士課程の勉強についていけるはずがない。退学した。
しょうがなしに「小説家になって……」と答えた。あの時の学生課の人間の「ハハッ……」なせせら笑いを忘れることは出来ないが、今はしょうがないか、とも思える。
いろいろあって、働くことになった。食っていけない。でも、ほぼニートのような状態だ。
というかニートなのだろう。時間はあった。金はなかったが、時間はあった。
精神病院にも入った。
そして数年。
ちょっとよくなった。
長編を5作くらい、書けた。それくらいには、回復した。でも、投稿しても一時落ち。それ以上いったことはない。
小説は相変わらず読めない。
そればかりか、薬物療法の甲斐あって、どんどん思考力が落ちていってる。
比喩を思いつくスピードが遅い。文章を連綿と書けない。何より、深く思考し、キャラを作ったり、物語を作ることが出来ない。
最近になってようやく気がついた。
自分は「小説家になる!」の夢しかない、真性ワナビなのだと。夢に酔っていただけかと。
そもそも、おかしかったんだ。
なんで小説をこれほど読めないのかというのが。「人間の心理を描く文章」「情景を頭のなかで構築する文章」を読むとなると、やたらと疲れる。疲れまくる。
現実での人付き合いは、他人の顔色をみて、電気反射・脊髄反射で、どうにかしのぐような状態。
そして自分が書く小説は、不快な現実・人間からの逃避ということで、やたらと調和的な平和な、何も起こらないような世界の物語。
キャラに怖い、つらい思いをさせるのがイヤだ!!!!! 作者たる自分がいやだ!
というわけで、捨てた。小説家になる夢を。
これからどうしよう。
自分はそれよりもっとダメな人間なので、人生で数本でも完結させた小説が書けたってだけで尊敬する。 平和な話が読みたい人間だっているし、趣味で書くのもいいと思うが。
割と似た境遇 自分の場合は「書けないかもしれない」という現実から逃げる手段として「書かない」を選択したので小説家を志してから二十年経ったが短編どころか一文字も書いてない ...