近頃、嫁さんを見ている感覚が何かに似ていると感じていたのだが、先日その理由に邂逅した。
それは、会社にて経理の女性から請求書のことで文句を言われている時のことだ。
彼女とはもう15年以上同じ職場で働いていて、食事にも幾度なく行ったしこれといって仲が悪いわけでもない。
見た目も悪いわけでもなく性格が悪いわけでもない。
個人的に嫌っているわけでもなく、しいていえばそれほど好みではないという程度だ。
彼女の男性事情は多少なり耳にするところだが、それに対して何か感想を持ったこともない。
別段友情が深いわけでもなければ、ただ単に、お互いが存在を認め合っている程度なのだ。
きっと彼女と結婚する男性はそつない結婚生活を送ることができるのだろう。
だからといって自分が結婚したいと思ったことはないし、いつも思考はそこでストップするのだ。
残念ながら酔った勢いで過ちを犯したことはないし、かつて手を握る程度のスキンシップすらない。
文句を言ってきたその日(といっても文句の原因はぼくの請求書の作り方にあったのだが)、彼女は清潔感ある服装で言葉遣いにも嫌味はなかった。
いつも通り「今日も綺麗にしてるな。」と、その程度の感想を持ちつつ眺めていたのだが、ふとそこに嫁さんの姿が重なった。
セックスレスの原因としてよく言われるものは、お互いが家族になってしまったというものだ。
愛情がないだとかそういうことではない。
やはり他人である以上、どれだけ時間をかけたとしても埋められない血の濃さがあるのだ。
そう考えていた時に、ふと嫁さんに同僚の姿が重なったことで色々なことが納得できた。
嫁さんとは結婚して10年だが、要するに色々知りすぎてしまったことで興味が無くなってしまったのだ。
そんなものは家族でも何でもない。むしろよく知る友人になったということなのだ。
何もそんなことかと思う結論かも知れない。
だけど大事なことは、その先にある。
今までセックスレスを解消するために行ってきたアプローチは、愛情を深める合うことだった。
お互いのときめきを取り戻そうとデートしたり、ムードを演出して甘い言葉を囁いてみたりもした。
ただ、どれ一つとして何かを響かせることなく、ついぞ実ることはなかった。
しかし、もし相手との関係が勝手知る友人同士だとしたら、どんな状況でならセックスをし得るだろうか。
過去、恋人ではない付き合いの長い異性とのセックスを経験したことがある(もしくは続けている)人ならもうわかったはずだ。
そこに愛情なんてものを持ち込もうとするから話はややこしくなり、最悪そのうちに愛情がないだなんて結論にまで至ってしまうのだ。
セックスをしなくても愛情があるのと同様に、セックスをするのに愛情は必要ないのだ。
いうなれば夫婦でセックスフレンドになるということが、セックスレスを解消し、お互いがつまらぬ浮気やら愛情問題やらを持ちださずに済む一番の解決方法と言えるのだ。
ぼくの言っていることは、愛情あふれるカップルにはおかしなことに聞こえるかもしれない。
この考え方こそが、先の見えない暗澹たる人生の雲間にさした一筋の光明と思えたのだから。
ナースコスでも着せればいいんじゃないの しらんけど
学生服とかブルマのほうがいいよ あとスーツきて教師との禁断の愛とかね