以前、麻生太郎さんはカップラーメンが400円すると言って失笑を買いました。
よく政治家とかが庶民感覚がないと非難されますが、私は子供の頃それを見て「ああ、偉くなると感覚がおかしくなっちゃうんだな」と思い、偉くなるのはやめようと思いました。
私は中学生の頃から親のパソコンで遊んでいましたが、そのころから将来パソコンの仕事がしたいと思っていました。「市井の技術者」という言葉を知って、庶民の感覚を持って自分の能力を磨いてお金を稼いで生活できるなら、それが一番いいような気がしていました。
大学で情報系の学部に入り大学院へ行ってちょっと事情があって中退してから、私がITの仕事に最初に就いたのはネットワークやサーバの運用の仕事でした。大学の研究室がネットワーク研究室というところで、TCP/IPや光ファイバのプロトコルについて研究していたので、ネットワークエンジニアの仕事がしたいと思って応募しましたが、実務経験がないという理由でできませんでした。(当時(2005年頃)はITの仕事の募集はありましたが、プログラミングでもネットワークエンジニアでもほとんど実務経験が問われました。JAVAは社会人よりも学生の方がよく知っていると言われていた頃です。私は大学生の頃からJAVAを使った経験がありましたが、仕事として使うようになったのは10年くらい経った2008年です。)
大手の派遣会社から大手のIT企業へ派遣されて仕事していたのですが、とにかく困ったのは同僚が常に世間話をしていることでした。シェルのコマンドを叩いてるときも世間話、メールキューを掃除するときも世間話。当然仕事になりませんがそのときはITの仕事はこういうものなんだと思っていました。まあな。ばかっつうもんだな。
あと派遣でもデスクトップを使う人とノートパソコンを使う人がいました。今でもそうですがノートパソコンのタッチパッドは誤動作しやすいんですね。私は当時ハッキングされてるのかと思っていました。(実際されてたかもしれませんが)。私の他にノートパソコンを使っている人がいましたが、その人は私より後に派遣されてきて私より先に辞めていきました。
また、そのときは他に都会の電車が怖くて乗れなかったということもありました。
2ヶ月ほどして仕事のマニュアルを早い者勝ちで作るように上司から指示が出て、仕事自体がまだ身に付いていなくて何もできなかったということもあったので何も作れず、結局無力感と恐怖感で仕事に行けなくなりました。
いま振り返ってみると、私は『庶民感覚が無くなるんだったらヤダな』と思って『ずっと汗をかいて下っ端でいよう』と思ったら、その下っ端にはじき出されたということなんだと思います。
東京から長野までバイクで死にものぐるいで逃げ帰ってきたんですが、それから何年か人が怖くて家に引きこもっていました。
さらに悪いことに、私が落ち着いてきた頃、母に公務員試験を受けることを進められたのですが、私はどうしてもIT技術者になる夢を捨てきれず、断っていました。あとで知ったのですが、大学院の同じ研究室にいた人が関西の市役所に就職して最近ドワンゴへ転職しました。Σ(゚д゚;)
なんだよそれなら俺も公務員になってても良かったんじゃん!(_□_;)!!
私は仕事は自分で言うのもアレですが大きな付加価値を生み出せて優秀だと思いますが、
身の処し方が全然分かりません。
父が私に言った言葉で
というのがありました。
調べたら「雲の上の存在」というのは別世界の住人ということらしいです。
私は親と別世界の住人にはなりたくないです。
お父さん、そういうことを言うのがいけないんじゃないか?
お父さん!
お父さん!!
お父さん!!!
つらつら書いてたらでけたった。
ちなみにブログはこちら よろすく