2014-10-10

しんどい両親に疲れた

しんどい両親に疲れた

先日、かかりつけの精神科医に初めて「死にたい?」と尋ねられた。

答えは「はい」だけど、今は死ぬしか無いと追い詰められた状態よりも、もう疲れたからどうでもいいや、という気分のほうが近い。

数カ月前から急激に痩せて、眠れなくなって、身体が痛くてとうとうベッドから出られなくなって今に至る。

それでも多少は良くなったのだろう。こうしてPCの前に座ってキーボードを叩けるので。

世の中にありふれた話だろうけれども、私は子供の頃から親のいうことをすべて聞かなければならなかった。成人した後もなかなか実家から出ることを許してもらえなかった。

「お前なんか何をやってもだめだ」

「うちはよそからは立派な家に見えてるんだよ」

「お前のせいでこれだけ金がかかった」

「お前がいなければ離婚できる」

「あんたの悪いところはお父さんそっくり」

「お前の怒り方は母さんそっくりだ」

子供を産むんじゃなかった、産むにしても一人にしておけばよかった」

このようなことを、物心ついてから20年ほど言われてきた。

母の愚痴を聞き、父の愚痴を聞き、学校では良い成績でいなければならなかった。

対称的に、弟は跡継ぎだからととても甘やかされて育った。

彼の望むものはなんでも親が与えた。予備校から外車まで。

そんな風に子供を育てながら、私の両親は夫婦げんかで毎日騒いでいた。

父親が母親の頭をつかんでガラスで割ったり、母親包丁を持ち出したりした。

コロコロコミック漫画というより鈍器として使われた。

ある夜中に、父親が救急車を呼ばなければいけないような腹痛を訴えてのたうちまわっていても、母親は「知らない」といって起きてこなかった。

家族旅行に行くと言って車に皆で乗ってから、運転席と助手席で殴り合い、結局帰ってくることもよくあった。未だに車の中が苦手だ。

こんなに仲が悪い夫婦なのになぜ離婚しなかったのかわからない。

実家に居た頃は、体調を崩すと親に怒られた。

手洗いうがいをし、規則正しく生活しても、風邪を引いて寝こむと怒られた。

風邪を引いた時は「咳がうるさい」と怒鳴られた。

思い当たる理由がなくても殴られた記憶も少なくない。

なぜか謝っても許してもらえなかった。

そんな自分の家庭がどうやら変だなと気づいたのは高校生の頃だった。

大学進学をきっかけに家を出たいと両親に申し出たが、当然却下された。

「お前に一人暮らしなんかできるわけがない。お前にかける金はない」

これが親の言い分だった。

結局、親の望む大学合格した私は遠い距離を通学していた。

他人相談すると、決まって実家を出ることを勧められた。

これだけ束縛を好む両親から逃れられたのは、弟が家族暴力をふるうようになったからだ。

弟も疲れたのかもしれない。精神科に連れて行かれて、聞いたことのない病名をつけられていた。

10代の男に、50代の親が力でかなうはずがない。

両親とも、弟に殴られ、骨折し、アザだらけになった。

私は何度か警察を呼ぼうとしたけれども、父親が断固として呼ばせなかった。

骨折した母親警察に届けなかった。

不思議と弟は私だけは殴らなかった。

でもある日、弟の立てる騒音に我慢ができなくて、私が注意すると、弟は激昂して馬乗りになって殴りかかってきた。冗談ではなく本当に死ぬかと思った

助けてと叫んでも、母親は前に父親が腹痛で苦しんでいたときのように、起きてこなかった。

父親が制止したが、後から「弟を怒らせたお前が悪い」と言われた。

ここで糸が切れたのだと思う。

ここに居たら殺されるか死ぬしか無い、と思った。

友人の家に泊めてもらいながら、警察に行かせないのなら私を一人暮らしさせてくれ、と頼み込んだ。

奇跡的にその要求は受け入れられて、念願の一人暮らしを開始した。

それから平和一人暮らしが始まった。

お前に一人暮らしなんかできるはずがないという親の言葉など、嘘だった。

洗濯洗濯機がしてくれるし、食事も面倒なら買ってこればいい。

実家よりよほど安全だった。。

親は暴れる弟の相手で必死だったから、今までに比べれば私には干渉が及ばなかった。

そのまま大学卒業して、就職して、しばらくしてから休職中の今も一人で過ごしている。

弟は閉鎖病棟入院してから随分と経つ。恐らくもう社会復帰はできないと親は嘆いていた。

それでまた、親の目が私に向いた。

「休んでこれからどうするんだ、弱い」と勝手アパートに来ては騒いで帰っていく。

弱いのは否定できないが、それでも私なりに、まっとうに生きてきたつもりなのだが。

現在実家には一切金の負担をかけていないし、金は返した。

進路も職業も親の望みをかなえた。

今度は自分の好きなことすればいい、と他人は言う。

好きなこともやりたいことも欲しいものもなくて、私はただ、安心して眠れる場所が欲しかったんだなと気づいた。

気づいてから、ああもういいから疲れた、どうでもいいなとしか思わない。

世の中にはもっととんでもない毒親や家庭がたくさんあることだろう。

でも私にはここまでが限界だった。

もう、何もしたくない。

  • http://anond.hatelabo.jp/20141010023849 読んでてしんどい 自分よりつらい思いしてる人はいっぱいいるから自分はまだがんばれるって考えは立派だけど遠回りすぎる そんなん言ったらインドの不...

    • お前の息子でも親でも恋人でもいいけどそいつらがみんな自殺してもおまえは幸福だもんな

      • そらそうよ 親しい人が亡くなった人は幸せになっちゃいけないの?人権って知ってる?あなたにもあるんですよ? 生まれながらに捨てられて親兄弟の存在も知らない人が、知らないと...

        • は?バカなの?死んでしばらく経ったあとの話なんてだれもしてないよ 死んですぐでも、幸せと思ったら幸せなんだからさ 自殺した!でも、アタシ幸せ!これがあんただろ

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