ランチとかそういうのに金を使ってるのは一部の有閑主婦ぐらいでしょ。
あと月収20万位あって会社の福利厚生がそれなりにあるところだったら(育児手当、扶養手当、社宅あり)奥さん専業主婦で子供いてもやってけるみたいよ。飲み会の時はいつも厳しそうだけど。
実家のとある場所に電灯のスイッチが四つ並んでいる。縦二つ、横二つの配置で。一つは廊下、一つは門灯、一つは玄関、一つは廊下の足もとにある小さな常夜灯のものである。
両親はその家に住み始めてかれこれ15年になるのだが、二人とも未だにそれぞれのスイッチと対応している電灯の位置を把握していなかった。
なので、夜に門灯や廊下の明かりを付けようとする時は、スイッチを一つずつ押していき「(パチ)む、これじゃない。(パチ)これでもない。(パチ)ああ、これだ。」を繰り返していたわけだ。15年間も。
そこで私は押し入れからテプラを取り出し、それぞれのスイッチの下に対応している場所が印刷されたラベルを貼り付けておいた。
そして数ヶ月後に再び実家に帰省した時、両親はラベルを見る事もなくほぼ100%の精度で任意の場所の明かりを一発でともすことが出来るようになっていた。
「学習する」という行為を考えさせられた。
…どうなんだろう?
30年前位の公務員住宅で育ったからだろうか。
専業主婦、という選択は普通にありえて、その代わりその主婦の立場の人は、かなり節約に努めていたような気がする。
お昼のランチとか、旅行とか、服を大量に買うとか、ブランド物を持つとか。
そういう「今時の普通の暮らし」を手放せば、普通に今の20代の給料でも、専業主婦(&主夫)でやっていく方法はあるんじゃないだろうか。
甘いか。甘過ぎますか。
いわゆる結婚情報サービスってやつに登録している。
目に付くネット界隈では婚活ってものに嫌悪感感じる人が多いみたいだけど
実際にやってみて、結構いいサービスだなと思い始めた。
一言でいうなら、「普段会わないタイプの人と知り合える最も効率的な方法」なのだ。
結婚できるかどうかは別として(苦笑)。
内向的な人間にとって、仕事と関係ない知り合いを増やすのは結構大変だ。
バーで気になった人に声かけるとか、どんな高等テクだよと思う。
「知人の紹介で知り合う」というケースは、その後の扱いが結構デリケートだ。
何かもめたりすると知人に迷惑がかかるから。
だけど「婚活」という枠組みにがっちりとはめてしまうと
これが途端に楽になる。
みんな「数打ちゃ当たる」モードに入ってるから、とりあえず一度は会ってくれる。
1回会ったきり面倒になって連絡を断っても、それが普通だから別にOK。
友人作りの最大のハードルは「最初に声をかける」時点にある。
結婚情報サービスはこの部分を、下手するとワンクリックで可能にしてくれる。
たとえ30分間だろうと、一度2人きりで話した相手なら、二度目のデートに誘うための敷居はぐっと下がる。
機械のお膳立てだろうが、デートの数をこなせば、女性と会話を盛り上げるためのコツとかもなんとなく分かってくる。
すでに15人くらいの人と会ってるけど、ネットでよく叩かれてるような
最初から条件交渉むき出しな人には遭遇したことがない。
発展性がなくても、それなりに会話だけは楽しめたケースがほとんど。
というわけで、ツヴァイ結構いいなと思うのです。
もちろんこう思えるためには多分条件があって、
(1)サービスの利用料が「大したことない」と思えるくらいの収入と貯金
ツヴァイは高いですけど、せいぜい欧州旅行1回分くらい。そこまで致命的な出費とは思えませんが、フリーターの人には辛いでしょう。
それに結婚情報サービスの特性として、収入が低すぎる人は最初のデートを断られやすくなるので、ちょっとストレスが増します。
(2)まだ結婚を焦る年齢じゃないこと
逆説的ですが、始めるなら早めがいいということです。
結婚につながらなくても、いろんな人と話せただけで満足というくらいの精神的余裕があったほうがいいと思います。
それに年齢が高すぎる人は、やはり最初のデートを断られやすくなります。
僕は30になったと同時に始めました。女性ならもう少し早いほうがいいかも。
現実を見ると、男性の平均給与は下がってきているから女性も働き続けなければいけないし、スペックの高い男性を求めたところで倍率が高いのだからまず得られないということを認識しなければならない。
現実を見ると、女性の平均給与は相変わらずで男性が下がっているのと一緒に下がってきてはいて、一人で生きていくには困難だ。
現実を見ると、女の人生は結婚して子どもを産んでからが一人前で、そうでなければ半人前以下だ。
現実を見ると、出生率が下がっていることを受けて子どもを産まなければ白い目で見られる時代を迎えようとしているが、子どもを産み育てられるだけの環境も金もなく、しかも自分自身が仕事を休まなければならないのだから子どもを産まない時点で生活がカツカツだと、子どもを産んだらますますやっていけなくなることは自明だ。かといって産んだら産んだで、でかければ白い目で見られ会社では仕事を減らされ、相変わらずパートナーの収入が増えるわけでもなく子供のための支出だけが増えて時間に追われる。かといって子どもを作らない選択肢をすると増税される可能性がある。
さて、どうやって現実と折り合っていけばいいのだろうか。
最後、シンジが綾波を救って世界が崩壊(するのをホモエルが止める)シーンで確信した!
これポニョじゃん!
シンジ=宗介
ゲンドウ=フジモト
ユイ=グランマンマーレ
ミサト=リサ(運転も粗いし)
というわけで急の展開はポニョを見れば分かるはず!
(ちなみに、あの予告映像は絶対何の意味もないに決まってるんで、あれを議論するのは時間の無駄だと思います。
だって、まだ何も作ってないだろうし。
http://anond.hatelabo.jp/20090802124336
女を三食昼寝付きで養ってくれるような財力を持つ結婚適齢期の男なんて100人に3人くらいしかいない、だから女は夢を見ずにさっさと気の合う男を見つけて結婚しろ、そして二馬力で生活を支え合え、今の時代大会社だって安泰じゃないんだから男に依存しようとするな、とかなりズバリと言ってるんだよね。
また「婚活時代」の共著者である白河桃子氏も、僅かしかいない高収入男性を射止めるのなんて宝くじを狙うようなもの、それなのに自分だけは当りを引けると妄信するのは全滅確実の最悪のパターンと言っている。
まだ買ってから2週間くらいしかたっていませんが、アスファルトの地面に落として目立つ傷をつけてしまいました。
携帯電話にカバーを付けている人は、今まで見たことがありません。
そして、iPhoneにカバーを付けていない人は、私以外見たことがありません。
iPhone程では無いですが、カバーを付けることが当たり前のようになっていると思います。
iPod以外のポータブルオーディオ機器にカバーを付けている人は、今まで見たことがありません。
私には、それが不思議でなりません。
iPhoneはあなたが思っているよりずっと丈夫です。
私は、iPod touchを二年近くカバーをつけずにケースにも入れず、毎朝使用していますが、目立った傷は付いていません。
iPhoneとiPod touchでは違うのかもしれませんが、現にiPhoneを落としても、問題なく使用できています。
耐久性があるのに、カバーをつけることで冷却性能が低下し、画面に保護フィルターを張ることで操作性をほんのちょっと犠牲にする。
いつまでも綺麗なiPhoneを使いたい気持ちは分かりますが、カバーを付けてフィルターを張ったことによる微妙な変化は、あなたが思っているよりも大きいです。
冷却性能の低下により、電池寿命がほんのちょっと短くなり、操作性の低下により、ほんのちょっとだけストレスが溜まります。
この、「ほんのちょっと」は体感してみなければ分かりません。
あなたのiPhoneからカバーを外し、フィルターを外し、新しいiPhoneを味わってみませんか?
そこには、知らなかった世界が広がっていますよ。
正直、iPhoneに傷が付いたことはとてもとてもとてもとてもショックです。
でも、カバーを付けなかった事に対して悔いはありません。
確かにそうですね。スタッフの人件費を増やすというのも同意です。
秘書給与の流用などを起こしてしまう「選挙に金がかかり過ぎる」という問題も解決しないといけませんが。
どちらか一方ならともかく、自民党、民主党双方が妙なポピュリズムに流されて、ただでさえ不足しているところを削るという事を危惧してます。
なんのかんの言いながら増田に書き込んでるのは何故??
この時期に風邪?
変な気候だから体調に気をつけたほうがいいよ。
在るがままの自分の体調がどんなものか知らないとね。
“特別”が見つかれば勿論そうだと思うよ。ただ、私にはまだ“特別”が見つからなくてさ。
いつか出逢えたらいいなとは思っているのだけれど。
途中で自分を見失ったり、取り戻したり、いろいろあるかもしれないけど
求めていればいつか必ず見つかるよ。
あなたの目的地。
長々と続けてきたけどこれで一区切りかな。
おつき合い下さり、ありがとうございました。
結局、片側を開けるのは「利用者が作り出したマナー」であり、「思いやり」だけど
開けないのは「業者と設置側が作り出したマナー」であり、「都合」って事なんだな。
ちゃんと壊れないように仕様を変えたんだよな。
だったら早く窓からパソコン捨てろよ
パソコンもネットもあくまで道具であって、それを使うかどうかは人間に任されてるんだよ。
パソコンの電源を入れない限り、情報は手に入らないわけ。でその電源を入れるのは、お前自身なんだよ。
そんなに情報を管理・まとめられるのがいやならネットなしで生きればいい。
現実、そんな人はたくさんいるからな。
馬鹿だろお前。
就職して親元を離れてから盆と正月には実家に帰省してるけど本当は面倒くさくてあまり帰りたくない。
親孝行だと思って我慢してるけど、正直なところ、1年で盆と正月とGWしかまとめて休めないのに実家の帰省だけで終わってしまうのが嫌なのだ。
こんな風に書くと両親と仲が良くないかと思われるかもしれないけど、両親ともに嫌いなわけではなくそんなに仲は悪くないと自分では思っている。
しかし、実家の居心地の良さを感じず、そのことを自分でも不思議に思っていた。
何故かとしばらく考えてみたけど、小さい頃から両親は共働きで自分はあまりかまってもらえなかったので家庭への帰属意識が低いんじゃないのかなぁという結論に至った。
果たして自分は、自分を犠牲にしてでも親孝行するべきか、それとも親を犠牲にしても自分のために生きるべきかどうすればいいんだろうか。
母親と祖母の事が長らく怖かった。
どちらも欠点も美点もある普通の人で、別に暴力を振るわれたり、理不尽な目に逢ったりした記憶はない。私は単純に、家族内で力関係が上位の人に怒られるのが、怖かったのだ。
数年前に母は死んだ。それを契機に祖母は認知症が進み、施設に入所した。今は私が訪ねて行っても、ほとんど話が分からない。
もちろん悲しくもあったが、同時に私は心から安堵している自分に気づいた。
私を怒る人は居なくなったのだ。
失敗しても、くじけても、だらしなく過ごしても、人並みに生きられなくても、役立たずでも、私の人生は私のものである。
その認識は徐々に、数年かけて私の中に根を下ろした。
こんな事は、本当なら、大人になる過程で気付くべきなのだろう。それが親離れというものだ。
でも私は、母が健在だったら、きっと今も親離れが出来ずにウジウジしていたに違いない。こういうきっかけ無しに親離れできた人は凄いと思う。
お母さん、おばあちゃん、私はあなた達が期待したような人生は多分歩めないけれども、死ぬまではどうにか生きようと思います。
親(婆)不孝でごめん。