はてなキーワード: 文章力とは
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120207/1328600080
ハックルファンとして、最近の彼の記事の腑抜けぶりには強い憤りを感じていたが、これはもう限界だ。
おおハックルよ、最近の浮気性ぶり、他人の言葉を借りるだけで自分の言葉で語る不甲斐なさ、すべてがなさけない。
この頃から比べての劣化ぶりはどうしたことだ。全盛期を思いだせよ。
もっとご自慢の感性で、文章力で、はてなの駄目なところを抉れよ。それができないなら少なくともはてなはやめてしまえ!
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080611/1213162474
岩崎夏海という人の書いた文章と、はてな民によるツッコミが共振して、
ハックルさんに対する2ちゃん民の記事を取り上げる記事などを取り上げる事案が数件あったが、
彼のベストセラー作もしドラについては、ほとんど興味を持っていないことからもわかる。
よく知らない外部の人間からみたらただのキチガイにしかみえないが、
実際は高度なお約束から、作者と読者の強い相互理解成り立っている、ハイコンテクストな娯楽なのである。
時代こそ浅いが、歌舞伎のような伝統芸能の一種と考えるのがふさわしい。
現代風に言うならば、完成度こそ低いが、いや、完成度が低いからこそみんなに好かれる、
アイドルは、読者との間の関係の強さが全てだ。
ファンが求める虚像をどれだけ上手に演じられるのか、それが全てである。
その点、この岩崎夏海という人物は類まれなる才能を持っている。
彼は、精神科医の診断によると承認欲求の赤星巨星といっても良いほど承認欲求に飢えており、
周りなど気にせずマイペースに記事を書いているように見えて、
実際のところは強烈に読者を意識して意識して意識しまくっている。
ハゲって言われただけですぐに傷ついたフリをしてみせるなど、読者に媚を見せることに一切のためらいがない。
自己を見失ったり、自己イメージが磨耗して続けられなくなるのが、彼はそうならない。
いかなるメカニズムかはわからないが、彼の自己イメージは尽きせぬ承認欲求の供給によって常に明確に保たれており、
日本一のベストセラーを達成しても、常にむっつり不機嫌顔を絶やさず、負のレジリエンシーを維持し続けていた。
彼は、まさにアイドルとなるべくして生を受けたような、選ばれし存在だった。
ところが、最近の彼はちょっとおかしい。具体的に言うと、結婚の発表があったころからだ。
彼のアイドルらしさが薄れてきている。彼自身のスタンスが薄れてきている。
最近の彼の目は応援している観客の方をみておらずなにやら見当違いの方向を見つめているような印象だ。
ありえないことに、「彼が自分の頭で考えたことについて話をしようとしている」ようにすら感じられる。
彼が人気であるのは、彼個人の思考や目の付け所などは一切関係がない。まして文章力はゴミクズのようなものだ。
それでも人気があるのは、なぜか? 誰が彼を愛しているのか。
記事を更新したら30分以内にはてブを貢ぎに来る愚民どもではないだろうか。
その原点を振り捨てて、新しく進もうというなら、周りくどいことは抜きにして、堂々と宣言するべきではないか。
礼儀さえ尽くされていれば、我々は彼の変化を心から歓迎するだろう。
しかし今のようなつまらない記事でお茶を濁されるのは、絶対に許せない。
ピントのぼけたつまらん記事を書くくらいだったら、家族サービスに徹してください。
今のままだと50ブクマ越えられないと思うんで、しっかりしてください。
50ブクマ越えられないへっぽこ記事を書いてるハックルなど存在する意味がハゲくらいしか見いだせない。
今日久しぶりにざっとホッテントリを見たら数字だらけだったので、
・えっこれも無料?商用利用できる画像ダウンロードサイトまとめ15選
・Dropboxの容量を無料で誰でも4.5GBも増加出来るよ!
・au iPhoneの海外パケット通信で請求76万円に陥ったワケ
・フリーランスとか大手とか言ってないで「ソニーの開発18か条」を今こそ振り返ってみよう!
・[保存版]読むだけで文章力が劇的に向上する良質記事まとめ8選+α
恥ずかしくなるくらい狙った見出しばっかで、完全に週刊誌の中吊り状態。
そのうち、まとめサイトのまとめサイトが出てきてもおかしくないような状況。
これだけステマとか騒がれててよく飽きないよな、と思う。
高い形態模写の技量も観察力も要らないし、知識や文章力も要らない。
誰がやっても「あの人の真似だね」とわかってもらえるおいしいネタ。
こういう教材をきちんと真似し切ることから模写の道は始まる。
「尾崎豊にカブれていたのは同時代でも十分にイタい人たちで、とてもじゃないけど朝日新聞に入社するタイプじゃなかった」ということを
覚醒剤のオーバードーズで死んだ歌手を持ち上げて、若者に怒りと反抗を促す社説って、ただただグロテスクだよ。
同じ事言ってるのが貧乏ロケンローラーなら半分ぐらいは耳を傾けてさしあげるけど、新聞屋さんには言われたくないっス。
あの文章にアジテートされて、若い連中が本当に怒り出したのだとすると、真っ先に火あぶりにされるのは社説子さんだと思うのだが。
若者に対して「怒れ」と言う人たちは、自分が怒りの対象になることをまったく意識していないわけだよね。
「オレたちが学生だった時は権力が見えていた」「君たちには闘う相手が見えていない」って、20代半ばの頃、四谷の飲み屋で言われたことがある。
温厚なオレもさすがに靴の中で足の指を縮めた。
その時のことを今朝の社説を見て思い出した。
まあ、20代半ばのアマチュアロックバンド座付き作詞家の半失業者に向かって、
一部上場企業の正社員が「反抗しろよ」とか言ってたわけですからね。
ただ、武勇伝要素横溢だったり、自分語りの垂れ流しだったりするのはダメ。今日の社説はモロにそれだった。
「で、あんたはいつ辞表を叩きつけるんだ?」と問い返さないでいるのが困難。
失業ほど根源的な反抗は無い。あの人たちにはそこのところがわからないんですよ
何よりひどいのは最後の「ともあれ、おめでとう」の一文だと思う。「ともあれ」はひどい。範囲を限定した祝福は一種の呪い。
ともあれおめでとうとか言われたから、とりあえず黙れって言っといた。ともあれ〆切が迫っている。ともあれやる気がしない。
ヤングジェネレーションに向けたオールドメディアからのフェアウェルだったというふうに解釈すればオレのこの気持ちの悪さもクリアされるわけだな。
(※婉曲な表現を実現するため、カタカナを多用しています。ご了承ください。)
ところで、「天声人語書き写しノート」という商品が発売されています。 http://t.co/HxPT5LFT
店頭で見た時、心底から驚愕しました。写経ですか? 自己肥大もここまで来るともう笑うしかありませんよ。
《朝日新聞の1面に毎日掲載されている「天声人語」を、知らない漢字や言葉を辞書で調べながら書き写し、文章の構成力やリズムを身につけませんか? 毎日続けると、世の中のいろいろな出来事がわかります。》だそうです。うわあぁぁぁ(絶叫)
《朝日新聞の1面コラム「天声人語」。100年以上も続く名物コラムには、文章を書くために必要なエッセンスが凝縮されています。1カ月ほど書き写していると、自然と文章力が見についてきます。受験や就活の対策、また大人の学び直しに「天声人語」を書き写して見ませんか?》だそうです。う(嘔吐)
だいたい「天声人語」っていうタイトルからして、上から目線どころか「天からモノ言ってる感じ」で、もう全然ついていけません。
《大人の学び直しに「天声人語」を書き写して見ませんか?》 って、ものすごいコピーだな。
書いたコピーライターもすごいけど、会議通したヤツ全員が超絶的にすごい。
星の王子様の「やあやあ、またワシに感心しているやつがやってきたぞ」の王様に匹敵すると思うな。個人的には。
「天声人語書き写しノート」、なくならないうちにひとつゲットしておこう。きっと5年後には伝説の商品になっているはず。
①新入社員全員に「天声人語書き写しノート」を配布
②3ヶ月後に提出を命じる
③忠実に書き写した社員はその場でクビ
④「うちもさぁ、コピー機みたいな社員置いとく余裕ないわけだよ。じゃあな」みたいな。
逆に言えば、「社説」を「社の意見」として、毎朝掲げることができるのは、北朝鮮ライクな一枚岩の言論機関だけではなかろうかと…。
個人的に若死にした人間を持ち上げる論調が嫌いなもので。他人に語れるような夢は偽物。
オッサンにならない特権を行使するために早死にを選ぶクリエーターに対しては、全力をあげた忘却で対応することにしている。
努力の介在しない忘却は低能の結果に過ぎない。
盗んだバイクで新聞を配達したこともないあんたに何がわかるんだ? と、オザキが生きてたらきっとそう言っただろうな。
なんにもわかっちゃいないくせにというよりもなんにもわかっちゃいないからこそなおのこと。
尾崎社説程度のものに過剰反応しているのは、オレがなにか苛立ちをぶつける対象を探しているからで、
その原因は…たぶん盗んだバイクで走り出した先にある。
何か機嫌の良くなる話題を考えよう。そうだ澤穂希。バイクを盗まないで走りだす中盤の宝石。ありがとう澤穂希選手。
ここで日記を書くという行為になにを求めてるかって言うのは人それぞれなんだろうけど、暇な時にぼーっと眺めると面白い。
ちゃんと書かれてる記事に文章力がないとか釣りだろ、とか書き込む人がどんな気持ちなのか自分には未だにわからない。
あからさまに釣り臭いとそれは釣り乙、とか、釣りって分かってるけど、とかっていう返しまでが様式美なんだろうけど。
どこかからのコピペだろなんて決め付けて得意げな顔してる(だろう)人の気持ちなんて全然理解できそうにない。
自分にとって文章を書いたりすることが発散することであるように、そういう人たちにとって
「こいつの日記何?釣り?文章力無い、小学生以下、バカ」そんな風に求められてもいないトラバをすることも発散なんだろうか。
そりゃどんなトラバしようが自由なんだけど。
でも、「釣り臭い」と「文章力の足りないガチ話」の間みたいな雰囲気を醸し出す日記と、それにつく叩きを見ると、変な気持ちを未だに味わっている時がある。
bogus-simotukare
agricora
高い形態模写の技量も観察力も要らないし、知識や文章力も要らない。
誰がやっても「あの人の真似だね」とわかってもらえるおいしいネタ。
こういう教材をきちんと真似し切ることから模写の道は始まる。
y_arim
今は亡きはてなアイドル。
y_arim自身がはてサの真似をしてはてサを演じてただけなので
それを更に真似することで真のシュールを体現できるかもしれない。
激烈な言葉で怒りを表明しながらもよく見ると本気の情動が全然ないあの感じ、
分類1のような薄っぺらくも全身で憎悪している怒りとは似て非なる偽りの怒りを
微妙なニュアンスで演じ分けられるようになったら形態模写者としては目録の腕前。
人の擬態を解剖しつつ更に真似ることは模写道の思索を深める効果も期待できる。
D_Amon
tikani_nemuru_M
まあこの分類はいっぱい居る。
1,2よりちょっと真似が面倒な理由は、ピン物真似で再現しにくい為。
特定の仲間との馴れ合いや追従のシーンに特徴が出てくるタイプなので
一人で真似するのは困難であり上手く出来てもあんまり面白くない。
観察力やセンスよりも根気の勝負になるので、
自然な出会いだと、生育環境が極端に違う人は近くにやってこない法則があるから、再婚願望があるならそういうの飛び越えられる状況に身を置くのが大事じゃないかね。
増田の場合は年上すぎるくらいも視野にいれた方がいいかもしれんよ、余裕があって。
あと、話すときの言葉遣いと立ち居振る舞いに気をつけると、虫除けになるよ。
言葉遣いひとつ、食べたあとの食器の状態だけで、別世界の人間だなーと思う事があるっていうのは、未婚の同級生談。
努力家、料理も出来て、力になりたいなーと思わせる文章力もあって、貯金の才能もあるようだし、話聞く限りでは男運だけ悪いみたいだけど‥。
長くなったので、先に結論だけ書いておきます。
もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)
・人間の出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。
・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端。もったいない。
というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、
この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。
ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからん話ですがご了承ください。
◆ものすごく読みたくなる西尾維新「少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968
私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。
(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)
はてなベテランが小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
↓
僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
岩崎夏海にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
もしドラが新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
ハックルという安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、
自分の自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。
ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。
テーマも似てると思う。
少女不十分の少女はみなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、
あるいは、少女不十分の少女は岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである。
(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)
そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新の化物語をほめていたのが結構印象的だった。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951
しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語の面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。
多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、
化物語が自分の本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。
彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、
意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか?
彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。
この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。
ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会いが自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から、理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。
(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)
ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。
もしドラの成功後は、デュルケムの言うところのアノミー的自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)
「もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。
ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者の仕事で会って読者の仕事ではない。
むしろ化物語のヒロインが阿良々木暦に出会うことで、生まれ変わりを果たすように、
みなみもドラッカーにコミットしていく過程で自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。
経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカーに出会い、
そこから何でもいいから自分の物語に必要な何かを学び取り、自分を自分で救い、クソッタレた世界の中で生きていく。
そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。
私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。
先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。
(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)
「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)
作者がもしドラで成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)
おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。
正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。
時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブなイメージがつきまとう。
今大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。
ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。
大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。
ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。
あれは物語をカスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのものが茶番になっている。あまりにも若者を馬鹿にしている。
出版社がダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。
もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。
だから、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。
そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、
作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・。
結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください
良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う。
この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる。
「少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように
(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)
次はfateかPersona4の話をしたいと思います。zeroじゃなくてstay/nightの話ね。
本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、
正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4とfate stay/nightにまかせる。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111028/1319793383
なんかジョブズの話し始めてからだんだんずれてきて、そろそろ笑えなくなってきたので早急に元の路線に戻っていただきたいと思う今日このごろ。
最近の彼は、なんだか勝手がよくわかっていない同人入門者、みたいな感じなんですよね、例えばこの記事。
こういうのは感覚的に、グレーと言うか真っ黒が許容される同人業界でも禁じ手に近い行為だと思うんですけどね。
1 同人ゴロのやり口を「マーケティングの教科書」とかいっていたいけな学生に売りつけるようならさすがに問題があると思う
彼の最近の記事はまことに同人ゴロじみてきている。しかも王道。
つまり人気のアニメキャラを自分が万能の夢の世界に取り込んで、(自分のチンコに自信がないから)触手を使ってネチョネチョするに相当します。
彼の場合は人気の実在人物(ドラッカー、ジョブズ)を、俺最強の論理空間に取り込んで、自分の文章に自信がないからRPMさんという言い訳を利用してパロディ化する、と。
まさかと思いますが、これがあなたが「マーケティング道場」でやりたいことなんじゃないだろうかと今から危惧しています。
そして、もしそうだとするなら別に止めはしませんが、あまりにもずさんと言うか初心者じみていてわろえないので二点ほど指摘しておきます。
2 シンプルなスケベに応える作品は、シンプル故に、それに特化したセンスがある人以外がやってもうまくいかない
私は上の同人屋を批判してるわけじゃないですよ?むしろ積極的にそういう供給を求めてるくらいでね。
絵が上手い人が、好きなキャラのエロを描いているのであれば消費者側は細かいことは気にしない。むしろエロが目的って割り切るその姿勢に賞賛すら浴びせるでしょう。
他にもギャグに特化したり、いろんなサービス精神から、顧客の望むものを提供できるなら、それもまたよしです。
そういう目で見てみると、
岩崎さんは、並の事柄、たとえば自分の矮小な葛藤を大げさに語るであるとか、
凡俗のはてなを相手にマヨナカテレビを気取ってみせるというテーマであれば、十分な文章力をお持ちだとは思います。
しかしジョブズの二次創作を行える程の技術があるとは思えないのでやめといたほうがいいと思います。
ジョブズのファンは作画厨とかデザイン厨が多いです。まず作画がプロレベルでないとおよびでない、と思うんですよ。
ドラッカーはともかくジョブズのアニメみてないよね? アニメみなくても描けるという人多いけど、意外と難しいですよ?
結果として現状では、あまりうまく言ってませんよね。
例えば絵も話も下手な人が「なの○の陵辱本」を作って即売会持って行ってもフルボッコですよ。
「これ、なんの本?」「えと、一応、なの○の陵辱本です」「ツインテールしか共通してねぇじゃねーか。な○はを汚すな!」となります。
(謎の白い液体でどろどろにするのは良くても、キャラへのリスペクトが足りない奴の同人は「汚れ」と違ってゆるさない。それがファンというものです)
現状岩崎さんのエントリはそんな感じです。某隊長にも「岩崎とジョブズ?・・・ハゲしか共通点がねぇや!」とか言われちゃってますよね。
みんなはジョブズに関する同人誌を求めているわけであって、ジョブズに似せた別物をジョブズとして売る行為は一番嫌うわけですね。
で、そういう「嫌い」でもあまりにひどい場合は逆の意味で1回か2回くらいなら話題になると思いますが、そのうち表紙切り、サークル名切りが発生します。
こうなると二度と浮上できなくなる諸刃の剣なのでやめたほうがいいんじゃないでしょうか。
※「蛸○屋」さんや「きみ○ぶち」さんのような、キャラや世界観を解体して再構成するような高度な二次創作も存在しますが、なおさら初心者にはオススメできない。
というかさ。ぶっちゃけ、リアリティのある二次創作が書きたいなら、秋元師匠を書けばいいじゃん。吉田兄貴を書けばいいじゃん。
なんでジョブズなの?馬鹿なの?保身なの?ミジンコハートなの? ここを避けて別の人を書いてる限り、あなたの二次創作に魅力は生じないと思いますけどなぁ。
3 実在の人物に対する二次創作は、いろいろとややこしい問題を引き起こす
1の問題は、単に売れないよ、売れなくなるよ、という自己責任の問題なので別に構わないのですが、2はもしかしたら法的社会的に問題あるかも知れません。
つまりネタはネタとして構わないんだけれど、適当なことを言ってドラッカーとかジョブズを脳内で陵辱する読者におっぴろげるのは名誉毀損になるんじゃないか、と。
大物であればあるほど、本人は笑って許したり、岩崎とか言う虫けらのことは最初から無視してくれると思いますが、
周りの人間はそうでもなかったりします。特にジョブズに関しては、今喪中のようなものですから、岩崎さんのやってることは信長気取りの蛮行だと言えるでしょう。
ベストセラー作家でなかったらかるく打首になってもおかしくないレベル。
そろそろ、「自分のネタが面白いから反応してくれている」と「尊敬する人を汚すのが不愉快だからしばらくは注意してあげている」を区別しないと
唐沢なんちゃらさんと同じカテゴリに放り込まれると思いますよ?
1の最後に「なんで秋元はんの話しないの?」などと書いてみましたが、よくお分かりみたいですね。
ここで中途半端に岩崎さんが知恵を回してるのがわかるのが感じられてまたつまらなく思えるんですよね。
はてなーみたいに善良というか卑小なものを相手にして自分を大きく見せることだけは得意だけど、
本当にでかいものに立ち向かう勇気なんてないって全身で表現してるようにさえみえてしまう。
(もちろん個人の感想で、事実がそうだと言うつもりはないですが)
ついでに蛇足。
二次創作に頼り続けると、多分一時創作のために必要ないろんなモノが衰える場合が多い
これは私がそう思ってるだけで、反例はたくさんあります。岩崎さんにも当てはまらないかも知れません。
同じ分野の最前線にとどまり続けるためには、徐々に上がっていく期待のハードルを飛び越え続けることが必要。
そのハードルを超える力を鍛えることを避け、別のもっとひくいハードルにのりかえ続ける、という思考は
まさしくビジネスや同人作家には適していると思われますが、作家としては致命的な性癖だと思われます。
ドラッカーもそんな安易な乗り換えは推奨してません。 画力なり筆力を鍛えるのは当然それと別途必要です。
まさかRPMさんとベストセラー作家のご自身のハードルの高さが同じだとか本気で思ってるわけじゃあないと思いたいわけですが、
何とかは何とか
だけ言う
ニュースなんかも、数年前かもっと前から、文章の途中からわざとCm前なんかに言う。
何がとか何をというのを言わないで、何だろう?と思わせるやり方なんだろう
それに影響されてるのか、これは何たらって、自分も言う時あるけど、(でも、これはひどいは使わないな、タグでも。何でそんなもんをブクマするのかわからない。そういう人一人じゃないようだけど) (今確認してみたら、自分も「これはひどい」使ってましたが、自分が関わった弁護士に関する問題ついてとか警察のニュースとか でした)
これは○○って、確かに呆れて、詳しく形容や修飾する気も無くなるようなもののタイトルなんかに、付けられたりして、一面的には納得してしまうだけに怖いなと思った。
これを使う人たちは、「説明するのも嫌になるくらい」の何かが自分達を襲ったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と思いたいみたいだけど
「ハックルさんに期待すべきでないところ」の続編
http://anond.hatelabo.jp/20111018090019
ちなみにハックルさんに関して言えば、
こういうよくわくわからん加齢臭がプンプンするガノタと同レベルの頭悪い粘着気質部分を除いては大好きです。
(これは彼の長所部分と切り分けられるものじゃないのだけれど)
どちらかというと、彼をいつまでも攻撃し続けている人のほうが気持ち悪いと思う。
だって、「もしドラ」に対していつまで経っても文句を言っているような人ってこれと同じでしょ。
たしかに「もしドラ」は子供が作ったおもちゃみたいなものであり、内容敵には色々問題があります。
これが大活躍してたら、今までの小説やドラッカーが好きな人ほど怒るだろう、と理解は出来ます。
でも、大事なのは作品中ではUEを倒すことであり、作品外では今までの流れやイメージを変えることです。
その手段がおもちゃでも何でもイイじゃない。
今は厳密な合理性を求める段階ではないと思う。
ガノタもハックルさんに粘着してる人間も、彼らに対する期待の仕方が根本的に間違えている。
ハックルさんの凄さは、とりあえず後先とか今までの経緯とかを気にせずに、目の前にあるものをぐちゃぐちゃにできるそのぶっ飛んだ感性です。
そして、不完全でもなんでもとりあえず新しい形をつくってみようとするそのチャレンジ精神です。
結果としてできあがったものが「アレ」でも、それを胸を張って世に送り出し、批判に対しても胸をはり続けるができるということです。
今までの流れを変えるような新しいものを世に送り出せる人間とはこういううつけ者なのだと思います。
日野さんとハックルさんは、世の中に破壊と混沌をもたらすカオス・ヒーロー的な存在としてもっと評価されてもいいと思う。
そりゃできればもっと品があって、文章力やシナリオ構成力もしっかりしてるほうがいいでしょう。しかし、そこまで望むのはやりすぎです。
彼らがやっているのはとりあえず今までの「ガンダムとはこういうもの」という既成概念をぶっ壊す、ぐちゃぐちゃにする、
そういう取り組みなのであって、アレが未完成であることなど両者とも十分理解してやってるんです。
新しく再建するのは、別の才能がある人に任せればいいのです。
ダイヤモンドの編集だってサンライズだってそこがわかった上で彼らを採用したのだから、
出来の悪さを批判すること自体、見当はずれも甚だしいと言えます。
「できの良い作品を作る」方向の才能は、ハックルさんや日野さんに期待してもムダです。
期待の伴わない、ただ口汚いだけの批判などなんの意味もありません。
そもそも、なぜ部外者のハックルさんや日野さんが出てこなければいけなかったのか。
それを考えると、ドラッカーの看板を掲げながらロクに計画的な破壊と創造をおこなってこなかったため、50年もかけてろくな入門書を作れなかったダイヤモンド社の人に怒るべきだと思うんだ。もちろん、ダイヤモンド社の皆様も、頑張ってはいらっしゃるし時々「海外の翻訳」なんかではいい本出てるけど日本人著者が出してる本って面白みがないのが多いよね。思考停止したサラリーマンのオッサンだけ相手にしてたらイカンぜよ。本当に問題なのは、もしドラのあとに、まともなドラッカー本が「ドラッカーのリーダーシップ論」くらいしか出てないということだってば。
ガンダムについてはガノタがあまりに嫌いすぎて全く見てないから全然知らんけど、SEEDとかの話を聞く限り、もう業界内の人間ではぶっ壊せないどころか劣化した再生産になるってガノタの人はみんなわかってたんじゃないの?長い目で見たら、AGEがクソアニメになろうがなるまいが、ガンダム全体を救ったってことになるんじゃないのかな。
信長はいいよね。カオス・ヒーローでありながら同時に冷静に敵から学んで成長できる人でもあった。
追記2
igiさんに追記部分をほめられたwので追記1を削除。igiさんにおもしろがられるとかイヤすぎて鳥肌たつ。
まぁ私が余計なこと書いたのが悪かったということで。
日本語化試案、確証なし。
わかったブログが、驚いたことに、文章力についての、記事を書いていた。僕は驚いた。Twitterで過去の自分のブログ記事を読みなおしているとかなんとか言っていたのを目にしていたのだが、そんなことをしたらこんなトンデモ記事は、恥ずかしてく書けないと思うのだが、ところがどっこい、それをやってのけるのが、かん吉さんなんだなあと、僕は感動すら覚えた。そして、これはいつものことなのだが、大量のはてなブユーザーが賞賛コメントを寄せていた。この記事を読んで身につく文章力などというのは、わかったブログで、垂れ流されているもの以上にはなりえなのだが。こんな小手先のくそテクニックや、何様か知らないが、国語の教師ヅラした駄弁を真に受けると、本当にひどいことになる。僕は、わかったブログのようなブログがこれからまた増えてくると、読み手が負わされるリスクとコストというのは、本当に高くなる一方だなあと、ため息と一つついた。そのリスクとコストを小銭に変えるのが、ブログのマネタイズなんだね。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110906/1315294215
サバイバーとは、社会的に底辺に位置づけられながらも、自らの努力でその最悪の環境から抜けだした人
0.1%の人間はサバイバーのポジションをうまく活用して短期間で上に行く。
つまり下を絶対に攻撃せずに、むしろ努力すれば下から上がれるという夢を売ることで人気を得る。
そして、ある程度知名度を得たら、支持者の勢いを売って上に行く。
上流階級とのコネが出来れば、あとは目立つ必要がないから支持者を切り捨ててフェードアウトしていく。
実際は既に上位の存在でありながらサバイバーを装っているケースが多く、
普通のサバイバーには真似できないので決して見習わないように。
9.9%はサバイバーの地位に立ったときに、自分がサバイバーで有ることを認識している。
サバイバーとしてのセルフブランディングは諸刃の剣であることもよく認識している。
だから、この時点では何もアクションをとらず、成功して自分の地位を固めてから行動する。
FROMDUSKTILDAWN氏がこの類型に近い。というより世の成功者の殆どはこのパターンだ。
正直ブログ戦略としてアメーバーは実に正しく、はてなは根本から間違っていると思う。
人生の途中なのに自分が他取り付いた場所をゴールだと勘違いしてしまい、そこで上に登る努力が中断してしまう。
受験勉強頑張って東京大学に合格してはいいが、そこから勉強サボって就職もできなくなる、など。
たいてい自己顕示欲が高くなっているので、匿名やIDでブログを書き、自分の正しさや、サボってる人間を攻撃したりする。
下の人間は、上の人間が姿を見せないので、姿が見えるこのサバイバーと喧嘩することになる。
そうこうしている内に、自分のリソースを使いきってしまい、いずれ生きるために強いものに巻かれることになる。
その頃には弱者への恨みが募って、自らが一番苛烈な弾圧者になる。 監獄実験の看守役やね。
このタイプは、途中で天国への階段から滑り落ちる。少なくともグリードアイランドをクリアすることはない。
途中で「リープ(離脱)」のカードを手に入れられる幸運なプレイヤーもいるが、たいていは爆弾魔に殺される。
もったいないな、と思う。
という自分の立っているポジションを理解せぬまま、想定された通りの役割を演じている。
むしろ、自分がたてた論点にこだわっていれば有意義な議論もできただろうが、
自ら進んで人を分類し、対立構造を作り上げているのだから、この不毛な構造に巻き込まれてるのは自業自得と言える。
はっきり言って自滅型のパターンそのままなので、これ以上書く前にしばらく冷却することをオススメする。
・ダイエットに成功した人がいまだにデブの領域でとどまる人間を攻撃する
などと同じ。
こういう「サバイバー」は、下を戻ることを恐怖するあまりに、上よりも下を強烈に批判する。
結果として、上の人が手を下さずとも、自らが分断政策の執行者となって上への批判を防ぐ。
何回同じ事をやれば気がすむんだろうか。
この傾向が最も顕著だったのは1980年代に行われたフェミニズム論戦。
立ち上がらない女はクズだと言わんばかりの暴れっぷりに、みなさんドン引きだったのは懐かしい記憶。
で、運動から肝心の女がいなくなって、本来の敵だった男(ただしサヨクか非モテ)に運動が引き継がれるという構図も同じ。
まぁコメント欄の時からそういう記事を書くだろうなとおもってたけど、まんまと罠にはまった感じ。
「上」に攻撃を向けることを恐れず、
「囚人の立場から抜け出すのを怖がっている人たちなんだろう」くらいの想像力が働かせられる程度の知識は欲しかった。
この人は狭い世界にこだわりすぎて、より大きなパターンが全く見えてないので非常に残念だ。
まとめ。
サバイバーの人に言いたいこと。
下の人間と関わってないで、もうちょっと上を目指すといいと思う。
上の人間は、下からはいあがってきた後、さらに上を目指す人間を好む。
下の人間に言いたいこと。
サバイバーは敵ではない。ちょっとだけ上にいるかも知れないが、
もともと下にいたのだし、君たちの苦労をよく知っている。
サバイバーの人から学び、自分も努力して下から抜け出し、今度は自分が下にいる仲間を救おう。
今下にいる仲間に気兼ねして、一緒にサバイバーに石を投げつけるようなことをしてはいけない。
普通の人に言いたいこと。
サバイバーは仲間だ。下からはいあがってきた分ハングリー精神や闘争心が強くて
君たちの穏やかな生活にさざなみくらいは立てるかもしれないが、
それを暖かく受け入れるくらいの度量を持たなければ「普通」は守れない。
上の人に言いたいこと。
どうせ今回の記事をニヤニヤしながら眺めてるんだろうね。
でも、誰か一人でいいから、この問題について「○○ができてもバカはバカ」って言ってあげてください。
あのね、ホントにこの問題は構造が大事なのであって、細かい言葉尻とか文章力とかどうでもいいんだよ。
不毛な争いは今すぐやめて解散したまえよ。
どうせその「母と子のどっちが正しいか」みたいなクズみたいに小さな論点は決着なんて出ないんだから。
賢い人は「問い」だけもらって答えは自分で考える。
もう1つブログを作ったほうがいいよ。
twitterで拡散させるなりしていろんな人、少なくとも自分より文章力のある人に見てもらえるならいいかもしれないけど、それにしてもblogの方が。
自分もブログを持ってる一方で、増田を使っているけど、「自分の文章の評価を視覚化」は期待できない。
ちょっとした思いつきで書いた記事が20ブクマ、10トラバされたこともあれば、気合い入れて書いたのがトラバ一つつかなかったこともある。
文章力を向上させたい。まじで。ほんとに。切実に。
文章を上達させるには、もうひたすら書くしかない。
かといって、ひたすらチラシの裏に連々やっても、それはただの自慰行為。
最低限人の目が欲しいわけです。
自分のブログはテーマに沿って書いてるし、思うままガシガシ書くには適さない。
そんなわけでふと思いつきました。匿名ダイアリーいいんじゃね?
自分の思うこととか考えたこと、そんな文章を一日一回くらい匿名で垂れ流す。
ぶっちゃけ基本はチラシの裏と変わりませんが、自分の文章の評価を視覚化できるのがいい。
いや、思考の垂れ流しに普通そんなもんつかないけど、たまについたことがあったらその文章には「なにかある」となるわけで。
そんな感じで誰かに評価される万分の一の可能性に期待しつつ、もっさもっさ悪文日記を書く、という使い方を今日からしてみようかと思うんだけど。
いいかな?いいよね?
第七話冒頭
嫌がるおにゃのこ二人組を車に押しこみ、さあセクロスドライブGo!
そのとき!
チンピラD「うわぁ!」
チンピラE「このやろう、何しやがる!」
おにゃのこが持ってたテニスラケットを振り回し、チンピラと格闘!
しかし多勢に無勢、ボコられたその時、向こうからバイクに乗った光太郎登場!
光太郎「や゛め゛ろ゛!!」
チンピラを追いやる光太郎!
チンピラ「覚えてやがれ!」
逃げるチンピラ。
そして一刻はおにゃのこを助けた男は、
「あんな社会のダニ共は、もっと痛めつけたほうがいいんだ!!」
と言って走ってどっかに行きました。それを聞いた光太郎、
光太郎「なんて恐ろしい目をしている゛んだ」
もうここだけで面白い
子供のときに読書感想文というのがあって、あれが実にくだらないと、子供心に感じた。だから、絶対に本当のことなど書かなかった。いい加減に書いて、つまり、先生が喜ぶようなことを書けば褒められた。実際に、それで賞状をもらったこともある。ああ、くだらない思い出。
本を読んで、その感想を文章にすることは、自分の考えをまとめる、という訓練としては、そこそこの価値がある。気持ちというのは、なかなか他人に伝達できないものだから、その局所的なものを一般的にする行為は価値がある。しかし、そもそも、人に伝えたい、という気持ちがまず大切であって、「わかってもらいたい」という動機がなければ、文章はけっして良くはならない。その気持ちがない状態で書けば、ようするに入試の小論文に見られる、おきまりの構成、テーマ、常套句の嵐になって、読めるけれど、意味のない文になる。そういったものをいくら書いたところで、それは文章を書けることにはならない。
それよりは、この頃の流行のブログの方が、少しはましだと思う。誰ともわからない相手に(そんな者はいないかもしれないのに)、気持ちを伝えようと前向きになってアウトプットする素直さは、非常に平和的で、社会的で、そして善良である。
自慢したいことや、同情してほしいことや、知ってほしい気持ち、褒めてもらいたい行動、そういうものが誰にもあって、それをこれほど公的かつ私的に(つまり遠いけれど身近で)書けるシステムは今までなかっただろう。この際だから、読書感想文なんかやめて、ブログを学校の先生が読めば良いのではないか。
まず、小説(フィクション)の感想文というのは、小学生にやらせるやらせない以前に、そもそも馬鹿馬鹿しいものなので、これは、教育どうこうの問題ではない。もし、国語の時間に文章を書くことの訓練をさせるつもりならば、小説ではなく、絵画であるとか、古建築であるとか、まったく別分野の芸術に対する感想を文章にさせてはどうか。文章になっているものの感想を書かせると、単に8割はその内容をピックアップするだけで、創造力、文章力の訓練には適さない。出版社に勤めて、本のあらすじを書く仕事を将来するのならば、多少は役に立つだろうか。それ以外に、小説のあらすじを把握する意味も価値もまったくないと思われる。そもそも、本の裏表紙にある「あらすじ」が僕には無意味だ。
一方、ノンフィクションに対する感想文というのは、ある程度、論理的な思考を養う意味では、効果があるかもしれない。受験の小論文で試される学力もここに近い。つまり、求められているものは、論理性、着眼などである。
おそらく最初の目的は、子供に本を読ませること、だったと思われる。僕は、子供に本を読ませる必要は感じない。読みたいものがあれば、必ず自分から読むだろう。それが人間だ。
繰り返しになるが、文章を書くときに必要なことは、読む相手を想定すること。その人に伝わるように書く、という訓練が重要だ。読書感想文は、誰に宛てた文章なのだろうか? いったい何のために書くのだろうか?
参考 紅莉栖「岡部を皆で鳳凰院凶真と呼ぶようにしてみた」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15219028
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
「え、あ、それは、そのう・・・」
「え、あ、はい。」
「そうだと思った。、大先生。あなた天才。非の付け所のない文章力、まれに見る発想。誰もあなたにはかないません。売れるのも当然ですよね」
「いや、そのう・・・」
「あなたの作品は日本一だ300万部売れるのも当然だ偉いんだって周りの人にも言ってきますね。
全くあなたの作品の良さがわからないなんて文章の読み方をなんだと思ってるんでしょうかね」
「それは、えーと」
「いや、そうなんだけど」
「前から思ってたんですよ、岩崎さんの本をDisってるやつは文章の読み方がわからない可哀想な奴らだって!
先生の手を煩わせる必要はありません。
恥知らずのアンチは腹を切って死ぬべきである。地獄の炎の中に投げ込むものである。小説の読み方を熟知すべき熟知すべき」
「そこまでは」
「もうこれは、先生を小説界の唯一神としてみなが崇め奉るまで戦うべきですよね」
「やめ」
「トーウェーイン!トーウェーイン!」
いやマジで、これ彼自身がいうならともかく、
他の人が「だって岩崎さんがそう言ってたんですよ。ソースはコレ」っていいながら広めまわったらいたたまれない気持ちに成るんじゃないだろうか。
この上で「フーハハハァー」って言ってくれたらもう彼をホントに神と読んでもいい。
岩崎さんの、はてなでの言及には一切耳をかさないという芸風は十分理解しているつもりだが、今回のはひどいのでちょっと文句を言っておく。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
もっと大人な対応でも十分説得できたでしょう?
書店員とみなみの二人の組み合わせは偶然のものではなく、奇跡的なものであった。運命的なものであった。
結果として書店員が自分の責任で薦め、みなみも自分の責任でそれを受け取り、ちゃんと活かした。
だからこの作品はすばらしんだ。
でいいじゃないか。なぜこれを「書店員が客の話を聞かないのは正解」になるんだ。
なぜ一般的にも自分が正しいとか言っちゃうわけ?なぜコレが分からない人は常識がないとか言えちゃうの?そんなの岩崎さんじゃないよ。
「一般的にみたら問題になりうる行為かもしれないけど、この二人の間では奇跡的に良い出会いになった」でいいじゃないか。
書店員もすごい、みなみもすごい。傍から見たら変に見えるかもしれない。
でも実はこの二人すごいんだよ、だからこの話はおもしろいんだよ、って言えばいいじゃない。
まず「一般的に見たら納得しにくいかもしれない」という相手の主張を受け入れて、その上で「この二人は特別なんだよ」て返せばいいじゃない。
少なくとも、相手は納得できてないと言ってるのに、
そこで返す言葉がよりによって「分かる人にはわかる。わからないのは経験が足りないから」とか小説家としてどうなの?
それがわかる経験を積んでる人にはこの小説いらないし、わからない人には小説を読んでも無駄になる。
どうせそれは「小説を経験に変える技術」がないからだって言いたいんだろうけれど、それならなおさら「技術的に」説明しろ。
経験の有無とかで逃げてるのはそっちじゃないか。ここで逃げておいて「小説の読み方」本を出すのは許しがたい。ちゃんとここで説明しろ。
あと、ここの主張はみなみの力を低く扱っているという点で気分が良くないし、なによりこの主張は有害だ。
それは、例えて言うなら「泣いて嫌がる病気の子供に注射を打つ」ようなものなのだ。もし医者が、病気の子供を前にして、顧客(子供)が泣いているからと言って注射を打つのを拒否したら、あなたはその医師を真摯だと言うだろうか? それと同じである。書店員にとっては、みなみは注射が怖いと泣いて嫌がる子供と一緒で、彼女が何を言おうが思おうがそれは基本的には関係ない。書店員は、みなみにとって重要なことを、むしろみなみ本人よりよく知っているのだ。それゆえ、医師が子供の病気を正しく診断するかのように、みなみが『マネジメント』を欲しているということを正しく突き当てた。だから、顧客のことを考えていないなどということはなく、むしろギリギリ真剣に考えた結果、その言葉をあえて聞かなかったのだ。
ホメオパシーを権力を持って子供に強要する無知な母親と、「十分な知識もある資格を持った医師」の中間に位置する書店員が「診断」できる理由として全く使えない。
全く妥当でない喩えを出して自説の正しさを主張するのはペテン師のやることです。作家の誇りがあるならこの部分は取り消していただきたい。
その上で、書店員の子の判断が「お話の都合として結果的に正しかった」ではなくて、この時点で「プロの行動として正統である」とみなすその根拠を示しなさい。
書店員と母親を明確に区別できると主張するその根拠を「この話はフィクションだから」という説明を排して説明しなさい。
この行為とホメオパシーなどで「子供のため」に嫌がる子供に不確実な療法を強要する母親は少なくとも行為の時点ではなんの区別もない。
究極的には両者を分けるのは結果だけである。
しかも、もしドラの結果はフィクションで作者が用意したものである。
自分で用意したフィクションの結果を持って、不確実な行為の「正当性」を主張するのは論理がひっくり返っている。
それは有害以外の何者でもない。もちろん「そう判断するに足る十分な知識や経験を持っているか」によってその判断の正当性が変わる。
だから作品中で書店員の判断の「正当性」がどれほどものかと問うているのだ。
それに対して「十分に経験のある人ならこういうふうにできるもんなんです」って書店員はいつからベテランって設定になってんだよ。
それは読者に当然求められる想像ではない。合理的な解釈でもない。読者に「つじつま合わせ」を要求している。
よくそんな要求を当然のごとく読者に求められるな。読者依存だ。自分の小説を読む人がみんなマルケス読んでるとでも思ってるの?
もう一点、岩崎さんはかなり深刻な勘違いをしているようだからいっておく。
本の読者に求めるのは、自分が理解できなかったら「理解したいとも私は思わない」という態度を取るのではなく、「これを理解できるようになったら、自分の人生がもう少し豊かになるかもしれない」と考えて、「今の理解できない自分がダメなんだ。この状態を脱するために、虚心坦懐にこの本を読もう」と思ってもらうことである。そういう「自分を否定する気持ち」があって初めて、「物語で触れられていない部分」に「イマジネーション」が「働」き、「辻褄が合うように」読めるようになる。つまり、読み取れなかったものが読み取れるようになるのだ。
これを主張していいのは時の試練を経てなお支持される古典のみである。
もしドラは1年半支持されている。300万部近く売れた。それは本当にすごいことだと思う。別にそのことを否定するつもりではない。
だが、「まだ」1年半である。しきりに「もう」1年半だという主張をしているが、この主張をするには「まだ」早い。
思い上がるな、と言ってるわけじゃない。むしろあなたはこの成果を誇っていい。
でも、だからこそその基準はまだ使えないってことくらいはわかれよ。
本人が主張していらっしゃるように、普段はこんなにねちねちと他人に嫌味を繰り返すような記事を書かない人だと思っている。
論理には必ずしも賛成しないけれど、少なくとも自分ではよく考えたんだろうな、と思える文章を書いていらっしゃる。
今回は感情垂れ流しで読んでて不快な文章だった。次からはこういう文章を書かないでいただきたい。
あーもう腹立つから書いちゃう。
前から何度も何度も何度も思ってたけど、岩崎さんの文章はねちっこいよね。ねちっこい。
何度yaneuraoさんを「実生活でそういう経験のある人」と対比して否定しようとしてんの。
あなたのその粘着気質な所が心底気持ち悪い。その卑屈な性格が出ていて吐き気がする。
一回でスパッと決定的な表現を書けないからってそうやって何度も何度も繰り返すのはやめようよ。
どうしてそんなに繰り返すほど大事なことなら、もっと表現を磨こうとしないの?
どうしてそんなに繰り返すほど表現に自信がないなら、その表現をやめようとしないの?
どうしてそんなに繰り返すほど自分の正しさを信じてるなら、どうしてそんなに自己正当化めいた文章を書くの?
自分でもわかってんだろ。
自分では自分の言いたいことを表現するだけの文章力がないってことを。
他人の読解力にケチつけてる暇があったら、もっと自分の文章力磨けよ。
はっきり言うよ。
あなたの作品、構成とかテーマは悪くない。着眼点は素晴らしいと思う。これは素直に認めよう。
でも、あなたの小説家としてあまりに稚拙な文章表現が、その素晴らしい物をスッキリ受け取らせてくれない。
問題はあなたにもあるんだよ。
そのことをちょっとでいいから認めようよ。
山田悠介だって初期作品と比べたらだいぶましになった。でもあなた全く変わってない。
この先に期待できない。
使命云々を次々乗り換えていくのも結構だけど、
ただ小説を書くだけじゃなくて、人を教化していきたいなら、
もっと人をうならせる文章書けよ。こんなgdgd繰り返すループみたいな文集書いてないでさ。
http://anond.hatelabo.jp/20110810152313
トラバ有難う。
1つは彼は純粋にそれが読者のためだと思ってやってる。
なんというか、やねうらおさんも書いてたけど、彼の言動に嘘とかごまかしとかはあんまりない気がする。
ただ、彼の中で納得できない部分があるんだろうな。
いちいち「僕はこういうのやりたくないけど読者のためにサービスとしてやることにしました」って書く人は普通いないので
読者は色々邪推しちゃうけど、この人はこの人なりに読者のこと考えてやってるんだと思いたい。
こっちとしてはその彼のサービスに全然満足できないのが残念だけれどw
「フラクタル」のコミカライズの人みたいに、コミカライズ担当の椿あすさんの寿命がストレスでマッハにならないことを祈る。
フラクタルって書いて思い出したけど、この人ヤマカンの人に似てるきがする。
ぼくの「本の読み方」は、どうやらちょっと特殊らしいということが分かった。それは、どうやらぼくの強みらしいのだ。
ということだと私は思う。ヤマカンの人は、○○○○○○○の分析とかはすごい鋭いと思う。
もっとも、もしドラの作者の読み方は小説家を志す人なら当然に持っているべきもので珍しくない。「ピギー・スニードを救う話」とか読めばわかる。
またこの読み方が「唯一正しい」読み方ではない。
この人はとにかく周りが見えず、自分自分自分の考え方が唯一正しいのだと信じるところが最強の強みなのだろう。
そこでもしドラの人はそこでこう考える。
それでいうと、『もしドラ』を出してからというもの、世の中には小説の読み方が誤っている人、知らない人が多いということにも気づかされた。特にネットの世界では、誤った批評というものが数多く見受けられた。そうして彼らは、その誤った読み方ゆえに、肝心の面白さを見逃してしまっているのだ。
それが、ぼくにはとても「もったいないことだ」と思われたのである。小説も、正しく読めば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損である。
そこで、そんな人が少しでも減るように「小説の正しい読み方をレクチャーすること」は、ぼくの一つの使命なのではないか――と考えるようになったのである。そうして、「小説を少しでも面白がれる人が増えれば、それは一つの社会貢献になる」とも考えるようになった。
文章力がないことに自覚がないのはともかくとして、とりあえず自分の強みに基づいて行動していると思う。結果論なところもあるけれど。
一方のヤマカンの人は、自分の強みと違うところで頑張ってるようなきがする。
この人はtwitterみてもわかるように「言葉による」表現力はすごいと思う。
というかとにかく目立つということをよく知ってる人だと思う。
本質的なことを端的にまとめるの上手。人を敵味方に切り分けて争いを創りだすのも上手。稀有な才能を感じる。
でも、そういうところってアニメに全く活かされてないと感じる。
「フラクタル」において印象に残った言葉があっただろうか。全然ない。ぼんやりとしてる。
あえてわざと結論出さない、曖昧な表現を使う、割り切れないものを描く。
これって彼の強みと正反対の部分じゃないだろうか。
まず返信ありがとうございます。光栄です。
100文字以内で返信が出来なかったので、卑怯かとは思いますが増田にて返信します。
以下は、貴殿の100文字以内という少ない文字数でのブコメに対しての返信ですので、当然貴殿は言葉足らずであったことを前提にしておりますので
小生が疑問に思う、違和感を感じている部分は本心から思う事であり、悪意ある攻撃的な「なんくせ」では無いと心得ていただければ幸いです。
最初に述べておきますが、小生が「それはないと思う」と申しあげているのは、貴殿の「男は基本「男らしい」服を着たがる」という部分一点のみです。
貴殿がおしゃっている「これは「女」の考え方。」「増田は『女の』服オタク」という部分においては同意しております。
下記の貴殿がおっしゃっている部分の論拠も提示していただければ幸いです。
男は基本「男らしい」服を着たがる
小生の
「男は男らしい服が好き」という考え方こそ女っぽい考え方。
貴殿がメタブクマにておっしゃっているキャミワンピ等を好む男のようなレアケース等は無視しても
個人的には『男らしい』アイテムというよりは『セクシー(フェミニン)』なアイテムと感じます。
これは個人的感想ですので、ここで意見が食い違っているなら、そもそも衣服に対する捉え方、感じ方に相違があるでしょう。
これは小麦色の肌をした、筋肉質な男性がハーフパンツやレギュラーサイズ以上のデニム等のアイテムに一枚で着用すれば、それは『男らしい』アイテムであると思います。
しかし、華奢な体系をした男性が、ジョッパーズのようなパンツに合わせて着用し、首に男性用のストールや大きなバンダナ等を着用した着こなしは『フェミニン』と言えると思います。
要するに、貴殿がおっしゃっている
女らしさは逆に「着こなし」にある
アイテムそのものが多少の「マニッシュさ」「フェミニンさ」を含んでいたとしても、それはさした問題ではないのではないかと思うのです。
当然「スカート」や「キャミワンピ」のような、最初から性別が限定されるようなアイテムはこの限りではありません。
それらを除外しないと、「男は男ものの服を着るかどうか」という次元にまで議論の位置が下がってしまうように思います。
小生が思うに、服オタクになればなるほど、ファッショニスタであればあるほど、洋服の選び方は『男らしいかどうか』というような一元的な見方ではなく、『自分をいかに見せるか』『コーディネートをいかにするか』という多元的な判断が購買の動機になるように感じます。これは要するに「着こなし」であるり、そこに男女の分け隔ては無いと思う次第です。
ファッションを衣服だけに限定せずに考えた場合も同じで、男性の長髪、ピアス、バングル等は上記のような一元的な考え方に基づけば『女性的』ではないでしょうか。
さらに言えば色はいかがでしょうか。昨今ではピンクのポロシャツやYシャツを着用なさっている男性も多いと思います。これも『男らしい』とは対局の位置にあると思います。
小生は、異性に対して「女は女っぽい格好が似合う(好き)」「男は男らしい格好が似合う(好き)」という考え方はジェンダーサイドからみても非常に危険ですし、何より古めかしい考え方のように思います。
しかしながら、とかく異性に対してはこのような画一された見解を抱きがちですし、そこには本人の願望や嗜好も少なからず含まれることでしょうから、
男は基本「男らしい」服を着たがる
という考え方は、どちらかと言えば、同性の発言というよりは異性に対しての発言に聞こえるのです。
そうすれば、増田の発言が「女性の考え方」であるとなり、逆にそのように考えないと増田は男目線であるということになってしまいませんか?
増田のチョイスは貴殿の言葉を借りるなら『男らしい』チョイスであると思いますし、ツリーでも
と発言していることから、ポロシャツというチョイスに『男らしい』筋肉質な男性像を重ねたことは明白かと思います。
貴殿はこれに対して『「女」の考え方』と認めながら、『男は男らしい服を着たがる』とおっしゃっているのが一番わからないポイントです。
最後に
への返答ですが、これは小生が言葉足らずであったことをお詫び申し上げます。
と申し上げた次第です。
アパレルの業界に身を置く者として、いち服オタクとしてこの手の話題は非常に興味深く、また新しい発見もあり、楽しく書かせていただきました。
文章を書くのは苦手ですので、何か不愉快な表記がありましたらそれは小生の文章力の至らないことが所以であり、貴殿を不快にさせる気は微塵も無いことを先に述べておきます。
※追記
返信ありがとうございます。
『記号論の基本ができてない』のは上にも書きました通り、小生の文章力の至らないことが所以です。
わかりにくい表記、説明になっていない部分があるかもしれません。
お詫びします。
『マジレスしとくと私が書いてる様な事を理屈でなく感性で得心できないなら何を勉強してもムダ。』
とおっしゃられておりますが、それも真摯に受け止めて、感性を磨く努力を致したいと思います。
もし可能であれば、私の説明に対して間違っていると思われる点を具体的にご教示願えたら幸いです。
小生なりに、『感性で得心』したことをできるだけ理論的に説明したつもりですが伝わらなくて残念です。
ですが、衣服への捉え方は人それぞれですので、これにおいては、上記の通り「私の個人的な意見」でして、貴殿に対して、またその他の方に対して「このように考えるべき」といった押しつけは一切ございません。
その点をふまえましても、やはり『私の感性』は『男は基本「男らしい」服を着たがる』に対して「NO」と未だに感じております。
そして、貴殿がこの増田に対して『「女」の考え方』と認めながら、『男は男らしい服を着たがる』とおっしゃっている部分にやはり疑問符がつきますし、『女らしさは逆に「着こなし」にある』とおっしゃっている部分に対しては『男もそうではないか』『そこに男女の差はないのではないか』と思います。
最後に『アパレル向いてないから辞めたほうがいい』の部分ですが
小生のようなデザイナをアパレルの末端に置いていただけている寛容な会社、そして何よりお客様に対して大変光栄に思っております。
しかしながら今の職業以上に自分に向いていると思える職業もございませんし、何より服飾が好きですので、これからも勉強に励んで行きたいと思います。