はてなキーワード: 山田昌弘とは
多産の家庭は大学を無償化、と言うアイデアが「少子化対策」として出てきたが、
https://digital.asahi.com/articles/ASRD67KLKRD6UTFL011.html
これは
といえるので、最低でももう少し工夫をしてくれという話をする。
簡単に言えば、少子化の主因を捉えていないから、少子化対策にならない。
これは繰り返し言われてきたが、少子化の主要因は、非婚化と言われている(注1)
詳しくは注記に文献を上げておくので見てほしいが、簡単に言うと
と言う状況があるためだ。
結婚した夫婦がもうける子どもの数は微減状態にはあるが、そこに合計特殊出生率の変化のグラフと、婚姻率のグラフを重ねてみてほしい。そうすれば一目瞭然で「結婚した夫婦も減ってるじゃ無いか」という抗弁は枝葉であり、全くマトを得てない事が分かると思う。
結婚しない人を結婚させるより、3人目を諦める人を支援した方が良いと言う事実はない事も既に研究で明らかになっている。確かに理想の人数の子の数を諦めた理由という調査では、その理由に経済を上げる人が多いが、統計で分析すると
要するにまともに取り組むなら晩婚化の対策が必要だと言うことになるが、政治的にタブーでありこの路線はほぼ無理だと思われる。
もちろん、ミクロで金銭的理由を子どもをもうけない理由に挙げている人がいるかぎり、それをフォローする事は重要ではある。また経済対策として子育て支援は効率が良い施策なのでやるべきではあるのだが、これを有効な少子化対策として捉えられてしまっても困る。
子育て支援は少子化対策としては有効ではないと言うことをとにかく認識してほしい。
よく「子育て支援・少子化対策」と並べる人がいるが、この二つは似て非なるものである。少子化対策とは別に考えるべきだ。
まず、前提の事実を並べる
最新の統計はコロナ禍の影響があるとは言え、再配分が間に合っていない状況である。
その中で、最近は所得制限なしに給付を行うのがはやり始めている。高所得者層にはそれほど大きな金額ではいのかもしれないが、負担率という形でみると低所得者層ほどインパクトが大きいので、所得制限無しの上に、低所得者層に給付対象者が少ない助成金などをやったりすると、一気に格差が広がる。
つまり、言い方はあるにせよ
と言う事で、現在の状況をより補強し、子育て支援は本質的に少子化対策としては問題が多い。
特定の部分をターゲットにして単純に補助金を作ると、産業が補助金に対して最適化するので、全体として金額が上がって非効率になる。例えば、ネットで買うと5000円、地元で買うと8000円だが、1/2補助の地域振興券がつくので地元で買う、と言うような現象だ。この構造から、一見すると消費者に対する補助の様に見えるが、実際には店側の方への補助金としての性質が強い。
また、最近問題になっているのが、出産一時金である。出産一時金をはじめとして、出産に関する各種の補助は強化されて金額が増えているが、結果どうなったかと言うと、病院がそれに合わせて、出産費用を値上げをした。出産に関わる費用が上昇しているのである。
妊娠出産は自由診療であり、病院は自由に価格設定ができるためだ。結局、出産する人たちへの負担軽減には効果が限定的であるというばかりか、効果の怪しい代替治療のような者まで出ている。これを受けて政府は、出産を保険診療のように、標準報酬のようなものを定めようとしている。
これらから、何も考えずに補助を作ると、大学にも同じ現象が発生する。授業料分は補助が出るだろうが、全体としては助成金を充てにして値上げが行われるだろう。結果、補助の大部分は大学への補助として作用し、実際に支援したい子育て世帯への恩恵はわずかになる。
ではどうするかというと、補助をする対象を個人では無く、大学に支払うようにするべきだということだ。何故かと言うと、個人に給付するときに個人に条件を付けるのは難しいが、大学に条件を付けることは容易だからである。
例えば、便乗値上げをしない事、上限金額を決めた上で「追加で対象の学生から授業料を徴収しないこと」といったはどめをかけて、条件に合致する大学にだけ対応させるといった処置である。
再掲するが、せめて
が必要だ。
ばらまきはある程度民主主義のコストであるので、人気取りで分かりやすい施策をやろうとするのは、まぁ仕方が無いと思う。
ただ、それで「やった感」だけを醸し出して、あるいは、有限の予算の中で優先度を間違えて支出された予算になってしまって、本質的な対策が行われないがまずい。
政治的に
みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援は所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。これは有権者の支持が得られないというところであろう。
が、もうこれを上手くオブラートに包んで実行していくほかにないのでは無いと思われる。
子育て支援をするなと行っているのでは無い。子育て支援はやるべきだ。しかし、子育て支援は少子化対策にならないのを直視して、少子化対策は別枠でちゃんとやってくれと言う事である。
これも
「夫婦で正社員でなければ地価の高い都心部に住めない」&「共働きするなら通勤時間をかけられないので都心に住む必要がある」
ってだけじゃね?と
夫婦で正社員のDINKSも多そうだけど、その割合調べて地方よりも子供がいる方が多いデータとかあるのか?無いよなどうせ
パラサイトシングルとか言ってた頃から、実際は「金がないから実家を出られないだけ」な人が多かった事は無視して
「実家で親に世話されて自分の給料は全部お小遣いに使える贅沢生活をしたいから(そんな甘えた若者が多いから経済が悪化するし少子化も進むのだ)」
とでも言わんばかりの論を作り上げてたし
本人も本当はずれてるの分かっててただマスコミ受けするキャッチーな事を言ってるだけなのか、素で分かってないのかどっちなんだろう
少子化と非婚化は経済的な理由が一番大きいと言うとすぐに「沖縄ガー」と言って否定してくる人達が多いけれど
実際には正社員の多い東京都23区内では子供が減っていない事実。
https://news.yahoo.co.jp/articles/daa989416d55b31843c02edfc2be81c6be777d9a?page=4
「1番目(育休)と3番目(保育所)は従来の政策の延長なんですけれども、主に正社員の人を対象にした政策なんです。実は東京23区の子供の数は減っていないんです。むしろ20年で増えているんです。男女ともに正社員で子供を育てているカップルが、東京では多いんです。育児休業とか保育所整備すれば、そういう人たちは経済的な心配がないですから、子供がどんどん生まれてくるということで、大都市部で子供の数はそれほど減ってないんです」
リベラル、ジェンダー研究者、各方面がそろそろ動くようになりそう。
社会学やジェンダー学まわりでは、婚活支援に対する懸念が表明されてきた。
https://twitter.com/yamtom/status/1269312915842068480
山田昌弘氏の婚活記事だがかなりひどい。「何らかの形で、積極的に出会いを促し、出会いの機会を増やすという政策を加えて行なわなければ、交際、結婚、出産にまで至らない、つまり、少子化は改善しない」まで言ってて、婚活業者との繋がりでもあるのかと思って見てみたら(続https://news.yahoo.co.jp/articles/6b9dec7e41347480de76ac7508f0ffe17da6ef17?page=1&fbclid=IwAR2Qo_9E1H3i7Ha3UzPBNomqP2JTy-q57-5VqtDfy6eDV9u72BDNe7mgELQ
ただし、他の見方も有力。最近は段々と変わってきていて、意味も昔と違う。男もできたら下方婚したくないと言う傾向、カップルや婚活の状況を見ると、同類婚の時代と言える。
なので「女が下方婚しないbot」を野に放ってもあんまり解決には繋がらないと思う。
年齢別の年収vs婚姻率のグラフ(国立社会保障・人口問題研究所の調査にある)を見ると
と言う傾向が読み取れる。
この分析は、増田のように「女は下方婚しない」と言う風に見る事もできて、それは間違いじゃない。
例えば、社会学者の山田昌弘氏はその説を唱えてる。最近の本ではそんなに全面に出してないけど、講演会とかゼミとかではずばり言ってる。
また、身も蓋もないはなしをすると、金のない男性との結婚は、本人よりも周りが反対することが多い。本人はよいと思っていても、特に両親がストップをかけるとか。
ただ、後記するが、最近はその傾向が変わってきているし、下方婚しないのは女性だけじゃない。
ただ、それだけではない。男性側にも困難がある。
他の統計(厚労省の労働統計や、意識調査など)を組み合わせるとこんな傾向がある。
つまり、女性が下方婚しないと言うだけではなく、350万円以下の人間は、長時間労働などによってワークライフバランスが崩壊しているか、そもそも結婚はしたいけどできる訳もないと思っている、と言う事も考えられる。
簡単に言って、地獄。ここは労働問題も絡み、相対貧困の問題だと考えた方が良いかもしれない。
また、女性が下方婚しない、と言う事については、実際に結婚したカップルを分析すると、以下の様な事が分かっている。
と言う事で、「同類婚」の時代になっていると言われている。
これは「女は下方婚しないbot」の言う事は間違ってないとは言える。
しかし、中身が全然違うよな。
昔は上昇婚指向といって、女性は社会的地位を上げるために社会的地位の高い男性を求める傾向が強く、さらに親がそれを推奨する傾向があったんだが、それが現実的ではないと言う事になってきている。ただしそれでも高めなのは、晩婚化を反映していると思われる。
一方で男性は、男性も年収の中央値及び生涯年収が下がっているし「結婚して良いと考えている世帯収入基準」の高騰を反映、さらに意識の変化を背景にして女性にも働いて欲しいと思っているし、同レベルか少し下ぐらいの年収を求めるようになってきていると思われる。
なお、この辺りの傾向や意識変化は2016年以降ぐらいで一気に変わってきているらしいので、古めの結婚分析だと反映されていないので注意してほしい。
これは上昇婚指向以外も結構内容が変わってきていて、ググって出てくるのも古い奴もかなりあるのでご注意を。それより古い奴を引いても意味が無い場合がある。
たぶんコロナ禍を経てこの後の統計も大きく変わる予感も。
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html
欧米の少子化対策は、(1)一人暮らしが多く、結婚・同棲に経済的メリットがある(2)女性は差別されず、仕事で自己実現を求める(3)恋愛が盛んである(4)子育ては成人まで――の4点を前提としている。そのため、子どもを育てながら働き続ける条件を整えればよく、収入が不安定な男性でも結婚できる。
一方、日本では親と同居の独身者が多く、特に地方で女性差別的な慣習が残る。また、恋愛感情は重視されず、将来にわたり親に子育ての責任がかかる。このため、欧米のような両立支援だけでは効果的な少子化対策にならない。
若年男性の経済格差が拡大し、女性が十分な収入を得ることや働き続けることが難しいなか、「男性が家計を支える」という意識が続けば結婚は増えない。今後の少子化対策は、「収入が不安定な男性をどのように結婚までもっていくか、そのような男性と結婚しても大丈夫という女性をどう増やすか」にかかっている。
欧米流の少子化対策が有効でなかったのは、日本に合っていなかったのだというのが山田の見立て。
経団連なのでお前ら経営者しっかり環境整えろや、と言うことで結論づけているが、著書の方では、日本の欧米化を前提にエリート共が意識改革を待っていたから手遅れになったんであって、日本にあった方法をやれと、おれは、ずっと、言ってきただろう!??(意訳) みたいな話になってる。
合計特殊出生率は、20年で30%以上低下してるが、夫婦の完結出生児数は、1割程度しか低下してないんだよ。
下がっていると行っても全然程度が違う。
では、合計特殊出生率と連動するように下がっている統計というと、婚姻率になる。これが概ね20ポイント以上低下している。
これと夫婦の完結出生次数が掛け算すると、ほぼ合計特殊出生率になる訳だ。
問題の解決に必要なコストは、100%に近づければ近づけるほど、指数関数的に増大する事が知られている。なので、パレート図というものを用いて、特に理想から乖離している差が大きいところ、影響が大きいところから重点的に対応する事が、よりよい問題解決に繋がるとされる。
今のところ、分析として影響が大きいのは
と言う風に分析出来るが、これが何故か逆転して主張されることが多くていつまでたっても効果的な対策ができないんだよ。
その理由は、子育てをするようになると行政サービスを使うようになるから、より政治に興味を持つようになって声がでかくなるからだと思う。効果よりもどれだけ声がでかいかで制度が決まってしまう民主主義の誤作動だな。
異次元の少子化対策とか言うなら、やれる事は全部やればいいのだが、現実には全部どころか効果の低い方ばかりに傾倒している。
これは量的な概念がないから。増田も、「上がっているか下がっているか」という0か1かではなくて、量的な概念を理解して考えてくれ。
ブックマークが集まっていたので、少し真面目に参考文献を上げておく。信頼できない資料を基にしていては話がおかしくなるので。
大量にアドレスを貼るとエラーになるので、一部 https を抜いてある。適宜補ってくれ。
#それからISBN記法が死んでるのなんなの。誰に言えば治るんだこれ
こういうガチの奴を上げても読みづらい人には、読み物として気楽に読める以下のものもおすすめする。
https://www.masshirona.red/entry/2018/09/23/072100
「妻が夫の家に入る嫁取り婚を原則とする社会では、女性にとっての結婚はまさに「生まれ変わり」である。それゆえ、女性はよりよく生まれ変わるために、自分の父と同等以上の家の男性と結婚する。 それゆえ、女性は、よりよく生まれ変わるために、自分の父親と同等以上の家の男性と結婚する。それに対して、男性は、結婚によって、結婚によって、身分、階層、職業などは変わらない。このような結婚制度を「ハイパーガミー(女性の上昇婚)」と呼ぶ。
山田昌弘氏の定義を要約すれば、日本社会における「上昇婚」とは、 「女性が、経済力・学歴・出身地などが、生家(父親)の社会階級よりも上回る男性と結婚すること」 であった。」
ネットで女は下方婚しろとうるさい奴らの言う上昇婚は何故か女性にとって「自分の父親」ではなく「自分自身」を基準にして語っているからおかしいんだよなあ
本来の意味の上昇婚とは小作農の娘が財閥の御曹司と結婚する事であって、東大卒の総合職女性が出世の結果賃金が上回った同期の男性社員と結婚する事ではないです
はい。
https://www.masshirona.red/entry/2018/09/25/230804
『日本には『上昇婚』なぞ(いうほど)ないだろうという話(3) 高学歴男性の視点がズレるわけ』
日本は(それなりに厳格な)階級・性役割分業社会としての側面を持つ。
その上で、日本は、同一の出身社会階級、あるいは学歴・職業などの共通の特徴を持つ者同士が婚姻する傾向が強い、同類婚社会である。
山田昌弘氏が定義したところの『上昇婚傾向』は、高度経済期のごく限られた時期、経済成長や第二次産業中心社会へのシフトが、婚姻行動に強いインセンティブを与えたことを説明するもので、日本における婚姻傾向を説明するのに普遍的な用法ではない。
実際には、女性が事務職(一般職)の場合を除外すると、同一の職業同士の婚姻が多く、高学歴者は高学歴者同士、低学歴者は低学歴者同士でカップリングされる傾向があり、格差拡大を招いている。
carrion-crow コメントしているのは大学の先生(中央大学文学部・大学院文学研究科の山田昌弘教授)らしいんだけど、実に経団連らしい結論になっているのが面白いところ(面白くない)
movesinthefield 中央大学文学部・大学院文学研究科の山田昌弘教授、内閣府の「人生100年時代の結婚と家族に関する研究会」通称“壁ドン婚活”研究会の座長。
以上の二つのみ。
「竹中平蔵」を御用学者の代名詞として使っていると解釈すれば三つ。
hard_core “中央大学文学部・大学院文学研究科”こんなのでこんな肩書き得られるから日本が少子化していく。早く引退して若手を登用してあげてください。年功序列も少子化の一因なんだろうな。
warulaw 山田先生の主張は素っ頓狂に見えるけど、さらに男性も女性も金が無くなっていくから、出生率増やすメカニズムは必須なんよね。3人産んだら、子供が全員成人になるまで十分食えるほどのお金を渡してほしいと思う。
mitz_008 山田昌弘さんだよね。切り取り方が悪いと思うけど、基本女性の賃上げ、エンパワーメントといった主旨で発言されていると思います。そのうえで、中途半端に仕事ができない男女はますます貧困になってしまいますな
ntscp2020hat 日本の少子化原因を4点、欧米の少子化対策の前提を4点、それぞれ簡潔にまとめていて、さすが山田昌弘教授と思う。経団連の場だけでなく、政府省庁にも言ってほしい。
findup 一文切り出してどうこう言ってるけど全体読むとそんなに変なことは書いて無いし、そこまで経営側に忖度した内容でも無い気がするけど。
以上の四つ。
その他。
fatpapa 経団連の爺さん方に大学の先生が優しく要因を説いてるだけでなんら具体的な施策を提案してないし経団連側も「子育て従業員に長期育休や特別手当出す」とか絶対言わんし。政府と同様「動向を注視してる」アピールやろ
全体として否定的な文章だが山田昌弘についてはそこまで否定してない。
naruruu 山田昌弘老けたなー。山田が提唱した「パラサイトシングル」がヒットワードになった90年末から四半世紀。親インフラで貧しい独身者が食わせてもらう構造が変わってない。
table 安定した収入なんて幻想で呪いのようなもの。大学とくに社会学の教授は理解不能な過去を持つ人が多いので安定性云々は刺さらない。講師やりつつオムツとミルク代稼ぎに日雇いの現場出てたような話が山ほどあるんだ
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
http://www.garbagenews.net/archives/1845122.html
1980年代まではお見合いが結構大きかった。友人経由の紹介なんかも含めるとそれなりに。
1989年にセクハラが流行語大賞になった。職場で上司が紹介する、職場で女性が結婚相手を探すのがタブーになった。
1990年代から、お見合いは急速に減った。当時の記憶だけど、お見合いはダサい、みたいな意見が多かった。恋愛至上主義みたいな。
で、まぁ恋愛をリードする役割は男性に期待されるわけなんだけど、当時は結構、期待が高いというか、男性がこなさなければならないタスク( 美味しいお店のリサーチ、金銭的な出費、衣類にかけるお金、車の維持費、楽しい会話のためのスキルなどなど )は結構大変だった。 それを乗り越えた人は、まぁ結婚してる( 離婚も増えたけど )
「男はモテなければならない」みたいなプレッシャーは強かった。ただ大変なんで、そういう結婚のためのレースに参加しない男性も徐々に増えていった。この辺が2000年代。
「やっぱり女は紙かjpgに限る」なコピーが出たのが2008年? この頃には男性は自由になってしまっていた。
「婚活」時代( 山田昌弘, 白河桃子 )が同じ年2008年に出版。 この辺から婚活時代が始まり、女性が主体的に結婚活動をしないといけない時代になった( それまでは男性が主体的にうごくべし、という時代でした )
あと、婚活してる人が増えるのはしょうがない。検索してみると面白いけど、結婚によって男女ともに、それぞれ幸福度があがる調査が多い( うまくいかなかったら、子供がいなければ離婚もしやすくなったし ) 例えば友達が幸せそうにしてたら結婚したくなるよね。
大家族、拡大家族、三世帯同居が当たり前の時代から核家族の時代を経て、パラサイトシングルという集団が見いだされたわけだが…
大家族時代のような独身の子が同居している状態と、パラサイトシングルの線引きはどこになるんだろうなあ。
家にお金を入れているかどうかで言ったら、大家族時代の独身の子世代はお金入れてなかっただろう。
まあ、その頃は農家が多かっただろうから、家の田んぼを耕したりで家の労働力になるか、
作男として近所の田んぼをやるとか、女性なら女衆として、炊事洗濯とか
そんな時代に家に金を入れるというと、身売りや丁稚奉公とか、なんだかツライ方法しかないぞ。
協力して生活を運営することと、依存の境界線はどこにあるのだろうか…と考えた場合に、
やはり、自立心があるかどうかなのかなあ。
その上で、できることは自分でやる。
協力するところは協力する。
男性保育士が女児のおむつ交換をするのは良くない、という話題にて、良くない、という意見を持つ要因とは何か考えた。
そこで、山田昌弘さんの『モテる構造―男の女の社会学』(ちくま新書、2016年、以下本書)の【第7章 ケアは女の役割か―男が触るといやらしい?】(p194-p203)で述べられている、ケアに関する男女の非対称性が関わってくると考えた。
本書は、【男性は人前で泣いてはいけない】をはじめとする性別の「らしさ規範」や女性における【できる女はモテないのか】問題をはじめとする「男女の非対称性」について分析・俯瞰した本である。
第7章は「ケア」における男女について書かれている。
介護従事者や保育士など、人の身体をケアする仕事についている大部分が女性であり、「女性が男性をケアしても許されるが、男性が女性をケアすることには心理的抵抗が伴う」という男女の非対称性が見られると書かれている。
次に、介護における性別の抵抗感に関する調査では、「男性から見た抵抗感:婿・嫁が最も高く、女性から見た抵抗感:"息子>娘"・"婿>嫁"・"若い男性介護士>若い女性介護士"・"中年男性の介護士>中年女性の介護士"」という結果になったことが書かれている(p.198【図表7-4 介護における性別の抵抗感】より一部抜粋)。よって、看護という多少専門的な分野であっても、男性であっても女性看護師の方が好まれ、女性の場合は、男性看護師は避けたい対象なのであるということが書かれている。
そして、「ケア」労働が本来持つ性格として、ケアが相手の気持ちを考えながら行う労働であること、そして、ケアは体に働きかけ相手を気持ちよくさせる労働であることから、前者が、ケアの担い手として女性がより好まれる理由であり、後者がケアの担い手として男性が避けられる理由なのであるとされている。そうして、二重のジェンダーにおける差異があるために、家庭内でも、家庭外でもケアの担い手が女性になりやすい理由なのであるともされている。
続いて、ケアの身体性に関連して、ケアは相手を身体的、精神的に気持ちよくさせる行動なのであり、言葉にしてしまえば、性的コミュニケーションと同じ意味を持っているため、身体的ケア行動は性行為を連想させてしまうという。よって、ケアでは、配偶者や恋人以外の家族や他人に裸を見られる恥ずかしさを減少させ、性行為を連想させないことがケアの現場では重要であり、女性がケアした方が、性行為が連想しにくいのであるという。しかし、父親が子どもの世話をするのが一般的ではなく、同性の間に親密関係がなかなか築けない文化であることを一因となって、男性はそうはいかないという。その上、性行為においては、男性が主導権を握るイメージが定着していることから、男性が、優しい手つきでにこにこしながら、女性を触って気持ちよくさせるということは、どうしても性行為を連想させてしまう、だからといって、男性がケアに向かないことや女性がケアして当然であることをを導きたいわけではなく、男性がケア労働に進出するためには、「恥ずかしさ」という感情を何らかの形で克服する必要があると結んでいる。
これらを踏まえて、男性保育士が女児のおむつ交換をするのは良くない、というのは、自分達が「ケアされる」時がやって来た際に「男性ではなく女性にケアしてほしい」と潜在的にあるいは無意識的に思うことや父親が世話することの延長として捉えられていないこと等に由来するのではないかと考えた。
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
(問題提起)結婚以外にも再帰性という考え方が浸透しているのではないか?
第三節のなかに「再帰性」という言葉がある。本書によれば、再帰性とは「ある行為なり制度なりを『別なふうにもできるのではないか』という観点から眺める態度」と説明されている。この観点に通じるものとして、山田昌弘は結婚しない若者たちの現状を取り上げ、「もっといい人がいるかもしれない症候群」と名付けた。「この先もっとよい人があらわれるかもしれない」。現代において、現在の事柄はより見通しのよい未来を獲得するための手段にすぎないのである。「再帰性」という言葉は広い範囲で応用されうる、強力な思考である。山田昌弘は、現代の結婚観のなかに「再帰性」を見て取り、鮮やかに示してみせた。しかし、「この他によりよい未来が待っている」という、主体の今いる現状を顧みない、いわば運命に身を委ねるような考え方は、結婚に限らず恋愛において多分に散見される。<承けて繋げる>(結婚にかぎった話ではない。恋愛において、よく散見されるものである。)(たとえば、「告白」を考えてみよう……)(「告白」というテーマに照準を合わせたものの、上手い事例がでてこない。もう少しやりやすいものはないか?類似しているものはつぶしがきく。「別れる」という動作に着目してみよう。)(輪郭がぼんやり浮かんだ!!でも、書き出すとなると苦労する。それは往々にして範囲が広く、抽象的であり、実感しにくい事柄である場合である。だから範囲をしぼる。身近な例を思い浮かべ、それをそのまま書く。)
(検討)
『『『→たとえば、恋愛における「別れる」を考えてみよう。別れるという行為には、分かれるに足る決定的な理由が存在することが少なくない。しかし、時として、これとは異なる理由で別れることがある。順調に交際を重ねていけば、いつかはマンネリとなる。(マンネリになるよ!)二人が二人でいることに、慣れてしまう。(慣れてしまい停滞する。)(停滞している状態になる)(マンネリとは〜〜)停滞期には、些細な出来事が火種となる。(二人の関係が不安定なものになるとき、楽しかった思い出は、これまでとこれからを天秤にかけ、私たちに選択を迫る。<説明を加え過ぎ。抽象的な説明は2段階にとどめる。3つ目はくどい>)「このまま、関係を続けていって本当にいいのだろうか。」困難を見事乗り越えることができたならば、二人はめでたく、ーーおそらくは信頼が以前にも増して強固となってーー次の段階へ進んでいく。しかし、この問いに対して、「次へ」
(書くしかない!)』』』
(煮詰まっているときは一つの主題を掘り下げようとするあまり、論旨をどのように展開していくのか見失っている。文章を書き進めていくときは、水平性を意識して垂直に掘り下げる。ある思考にたいして、分析するさいは垂直方向だけ意識していればいいが、論文やレポートのような長文にたいして、同様な態度で臨むと、思考が煮詰まる。頭がぼんやりとして、手が動かない。捗らない。この状態は、集中力が途切れたのではなく、一つの物事に偏執して全体が見えていない状態である。いわば、過集中である。)
(主張)
ただ一緒にいれば楽しかった、順風満帆な時期は過ぎ、停滞期に入る。『これから二人の関係をどうしていこうか』と考える時期になる。(所詮は)他人である二人の人格の衝突を、乗り越えていけば、二人の関係は以前にも増して親密なものとなるだろう。しかし、厳しい状況を乗り越えていく気概が持てないことがある。「もっといい人を見つけよう」と早い段階で見切り、(何の確証もない)確証がない明るい未来に全身を賭ける。(安易に)現在の関係を断ち切り、次の交際相手を見つけることができれば、万事良しである。本当にそうだろうか。このような身のこなし(方)にはいくつか問題がある。
〜〜剥き出しの主張は過激で偏屈であるから(主張に至る経緯)(妥協)を鏤めて、なめらかにする。主張は正しいか誤りかで判断するのではない。より説得力を持った文章が、受け入れられるのである。〜〜
(検討&主張)
〜〜何をどのように書くか?テーマと意見の設定、検討-過程の設定〜〜
(テーマ)
恋愛における付き合う、付き合わない
(問い)
仲がよいのに、どうして付き合わないのか?
女はわかる、男は?
なかなか鋭いね。 これはまぁそうで、社会学の山田昌弘が2010年に
「夫婦と子どもの二世代世帯」と「夫婦と子どもと老親が同居する三世代世帯」を比較すると
2004年時点で、二世代世帯の妻の就業率が32.1%、一方、三世代世帯の妻は52.8%と過半数を超えていた。
老親がいることで育児サポートが受けられるので就労することができる。
これは私見だけど、昔からこの傾向はあったと思う。
増田にも30代、40代男女が多そうなんで分かると思うけど、「おばあちゃん子」「おじいちゃん子」って、それなりにいたと思う。
老親がいることが(正確には女性の寿命が延びたことが)女性の社会進出を可能にした、という事でもある。
昔は老親も育児に参加してたんですよね。 今の女性はイクメンを求めるように変化した。
http://anond.hatelabo.jp/20130512182438
トラバどうも
私の母は待望の孫だったりで「2人目育てるの大変だったら引き取るからね!」って言ってる。割と真面目にいってる。バカかな、と個人的には思ってるが。
嫁さんの実家ですが楽しそうですよ。 というか嫁自身がおじいちゃん子、おばあちゃん子で、なぜか祖父を尊敬しているフシがあり、
横だけど、世帯に関してはいくつか形態を分けて考えた方が良いかもしれませんよ。
別の話になりますが、この辺の話題で「夫婦格差社会」は面白い(finalvent爺が勧めてた)。
核家族(夫婦と子供の2世代)に関して言うと、以前は「旦那の収入が高ければ妻は働かない」(ダグラス・有沢の第2法則)というモデルがほとんどだったんだけど、
ここ2004年くらいから「旦那の収入が高くても妻も働く」というケースが顕著に増えてきたらしい。
また逆に「旦那が低収入でも妻も働けない」というケースも増えてきている。一見するとDQNな訳だが、子供がいると働くのも難しいという背景もある。
「夫婦格差社会」はここに注目して「夫婦高収入なパターン(パワーカップル、としている)」「夫婦低収入(ウィークカップル)」といった分析をしてる。
女性は上昇婚傾向(「自分より年収が上じゃないと嫌」があって)があるので、そもそもそういうカップルって成立しにくいってのもある。