お前は「親」という上司の信用を失いつつあるのだ。
親がハンコを押さないだけで大学なんていけなくなるんじゃないか?
それを親がしないのは、まだお前を愛しているからだ。
親の情けがあるからだ。
親の信頼が僅かながら残っているからだ。
自分の場合、二浪した挙句、三流大学の夜間学部を一留してようやく卒業。
研究室の教授のコネクションで数社、面接を受けるも、極度に低いコミュ力により
結局、ネットで知り合った女性が立ち上げるというIT系の零細会社へ入社した。
メーカーのSE(ネットワーク系)に二次請けで入って3年間働く。
この間、年収360万据え置き。
数ヶ月間、無職を経験するも資金が尽きたため、バイトとして某IT系企業に入る。年収320万にダウン。サーバ系のエンジニアとして数ヶ月働いたのち、社員にならないかと誘われる。業務内容的に自分の希望とはかけ離れていたため固辞。
3年前に、一部上場しているIT系企業にログ解析要員として、紹介予定派遣で入社。
周囲を見渡すと、一流と呼ばれる大学を卒業した同年代の人たちが、自分よりも安い給料で働いていたりする。単に社内政治に強い上司に恵まれたおかげで、昇給し続けることができたというだけなのだが。
世間は厳しいが、「運」があれば、何とかなることもあるようだ。
運を掴むには、致命的な失敗をした後に、何らかのきっかけで、これまで気づけなかった何かに気づいたりする必要があったりはするんだと思う。
自分の場合、3年前に「結婚を決意した」ことによって、自分に齎してくれた成長が非常に大きかったように思う。さもなければ、今頃派遣切りにあって、路頭に迷っているだろう。。
人との出会いって偉大だ。
嫁さん、ありがとう。
僕には付き合って5か月程度の恋人がいる.セックスはまだしていない.
オーラルは何度かしている.彼女には性欲がほとんどないが,性的快楽をかんじることはできる.
付き合ってすぐ,セックスに誘った.彼女によると,セックスをしたいという
気持ちは自然と起こっているらしい.ただ妊娠が怖いのと,そこまで強くセックス
したいとは思っていないらしいのでずっと延期し続けていた.
そのたびに僕が落ち込むので彼女はいつも申し訳なさそうにしていた.
彼女は僕に出会って初めて愛のようなものを知り,それは彼女にとって尊重したいものであるらしい.
そしてセックスは愛を確認したり増幅させるのに不可欠な行為なのだと何となくわかっていると.
だから自分からしたいと思えるまでしたくないのだという.
少なくとも結婚するまではしたくないと今は言っている.(誰と結婚するかもわからないからという)
僕はこの先ずっと彼女と付き合っていける自信がない.
アグネス・チャンって、過去に少なくとも形式上は承諾して出した写真を、(お金を払った人がいるにもかかわらず)破棄させようとしてるんだよなぁ。法律を求めるという大掛かりなやり方とはいえ、その写真の今の持ち主は法的に保護されないのだろうか。児童ポルノって広く一般化されてぼやけてるけど、所持させないことを求めること自体が民事訴訟起こされてもおかしくないよなぁ。
信用ってのは、要するに社会があなたのアウトプットをどのくらい「当てにできるか」ってこと。
アウトプットの形は業種や役割によって千差万別だ。接客業なら毎日時間通り、シフト通りにその場にいるってことが重要だろう。チームワークならミーティングに確実にいること、コミュニケーションが継続的にとれること、なんてのが重要かもしれない。一方、個人作業で成果物のみが問題になる業務なら、普段何してたっていいから締切りまでに十分なクオリティのものを出せばいいってことになる。
社会の厳しさっていうのは、何であれ「社会があなたに期待しているアウトプット」を出しつづけることが求められてるってこと。あなたならこういうことが出来るはずだ、という目論見をもとにあなたに仕事が振られるわけだから。
あなたが、成果物のみが問題になる職業に進もうというなら、毎日きちんと定時に学校や職場に行く必要はない。そのかわり、求められた成果は必ず出しつづけないとだめだ。締切りに遅れてもだめだし、クオリティがプロとしての基準に達していないのもだめ。どんなに調子が悪くても、どんなに気分が乗らなくても、スランプに陥ってても、言い訳はできない。満足いくものが出せなければ、切られる=もう仕事が来なくなる、というだけ。
小説家、漫画家、俳優、スポーツ選手など、成果のみが問題になるような職業についていても、結果的に毎日きちんとしたスケジュールをこなしている人もたくさんいる(そうでない人もいるけど)。ある小説家は、書けても書けなくても、毎日何時から何時まではタイプライターの前に座る、と決めている。彼らは「毎日きちんとしているから」信用を得ているのじゃない。「確実に求められたアウトプットを出す」方法を模索した結果、「毎日きちんとスケジュールをこなす」ことが必要だという結論に達したわけだ。
「確実にアウトプットを出す」ためになら、どんなことでもする。その覚悟があるなら、好きなように生きていたって構わない。でもいざ、何でもしなくちゃならないって時になってしり込みしたら、「甘い」って言われることになる。それだけだ。
「古い自民党がだめ」というの民意なら金権小沢で民主が躍進することもありえないと思うが。新しい自民党はいやだ昔のほうがよかったってのが民意でしょ。
もう片方がマスコミが官僚の味方で政治家や企業の味方でないという根拠を定量的に示してるようには見えないけど。こっちがいってるのは政府の役職にマスコミOBがいるという特殊な事実を持ち出してマスコミは官僚の味方といえるなら、マスコミOBがいる政治家、マスコミのスポンサーである民間企業だって同様のことが言えるんじゃないのということ。「マスコミが官僚の味方をしてない」といいたいわけではなくて、「官僚の味方か政治家の味方かを決めてる基準がダブルスタンダードでは?」ってことを言いたいわけ。
木曜のWBSみてたらさwww
いい年で無職になったオッサンが出てきてるのwwww
マジうけるwwww
でwww今はww政府の緊急雇用対策とやらで雇われてるんだとwwww
10月までねwww
『これからどうされるおつもりですか?』って聞かれてwww
『今は考える余裕が無い。また無職になったらと思うと不安で。』
だとさwwww
考える余裕がないだってwwww
アホすぎるwww
納得の無職wwwww
いや、俺もネットカフェ難民とやらには同情するよw
あんな所で寝ても疲れ取れないし、日雇いのバイトばっかで常に仕事を探してなきゃならない状況でさ。
でもこのオッサンはちがうだろwww
10月までは9時5時勤務で安定賃金もらってんじゃんwww
10月には無職になるのがわかってるじゃんwww
今考えないでいつ考えるのさww
考える余裕が無い?www
とりあえず無職ならないと考え事も出来ないのかよwww
今さwww
殺せよwwソイツら税金収めてるんじゃなくて食いつぶしてるんだからwww
有効求人倍率も上がるwwww
うはっwwオレ天才wwww
www総裁候補なら考えてやらんでもないwwww
・
なんて事は口が避けても言えないな、と思いました。
「社会は厳しい」って何が厳しいんだよ、って思うのは分かる。
じゃあ、その厳しさをもう少し具体的に言うと、「一度落ちると十中八九這い上がれない」って事だと思う。実際には這い上がれない事は無いんだけど、落ちることに比べて遥かに厳しい。
今は一回試験でしくじった位だったら、勉強をして次の試験で取り返せば済むかもしれない。
たとえば、新卒採用の就職活動にしくじって小さな会社に行ってしまったら、もう二度と大企業で働くのは事実上無理。転職にうまくいって大企業に就職出来たとしても、昇進の目はまず無いまま、年を取ったら子会社に左遷されるのが関の山。
まあ「要所要所で落とさなきゃいいじゃん」って話なんだけど、人間思わぬところで病気になったり、事故にあったり、不景気の巻き添えを食らったりするしね。社会に出て何事も無く勤め上げて定年、って感じにうまくいく事ばかりじゃないし、そこにつけこんで足をすくわれるのが「社会の厳しさ」の一端なんじゃないかな。
要するに、ネット上で気に入らない相手をやりこめたい、罵倒したい、嫌がらせをしたい・・・
そして一方で、自分がどれだけあたまがよくて正義の味方で特別かを自画自賛したい、
勝ち誇りたい、虚栄心を満たしたい・・・
どこまでも、ただひたすらに、そういうことだけしか求めてないんだろうねぇ。
自分は身長の高い女の人を見るとついふらふらと近寄りそうになってしまう。
たぶんマザコンなんじゃないかとは思うが、年を取っても変わらない。
(母が死んでしまったあとも)
http://hatimaki.blog110.fc2.com/blog-entry-1215.html
わが社の海外拠点は欧米が中心だが、米アップルの携帯電話iPhone(アイフォーン)向けに供給しているゲームソフトのうち、4分の1は南米や中東などで楽しまれているなど、娯楽に国境はない。欧州での販売力強化も狙い今年4月、英ゲーム会社を買収した。次は中国市場への本格進出が課題で、提携先を探している。
ズザー!!⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
する猫とかさ。
わざわざ会場の笑い声入れたり、字幕やナレーションつけたり、、、
スタジオ写したりさ。←イラナイ
それがウザいと感じる人もいるわけね。
逆に
みんなと一緒にわいわいやりたければ
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
とコメントすればいい。
せっかく好きなネコみて和んでも
もはやAVでTVがニコ動に勝てる要素は皆無だな。
そんなことないよ。中身もみたが、ちゃんとかわいかった。
もういやだ。
なにもし始めない自分が嫌だ。
くそう。
やらないと始まらないのはわかっている。
目の前にもうツールは揃っている。
あとは始めの一歩を踏み出すだけなんだ。
なのに、どうしてこの一歩はこうも大きく踏み出す気概を必要とするのか。
イライラする。
何もしない自分が嫌いだ。
自然以外に心というものがある。たいていの人はそう思っている。
その心はどこにあるかというと、たいていの人は、自分と自分の肉体とその内にある心とであると思っているらしい。
口に出してそういったことを聞いたことはない。しかし、無意識のうちにそう思っているとしか思えない。
そうすると肉体は自然の一部だから、人はふつう心は自然の中にある、それもばらばらに閉じ込められてある、と思っているわけである。
しかし、少数ではあるが、こう思っている人たちもいる。
自然は心の中に在る、それもこんなふうにである
心の中に自然があること、なお大海に一漚の浮かぶがごとし。
このように、自然の中に心があるという仮定と、心の中に自然があるという仮定と二つあるわけであるが、
これはいちおう、どちらと思ってもよいであろう。
しかし人は、自分の本体は自分の心だと思っているのが普通であるから、どちらの仮定をとるかによって、
そのあとはずいぶん変わってくる。
以前、私ははじめの仮定を採用していた。
しかし今は後の仮定を採用している。
心の中に自然があるのだとしか思えないのである。
自然のことはよくわかっているが、心のことはよくわからない。
むかしの人はどうだったか知らないが、今の人はたいていそう思っている。
しかし、本当に自然のことはよくわかっているのだろうか。
たとえば自然は本当に在るのであろうか。
あると思っているだけなのであろうか。
現在の自然科学の体系は決して自然の存在を主張し得ない。それを簡単にみるには数学を見ればよい。
ここは数学を不問に付している。
数学がとりあつかうのはそのつぎの問題からである。
すなわち、自然数のような性質を持ったものが在ると仮定しても矛盾は起こらないであろうか。
この辺でまとめることにしようと思う。
これまで書いたことを一口にいえばこうである。
人はふつう、何もわかっていないのに、みなよくわかっていると思っている。
わたしはもちろん、読む人にもわかると思うから書いているのである。
これは「わかる」とか「思う」とかがわかるのである。
これらはみなこころの働きである。
人という言葉も使っているが、そういう働きをするこころがすなわち人なのである。
デカルトは「自分は考える。故に自分というものはあるのだ」といっている。
そうするとやはりこころが先であって、こころの中に自然があるのである。
実際はそうしていながら、その反対を仮定しているのである。
これを押しとおすと全体が仮定になってしまうだろう。
いくら書きつづけても、結局「自分は何もわからない」ということを書くだけである。
では、その自分とは何であろう。
これまで書いてきた心の働きの中で、全体をしめくくっている字をさがし出してみよう。
これはわけなくできる。
「思う」というのがそれである。
こころのこの働きを、ギリシア人にしたがって分類すれば「情」である。
人の主体は情であるらしい。
わたしはそう思ったから、この情を精密に見ようとして「情緒」という言葉を作ったのである。
この言葉は前からあるが、内容はそれとはだいぶちがう。
そしてこの情緒をもとにして全体を見直そうとしているのである。
わたしにはすべては「そうであるか、そうではないか」の問題ではなく、
「それで心が安定して心の喜びも感じられるかどうか」の問題なのだと思える。
宗教的方法を許容しないかぎり、それより仕方がないのではないだろうか。