はてなキーワード: レンタカーとは
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
できるっていうんならやって見せな
レンタカー借りてナビ通りに渋谷行って、歩道が青のタイミングで車の居ない反対車線から一気に突っ込む
渋谷や銀座なんて道がややこしいんだからタイミング見計らって何度も往復したって「道がわからなくって」で教えてもらって終わり、別日にやればいいだけ。
この程度の話に「能力が必要だから~」って言うのは無能すぎるし、計画を吹聴してるならともかくレンタカーがスクランブル交差点に差し掛かる前にどういう根拠でどういう理由でなにがわかって止めると思ってるん? 頭悪いお前みたいなやつには大量殺人犯す能力があるか怪しいって事はよくわかったけど、それは男女の問題じゃなくでバカかどうかって脳みその出来の問題だな。
ペーパードライバーだけど実家に帰るときなど公共交通機関がゴミすぎて不便なので、講習を改めて受けた上でいつか(両親に何かあった時を考えると10年以内)車を買いたいと思っており、万が一にも人を撥ねたりしないようにと思うと安全性能的にはスバルかスズキ……?
現時点ではスズキのハスラー辺りなら現金で買えるように工面できるかも、と感じてる範囲。
(あとさほど大きくなく、身長が低いので乗るのが不便じゃない程度に座席が高いやつかなと)
マンションのローンもあるので、単身者で二重ローンはつらいんだよね……。
でもまたは、やっぱりレンタカー辺りで済ませた方がいいのかな。
自動運転はまだまだ先になりそうだけど、運転補助的な部分だと今後どの程度進むんだろう?
ところで車のメーカーの判断すらつかないくらいわからなかったけど、最近ようやくロゴでメーカーがわかるようになってきた。MINIメッチャ見かける。
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いま、自分は地方メーカーで工場に勤めているが、ここで恋人を作るのは至難の業。
うちの会社の女は倍率100倍の日大と、と会社の誰かが言っていた。言い得て妙だな、と思う。
社内を見渡してみると、街コンやらマッチングアプリに一生懸命取り組んでいる人がちらほら。
色々とやることが多い20代後半~40歳前後になって、嫁探しに精を出す。馬鹿にする訳ではないが、非常に勿体ないと感じる。
学生時代に恋愛し、社会人になってから結婚するのは受験でいうところの推薦みたいなもの。ゴールが一緒なら苦労は少ない方が良い。
打算の気持ちよりもお互いの好きという感情で付き合い、そのまま結婚する。今振り返って思うと、幸せなことなんじゃないかと思う。
個人的に最も大きな人生の転機だったと思う。現役でギリギリ入れなかった大学をもう一度受けなおし、何とか合格することができた。
Fラン私大と国立大学の差は歴然だ。置かれた環境、周囲の自分に対するイメージ、学費、そして友達の質。
自分という人間であることに何も変わりは無いのにラベルだけが一新されることに最初はとても戸惑った。
だが、一生懸命ついていこうと努力するうちに、自分に貼りついたラベルだけでなく自分自身も変わっていく。
彼女もここでようやく手に入れた。
変わるだけの土壌が国立大にはあった。Fランには無かった。無いわけではなかったかもしれないが、自分には見つけられなかった。
ゴミのような大学に入ってしまった君は一年無駄にしてでも仮面浪人することを強くお勧めする。
修羅の道だが、受からなかったとしても今までと同じ大学生活が続いていくだけ。失うものは無いのでぜひチャレンジして欲しい。
国立大学への進学を機に母親と離れた。それ以来、必要なときだけ友好的にコミュニケーションをとるようにして今に至る。
俺の母親はいわるゆ毒親だった。俺や俺の姉、父、祖父母に対して常に攻撃をしていた。
母は世間知らずだ。農家の長女として育てられ、仕事などほとんど経験しないまま、父と見合いで結婚。
今ならわかるが、母は親としても妻としても無能だった。それが影響してだと思う。自分が小学校に上がるタイミングで家族まるごと祖父母の家で暮らすことになった。
俺は毎日祖母の飯を食べ、祖母の掃除した家で過ごした。今でも祖母は自分のことを可愛がってくれる。自分にとってのおふくろの味は祖母だ。
祖母がパートや家事、農作業を行うなか、母が何をしていたのか、まったく記憶に無い。毎日GYAOで韓国ドラマを寝ながら見ていたような気がする。
たまにアルバイトを始めたと思ったら、半年も経たずに辞めていく。そんなことを繰り返していた。
後は祖母を執拗に苛めていた。そんな母親が俺は大嫌いだった。が、嫌いという感情を出すことすら憚られる何か圧力のようなものを感じてもいた。
母は高卒だった。大学に行けるだけでもありがたいのに、Fランの私立に行くなんてありえない。そんなことを毎日言われた。
そんな折、気づいたら何故か父が家を追い出された。子供がある程度育ち、父が限界を迎えて自分から出て行ったのかも、と今にして思う。
こうして振り返ると母は悪魔のような人だったのだが、今では物理的にも精神的にも距離を置くことができ、心から安堵している。
たとえ血を分けた肉親だろうとクズはクズ。逃げることは何も間違っちゃいないのだと今にして思う。
ちなみに姉は母と一緒に今も住んでいるが、ときどき病んだような連絡が届く。心配だが、今の幸せを壊されたくないので接触は最小限に控えている。
・就職活動に本気で取り組んだ
国立大学とはいえ自分は理学の専攻だったため、就職はそれなりに苦労した。
今までやってきた研究と就職してから行う仕事のマッチング率が低く、ESや面接に落ちることもしばしば。
同期の大半が諦めて適当な地元企業に応募したり、急に公務員に舵を切り出していった。
そんな中、自分はメーカーを中心に滑り止め、中堅、大手と手広く応募し、最終的には第三志望くらいの企業に見事合格した。
就活に理解のある研究室ではなかったため、教授からの目線は冷たかった。
が、研究と並行しながら早め早めにインターンシップやアルバイト、面接対策に精を出し、最後に結果を出した。
いま、自分は30歳くらい。福利厚生、仲間の質、そして年収。大学の同期と比べてもたぶん上位2割には入っている自信がある。
もちろん年収、能力に関しては上を見ればキリがない。自分自身、今の仕事についていけなくなる可能性もある。
でも、いまのうちから貯金や資格取得、勉強など自己啓発は積極的に行っている。年収が下がることになってもたぶん俺は生きていけると思う。
それにしても。
日本だけなのかわからないが、受験にしろ就活にしろ、局所的な努力に対するリスクとリターンが大きすぎる。
今の日本の制度に異を唱えて貴重な時間を無駄にしたり努力を放棄するのではなく、 「やるべきときにやるべきことをやる」というのを念頭に、人生を歩んで欲しい。
・車を持たなかった
これは人や住む場所にもよるが、俺は車を持たないことは可処分時間、可処分所得を大幅に上げる大きな財テクだと捉えている。
維持費もかかるが、なにより運転している時間が無駄。その点電車やバスは目と耳を好きに動かせる。この差は大きい。
車での移動がどうしても必要な場合はレンタカーやタクシーで十分。
それでも移動したい場合、俺は原付を使っている。車に比べたらオモチャみたいな値段だが、もう10年以上の付き合いだ。
丁寧にメンテをしてやれば長持ちし、長距離の移動にも耐えられる。
時々会社の人からはバカにされるが、これに関してはバカにされて笑っていられる奴の勝ちだ。
ちなみに俺の実家は一人一台+トラクターやコンバイン、軽トラを所有する田舎の農家。
当たり前のように生活の中に車があった。
学生時代、当然のように車を親にねだったが、父が買ったのは激安の原付。
超重要。これができないと人生のあらゆる面で苦労することになるので必ず身に付けておくようにしたい。
今回、こうして日記に人生でやってきて良かったことなんてのを書いているが、リアルな人間にこんなマウントに近い自慢話をしたことは1ミリもない。
ここは鋼の精神力で自己を抑えなければならないことを頭で理解している。だから言わない。ネットの世界だけにしてる。
年収、恋愛、学歴、貯金どれもかなり人によってセンシティブな話。
多少、会話の際に滲み出るかもしれないが、あくまで事実として淡々と発言すべき。
間違っても他人と比較した際の差に関する発言や、助言的なことは自発的に言うべきではないのだ。
自分も時々不要な一言で場の雰囲気を悪くすることがある。そうして後悔しても後の祭り。その場の雰囲気や持たれた周囲からの印象はそう簡単には変わらない。
自分が100%正しいと感じても、他人の批評はやめた方が良い。うまく言葉で説明できないのだが、批評の気持ちを持つと人間関係にヒビが入りやすい。そんな気がする。
「○○のためにはっきり俺は言ってやるんだ」と言ってキレのある発言をする奴もいる。
確かに言われた○○の人生には多少プラスになることもある。それは事実としてその通り。
だが○○は助言者に感謝などしない。むしろ感情としてはヘイトだけが残る。
それを覚悟の上で助言をするなら問題ないとは思うが、それなら寄付でもした方がよっぽど建設的なんじゃないかと思う。
もしこういう奴が居たら俺はそいつの発言を3割程度に受け止めるようにしている。
大人になると誰もが自分の保身を優先するようになる、だれも悪いふるまいを注意なんてしてくれなくなる。
自分で意識して、変えていかないといけないんだ(耳が痛い・・・。)
以上。長々と書いてきたが、何か心に残るものがあればこれ幸い。
追記:
初年度納入金(入学金+前期授業料+後期授業料)のうち、入学金+前期の学費は親負担、後期授業料は奨学金から。
それ以外、仮面浪人時代の生活費や受験にかかわる模試だとか受験の費用、国立大合格後の引っ越しなんかも奨学金。
それ以降の大学生活とカネの関係については質問があれば特定されない範囲で答える。
・ミニ四駆好き?
そこの前の信号を渡ると長谷川枕なんとかとかいう共産党のポスターが貼ってある謎の家があるので、そこから焼肉きんぐがある方へ歩きます
すると、TOBUと書かれた建物があり、そこの2階より上が市役所です
さっきの手順で栃木銀行の前を渡らないで斜めの道がある迄歩いてください。すると、なんかめちゃくちゃ広い駐車場があってそこの横が観光案内所です(広い駐車場でたまにイベントやってる)
あります。市役所を目指してれば必ずたどり着けます。斜向かいが足利銀行です
商店街の方へ曲がると橋があります。そこが幸来橋で、その下を流れてるのがうずま川です
ミュージアムから駅まで行く途中にTOYOTAレンタカーがあるのでそこで車を借りるか観光案内所で自転車が借りれる場所を聞いてください。
それでどちらかが入手出来たらまず中沢製麺まで直進して、そこから吉野家の方へ曲がってください。ひたすら山の方へ行けばイオンの斜向かいに
駅とは反対の方向(高架橋があるとこ)へ行くと
TSUTAYAがあります。そこからファミマ、ガソリンスタンドを通過して、横断歩道を渡るとヤオハンというスーパーの駐車場の中に幸楽苑があります(老人がいっぱいる)
車でTSUTAYAを超えて幸楽苑の先に橋があってその向こうにパチンコ屋があります。後は山岡家を超えてイオンまで行けば目の前にパチンコ屋があります(余談ですかその店は一度消失しています)
外に出て、横断歩道を渡ったとこにあるカワチに行きましょう。昨日は烏龍茶が60円で売ってました。あ、ミュージアム内には飲み物の自販機と見せかけた新生姜の素みたいなのを売ってる自販機があります。気をつけましょう
TSUTAYAのそばにあるファミマのATMを使うか駅前のセブンに行くか(すき家の隣)駅内のコンビニにあるATMを使ってください
駅の南側をまっすぐ行って、右折した先にメディカルセンターしもつがという辺りで一番でかい病院があります。説明がめんどくさいので自分で行き方は調べてください
後は自分がいつも世話になっているところでは
たまのクリニックとか
(ピザーラの近く、國學院の女子寮の方が近いかも?)があります
電話📞 0282-22-2551
蔵の街を横断します。さっき説明した中沢製麺のとこを左折して吉野家側を行くと反対車線にあります(染谷会館の隣)
中沢製麺が見えたらその先を直進します。すると、かましんというスーパーが見えて来るので、左折(焼肉屋の方へ)そのまままっすぐ行くとセブンの隣にフライングガーデンがあります
幸来橋を左に川沿いに行くとうずま公園にたどり着きます。もっと遠いところだと巾着山という山の近くに川があってそこに緑地公園という公園があります。さくら保育園の近く
割と広いです
歩きで行くならいっそ電車に乗って(東武線)新栃木駅で降りて、歩いた方が近いです
…かなり遠いです。業務スーパーから先に行くとキングファミリーという品揃えが良くない古着屋が反対車線にあり、そこから更に先を行くと日産の販売店があり、そこの近くにあります
反対車線にヨークベニマルがあり、隣にドン・キホーテがあります
蔵の街を中沢製麺目指して歩いて行くと交番があります。駅の近くにもあります
さっき行った蔵の街の交番の交差点に看板があり、その看板通りに行くとたどり着けます
パチンコ屋を抜けて、歩道橋も抜けて、ずっと行った先にかっぱ寿司が
魚べいがあります
遠征が増えてきたため「保護者に車を出してほしい」との依頼がきた
うちは5人乗りのSUVで、そのほかの家庭の7割はワンボックス、
活動に前のめりでかつワンボックス所有という保護者が率先して車を出している
「少年団に入るならワンボックス乗るくらいは常識」と言われたらしい
習い事のために車の追加購入を暗に迫ってきたようで、同じようなことをいろいろな人へ言っているとのこと
うちのSUVは子供を乗せない「荷物車」として出すことがあるが、軽自動車やスポーツカー組は肩身が狭い思いを強いられ、
中にはわざわざ親兄弟からワンボックスを借りたり、レンタカーを出してきた保護者もいた
「ワンボックスが常識」なら入団時の規約に書いておけと思ったし、
そんな強引な要求に屈して対応する必要性は感じられないため、バス手配などを友人の観光会社に見積もったところ、
一人当たり1200円程度で実現可能との回答だったが、その腰巾着が「車は保護者が出すもの」と頑なに反対した
1回1200円の出費を渋るのに、ほかの親に数百万の出費を強要するとかアホかよ
社会人になり年収250万から3000万まで稼いでみたが、300万あたりでQOLが止まったままだ。
年収250万の派遣社員から謎の独立をカマして、5年くらい細々とやった後にアタリを引いた。
今はパート5人と正社員1人で売上2億粗利7000~8000万役員報酬2000~3000万が10年近く続いている。
社員には年収650出してる(近隣では破格)最近住宅ローン組んだらしい。めでたい。
年収300万くらいまでは、吉野家で季節限定を気にせず頼めるとか、コンビニで弁当1個じゃなくサラダとチキンとおにぎりを別に買えて嬉しいとかあった。
500万超えた辺りから、これ金が余るだけじゃないかと思い出した。
毎月数十万単位で個人口座の金が増えていく。(今は100万単位で増えてる)
贅沢といえば、年収600万くらいで一瞬イキリ散らして肉と寿司を週3で食って仕事上がりに毎日パチンコしたくらい。
それでも金が減らない。そして3ヶ月で飽きた。
飽きなかったら体を壊す所だった危ない。
時計はアップルウォッチをノーガードで使って傷が目立ったら買い替える。
田舎の土木や飲食オーナーによくいる、小太り酒焼けで珍妙なブランド物を身に着けレクサスやアルファードに乗る生活には一切興味がない。
社用車はプリウスの新型にオプションモリモリ。償却食って保証が終わったら買い替えるサイクル。
私用車は持ってない。手入れ管理が面倒くさいでしょ。
住宅は社宅だが家賃7万程度の普通のマンション。(自己負担1万)
高級賃貸でも家賃20万もいかない地方都市の為、住まいに金をかける選択肢はあまり無い。
地方に有る謎の高級住宅街の一画も買おうと思えば買えるが、不便すぎてやる気無い(周囲に病院と学校しかない。国立大学付近の地価が謎に高い現象なんなの)
旅行は年2回くらいするが、飛行機とホテルがクレカポイントでタダ。(毎年百万ポイント以上貯まる)
知人や親戚の子にはお盆と年末年始に遭遇したら無差別に1万円のポチ袋を配布するが、普段の金遣いがほぼないので家計に影響無し。
中高生はたぶん金目当てだがそれも良し。進学やスポーツで金に困ったら言ってこい。おっさんが相談に乗ったる。
全く節制はしていないが、使い切れないレベルで金が増えていく。世間の皆さんは一体何に金を使っているのだろう?
俺は法人のメリットは有るが全部個人で負担しても年500万も使えない。
子供は居ないが、子育て中の経営者仲間に聞いても保育所~高校までは月10万もかからんらしい。(お前の飲み代の方が高いじゃないかとツッコんだ)
みんな金が欲しい欲しいと言うが、一体何に使っているんだ?シングルなら年収300万、共働きで世帯600万程度なら誰でも取れると思うが、それ以上って何か必要になるのか?
会社関係のつきあいが無ければ年収300万でも俺は全く困らない(計算した)
個人資産は3億近い。橘玲に触発されてVTに放り込んでいたら円安株高でここまで膨らんでしまった。
法人にも1.5億くらい貯まってるよ。
クレカは法人の広告費他経費を払っているからむちゃくちゃ使ってる。アメックスは上限高くて使いやすいね。
小規模法人だから一部個人クレカ&口座で運用してるよ。税理士に確認取って、税務調査の時も何も言われなかった。
今期の法人は売上2.2億、当期純利益1300万くらいで着地しそう。役員報酬は3000万。
食費が約140万。ほぼコンビニやスーパーで買って事務所で食ってるからこうなる。
家賃12万、光熱費15万、保険12万、服6万、生活雑貨4万、子供に配った小遣い21万、残りは雑費。
法人に本やゲームは全部負担させているが、法人の新聞図書費は年30万も使っていない。仕事に関係しているから税務署にも何も言われない。
というか今まで税務署に2回入られて1回目は100万くらい持っていかれたが、2回目はちゃんとやってますねと言い残して以降は来なくなった。
まぁ接待交際費30万雑費4000円役員貸付ゼロの法人に来ても取るもの無いよね。
趣味は本を読んでゲームするくらい。つい最近までティアキンを永遠に遊ぶつもりだったが、今はユニコーンオーバーロードが楽しい。
本読んでゲームしてたまに旅行して働く。子供に遭遇したら小遣いをあげる。今のところこれで人生退屈はしていない。
わりと伸びてる。
ぜんぶ管理が面倒くさくない?
家はもちろんの事、車だって高級車はピカピカにしておかないとダサいだけ。
泥だらけのレクサスやアルファードに乗って小金持ち風吹かせてるおっさん本当に嫌いなのよ。
金で解決できるけど、手配までは俺がやらないといけない。
あと手入れに出している間は使えない。地味にダルい。
高いご飯は予約が面倒くさい。食いたい時にジャケットとデニムでフラっと寄って腹八分で帰るのがいい。
あと1食1000kcal超え多すぎ。洋食のディナーまじで無理。食えるけど太るし、続けたら体壊す。
服だって高い物は手入れや保管に気を使う。
一々クリーニングに持ち込んで取りに行くとか無理すぎる。取りに来てもらっても時間帯拘束されるのがダルすぎる。
やらん。欲しい人が自分で稼げば良い。
9.6万円。
75平米あるので一人で住むには広すぎるかも。
ヨーグルトを食べたり食べなかったり。
コロナ以降、そういう場に赴く意義が感じられず、ことごとくスルー。
スーパーでの値引きは気にする、まとめ買いはしない。
超稀にセレクトショップ。
リアル銀行は電話営業がうざいので、ネット銀行のみに切り替えた。
次の大恐慌が来たら、大いに投資率を増やして、FIREしたい。
気が向いたらレンタカーでぷらっと出かける。
数年に一回は海外も行くけど、コロナ以降は欧米高すぎて、アジアのみ。
車は持ってないです。
相続だけで資産きずいた子供部屋おじさんならともかく、インカムがあって資産築いた場合はそこそこ付き合いもあるし、外食不可避だろ。勤めに出てるにしろ、社長業にしろ、ずっと家にいて昼飯自炊するほど暇なのか?
外食産業の株主優待は非常に人気が高い。とくに牛丼系はPER、PBRともに高い上に配当も悪い。よほど意図して買うならともかく、通常の資産形成においては狙い目の銘柄とは言い難い。
まあ、長期保有は当然いるにせよ、なぜかこの手のエアプどもはやたら牛丼系の優待持ってるアピールする。知ってる企業がこのあたりしかないんだろうな。そのくせ「ゼンショー」とかの具体的な会社名は出てこない。
しかも単元株だとせいぜい年間2000円程度だから年4回程度。4/4を賄ったからってそんなにアピールするほどのことではないだろ。
株主優待を受けたことがないエアプが語る妄想資産運用なんだろう。
車を買わないアピ。
1億程度だとやや負担感あるだろうが、それでも大体の車の購入価格、維持費はそんなには気にならなくなる。
独身だと確かに不要かもしれんが、家族いれば生活変わるのは目に見えている。
子供が急病でいちいちタクシー呼ぶのか?週末のおでかけにいちいちレンタカー借りるのか?
持たない金持ちがいてもおかしくはないが、こういう奴らが何故か多数派みたいな顔をする。
それはエアプだから。
資産運用や投資チャンネルが車買うやつはバカみたいな風潮に踊らされてるエアプ。
妄想だといまと変わらん生活をして資産だけが伸びていくさまを夢見がち。
勤労アピ。
どうせニートなのでこれも嘘。働け。