はてなキーワード: 日本家屋とは
何度言っても、母が雨の日に家中の窓を開けることをやめない。
窓から雨が入ってくる、という話ではない。——まあ、そういうこともあった。増田が若い頃は、母が梅雨時期、勝手に部屋の窓を開けていて(そしていつもすぐに開けたことを忘れるのだ)、帰ると何故か部屋が水浸し、という事件が一度ならず起きた。
それは何度も注意するうちに流石に無くなったが、それでも雨の日に「風通し」をするくせは抜けていないようだ。
母は、湿気の多い時期に窓を開けないと部屋がカビると信じている。
というのも、実家はマンションだからである。国道16号沿いに建つ、築20年ほどの、普通の郊外型のマンションだ。
基本的に気密性の高い鉄筋コンクリートづくりのマンションの場合、梅雨時のように外気の湿度が高いときに「風通し」に意味はない。どころか、逆効果だ。
この場合、閉め切っていた方が、内装建材の調湿効果(木材や布地は天然の調湿効果がある)で、室内の方が湿度は下がるのだ。
(余談だが、エアコンをつけたあとはなおさらだ。よく夏場にエアコンを消してすぐ窓を開ける人がいるが、除湿エネルギーの無駄遣いである。)
これは増田自身、経験則でなんとなくそんな気がしていたが、家を建てたときに勉強したらやっぱりそうなのだと知った。
それ以来また何度も注意しているのだが、今度は増田自身の部屋でないこともあって、何度言ってもやめてくれない。
母が生まれ育った、古い木造平屋の昔の家屋では、そうしなければいけなかったという恐怖から逃れられないのだ。
日本の「家」に関する話には、こういう、対象が違えば原理も違うという話が整理できず、ごちゃ混ぜになったものが少なくない。
例えば「気密性が低い方が湿気が籠らず良い」というようなことを言う自称「専門家」がいるが、こういう人はもちろんマンションと木造の違いなんて理解してないし、さらに木造でも昔の家と今の家では壁の中の構造が違うから、一概に「気密性が低ければ風通しが良い」なんて言えないことも、正確に理解していない。
今の家では「気流止め」という施工が壁内に施されている。(https://www.dannetsu-takumi.com/contents/column/kiryudome/)
昔の日本の家では、床下、壁内、天井に至る全体が通気口の役割を果たしていた。空気が壁の中を自由自在に流れることで、湿気やカビを防いでいたのだ。
しかし、それでは当然、寒い日は寒く暑い日は暑い。外気そのままの環境を家でも我慢しなければいけないことになる。まさにあばら屋だ。
だから現代の住宅では、基本的にすべての床、壁、天井に「断熱」をする。そして「断熱」をするためには、逆に「気流止め」を施して、壁内を空気が動かないようにした方が良いのだ。
これ以上の理論的な説明はここに書くには専門的すぎることと、検索すれば専門家のページがいくつも出てくるから割愛するが、この「気流止め」を理解していないと、風通しが良くなってカビないどころか、北海道で起きた「ナミダタケ事件」のような凄惨な結果が待っている、ということだけは書いておく(検索してみよう)。
マンションの場合、壁はコンクリートの完全な一枚板なのだから、はなから通気なんかしないのは言うまでもない。
このように、現代の家はより過ごしやすくするために、見た目は同じでも、昔の日本家屋とは壁の中の構造がまったく変わっているのである。当然、その根拠には(ナミダタケ事件以来)半世紀以上に渡る科学的研究がある。
「カビない家」に対して現代科学の出した答えは「気密」し「断熱」し、空気の籠るところは「換気扇で換気する」だ。
まかり間違っても、すきま風のする粗悪な家を作ることや、無駄な「風通し」で外気からわざわざ湿気を取り入れることではない。
母のようになるともう仕方ない。本当は老体にも悪いからやめて欲しいが、まあそれも本人の人生だろう。
しかし、素人の母のレベルで認識が止まった自称専門家がいつまでも嘘をまき散らし、若い人がまだそれに騙されるという現状はいくらなんでも忍びない。
少なくともそろそろ、無根拠な「通気」信仰はなんとかしてくれと思う。
確かに通気は必要だ、しかし、それは「どこに空気を通すのか」をキチンと理解した上ででなければならない。
なんとなく「通気してるから」良いなどと信じていると、ナミダタケ事件のような逆効果なことはいくらでも起こってしまうのだ。
室内の温度や湿度のコントロールに関する科学的な研究というものは、もう半世紀も実績がある。
というのも半世紀前、オイルショックを景気に、世界中が暖房エネルギー削減の研究を始めたからだ。
梅宮アンナさんが梅宮辰夫さんの別宅を売却した話を読んでいて書きたくなったので書く。
ワイは田舎で限界集落の看取り人を自覚しながら、もうすぐ消滅自治体になると予言されている山奥で暮らしている。しかし、父の弟、つまり叔父は地元を出て外で暮らしていた。
中堅企業なれど、ニッチで特殊なプラントを作れる唯一の会社で、そこのエンジニアとして働いており、最後は三代目社長(ボンボンでぼんくら)を支えるNo2として技術の面から支えていて、結構な金を稼いでいたようだ。
田舎の農家を継いだお人好しの兄貴……つまりワイの父がトラクターが壊れたと修理していたら、突然新品の35馬力の巨大なトラクターを手配してくるような豪快な人だった。
ところが、役員定年を迎えた翌年、ものが旨くたべられないと病院を受診したら進行した食道癌がみつかり、一応手術をしたもののあれよあれよという間に死んでしまった。小父は独身でもちろん子どもはおらず。内縁の奥さんといっていいぐらい長い間お付き合いをしていた女性がいたらしいのだが、ずいぶんと年が離れていたためか、籍は入れなかったようだ。
そして残ったのが叔父の資産である。その最大の資産は、会社がある地方都市の結構いいところにある広い家であった。
ワイと父は一度も小父の家に行ったことが無かった。いつも小父は呼ぶより帰って来たがったし、当時はまだ祖母がまだ生きていたので。
さらに、小父の最後は、ワイらが住んでいる家の近くのがんセンターに引っ越してきていて、そこのホスピスに転院すると言う話をしている間に亡くなった、ということもある。
そこで小父は「中身は全部捨てて空にしてくれ」「空にしたらあとは好きにしてくれ」と遺言を託していた。
で、行ってみたところ、びっくり。そこは結構な高級住宅が並ぶ一帯だった。庭は狭かったが、駐車場は3台楽々止められる広さがある日本家屋。建物自体はかなり立派。
小父はこれを中古で買ったらしく、築40年ちかくたっていたが、最低限のメンテナンスは行われていて、雨漏りしているとか致命的なことは無さそうではあった。
中は、絵に描いたような男の一人暮らしで、ゴミの山とかはなかったものの、物だらけ。小父の趣味のものがあちこちに詰め込まれている状態だった。
まずはこれを処分。それだけで一年近くかかった。全部捨てろとのことだったが、それもなんか心苦しくて、形見分けに欲しがる人に渡す、古物屋に売る、などをやっていた。
そうしながら、親父の兄弟で話し合いをもったところ、兄弟の家からは結構離れていることもあって、売却する方向で話を進めること担った。
当初、飛び込みでそこらの不動産会社などに相談していたのだが、いずれも「上物には価値がない。値段は土地だけ」と言われた。まぁそんなものなのかなと思う一方で、なんかもったいない気もしていた。
そうして片付けに通っている間に、近所の方ともなんとなく挨拶するようになって、お土産を交換するぐらいに仲良くなってきていた。
そこで、最終的には維持できないので、売るつもりではいるんです、と言う話をしたところ、なんと、その方が別の不動産会社を紹介するので、そこと相談してみないか?とおっしゃってくれた。
そうして、別の不動産会社の方と面会すること担ったのだが、その方は一通り家を見て、図面を見たあと、今までの業者と全然別の事を言い出す。
そのため
の4つとなった。当然最後にいくほどこちらの取り分は大きくなるが、必要な金とリスクが大きくなる。また、不動産業者は利益の関係から、最初のコースにするなら不動産会社が買うと行っていた。
が、小父は現金でもかなりの遺産を残してくれていたので、祖母が相続した分でも相当な金額になっていた。それを定期預金に預けるよりは、と言うことで、4番目のコースで行くことにした。
これが大正解。結論から言うと、リノベの改装が直後に複数の買い手がついた。不動産会社が「最終的にこれぐらいの価格であれば確実に売れると思います」としていた価格よりも500万円ぐらいは高く売れた。
祖母と兄弟、それからワイが入って相談し、売却した不動産のお金は、最後まで小父を支えててくれていた内縁の妻と折半し(売却のためのリノベ費用はこちら持ち)贈与することにした。
他にも金融資産を中心にしっかりと金はあったのだが、女性は受け取れないと受け取ってくださらなかった。
ただ、どうも小父とお付き合いをしていたために婚期を逃したようなところがあることから、家を売却したお金だからと改めてお手紙を書いて、お願いして受け取ってもらった。
また、その時にお世話になった不動産屋さんは、ただ不動産を売却するのではなく、古い家をリノベして高付加価値化して売ったり、貸し出したりすることを得意にしている開発型の不動産屋さんで、そのノウハウを使って地方の空き家問題にも取り組まれているところだった。
北側に2階までの高さぐらいの擁壁(直角)がある
家と壁の間は3m弱
全く日が当たらず、冷たい空気が溜まるので1階はめちゃくちゃ寒い。夏は涼しい。
家中隙間だらけ。
日本家屋で部屋と部屋の仕切りは基本襖。襖の上には20cmぐらいの欄間があり通気性は抜群
50年前のサッシとガラスで断熱効果に期待できないうえに、色々歪んでいるので掃き出し窓など閉まりきらず、ひどいところは5cmぐらいの隙間が空きっぱなし
6畳の部屋だからと6畳用のエアコンをつけるがよく考えたら7~8畳ぐらいある(さらに床の間のこと忘れたり)
無駄に広いベランダがあり、コンクリなので多分熱をめっちゃ吸う
西日が当たりまくる(増田の部屋のみ)
冬でも晴れた日の夕方は裸で過ごせるほどになる(秋はサウナ状態)
とにかく柱が太い
ひいじいちゃんだかひいひいじいちゃんだかがこだわったらしく、
すごく太い柱と梁で柱の少ない空間を作ったらしい
20畳? ぐらいのが二部屋つながったとことかがある(普段は、なんか微妙に幅の広い襖4枚で隔てられてる)
昔は4世帯とか住んでたし子沢山だった
改築や増築を繰り返していた
今は半分壊れた離れとキッチンやユニットバス、トイレを外付けして凸凹(凹はしてない)した母屋が渡り廊下で繋がっている状態
(最盛期には台所3、風呂3、トイレ5ぐらいあった。一番でかいトイレは男子小便器が2つ並んでる)
3回ほど増築したっぽい倉もある
10年ほど前までは、物置小屋だったり、工房だったり、鳩小屋だったりがあってカオス
もちろん駅やその他もろもろが後から来たのだが、まあまあ便利な駅まで徒歩15分。使いづらくさびれた駅が徒歩6分。
家以外にも結構なお土地をお持ちになっており、家賃等で安泰だったが、ひいじいちゃんもひいひいじいちゃんも税理士さんと折り合いが悪いのか、
節税なんて知らん、けち臭いことを言うなっていう男気を無駄に発揮してきたようで、相続のたびに縮小してる
今は母と兄が色々悩んでる
あーその遊び方だと面白くないのは当たり前だわ
身軽ってのが一番の理由。ベタな観光地は行ってもいいが、恋人とも行く機会があるので無理して行く必要はない
タクシーのおっさんガチャになるが、これで外れたことはない。ブログ?アフィだらけだからやめとけ
食べログは金払ったらブーストかけられるんだから信頼性はない。タクシーで聞いて行く
その店で更に聞けば情報が追加される。ネットには載ってないが美味いって店は数えきれないほどある
当たり外れはあるがスナックだとわりと社長に出くわすことが多い
港町だったら「俺の知り合いに船出してくれる人いるよ」とかザラだから、俺は1人でホタルイカ釣らせてもらったりしたし
知り合いの知り合いに酒蔵案内してもらったり、死ぬほどサービスの良いエロい店紹介してもらったりした
街眺めて「へー」って感動が薄くなるのは当たり前だよ。だって建築様式がほとんど一緒だもん
●全国民は国のために勤勉に働き納税し子を産み育て国に貢献することを義務化
●西暦を使うことを固く禁じる、違反者は逮捕、古来から続く元号のみ使用可能とする
●家における洋室を撤廃、全て部屋を伝統的な和室にし、トイレは昔ながらの和式便所にする
●女々しく弱い男は日本男児ではないのでリンチにしてもよし罪に問われない
●女は働くことを禁じる、家庭で飯炊き業務と子を産むことに専念
●成人した男女は国が行う大規模お見合い事業において婚約し、日本武道館で合同結婚式を行う、女は男から選ばれたら断ることは許されない
●男の浮気は男らしいので良しとする
●なお女の浮気は死刑とする、あばずれは相応の報いを受けるべし
●男は女を守り、女は男を立てるよう徹底し理想的な家族になるよう努める
●教育現場における体罰を積極導入、子供たちが道を違えないよう厳しく愛を込めた指導を行い健全な日本男児女児を育成する
●会社においては年功序列、上司の命令には絶対服従、部下はジョッキにドレッシングを入れられたら飲み干し、上司の革靴にビールを注がれたら喜んで飲み干し、上司が小便大便をしたら歓喜して食す
●テレビは民放を廃止、国営放送たるNHKのみの独占放送、愛国放送をする
●日本国軍を設立、20〜50歳の全国民男性を徴兵し10年間の兵役を課す
●朝鮮と中国に対して宣戦布告、勝利し日本国の植民地として支配する、朝鮮人とシナ人は成人男と老人は殺処分し女子供は奴隷にし労働力として有効活用する
●さらに東南アジアへと侵攻し、大東亜共栄圏の再構築、アジアにおける日本の地位を確たるものとする
●音楽、美術その他文化的な活動は国を扇動する危険性をはらんでいるので一切を禁止とする
●在日外国人を強制送還させる、従わないものは入管にぶち込みいたぶり殺す
●外国人の帰化を一切禁止、既に帰化している外国人は国へ強制送還
●純日本人のみの国家にするためにハーフやクォーターなど外国の血が混じってる者は即国外追放
●パンやケーキなどのメリケン粉を使った食品を徹底排除、古き良き米と味噌汁のみを摂取し健康で逞しい国民になるよう努める
●肉や魚などの加熱調理を禁止、日本人は生で肉を喰らうことができる消化酵素を持つ世界的にも稀有な民族なので健康的な生食を推奨、食中毒になるものは気合いと根性が足りないので懲役刑とする
●和製英語の禁止、カナカナ言葉を使った者は罰金→例として野球のストライクは「良し」ボールは「悪し」など
●国外からの輸入を全廃止、食物は全て国産でまかなうようにする
●車、家電その他の嗜好品は国産の物のみ購入可能、外国産製品を購入する者は国のためにお金を落とさない非国民と認定し逮捕
●天皇誕生日には皆で皇居の方を向き一日中陛下への祝福と感謝の意を込めて万歳をする
●ひきこもり、ニートなど国や社会のためにならない穀潰し共を強制労働施設へと放り込み終身労働させる
●20歳を過ぎて実家にいる男は許さない、家を出て自立した立派な日本男児になるよう強制
●女は20歳過ぎても実家にいて良い、飯炊きなどの花嫁修行に努めるべし
●全国民は国のために勤勉に働き納税し子を産み育て国に貢献することを義務化
●家における洋室を撤廃、全て部屋を伝統的な和室にし、トイレは昔ながらの和式便所にする
●一夫多妻制にし優秀な遺伝子のみが残り国のためになるようにする
●男の浮気は男らしいので良しとする
●テレビは民放を廃止、国営放送たるNHKのみの独占放送、愛国放送をする
●女は働くことを禁じる、家庭で飯炊き業務と子を産むことに専念
●音楽、美術その他文化的な活動は国を扇動する危険性をはらんでいるので一切を禁止とする
●外国人の帰化を一切禁止、既に帰化している外国人は国へ強制送還
●純日本人のみの国家にするためにハーフやクォーターなど外国の血が混じってる者は即国外追放
●和製英語の禁止、カナカナ言葉を使った者は罰金→例として野球のストライクは「良し」ボールは「悪し」など
●国外からの輸入を全廃止、食物は全て国産でまかなうようにする
●車、家電その他の嗜好品は国産の物のみ購入可能、外国産製品を購入する者は国のためにお金を落とさない非国民と認定し逮捕
●ひきこもり、ニートなど国や社会のためにならない穀潰し共を強制労働施設へと放り込み終身労働させる
https://sotetsu-hotels.com/column/414/
・「広縁」の定義は?
日本の家屋には、和室の南の方角に面して板敷の間がありました。建築用語で「縁」もしくは「縁側」といい、その幅の広いものが「広縁」です。一般的な基準としては、幅(奥行き)3尺(約91センチメートル)のものが縁側、4尺(約120センチメートル)以上ものが広縁と呼ばれています。
・広縁はなんのためにある?
広縁や縁側は日本家屋独特のもので、もともとは建物への入り口、部屋と部屋を行き来する廊下、つまり通路としての役割を担っていました。身分制度があった時代は、室内には立ち入ることの許されない低い身分の者が控える場として活用されていたともいいます。やがて身分制度のない時代になると出入り口代わりとして、人々が集う場として活用されるようになりました。
もうひとつ、広縁や縁側を設けた背景には「部屋を広く見せられる」という事情もあったといいます。さらに、南側からの日射しが直接部屋に入ることを防いで畳や襖を日焼けから守る、断熱効果を得るという役割も持ち合わせていました。
タイトル戦の対局場へ向かう竜王名人となぜか一緒にタクシーに乗った。
途中で休憩するために駐車場みたいな所で降りた。
駐車場の隣には石垣の上に建った立派な日本家屋があり、その石垣に水晶が生えていて、それを見た竜王名人がしゃがんで「これはですね…」と笑顔で解説を始めた。
その声は吹き荒ぶ風にかき消されて私には全然聞こえなかったが、運転手のおじさんには聞こえていたみたいだった。
耳が悪くなったのかな?と思った。
「まだ時間もありますから」と今度は運転手のおじさんも上機嫌で水晶を語り出した。
竜王名人が私の近くに来て、手のひらサイズの水晶を見せてくれた。「これがいちばん綺麗ですね」と竜王名人は嬉しそうに言った。
時計を見ると8時だった。
そろそろ時間がまずいのでは?と怪しく感じた私は運転手にそろそろ出発してはどうかと言った。
私は学校に行くだけなのだ。1時間目は確か体育だ。まだギリギリ間に合うが、サボって午後から出ようかなとも思った。
「先に対局場に向かってください」なぜか私が運転手を仕切り、我々は西へと出発、いつのまにか起床。
何もないって言ったら語弊があるけど、歴史的建造物や施設が関西圏に比べて本当に少ない
近代建築はそれなりに残ってるけどそれ以前の時代の遺構って言ったらいきなり弥生とか古墳に飛ぶからね
おまけに再開発でそういうモダニズム建築も地下の埋蔵遺跡も全部破壊されるし
歴史も文化もへったくれもない、今が持つ輝きを凄まじい勢いで消費する街
京都奈良大阪はふらっと遊びに行ける距離で寺院仏閣があるのがいい、羨ましい
建立が奈良や飛鳥時代まで遡る寺があんなに集中する場所なんて日本のどの場所を探してもない
大規模な木造建築が街中に残ってたり、歩けば重文や国宝級の文化財にぶちあたるのが京都・奈良
東京だって色々展覧会やってるけど貴重な仏像みたいなもんは秘仏だの御本尊だので基本所有してる寺から出ねえんだわ、だから現地行くしかない
日本の古美術・文化財に触れるという意味では東京はある意味砂漠地帯
もちろん日本美術や東洋美術に特化した美術館は少なくないけど、そこにあるものって既に美術品として収容されてしまって、ものが作られた当初の目的や文脈からは切り離されてる
美術館の展示が悪い訳じゃない、だけどやっぱり作品が本来持っている魅力みたいなものはいくらか損なわれていると思うんだよなぁ
展示ケースを覗きこむより日本家屋の中自然光の下で見る障壁画や屏風絵の方がずっと綺麗だよ
西洋美術とか現代アート作家の展覧会を見るぶんには東京はいいかもね
でもそれはそれでパリやNYと比べた時の文化的な乏しさに目が行くんだよな
ルーブルやMETには勝てねえもん
やたら印象派の展覧会ばっかやってるのだって日本にまとまった数ある西洋美術がそれぐらいしかないからだし
去年のざっくり今頃、若者はプログレなんて聞くなよ~という事を書いた。
1年経ったが、とりあえずCD屋を見てもライブに出かけても特段若者が聞き始めた雰囲気はない、書いた効果かどうかは定かではないが(恐らく関係ない)、とりあえず題名の目的は継続的に達成されていると見て間違いはないだろう、が、
去年はまだジジイしかいねえよぉ(笑)とネタに出来るくらいの精神だったのがディスクユニオン冴えない薄毛の男性しかいらっしゃらないプログレコーナー(あのリュックサック率は本当に何なんだ)やジジイにまみれてのライブ鑑賞(スティーブヒレッジとGongはよかったですね)、若い子もいるよ(笑)などという、俺はこの辺りには自然がねえなと言ってるのにぽつぽつと並ぶ街路樹を指さしていやあるやん(笑)、と同等の言論をぶつけられたりし、あれから1年、1年、1年…
何か素敵な魔法でもかけたのかな?
クラブチッタへ向かう方向だけ、何故かおっさんかジジイしかいない光景。
これを見て、俺はなんとなく思った。
……
若者にもプログレを聞いてほしい!!!!!!!!!!!!!!!!!聞いてくれるような事を書こう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!俺もデケえ野外フェスにドサドサ出まくるプログレバンド達で盛り上がりてえ、家で女の子と二人プログレを聞いて、アハンウフンエモい雰囲気になりてぇんじゃ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!おい!!!!!!!!!70年代の日本ロックファンのメインストリームだったとかぜってぇ嘘だろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!じゃあなんで20年代だとメインストリームじゃねえんじゃ!!!!!!!!!!!!!!クソが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ドームでワンマンライブしろよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
というわけで始めてまいります。蜘蛛の巣のように予防線を張り巡らせた結果所々「事が多い」という文言を多用するハメになったのでこの文章では「事が多い」=「@」と定義します。
おじさまは(個人差がデカいとはいえ)若者好き@。おじさまから見るとなんとなく好きな若者がさらに自分の趣味であるプログレを聞いている。これは…?恋が始まる
事は無いもののそこそこの好感度が叩き出せるのは想像に難くない、というか出る。居酒屋で意気投合したおじさまにに酒奢ってもらったもん俺。へぇ~若いのにプログレなんか聞くの!?いいねぇ~とでも言わせたらもう勝ち確モーション。
この年功序列社会におけるおじさまの立場や金銭的パワーは若者の比ではなく、それなりに人生経験という面でも上手なので、交友の潤滑油として聞いてみるというのはそこそこにアリではないですか?俺の唯一の同年代プロトモ(プログレ友達)はなんかキーボード譲ってもらったらしいですよ?
…この前はジジイとか酷い事ばっか言っちゃって…ごめんね?あんなのうそうそ、俺らお兄さん達の事大好きだから。PFMの正式名称言えない奴はモグリとか、Soft Machineで一番好きなアルバムとか、そういういっぱいプログレの話しようね?チュッ♡
音楽自体が時間芸術なので既にタイパという面では悪いがその中でもプログレはクラシックと同じくらい悪い@。しかしあえて、あえて長い方を取る事により精神的余裕を味わえる。そうなのかな。
だいぶ円熟したジャンルなのもありプログレはネット上に体系的な情報が多い。
名盤まとめサイトから名盤でもなんでもない奴までかなりの量を分類網羅してるサイト、英語に拒否感が無いなら世界中のプログレをまとめたデータベースサイト http://www.progarchives.com/ まである。ググればだいたいすぐに出てくる。
まだ発展途上のジャンルの場合アーティストの情報がSNSやニュースサイトをちゃんとチェックしたりネットを駆けずりまわらないと出てこなかったりする@のを比べると情報収集が楽だ。こんなもん誰も聞いとらんやろwwww的な音源もどこかの知らないおじさまがレビューしてたりする。
テキトーにググればOK!ストリーミングに音源がたくさんある!Youtubeにも(時には合法、時には違法で…)丸々映像やら音源やらが上がっている!と音楽の複雑さとは裏腹に入門者フレンドリーな面がある。
全体的に何らかの部分で凝っているジャンルである。凝りに凝った結果そん所そこらの音楽には出せない非日常世界が展開されるのだ。
こんこんと雪の降る古い日本家屋からイギリスの深い森の向こう、果てはヤバそうな異星の儀式や謎の宇宙的空間などを非常にダイナミックに想起させる音楽というのはそう見つからない。無論視覚的だけではなく、強烈に鬱的な心象を与えてきたり、ようわからん驚きだったり…と部屋で一人ヘッドホンをしてじっくり耳を澄ますと音の向こう側にある普段の生活では出会う事の無さそうななんか凄い世界に精神を飛ばすことが出来る。
先進的なロック、聴いとるんですが!?とアピールすると職場や学校でイケてる人と思われる可能性がある!!
プログレはミクスチャー的である@。クラシックやジャズに始まり、ケルト等ヨーロッパの伝統音楽、果てはガムラン等、世界中の様々なジャンルとロックとの結合を試みている。プログレを橋掛りに知らないジャンルを好きになり、聴く音楽の幅がグングン広がる。もしかしたら一生を捧げられるような物に出会えるかもしれない。
同じくらいミクスチャーしがちなジャンルにメタルがあるがあっちは溢れ迸る圧倒的パワーのせいで全てをメタルに塗りつぶしてしまうので、○○メタルに慣れたころいざ元のジャンルを聞くとパワー不足を感じるのだ。圧がね。足りんよね。なんか。
その分プログレは割と素材の味生かしがちなので参照元聞いても割と大丈夫。
あとプログレは概念的なジャンルなので本当にいたるところ、全く関係なさそうなアーティストにもその面影を感じられたりする。終わらない音楽探求の世界へ、飛び込もう!(まあ皆さんそこまで飛び込みたいかと言われると微妙かもしれない)
最寄りのおじさまにお尋ねくださいませ。
と突き放すのは良くないですね。
個人的には、最初は新しいバンドのスタジオ盤orライブ盤、もしくは大御所バンド(King CrimsonとかYesとかそのへん)のライブ盤やライブ映像をYouTubeで見るのがいいと思う。
まず初めに70年代のスタジオ盤を聞くのはやめた方がいい。スタジオ盤ならなるべく最近の、どんなに古くとも1990年代以降に出た作品を聞いた方がいい。
ライブ盤はバキバキでも、スタジオ盤だと70年代周辺はどれもこれもやたら音が弱く聞こえる@のだ。これは音作りの古さや現代との方向性の違いからくる@。一番はドラム。70年代や物によっては80年代のプログレのドラムは現代の感覚からすると迫力が弱いかあまり耳なじみの無いプロダクションがされている@。次点はギターの歪み@。
もしSpotifyユーザーならばそこそこ近年の作品をある程度網羅的に取り上げているNeo Progressive Rockというプレイリストをおススメする。400曲くらいあるのを見てげんなりするかもしれないが、別に全部聞く必要は1ミリもないのでとりあえずこれをシャッフル再生して適当にザッピングして気に入った物を探すと良いかもしれない。
そうかもですね
その子は体が弱くて体育の授業はいつも見学。学校を何日も休む時もあったが、頭がとても良く、肌が白くて髪が長くて話し方も大人っぽいので女子から人気があった。お父さんはおらず、お母さんとお婆ちゃんと3人で暮らしていた。
高校は別々だったが、3月のちょうど暖かくなる時期の昼下がりにその子の家に行った。お母さん同士が同級生だったことから、祖母の畑で採れた野菜をお裾分けしに。
家に近づくと垣根越しの庭から不思議な楽器の音が聞こえた。声を掛けて門を潜ると、庭のテーブルにその子とお母さんがいた。お母さんはコーヒーを飲んでおり、その子は楽器(後でそれがマンドリンと知った)を弾いていた。テーブルの横には描きかけの油絵があった。庭に面した広縁のガラス戸が開け放たれていて、お婆ちゃんが座敷で花を生けていた。建物は日本家屋なのに庭はイングリッシュガーデンなのが印象的だった。挨拶をして、その子やお母さんと少し世間話をし野菜を渡して帰った。
時間にして5分もない位の起承転結もない出来事だが、それから数十年経つ今でもこの時期になるとその光景を思い出す。その男の子に恋愛感情はなかった。しかし、野球命で年中真っ黒な少年野球コーチの父、チームの子供は全員息子の肝っ玉母ちゃん、同じく真っ黒な野球少年の兄や弟に囲まれ、芸術のげの字も当てはまらないいつも散らかった家庭で育った私にとって、綺麗な庭、花を生けるお婆ちゃん、描きかけの油絵とイーゼル、男の子の奏でるマンドリンの音、それを聞くお母さんという光景があまりに非日常というか、ジブリ的で幻想的で綺麗だった。
うちのじいさんとばあさん、室温が外気温とほぼ変わらない古い日本家屋で生活して一生を終えたけど、2人とも100歳近くまで元気に生きたよ
日本家屋で首吊りが一般的なのは天井に太い梁があり人間一人分くらいの体重を支えることが容易だったため。
マンションでは天井に梁がない構造が一般的であり、天井にロープを括るという行為に高いハードルがある。
天井には基本的にロープを括るようなものはなく、あるとしても照明くらい。
だが照明の設置強度は人間一人が平気でぶら下がれるほどかというと疑問が残る。
つっかえ棒のような感じでドアの枠の間を渡すように設置し懸垂が行えるようにするもの。
懸垂をするためのものなので人間が全体重をかけても外れないようにできている。
※たまに外れてケツを強打して涙目になる。
懸垂バーを設置し、バーにロープを括ることで首吊りを行うことが可能。
ただし、この方法にも問題はあり、ドア枠は基本そこまで高く作られていないため、
懸垂バーを設置し、そこからロープを垂らすと少し背が高い人であれば両足が地面についてしまう。
個人的にいろいろ試してきた中で一番確実だったのは
ベランダの手すりに長めのロープを括って首に輪っかを通し飛び降りること。
ベランダの手すりはちょっとやそっとの衝撃で外れたら大問題なのでかなり頑丈にできている。
この方法の一番の問題は下の階の住人と目が合って気まずい感じになること。
「大丈夫ですか?」「お気になさらず~」みたいな間抜けな会話をすることになる。
1階だとできない点も見逃せない。
中3の頃、陰キャ優等生だった俺だが、地域のお祭りか何かがきっかけで不良グループとちょいちょい付き合うようになった
不良たちは午後になると早退して学校の近くのメンバーの家に集まってダラダラと過ごしていた
日本家屋のたぶん蔵を改造した離れの二階がそいつの部屋で、たぶん20畳くらいの和室
一階はガレージになってて仲間の原付やバイクがいつもたくさん止めてあった
奥の方はいつも何枚もの布団が敷きっぱなしで、そっちにでかいテレビとゲーム機とネットに繋がるパソコンと大量の漫画本があり
男たちはこちらに集まっていた
そっちにはいつも女子が集まって雑誌読んだりでかい声で談笑したり化粧の研究をしていた
俺含めて最低5人、多いときだと12人くらい集まってただろうか
俺はちゃんと授業受けてから放課後そこに合流してたのだが、そうすると何人かは布団で爆睡してたりした
起きてる人間とゲームで対戦したり、テスト前は比較的真面目な女子に勉強を教えたり
やることがない日は延々漫画を読んでたり
たまに喧嘩して顔を腫らして来る奴もいた
不良グループ同士の勢力争いというのが存在していて、みんなその話を真剣にしていた
俺は単純にそれがゲームかドラマの話みたいですごく面白かったのを覚えてる
俺らのグループの上には高校生グループがいたし更に上には地元のチンピラがいた
当然ヤクザにもつながっていたんだろうが、中学生にはそのへんの話は降りてこなかった
女子の半数は参加せずに帰っていたし男も眠いといってソファで寝てるやつも結構いた
俺は基本参加しなかったが帰りもせず、ソファで寝たふりをしながら喘ぎ声を聞いてた
あとでオカズにするためだ
でも一度だけ、参加というか、巻き込まれそうになったことがある
その日は別の学校の女子が一人来ていて、そいつが全裸で応接セットまで来て
「あんたなんで1人でそんなとこいんの」と狸寝入りの俺に抱きついてきた
で、「しよう」と言ってくる
当時の俺は童貞で性欲よりも怖いという感情が大きかったのだが、こうなったら覚悟を決めようと思って制服のズボンと下着を脱いだ
俺は当然ギンギン しかしぎこちなく挿入しようとすると「ねーゴムは付けてよ」と言われた
俺はコンドームがどこにあるか知らなかった仲間たちはみんなプレイ中で聞ける感じじゃない
断腸の思いでゴム無いからやめようかと言うと、女の子は「え〜」と不満そうにし、ちょっと考えて
「中まで入れるのはダメだけど表面にくっつけるだけならいいよ」と言った
その間の粘膜に俺は必死で亀頭をこすりつけ、そしてすぐに射精してしまった、しかも思い切り局部にぶっかけてしまった
と俺の額に強烈なデコピンをして、その女子はウェットティッシュを求めて奥の方へ消えた
そしてもう戻ってこなかった
俺もやばいことをしてしまったという気持ちになり、そのまま服を着てこっそり帰った
学校では不良たちと談笑することはあったが、それも徐々に疎遠になった
受験が近づいたのも大きかったと思う
アウトローな集団に身をおいたのは後にも先にも中3のこの時期だけだ
いまでは思い出すたびに現実感がなさすぎて夢みたいだったなと思う
そのまま42歳になってしまった
記憶の中のあの数カ月間が薄暗く光るのから目をそらせないままここまで来てしまった
今更寂しいとも思わないがただ不思議だ
昔の日本家屋でも今の夏は乗り切れないよ。
かつての日本家屋は猛暑を気持ちよく乗り切れるように下記の特徴があった。
「軒が深い」
「壁が少なく開放部が大きい」
「畳、土壁、板の間などの湿気を吸収する素材」
現在の日本家屋は同じ木造であっても暑さへの対応の思想が伝統的な日本家屋とぜんぜんちがう。昭和56年の新耐震基準法を境に日本の住宅はそれまでのものとは全く違う。猛暑への対応についてのみ着目した場合、連続性がない。特徴は下記の通り
「建ぺい率の影響で軒が短い」
「石膏ボードなどの断熱壁」(断熱性にすぐれているが熱がこもりやすい)
「壁を多く確保することが義務付けられ開放部が旧来の半分以下である」
「風の通り道などの考慮がない。空調をエアコンや換気扇に頼っている」
とにかく、夜間に涼しい空気を取り込んでおくことが快適にすごせるポイントになる。どんな暑い日でも夜間は25℃ぐらいまでは下がるのでこれで室温を下げる。そして壁を冷やす。石膏ボード製の壁は冷気を溜め込んでくれる。壁が冷えていると同じ室温でも人間から体温を奪ってくれるので快適にすごせる。
現在の住宅に「軒がない」というのがかなり致命的。これに対処するためには、日中は雨戸を締めるしかない。雨戸、または、シャッター、断熱性カーテンを閉じて直射日光を遮る。窓は熱風が吹き込んでくるだけなので締めておく。とにかく夜間にためた冷気をキープするようにつとめる。
上記の方法を方法を取り入れた結果。日中の気温を34℃以下にたもつことができた。エコに貢献できてうれしい。そして。原発を停止させた民主党は滅んでほしい。