はてなキーワード: miXiとは
mixi内で「俺以外の奴らはみんな議論から逃げている」とかっこよい日記を書いているマイミクが居る。
でも彼は大学中退した後、30歳過ぎる今日までニートとフリーターを行ったり来たり。
別に障害がある訳でもない。五体満足で健康な方。
だから死ぬ気で正社員を探せば、貴方が満足できる仕事も見つかるはず。
mixiやTwitter等のネットコミュニティの中の貴方がいくらかっこよくても、
現実の貴方が今のようでは仕方が無いのに。
オフラインでも何度かあって、悪い人だとは思って無いし、幸せになって欲しいと思ってる。
これを貴方に直接伝えたら、貴方はきっと逆上する。
我が身可愛さに、私は貴方に何も言えないで居る。
30超えてるんだから、今が最期のチャンス。
オフ会で貴方に会う度に、貴方からコメントを頂くたびに、心の中で貴方に謝っています。
ごめんなさい、ごめんなさい。
高校の頃、同級生から「お前はオタクだ」と渋い顔で認定されてから、自分はオタクなのだと何となく意識しながら生きてきた。
そのときのその子の態度、口調、表情の端々から、非難の色が滲み出ていたので、オタクとは一般的に肯定されないものなのだと感じた。
普通の女の子の生活って面倒なものだな、と思いながら大学時代を乗り切った。
そうしたら段々とオタク趣味は薄れていった。だけど消えはしなかった。だから”自分はオタク”という意識も消えなかった。
大学を卒業し、正社員じゃないにしろ社会人になり、オタク趣味が始まった中学時代の友人らと久しぶりの再会を果たした。
ちょwおまww とか、~~ですた、など、風化しつつある言葉も当然のように用いる。
自分が女ならばそこは婿じゃないのか、という突っ込みはしなかった。
伴侶にしたいと思わせるほど魅力的なキャラクターに用いる常套句のだし、
何より「俺の婿」もしくは「私の婿」じゃ語感が悪いのだろうと勝手に思うことにした。
彼女らの嫁は複数いる。好きな作品が出来ればそれだけ増える。多分半年に1回くらい増えている。
果てなく増える逆ハーレムが羨ましいことこの上ない。それだけ惹かれる人物に出会えるのは素敵なことではないだろうか。
(しかし、嫁になる基準のひとつ、そしてもっとも大きな基準を担当声優とするのは頂けない。
これは彼女らが声優オタクになった頃から思っていたのだが、担当声優があの人だからこのキャラクターが好きというのは失礼なのではないかと思う。
キャラクター自身は勿論、その作品を作った方々に対して、そして担当声優の方に対して。
「リナの声が林原さんだから、声優が同じである綾波レイが好き」と以前友人が言っていた。
どちらも作品の中で段々と魅力を増していったのに、声優が同じだから好きだという。ましてや、この2名の場合は性格がまるで違うのに)
友人の一人はこの3月まではニートのような生活をしていたが、やっぱり昔からの夢を追いたいからと言って、4月から声優の育成学校に通い始めた。
また別の友人は、パートで働きつつ、地元のイベントやmixiなどで企画されたオフ会に参加。今はダンスに情熱を燃やしているようだ。
布代に給料を費やし、寝る間も惜しんでコスプレ衣装を作り、イベントがある度にその姿を披露する友人もいる。
正直、今の私には、イベントに行く情熱すらない。欲しいゲームを買って、遊んで、感想を書き込む。それだけで精一杯だ。
このように、未だに色々と活動している友人を見ると、私はそこまでオタクではないのか、と錯覚する。
そして、自分の趣味のために生きられる友人らを羨ましくも思う。
少し前まで、私はこの友人らを、自分の未来をまともに考えない人たち、と馬鹿にして、見下していた。(自分だって同じ穴の狢のくせに)
だけど、オタクな話をする友人らは心底楽しそうだった。
私は楽しくないわけではなかったけど、彼女らほど楽しめてはいなかったのではないかと思う。
先日の忘年会の際、上司に「若いんだからもっとはっちゃけろ」と言われたが、こういうことなのだろうか。
自分の未来が怖いから、色んな勉強をするより、今楽しめることを楽しんだ方がいいのだろうか。
(だけど、今を楽しむと後悔することになるのは経験上よく分かっている)
彼女らの生き方を羨ましく思うけど、だけど私は彼女らのような生き方は出来ない。同じオタクでも。
そう考えたら、自分がとてもつまらない人間のように見えてきた。それでも今を楽しんでリスクを増やすような生き方は出来ない。
私にとってゲームを初めとするオタク趣味は、心身を癒す「ただの趣味」だけど、彼女らにとっては「生きがい」そのものだ。
私と彼女らの違いは、たぶん尊重するべき違いだ。
私がオトナのふりをして、もっと将来のことを考えなさい、というのは失礼にあたることなのだろうと思う。
帰りの電車の中で、友人の1人私に言った。
「今からでも夢を追っていいんだよね」
私は答えた。
「夢はいつから追ってもいいものだよ」
モバゲータウンの怪盗ロワイヤルがミクシイでも出来るようになっていた!
驚いた、このロワイヤルってゲームは携帯で出来る簡単なゲームだが自分が泥棒になって、
人々を苦しめる社会的悪からお宝を頂戴する義賊的な行動をとるゲームだ!
自分の分身が泥棒になってミッションをクリアーして行く、各プレイヤーで仲間になったり、お宝を奪い合ってコレクションを集めるたりする。
ここで面白いのがお宝の奪い合いが有り、各プレイヤー同士がバトルを繰り広げる、奪いに仕掛けてバトルに負けた場合仲間に応援を頼んで援護して貰い代わりに宝を奪って貰う、ゲームにはレベルが有り多くのミッションをクリアーして行くほど装備や攻撃力が上がる。
仲間の中で一番レベルの高い者がリーダー的になる、レベルの低い、弱いプレーヤーは強いプレーヤーに援護して貰いたくて仲間になる申請をする、仲間の数がレベルで制限されていて構成メンバーをチョイスして行かなければならず、
ここでプレイヤーの好みや行動が出て面白い、応援をして女子プレイヤーのナイトになる者、いい人キャラでお宝をプレゼントする人、ミッションクリヤーで地道にお宝を集める人、他のプレイヤーから奪いまくって
コレクションする人、仲間を作らずに一人でプレイし続ける人、何か人間の行動パターンがゲームにそのまま出てきて僕は凄く面白くプレイしていた・・・モバゲータウンで!
それがいつの間にかmixiでも怪盗ロワイヤルがプレイ出来てしまう・・・
モバゲータウンは完全偽名でリアルに知らない人ととお宝を奪い合っていたが今度は違う、ハンドルネームは様々だけどリアルに存在が確認出来て意外と知り合いの知り合いぐらいでぶつかる可能性が高い、
mixiとモバゲータウンの特徴の違いが今度はどうゲームの進行に影響するか・・・人間模様がどんな行動パターンを作り上げるのかそこの処も読みながらゲームをプレイして行こう。
ちなみにミッションクリヤーしてゲットしたお宝を盗られると凄く悔しい。
学生の頃、仲良くしていた人がいた。
二人で飲みにいったり深い話もしたりして、俺は内面的にも通じるものがあると思っていた。
でも俺は同じ学科内で一度彼女を作って別れていて、もう学科内では恋愛をしないでいようと思っていた。
だから、新たに仲良くなったその人が同じ学科だということで躊躇が生まれて、彼女との関係が友達以上になっていくのを感じながら曖昧なまま誤魔化した。
彼女の気持ちもよく分からなかった。
はっきりと俺を好きという訳でもないように感じた。
何かを迷っているようにも見えた。
そうやって、俺は言い訳をして傷付きたくなくて、結局関係を誤魔化し続けた。
そうしているうちに、あるとき彼女は冷めた顔で俺を切った。
切ったというか、俺の存在を彼女の中から消したのだ。
俺の存在も俺との記憶もすべて彼女の中から消えてように見えた。
学内で俺に会ってもうっすらと会釈して会釈し終えたときには俺から視線が外れているような、そんな対応が卒業まで続いた。
そのときになって俺は、初めて自覚したのだ。彼女のことをとても好きだということに。
でも彼女は頑なだった。もう彼女の気持ちは終わってしまっていたのだ。
そういう関係になって一度だけ電話をして、無理矢理直接会ったことがある。
そして会って分かった。
彼女は俺を切ったということ。そしてその意思は決して変わらないということ。
彼女の中で何かを考え何かを判断し何かの結論を出し、もうそれで決めてしまっているのだということ。
彼女は冷めた表情で冷めた態度ではっきりと俺に距離を取っていた。
「好きだ」とは言えなかった。
彼女の冷めた態度は、俺の気持ちを薄々感じながらも告白させない、という空気を放っていた。
そして俺のことを話したら「それにはどうぞご自由に、としか言えない。だってあなたのことは私にとって他人事だから。」と冷めた声で言われた。
俺はその後同じ学科内で他の人と付き合い始めた。
そこまで好きな人ではなかった。
正直に言うと彼女への当て付けだったのだ。
一緒に勉強をし一緒に授業を受けて彼女に当て付け続けた。彼女の気を引きたかったのだ。
でも、彼女の冷めた態度は一瞬も変わらなかった。
そうして卒業を迎え、今は彼女がその後どうしているかも俺は知らない。
彼女はmixiもブログもやらない人で、同窓会にも出てこない人で、同窓会だけじゃなくて人が大勢集まるような飲み会には出てこない人で、きっと仲の良かった友達とは今でも会ってるんだろうけど俺には彼女の動向を知ってそうな人に聞く勇気もないから。
もう少しの勇気があのときあったら、と思う。
冷めた目で冷たく振られてもいいから自分の気持ちをはっきりと言葉にしてちゃんと伝え切ればよかったと思う。
付き合った女よりもずっとずっと未練が残っているのはそういう後悔があるからだと思う。
彼女と会わなくなっても、彼女と関わりのある人が同じ業界内にいて、その人から俺の情報がいくんじゃないかとか自意識過剰になって、俺は卒業後も少し彼女への当て付けとして恋愛をしてしまう。
ああ、そうだ。ここまで書いてはっきりと自覚した。今まで薄々分かっていて気が付かない振りをしていた。
俺は醜い人間だ。
人への当て付けに他人を利用して巻き込んで、結局他人もろともほんのり不幸になっている。
俺は醜い人間なんだ。
マズいなぁ、って思うのは、ここ最近人に会いたくない気分が続いてるから。
だったら誰にも会わずに一人で暮らしてりゃええやん、という話になるがそう単純な話ではない。
なんとなれば僕は、僕自身人に会いたくない気分であることを望んでいないから。
だってヤベェじゃんそれって。ひきこもりじゃん。いや、家から出たいとは思ってるよ。図書館にはよく行くし。
僕は未だに幼児的な全能感を捨てきれていないのではないか。だから夜中にパソコンいじってネットにアクセス、お手軽な全能感に浸ってるのではないか。
なんてなことを思うのは、そういった類の本を最近読んだからなんだけど。
僕に必要なのは社会に出ることではないか。人と交わって、精神分析的な意味での「去勢」が必要なのではないか。
なんてなことを思うのは、斎藤環を愛読してるからなんだけど。
ほんで、今しがた「ネットスター」を見たらもうこの日記の事なんてどうでもよくなってる。そういう意志の弱い自分に嫌気がさす。そういう自分もどこかにいたりいなかったり。
本当は誰かに助けを求めたいんだけど、やっぱり誰とも関わりたくないからこんな日記書いてる。本当はmixiに書こうと思ってたんだけど。
mixiとかのSNSって、自分と繋がる相手を選んでコミュニティを形成していくわけだけど、
繋がるメンバーが増えれば増えるほど、それぞれのメンバーとの個々の繋がりは割合として小さくなっていく。
個人的な話題も、理解されにくくなる。吐き出せる話題も、少なくなる。
もはや繋がりが増えすぎたSNSは、プライベートなネットワークじゃなく、不特定多数を相手にしているのと同じだよね。
自分が話題を投げかける相手を決め打って、情報を吐き出すのか、
それとも相手をまったく限定せずあらゆる相手に自分を表現するか、
そのどちらな気がする。
自分で情報の行き先を制限しなければ、自分のネットワークと外のネットワークとの境界は曖昧。
それならば、SNSの役割は、ネットワークを広げることよりも、
ネットワークの境界を明確にすることのほうが、重要になっているのではないのか。
繋がるためのツールじゃなくて、ネットワークを閉じるためのツール。
そう考えると、SNSというツールがあっても、
人間の繋がれる相手なんて、変わりはないのかなぁと思えてくる。
今に始まったことじゃないけど。
ひとつだけ言えるのは積極的に情報や物を発信する層から消極的な層に広がったんじゃないかと。それと禄に物事を検証しない。適当な嘘を間に受けすぎる。ソース調べろっつーの。
でも問題があってもtwitterの場合unfollowすることで反論をなかったことにできる。2chや増田ならレスを返すことで反論自体は消せないんだけど(スルーはできるが他者にとってそれはオカシイという意見は残る)
それと困ったことに「自分たちはマスゴミ、2ch、mixiを見てる人に比べて優秀だ」と決め付け、都合の悪い/自分の考えとは違う情報を跳ね除けている。例えば極度な円高になってきたとき「国が悪化する。鳩山民主は売国奴」という意見をどれだけ見かけたことか。円が少し安くなってきたけど、そんな情報は入っていないのか。民主が行ってる政策すべてがいいわけではないけど、悪い点だけを晒して擦り付けているだけじゃないのか。(ちなみに私から見れば情報が足りなくて何が良くて何が悪いか判断できていない)
こう書くと「お前もtwitterにいる連中をゴミと決め付けて客観視してるだけで大差ないじゃん」といわれるかもしれない。でも私が言いたいのはそうじゃなくて、新聞/メディア/2ch/twitterどこにいる人も物事をちゃんと調べて、何が良くて何が悪いかを考えるべきなんじゃないかと思う。
というわけで私は新聞・テレビのニュースも見るしtwitterもする。twitterのfollow範囲も似た意見しか見えないのでできれば違う視点をもってる人を探したいけどなかなか見つからない。ただし先ほど上げたゴミみたいと感じる連中を外すのも、それはそれで都合の悪い情報を跳ね除けてるだけな気がしてならない。まあ全部の情報の真偽を追うのも大変だから、せめて疑いを持つかぬるま湯につかってるか位は考えてみたほうがいいと思う。
でも全部の情報の真偽を追えるような人はそろそろtwitter去ってるんじゃないかなぁ。次の行き先がどこだかわからないけど。
日本のインターネット利用者が9000万人越えたらしいけど。mixiっていうSNSがあってそれに誘われたりしたけど。
なんで皆平気であんなのやれるの?怖くないの?ていうか何で平気にインターネットに書き込みできるの?
昔からインターネットでのやりとりが大嫌いだった。
匿名の掲示板ですら怖かった。怖いを通り越して、悲しくなって泣いたりしてた。
自分の気に入らない意見があると嫌な気分になるので途中でIDを変えて自演するか、いっそのこと書き込みごと消してた。
まあ確かに、田舎育ちで、親が結構な潔癖性で、かなり過保護に育てられた感は否めない。
誰かと会うことすら怖くなって引きこもりニートだったりした時期もあるし、自分が人よりは弱いのは認める。
でも例え匿名だとしても、あんな否定しなくったっていいじゃん。と思う。
正直ゲーム脳だなんだなんて言ってるけどよっぽどインターネットのが怖いよ。
はてなブックマークとか良く知らないけど、あんなただ殴り合いしてるのを見て喜ぶ人がいるのが信じらんない。
痛いじゃん。血でてるじゃん。下手したら死んじゃうじゃん。何で誰も反対する人がいないの?何で100ブクマとか出るの?
現在、ゲーム「クイズマジックアカデミー」シリーズの次回作「7」において、
プレイヤーキャラクターが一部引退するという噂が立ち、2ちゃんねる、mixiなど
一部のコミュニティで騒ぎになっている。
詳細はhttp://www31.atwiki.jp/qmachara/pages/1.html
さて、現在、「7」で残るだろうと噂されているキャラクターは6人(と新キャラクター)。
その残るだろうキャラクターは、反対に引退すると言われるキャラクターのファンによる
バッシングの対象になっている。
しかし、バッシングで集中砲火の対象になっているのは、ある特定の一人である。
残りの五人だが、うち二人はまず叩かれず、一人が少々叩かれ、姉弟になる二人がそこそこ叩かれている状態だ。
この集中砲火を受けているキャラクターなのだが、こんな性格を持つ。
・人気が一番高い
・スタッフに一番贔屓されている
・金持ちの娘
・他のプレイヤーを見下す言動をする。
早速使ってみましたよ、「mixi同級生」とか言う奴。とりあえず中学と高校のに登録してみた。
これ、学校名(卒業校でも在学校でも可)とおなまえを登録するだけで同窓生なり同級生を探せるってサービス。なんかほぼ実名バレしかねないのでおなまえを登録している奴がいるね。仲間内しか入ってこないからこれでいいじゃんとか思ってると甘いよ。同窓会の募集には確かに使えるツールかもしれんが、これストーカーや個人情報集めにうってつけだよね、ぶっちゃけ。しかも卒業校偽ってもバレなきゃ糾弾されないので、知っている他校の卒業生に成りすまして「同窓会」と称する出会い系詐欺じみた会を実施することも出来なくはないと思うんだよね。
おまけに同じ卒業校の人間を探して過去の人間関係を掘り返したりとか、同じ学校の在学生のmixiでのニックネームを探し当ててネットとリアル双方でいじめたりとか、ありえない話じゃなくね?
俺がmixiをこき下ろしてばっかだからという事情はあるにせよ、この機能も珍妙でまた問題の発端となりそうな気がしてしかたねぇなぁ。
あ、登録校は即効で消したよ。なんか起こると怖いんでね。
横ですが、元増田が作文できるほど日本語ができない可能性はありませんか。
はてなは、英語でも利用できるので、私も海外にいた頃には英語版を使っていました。
追記
I myself never realized how much trouble I had when the other person was only capable of handling Japanese, although I am as good as a native after living here twenty years.
とあるので、日本語は不自由なく使えると判断していいのだろうか。
よく読んでみると、元増田の辛さや悲しみに溢れた文章のようだ。
私にアドバイスできるか分からないけれど、mixiにはバイリンガルや外国人の人がいると思うので、そうした人に悩みを打ち明けてはどうでしょうか。
mixiにまだ入ってなくて、興味があるのでしたら、招待します。
3年前くらい前からmixiで自分のことを全く知らない人に向けて日記書いてた。
そして現在気づいたらオフ会とかでぽろっとリアルの自分のことを話してしまい、以前は出来ていた言いたい事をばしばし書くことが出来なくなった。まあ自業自得なんだが。
そんなわけでこれからここで王様の耳はロバの耳とつぶやいていこうと思う。
てかこれってちゃんと匿名になってるのかな。
『Googlezon EPIC2014』やisedのような議論が最近見かけなくなって、今のみんなはどんなことを考えているのかちょっと知りたい。
ついでに自分が考えているものを出しておくので意見をもらえれば幸い。
検索ワードを知らなければ知ることができないネットの状況を変えるためには必要。mixiで興味のあるコミュニティに入ったり、twitterで同じ関心のあるクラスタに入ったりと、自分なりの情報環境を整えるのに、労力と時間が必要だ。
これがもっと手軽になればと思う。
「小学生がネット使うな」と言われるけれど、いつかは使うことになる。それなら小さいときにネットの使い方を学べるような仕組みを作ったらどうだろう。我々ネットの住人が次の世代を育てるために用意するのは悪くないと思う。
偏った考えに染まってしまうからネットを使うのはダメだ、というなら、違った見方もあるというのを知らせたらいい。
これだけ多くの人がネットを使っているのだから、東大の学際なんて目じゃないだろ?東大に入らなくても今の東大の教育水準までやる気があるやつならできるようにすればいい。
あとあったらいいなと思っているのは、誰かが採点してくれるシステム。ニコニコやyoutubeで発表の場はできたけれども、その人にあった助言をしてくれるところは少ないと思う。リアルでも習い事が沢山あるのだから、ネットでもそれができれば嬉しい。動画を撮影するときのテクニックや編集で気をつけることなんて手探りだしね。
とりあえずの目標としてプログラマの人がプログラミング関係の本を購入しなくても、コンピュータ上ですべて終わるような仕組みを作ったらどうだろう。分かり易いように編集したものへの価値は十分理解できるけど、まずはプログラマの人が紙から離れることができないと、一般の人には難しい。
リアルで本を読むときにはペンを持って線を引いたり、図でまとめてみたりしながら文章構造を理解して読んでいける。ブラウザだとそれができない。ブックマークされた記事を読むのも大変。誤読もある。
早く記事を読めるようにするために、文章構造まで共有するのはどうだろう?
どういった構造で読んだのかがわかれば、重要な箇所が抜けてると指摘をすることもできるし、他の人のを見て、どんな読み方をしているのかも分かる。
スーパーコンピュータが事業仕分けになる話が出たときに思ったのだけど、科学者がこんな研究がしたいとプレゼンができ、その技術が将来有望だと思えたなら個人献金を行える場を作ったらどうだろう?
特許はどうするんだ?みたいな反論はあるだろうけれど、子供にも科学に興味を持ってもらえる、いや、むしろ大人に興味を持ってもらえるような場所があったらいいと思う。
とりあえず思いつくままに書いてみたけど、どうだろう?ネットは暇人のための物と言われ続けるのは癪だし、大きな知の塔を立ててみるのも悪くないと思う。小学生がDSで電車の中で遊ぶのに飽きたら、電車のマニアックな構造や歴史を簡単に見つけられるような、ネットにつなげるだけで新しいことを知る喜びを感じられる、そんな世界が5年後にくればいいなぁ。
友達にさえ、そういうのを「吐き出す」という行為で代謝するのって間違ってると思う。友達もそこまで踏み込んでいいのかとか、話されてもな、と感じるだろう。
恋人ぐらいじゃないのか。ベッタベタに甘えながら、その胸の中で吐露するって。それぐらい。
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ただ、悩みの内容の方向性がかなり限定されているのであれば、その限定された仲間の中で吐露するって話はアリだと思う。
仕事の愚痴なら、同僚or上司。それなら話が回って状況が改善される可能性あるでしょ?
恋愛なら、共通の友人に相談。
とかね。
んー、別にそこまですっきりするわけじゃないけど。
っていうか、悪口を言うことよりも、
悪口を前提にして、「なぜ、悪いと思うのか」というところまで、自分の中で整理できたらすっきりする(あるいは、整理するきっかけを得る、ぐらい)。ある程度、あたまのよい他人が読むことを前提に、誰かを批判するときは、多少説得的に書こうとする感覚が発生する。それに、自分がなぜむかついているのか、自分がむかついていることの正当性を他人に認めさせることができるのか、みたいなことを考える。
上司からくだらないことを言われたときに、ストレスためこんでるだけだと、分析的に考える機会を得られない。それは、とても残念なことなので。途中経過として、「悪口」の形をとる。
単なる悪意の発露をさせたい、というので書くのは、誰も幸せにならないので。
他人から見て、くだらないと思われるような自己弁護に陥っている可能性はもちろん、考えながら書くので、そう思われたら、その人は、わたしと付き合ってくれなくなるだろうし。何も言わずに、脳内で自己弁護をしている時のクオリティよりも、他人を前に自己弁護をしているときのほうが、弁護クオリティのほうが高いはず。クオリティの低い弁護はしなくなる。
それと、「くさい」「ぶす」とか、そういうことを他人を嫌う根拠にしてしまうことは、人間としてあまりにも終わっていると思うので、そういうことは、どんな裏の場所だったしても、悪口としては言いません。(他人を嫌う根拠としてではなく、「事実として、彼はくさい。なので、私は彼と長時間、対面で話しをするのはちょっとつらい。メールだと話しやすくて良い人なんだけど……」とか、言うことはありえます。)
………
……
…
というのは、自己弁護で、どうしようもなくむかついた時は、mixiどころではなく、本当に誰もみてないところで「死ね」「あんなのと話してると、頭が腐る。ひからびる」とか書きます。ごめんなさい。王様の耳はロバの耳、方式で、叫ぶことはあります。あまり、ネガティヴな感情を野放図にまき散らしても仕方がないので、ネガティヴになればなるほど、誰もいないところをえらんで書きます。この水準の、純粋な感情の発露としか言いようのないものをmixiや、はてブや、2chで書くことはしていない(…つもり)。
twitterとか、ネットの日記とか、公の場所で特定の個人に対する、「ただの悪口」を書く、というはない。というか、それは明確にしたことがない(自分がやられることは、年に数回あるけど)。他人を一定以上、きついトーンで批判するときは、必ず実名と紐付いたアカウントなどで書きます。それはきちんと、論争 or 批判として覚悟をもって。
でも、まあ、言ってしまうことによって自己観察ができるようになる、というのはいずれにせよ、あるかなぁ。
私は自分から他人に連絡を取ることがほとんどない。
自分から連絡が行ったら迷惑なんじゃないかという謎の恐怖心が先行して、メールを送ることすらも憚られてしまう。
それだけが理由ではないのだろうけど、まぁこんな感じなので、暇が空いたからといって遊ぶような友達はいない。
最近は大学にもあまり行っていないので、自ずと会話という行為を持つ機会は減少の一途を辿るばかり。
訳あって昨日1人にメールをしたが、とりあえずこの1週間でオフラインで会った知り合いは1人だけだ。
オンラインはというと、以前はそれなりに書き込みをしていたmixiやfacebookへも今ではログインすらしていない。
他者との連絡は専らtwitterやmessengerに頼っているのが現状だけど、ここ数日はそれすらもしていない。
これらのツールに触れなければ,他者との交流はまず皆無に近い。
ずっとこんな状態だったら、多分自分が何かの調子に野垂れ死んでも誰も気付かないし、その前に誰も気にもならないだろうな、とふと思った。
他者との接触を断つのは、多分想像以上に簡単だ。