はてなキーワード: miXiとは
デジタルネイティブって、意外と視野が狭くなっちゃわないかな?という危惧。
インターネットがあれば、その気になればいつでも世界中の情報にアクセスできるし、インターネットが物心ついた時からある人は視野が広くもてていいなー、なんてオジサンは思ってたんだけど、そんな単純にはいかないのかもと思い直して見たり。
なにせ、情報が多過ぎる。メジャー所のニュースサイトのRSS登録しておけば、最先端ニュースはいくらでも伝わってくる。mixiにログインすれば友人の状況も逐次分かるTwitterでフォローすれば憧れの人も身近に感じられる。
人間誰しも楽したい、不愉快なことには近づきたくないものだから、面白くないニュースサイトは巡回から外すし、嫌いな人はブロックする。
現実では嫌いな人がいてもしがらみとか色々あって、縁を切るというのは面倒だけど、インターネットだったら簡単だ。
ハンドルネームなんて変えるのは一瞬でできる。
そうこうしているうちに、インターネットから伝わる情報は自分に都合のいい情報だけになってくる。
あたりまえだ。だって、いやな情報をフィルタリングしてなかったことにしているんだから。
だけど、インターネットの前提として『全世界とつながっている』という印象だけは残っているので、少しこじらすと、まるで自分の考えは全世界同じ、自分の意見は常に多数派。自分に反論してくる人は嫉妬した少数派だけ。だから、叩いてもいいし、むしろそれが社会正義だとかいう立派な偏見持ちが出来上がってしまう。
うん、まったく人のことは言えない。いま、この記事が偏見になっているということは二十分にありうる。
今のデジタルネイティブはそんな偏見もたず、全ての情報をフラットに受け取っている、という可能性もある。むしろ、そうであって欲しい。
実際どうなんだかは、人間の観測能力には限界があるし、悪魔の証明になるのであきらめて、せめて私は気にいらないという理由だけで非難するのは止めるよう心がけよう。
単なる思いつきである(と、最初に逃げておく)。
よくある言説だ。「日本の街並みは汚い、欧米の街並みは美しい」という言説。
2chのネトウヨもそれは認めざるを得ないようだ。いくら「電柱の趣が……」と言ったところで、日本の街並みが雑多であることは否定できない。
さらに言えば、東アジアの街並みは日本に似ているという話は良く聞く。
平たく言えば、何か安心する雑多な街並み。
単なる印象論だが、それは、ウェブデザインにも通じるところはないだろうか。
例えば、楽天に出店している店舗のページを見ると、雑多な印象を受ける。
あざといとも言える広告のようなページだ。
印象論ということを前提に呼んでいただきたいのだが、その点、欧米のオンラインストアのページは洗練されたスマートなデザインの様な印象を受ける。もちろん、欧米でもアダルトサイトは、例のごとく、迷宮のように雑多なデザインの所が多いけれども。
それで、街並みとウェブサイトが類似している点がないかな、というのが私の思いつきだ。さらに思いつきを続けると、日本の街並みとウェブサイトが「雑多」にならざるを得ないのは、「漢字」の存在が大きいような気もする。漢字は象形文字的側面が大きいので、(アルファベットに比べて)表現としてダイレクトなのだ。例えば、日本語に「ひらがな」しかなかったのならば、日本でも欧米のようにスマートなデザインが嗜好されていた可能性もあると思う(もっとも、基本、ハングルだけの韓国の街並みは雑多なようだが)
「雑多」なページというのは、ある意味で下品なんだろうけれど、逆に安心できたり、(ドンキホーテの商品の並びように)ワクワク出来たりするデザインである。名前の通り、「雑多」だということは、様々な価値観が入り交じっているということでもあり、許容できる価値観の幅が広いということだ。多分、そこ人に安心感を見出すのだろうし、頭の悪さという意味での敷居の低さを感じるのだろうと思う。
反対に、スマートな美しいデザインのサイトで要求されるのは、「何をどう割り切るか」というセンスであり、その結果としてのシンプルとユーモアであろうと思う。グーグルやアップルはこちら側の代表例だ。こちらも主に人類の普遍性という意味で敷居が低い。
私は個人的には「万人に共通する絶対的価値観」という物はないと思っている。
ある個人として信奉する「絶対的価値観」が真実に近かったとするならば、必ず、それと反対側の価値観も真実に近いと思っている。
だから、両方の価値観を知らないと、世界全体を俯瞰することは出来ないのではないかと思う。
(もちろん、これも一つの価値観なのだが)
もし私の考えが合っているならば、日本がインターネットでグーグルに代表される米国IT業界に対抗するには、「雑多性」を追求するべきなのかも知れない。
実際、グーグルは「インターネットの情報を整理して見通しを良くしよう」としているように見えるが、最近、元気なGREEなりmixiなりモバゲーなりは、「(いろいろなサービスがごちゃ混ぜになっている、デザインが野暮ったい等の)雑多性」もそうだが、「(グーグルの検索に引っかからない)SNSという仕組みでネットの見通しを悪くし、多様な価値観を許容出来るような方向性」を目指しているように見える(大体、検索の性能が良すぎるから、自分と意見の違う人間を見つけやすいのであって、争いが起きやすいのであって、殺伐としやすいのである)。
すでにウェブ上に落ちているアイディアかも知れないし、そんなに大した話でもないのだが、何か日本におけるウェブサービスの収益化のヒントになると嬉しい。まあ、増田に書いたところでどれだけの業界人が見てくれるかは分からないけど(自分のブログに書いても誰も見ないだろうしなあw)。
ていうかtwitterがただのコミュニケーションツールの1つとして使われているのは、むしろだいぶそういうネットコミュニケーションに対する偏見が減った結果かなと思っている。
その昔あったパソコン通信をテーマにしたドラマではパソコン通信らしさを演出するために「モデムに向かって語りかける」なんていう場面があったりしたわけで、それに比べたら格段の進歩だよな。
別にコミュニケーション取れるならtwitterじゃなくてもmixiでもブログでも一緒じゃんというのは実際まさにその通りなわけだし。
ネットで知り合うことの特色といえば、顔あわせる前から既に相手とある程度密なコミュニケーションをとっていてなんとなく知った気になれて、だけどその気になればリアル生活については詐称することもできるっていう部分なんだから(そういう行為の是非はともかく)それがまことに正しく表現されてるんじゃないか。
ハンドルで名前呼び合うのは気持ち悪いっていう価値観の人も別にそうめずらしいものでもなくて、ネットやってない人の間では割とメジャーな言説だったりする。
逆にそういうスタンスの人でも使っているネットツールという形で紹介されたのは「キャズムを超えた」ってことなんじゃないかね。
いままで mixi に Twitter に何度か登録して、友達なんていないから何もできずに終わったのが数回。
もうやらねーと思ってたけど、 Twitter の UI とかを調べたくて、また登録した。基本的に自分からフォローはしないのだけど、一ヶ月でフォローしてくれた人が 20 人になった。 bot は消してる。その中にぼちぼち双方向にやりとりできるひとも増えてきてる。
いままでとの違いは、背景やアイコンを自分で描いた風景画にしたことくらい。今時のこととか面白い事は一切つぶやいてないし、人の話題に乗る事も殆どないんだが、そんなことで人の興味なんて引けるものなんだな。
だからフォローしてきてくれたひとは、絵描きさん関係が多い。自分は絵は得意じゃなくて、ただ背景をデフォルトから変えたいって思っただけなんだけど。
友達関係のある人からみたら 20 人なんてゴミみたいな数なんだろうけど、それなりに Twitter 面白いなーと最近初めて思ってる。
年ととれば本音が言えなくなってくるもんなんだね、明智君。
大阪の事務所でたばこ吸いまくって、提案書作って分析やって、東京でプレゼンして、また大阪に戻って提案書書いて、東京行ってプレゼンして。
好きな仕事で、やりたいことで、一生懸命やって、結果もきちんと出て、会社に戻ってそれを横展開するための準備して
本当は充実してるはずなんだけど
はたと立ち止まって、思うことがある。
「自分これでいいんだろうか」なんて。
きっとこの気持ちの源泉は、周りの友人や同期とのつきあいが結婚という行為を通してどんどん変わっていくこと。
それにつきるような気がする。おいて行かれる焦りがあって、自分だけは今になってきちんと物事を決められない呵責とピッタリ背中をあわせている。
今からたった3年前は、女と遊ぶことが生き甲斐のような感じで、罪の意識もなく女を裏切っては次、裏切っては次の繰り返し。
でも、肝っ玉の小さい俺は、本当はそんなことを器用にやって、人を切り捨てるようなことをできるようなタマじゃなかった。
今になって、まじめにつきあってこなかったことの後悔がある。自業自得なんだろう、なんとも思う。
今更ながら、気の小さい自分が前面に出てきてしんどいんだ。
mixiにすら、本音はかけない、こうして匿名の日記に自分の気持ちをはき出してみて
誰にも伝えることのできない、自分の弱さを吐露するしかなくなった。
暗い気持ちが先行するようになっては、人生の展望さえ開けない。
そんなこたぁ言われなくたってわかってんだ。
周りの人とは、まぁまぁうまくやってる。友達もいるし、週末だって予定が入らないってこともない。
なのに、なんで満たされないんだろう。その理由が分からない。
もっと素直に、快活に生きれば。
親譲りの、根暗な性格と、被害者意識の強いこんな気持ちが心を支配して、
俺なんてもんはーさっさと死んだ方がいいのかもね、なんて思ったりもする。
これって鬱って言うんだろうか。
自分が鬱だってことすら認めたくないくらい、プライドが高い自分が大嫌い。
アラサーに入ってから、暗い話にばかりやたら詳しくなった、民夫さんが歌うこの歌詞の一節が
強烈に自分の胸を指すくらい、鮮明に理解できる、そんな心境。
俺、何やってんだか。
なんて偉そうなタイトルだけど、一番大きいのはもしかして、twitterがポジティブメディアになり得たからじゃないかな?
テレビを見てもネットを見てもネガティブな情報に洗脳されて、mixiではコミュニケーションを強要されて、疲れきったところに有名人や頑張っている人のポジティブな情報が癒しのシャワーのごとく流れてきたら、そりゃ元気になるってもんですよ!
そして自分もポジティブな情報を発信したくなるし、そもそもネガティブ情報ばかり配信してちゃフォロワーが増えないしね!
ただ、それ故心配なのは、ポジティブな情報に飽きて、TLの先にいる人と自分を比較して、「なんて自分は惨めなんだ・・・」とコロッと急にネガティブになっちゃう人が増えてしまうということ。
そうなると、今までの癒しだったハズのポジティブ情報は逆に自分にとっては辛い情報になって、無理して偽りのポジティブ情報を自分もツイートしていたことが馬鹿らしくなって、twitter疲れ→twitter退会という流れが加速してしまうのだろうか・・・。
先月あった話なんだけど1ヶ月経っても未だにもやもやするので身バレ覚悟で書く。
注:俺とAとBとCは全員お互いに面識もあるし、仕事の出張でお互いがお互いの住んでるところに
よく行くので年に数回は飲みを交わす間柄。
Bが結婚することになり、嫁も神戸の方だそうなので神戸で式を行うとのこと。
AがBの結婚式の2次会に来なかった。当然B及びCから誘われてたし、俺も来るものだと思ってた。
Cにたずねたところ、お金が無い+体調が悪くて外にも出られないとのこと。
体調不良じゃ仕方ねーなぁと思って俺は2次会へ参加することに。
自慢できるほど裕福な生活も送ってないのでネットで検索をかけなんとか3万で往復宿泊プランをゲット。
神戸に行って2次会に参加し、楽しんで帰ってきた。
「今日のライブ最高だったー!」の文字。・・・あれ?体調悪い+お金無いんじゃなかったの?
よくよく見ると数日前の日記にチケットをヤフオクで確保した定価より高くついて○万円・・・との記載。
お金無いんじゃなかったの?
体調悪いんじゃなかったの?
あげく俺もBもCも閲覧できるmixiでそれ書いちゃっていいの?
誘った側からすると凄くショックなんじゃないかなぁ・・・。
それとも2次会だからいい!のかなぁ・・・。
>>株式会社ミクシィ に行ってきた!
>>http://blog.kushii.net/archives/1274654.html
どうせ見せるなら仕事場見せろよ
ネトゲのギルドつながりで知り合って、今はゲーム自体よりもリアルで絡むのが主体になった人たちがいる。
いい歳になってきたしリアルも忙しいし、何よりもうそろそろゲーム自体が寿命なのだ。
現状はこいつらと飲んだり食ったり行楽したり新しい漫画アニメゲームを薦めあったりしたい、というコミュニティであって、ネトゲという共通の趣味はもはや発端でしかない。
で、元からリアルでの交流も多かったのだが、交流の主体としてはmixiが用いられていた。
旅行の計画だの、やれ上京するから暇な人迎撃してよ!だの、楽しく遊んでいたつもりだったのだが…
ここにきてツイッターである。
いつの間にかmixiでの発言やら日記やらが減ってきて、ああついにこのコミュニティも衰退して疎遠になっていく段階にきたのかな…と思っていたら、みんな何も言わずにツイッターに移行していっていたのだ。
ふとした興味で、ツイッターをやっていると公言していたギルドメンバーのアカウントを糸口にフォロワーをつたっていったらこれが出てくる出てくる。
活発度はギルドの全盛期そのまま。
だったら自分もアカウントとって、となるのが普通の前向きな発想なんだろうけど、私の場合そうならなかった。
何十人もフォローするのが苦痛。
クラスタだのハッシュタグだの、沢山の人をフォローしたり沢山発言したりすることで帰属意識を高める要素みたいなのが苦痛。
そもそもみんなよろしくやってるのに声がかからんかったっていうのは私が参入したら迷惑だろう…
というところまで至って、あーこれ非コミュの発想じゃないか。となった。
楽しく交流できてると思っていたのが間違いだったのだろう。
みんな楽しくやっていってください。
いまや巷で大流行、新聞やテレビでもその名を見かける Twitter ですが、そろそろ Twitter 歴 4 年目に突入する長老たちが増えてきたのではないでしょうか。
大昔は、全角文字と半角文字の間に半角スペースやドットを入れたりしないと日本語が使えなかったり、
GoogleTalk から発言できる IM という機能があったりしましたが、それもすべて昔話。
時代は変わり、 RT やハッシュタグを利用した、昔は想像も出来なかったような Twitter に風変わりしてしまいました。
そんな時代に取り残された長老たちのための Twitter 再入門講座をしたいとおもいます。
Twitter 新参の若者たちは、古参の風習なんて知りません。まして RT を会話に使ってはいけないなんて知らないんです。
だって、あの有名な芸能人だって RT で会話してるでしょ? だから私も RT を使うの。
RT を利用した会話に寛大になりましょう。むしろ、率先して RT を使いましょう。
RT は ReTweet だ? 公式 RT ? そんな人は放っておきましょう、 Block しましょう、それが Twitter です。
古参アカウントをそのまま運用しても良いのですが、ここは気分一新、新しくアカウントを作りましょう。
特に難しく考える必要はありませんが、名前は分かりやすい、読みやすいものが良いですね。
アイコンは、 Twitter 上での顔とも言える重要な部分です。是非ともアニメ系のアイコンは避けておきたいところですが、
特に思い付かないときには好きな食べものの写真とかにしておくと良いでしょう。私はカツレツにしていました。
どちらにするか悩ましいところですが、ここは是非ともパブリックアカウントにしておきましょう。
というのも、後述する「フォロー時の挨拶」がプロテクトアカウントでは出来ないからです。
また、プロテクトアカウントの RT をためらってしまう優しい人もいるので、ここは是非ともパブリックにしておきましょう。
日本語で書いてください。 Tokyo, Japan とかちょっとカッコいいですけど、日本人相手なので、東京って書きましょう。
とーきょー、とかでも良いですね。
ここには間違っても d.hatena.ne..... とか書いてはいけません。はてなとか誰も使いません。
もちろん iddy とかも書いてはダメです。 iddy ? ナニソレ?
オススメはアメーバとか jugem でブログを書いて、そこへの URL を書きましょう。
でも、この講座を受けている皆さんは持っていない方が大半だと思われますから、無いなら書かなくて良いです。
Bio の欄は自己紹介を書きましょう。ここは古参であるとか新参であるとか、あまり気にしないで良いと思います。
自分の興味のある単語をタグクラウド的に繋げていきましょう。でも技術っぽい内容は NG です。
好きな歌手とか、音楽のジャンルとか書いておけばいいでしょう。
「フォローご自由に」と書いてはいけません、ちょっとお爺ちゃんっぽいですよ。ここには「 follow me ♪」と書いておくと若者っぽいです。
さて、フォローをしましょう。長老たちはどうやったか? ついったー部の「フォローご自由に」のページですね。とても重宝しました。
ですが、ここではそんなことはしてはいけません。ハッシュタグを検索します。そう #followmejp から適当にフォローしましょう。
さて、フォローをした後には、どうしたら良いでしょう?
そうです、感謝の気持ちを伝えなければいけません。何事にも礼儀を主んじる日本人らしい行動ですね。
@kohmi フォローさせて頂きました。これから宜しくお願いします〜♪ #followmejp #sougofollow
こういう風に発言できれば完璧です。
これを見て分かるように、ハッシュタグを有効に使うことが大切です。特に #sougofollow を付けている場合は、
相互フォローお願いします、と言ってみるのも良いでしょう。
フォローをして、リフォロー(フォロー返しのことです)されたら、すかさず DM で感謝の気持ちを伝えましょう。
同様に、新しくフォローされた場合には、直ぐにリフォローすることが大切です。
こうやって少しずつフォロワーを育てていきましょう。
皆さんの大嫌いな非公式 RT を使って会話をします。 Reply なんてインテリぶった機能は使いません。
RT の方がみんな見れて良いし、知らない人にも共感してもらえるので、とても良い機能ですよ。是非とも使いましょう。
mixi でやれ
ハンディを負っている訳でもないのに努力を怠る人は好きじゃない。
しかし実際には、
安定した世界に包まれることが多い気がする。
低い位置で安定している。
そういう、ぬるま湯みたいなやつを嫌っていたんだけど、
最近は考えを変えた。
それはそれでいいというか、
どうしても、そういう風になってしまう気がする。
そのお陰でPCは普及したし、分かりやすかった。
mixiも同じ。
Googleだって、低い位置で安定するようにならないとは限らない。
排除される者というのが出てくる。
競争が起こらない。
新陳代謝がなくなる。
しかし、それには目をつむっても、
いいのではないかと考えるようになった。
そう考えると、
肯定的に捉えられる気がしてきた。
状態としては悪いけど、低い位置で安定している。
mixiのあるコミュで少し話題になった「浮気」についてモニョモニョしているので書く。
浮気、と検索しても全く該当コミュが出ないくせに、そういったコミュが多いmixi。出会いって駄目のはずなのに、そういうコミュもある。
(しかしまだ学生であり、知り合いに浮気をしている人はいない(いるのかもしれないけど知らない)ので、書いている内容は推測が多いので悪しからず・・・)
あるコミュにいた人は、父親が浮気してその浮気相手が家に乗り込んできたことで一家離散したそうです。そのため浮気している人たちが憎く、浮気コミュで惚気たりしている人に対して一言言わずには居られなかった。そこで浮気コミュに乗り込んで、浮気をしている人に対して怒りました。怒られて「私は悪いと思っているけど」なんて言う浮気女はいるわけでもなく、「何が悪い?」という態度でイタチごっこ。
一言何か言いたい!という気持ちは凄くわかった。私が同じ境遇だったら、のうのうと浮気している奴らをみるとパソコンを投げているところだわ。
浮気を咎めれば色々な言い訳がでてくるわけですが、そこに浮気相手の配偶者の気持ちを本当に考えている人はいるのか?と思う。
考えていてしているなら性格歪んでる。スワッピングみたいに同意性のものなら別ですが。
隣の芝は青い、のように人のものだから良いのであって、相手がいざ離婚して自分と真剣交際しようとなると冷めるのかな。
「そんな、あの人が別の人と・・・」としくしく泣くよりも先に「あいつ私を舐めやがって!」とプライドを傷つけられたことに苛立つと思う。泣き寝入りなんかしないよ!
「見たくないものは見るな」という言葉があるとおりに、そういうコミュを見なかったらいいだけの話かもしれない。
しかしながら世の中に浮気は蔓延しているようで、某番組で浮気をしているという女が毎週出ていたのは流石に驚いた。やらせだとしても・・・気分悪い。
mixiのエイプリルフールネタに利用者激怒 せっかく育てた「サンシャイン牧場」が山火事で灰に
ttp://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52274964.html
78 名前: 手錠(長崎県)[] 投稿日:2010/04/01(木) 14:15:14.23 ID:aIjLBqd+
そんなに畑仕事したいんならうち来いよ
484 名前: 目打ち(長屋)[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 14:16:28.21 ID:2aROsmwi
»478
488 名前: 手錠(長崎県)[] 投稿日:2010/04/01(木) 14:17:09.86 ID:aIjLBqd+
»484
いや楽しくねーよ
506 名前: スプリッター(神奈川県)[] 投稿日:2010/04/01(木) 14:20:51.24 ID:4vLyacZ/
»488
ワロタ
517 名前: 釣り竿(石川県)[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 14:22:35.89 ID:g9Rks/Zl
»488
ワロタw
494 名前: 目打ち(長屋)[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 14:18:05.99 ID:2aROsmwi
»488
そこは楽しいって言ってくれよ
それにより苦痛をうけた。
「ニヤリ」とされ「『そんな簡単な嘘にだまされちゃだめですよ』とか何とか、情報リテラシー」
などと説教された。
まず第一に「あるオタク」がそうであったからといって、
実際に「あるオタク」と同じ傾向を持っているかは分からない。
さらに言えば、「あるオタク」+「2ちゃんねるの一部」だけを、
鑑みて、「オタクは全ていやらしいものである」と認定することはできない。
「オタクは無害であり、おとなしくしている分には
(筆者には)扱いやすかった」としている。
つまり、今まで「無害であった」と思っていたものに、
「牙を向けられ」、「頭に来た」ということなのであろうか。
「見下している」。
また筆者はヤリチンのいやらしさを、「下品な性欲のいやらしさ」としているが、
そうではないのではないだろうか。
「下品な性欲の(対象として私を見てくる)いやらしさ」なのではないだろうか。
さらに言えば、筆者が言っているオタクのいやらしさについても、
「人を見下す精神的ないやらしさ」ではなく、
「私を見下した精神的ないやらしさ」なのではないだろうか。
無論そういったいやらしさを認めるものではない。
しかし、「オタク」は常に「人を見下しているのであろうか」。
確かに、2ちゃんねるの一部では、社会的弱者を一方的に誹謗中傷している
ことがあり、それは全く認められたものではないが、
人のことを見下しているとは思えない。
そういった、「人を見下すいやらしさ」やなんらかの「いやらしさ」と、
解釈されかねない態度をしない人はいるのであろうか。
私は存在しないと思うし、そのような人がいるとしたら、
押しつぶしているひとなのであると思う。
自分の行動を振り返ったときに、嫉妬をしたりそういった暗い感情が
湧いてきたことは今まで一度もないという人はいるだろうか。
「三次元で人として最低限の尊敬しあえる関係を結ぼう」ためには、
そういった「暗い感情」も含めて人間として、今目の前にいる存在として、
認めていく必要があるのではないか。
「あいつらは腹黒い」「あいつらはいやらしい」といって、
他人の欠点ばかりを断罪することは可能であろうが、
そういった欠点ばかりを断罪していても、
「三次元で人として最低限の尊敬しあえる関係を結ぼう」ことにはならない。
もし、「三次元で人として最低限の尊敬しあえる関係を結ぼう」と思っているのであれば、
「エイプリルフールだから何でも許されると思っている奴は嫌い」
「『エイプリルフールなんだからムキにならないでよ』とか言うヤツも大っきらい。」
などといっていないで、その人たちに向けて、もしくはその「あるオタク」に対して
「わたしはあなたの~~がきらいである」と表現したらどうなのであろうか。
「わたしはあんたのそういったいやらしさが嫌いである」となぜ表現しないのであろうか。
つまるところ、筆者にとってのオタクは「無害であり、おとなしくしている分には
(筆者には)扱いやすい『物』」であり、
「正常」で「三次元」で、「人として最低限の尊敬しあえる関係を他の人々と結んでいる」わたしにとっては、
「オタク」など「扱いやすいもの」以下の何者でもなかったのであろう。