はてなキーワード: DTPとは
「やる夫がIT土方になったようです」を見てガクブルしている新人さんのために。
刺身にたんぽぽを載せる仕事と違って「量」ではなく「質」が求められるんだよ。
ひとつの要望に適った美味しいレシピにたどり着く為に、チームの皆が腕を振るって何度かの試行錯誤を経てひとつの結果にたどり着く。それはソフトウェア開発に似ている。
良いレシピを得るためには何が決め手だと思う?
それは投入した時間の「量」ではなく、その時間の「質」だ。専門性や経験の深さといった、知識や知恵が如何に効果的に働いたかという「質」が決め手となる。
素人が集まって1024人月の間 材料をこねくり回すより、知識と経験のあるチームが作って試して改良してのステップを何回か踏んだ方がより美味しいレシピに辿り着けそうじゃない?
だから、エンジニアは質を磨く事が大事なんだよ。
よく「体力勝負」やそれを揶揄して「土方」なんて言葉が舞っているけど、それが量を指す言葉なら違和感を感じて違うなぁと思えるのが普通のエンジニアだと思うよ。
もうひとつ量と質について。
ソフトウェア開発には「work 40 hours per week」というプラクティスがある。
人間の集中持続時間には限界があるし、質の良い知識労働を提供するには仕事以外の時間 - 大切な人と過ごしたり、感性に刺激を与えたり、興味の赴くままに技術で遊ぶ時間 - が必要だ。
だから長期的に見て週 40 時間を仕事に投入するのがちょうど効率がよいと言われている。
どう?納得出来そうじゃない?
勿論、残業もあるし40時間以上を求められる環境に放り込まれるかも知れない。
でも肝心なのは、自分がどうするかだと思うんだ。
「仕事をこなす」事を考えるに当たって、量でなく質のアプローチを取ろう。
例えば、8時間の密度を高める事を考える。
フレックスで働ける職場を選ぼう。自分でハンドルを握れる環境を選ぶ。そして不平を言い合う仲間に参加するのを止める。
生活のサイクルを整え、仕事中のインタラプトを減らし、如何に集中力を高めて8時間を過ごすか、それに心を砕こう。
努力目標のようなアバウトなものでなく、測定出来る問いかけを作ろう。
「今日は集中出来たか?」
を自分に投げかけてみよう。
「何故、そう言えるか?」
を考え、測定可能な指標を持とう。例えばアウトプットを数えたり、繰り返し使う幾つかの質問を作ったり。
毎日、そして1週間や1ヶ月ごとに振り返り、自分の「8時間の密度」を確認し改善していこう。
人事考課を四半期に一度くらい行うような会社なら振り返りのちょうど良いタイミングにもなるね。
個人で上手くいったのなら仲間に広げ、会社に広げ、周囲に影響を与える事を考えてみよう。
そうやって、プロフェッショナルを目指そう。
そう、「プロフェッショナル」だ。
今の世の中、プログラムなんて誰でも組めるんだよ。日曜日に趣味でコードを書いている人が普段仕事としてそれをこなす人より優秀だなんて今は普通にある話だ。
やる夫の話でも何の知識も無い人たちが放り込まれて動いてたよね。
でもそれを見てどう思った?
自分がお客さんだとして、この人たちに安心して仕事を任そうと思う?
尊敬出来る?
あの話を見てそんな気持ちが湧いてこないのは、それは彼らがプロではないからだと僕は思っている。
プロって何だろう?
先に書いたように、プログラミングは特別なスキルじゃないし、特別な道具もいらない。
そういったスキルの有無や道具が専門性を隔てる時代は色んな場所でとうに終わっている。
例えば、料理は昔からそうだったよね。誰でも作れる。今はレシピも道具も材料も普通に手に入るようになり、ますます「料理」は普通になった。
でも、プロは消えてないよね。それどころか、一般層が料理へのスキルや知識を蓄えるにつれ、ますますプロは存在感を増したように思える。
優れた一皿に出会ったとき、それで幸せな時間を過ごせたとき、また来たい、またこの時間を持ちたいと自然と思わない?それを提供してくれた人たちへの畏敬の念を感じない?
それがプロフェッショナルだと思うんだ。
もう少しソフトウェア業界に近い話をしよう。デザイン業界がそうだ。
紙媒体のデザインは DTP によって、またデザイン分野自体も web デザインが入ったり、コンピュータの普及によって道具の壁が無くなり、スキルの壁が下がり(ロットリングって何?)誰もがデザインに携われるプロアマ不可分の世界に晒された。
でも彼らはその中でデザインの本質を問い、プロフェッショナル性を追求し、デザイナがデザイナである故の理由を手に入れて質によって生き延びてきた。
生き延びるというと失礼だ。優れたデザイナの仕事は一目でそれと分かるくらい強烈に違うし、大きな価値をもたらしている。彼らは競争に晒されてより大きく進化したのだと思う。
スキルや道具が最早壁でなくなり誰もがこの業界に流れ込んでくる今だからこそ、僕らはプロフェッショナル性について考えなければならない。
そうする事で自分に関わる人たち - 仲間やお客さん、お客さんの向こうにある社会全体 - により大きな価値をもたらす事が出来る。
ちょうど魂のこもった一皿に出会ったときのように、鳥肌が立つくらいのデザインに触れたときのように、大きな価値ある仕事を生む事が出来るようになる。
プロフェッショナルになろう。
プロフェッショナルとはどういう事か、考え、学び、改善を重ね、楽しもう。
環境に不平を言うのではなく、自分の行動を変えよう(そのために環境選択の自由を行使したっていいんだよ)。
「エンジニアでよかった!」とか「コードで世界を変える!」とか、ちょっと探せば気概と希望に満ちた言葉も先輩達も直ぐに見つかるよ。
勉強会に顔を出せばそんな人たちと直に出会えるし、いっぱい刺激を貰えるよ。
オープンソースコミュニティや PHP、Perl、Python、Ruby といった Lightweight 言語のコミュニティがお勧めだよ。まずは weblog を辿ってみよう。楽しそうと思ったら試してみよう。
今はどこにいても「学び続ける」ことが問われて行く時代だ。
コードを書く楽しさだけでなく、学び続けたり考えるために必要なスキルが最も身に付く職業だ。
この春からエンジニアになるあなたはとても素敵なポジションにいると思う。
エンジニア職でプロになろうと頑張る中で手に入るものはとても多いよ。凄い事じゃない?
今の世の中は楽しんだもの勝ち。
「楽する」の楽しいではなく、夢中にさせちゃう「楽しさ」ね。
だから悲観的な話や自嘲の声でお茶を濁すのは適当なところで止めて、別の方向を追ってみようよ。
楽しさが見えてくるハズだよ。
どこかで会う機会があれば僕もそれを伝えたいと思うし、何より日々の行動の中で示して行きたいと思っている。
あなたの会社に幸せそうに仕事をして未来を語り「コード楽しいぜぃ」と語るお酒好きの先輩がいればそれは僕かも知れない。
楽しくするのもしないのも、すべて自分次第。せっかくなら、楽しい方を選んでみない?そっちに耳を傾け、そっちを一緒に考えようよ。
俺の手元にメディアの作り方という本がある。別冊宝島。B5判。中身はミニコミ、同人誌の作り方。デザインの方法(DTPじゃないよ)から印刷、製本の流れ、流通のノウハウまで手とり足とり。さすがに仲間の集め方とか記事の書き方までは載っていない。
当然、いくつかのミニコミ、同人誌も取り上げられてる。いわゆる同人誌から、セミプロ級のミニコミ、プロが趣味で作ってるミニコミ、完全に商業ベースのやつまでいろいろ。
こういうのを読むと、やっぱり現在はメディアの作り方の敷居は低くなった。白木みのるくらい低くなった。例えばはてなダイアリー。簡単、コストが低い、キモい。どんくらいキモいかっていうと新興宗教と同じくらいキモい。
自分もwebからは遠かった人間なので(最近ちょっと足突っ込み中)、ちやほやされるはてなみたいな会社がうらやましいなーとか思ってた。
スクリプトとかでごにょごにょするだけでどうにかなるんだものプログラムというよりはDTPだよね。
出版広告からの転身が多いのもうなずけるよ。
多くても数人でやるような規模だからね。
でも、多くのエンジニアはWEB業界じゃないところで働いているんじゃない?
いや、そもそもコンピュータと関係ないところでわれわれの生活を支えてくれる人の方が多いだろ。
プログラマがどうこういったって、どっかのだれかがちゃんと光ファイバーを融接する技術をもっていなかったら通信もろくにできないわけだし、
定食屋のおじさんの基礎技術がなかったら今日一日暗澹たる気持ちのまま腹をすかせてすごさなきゃいけない。
Windows以外でゲーム開発があまり進まないように見えるけど、
YahooやIT MediaでMacやUnix系で動くゲームなんてわざわざ宣伝しないんだろうな。
(ごめん、根拠なんてないよ。)
でも、いろいろソフトウェアパッケージのリストを眺めていると、いろんなゲームってあるもんだよ。
freesivとかsimutransとかね。
まあ、そうは言っても、ネトゲするんなら事実上(?)Windows以外に選択肢は無いわけだし、
JavaプラグインもFlashプラグインもWindows側の方が力入ってるみたいだし。(Macは知らないけど。)
Mac陣営とLinux陣営に対する世間の扱いはひどいもんだ。
Rosegarden, NoteeditといったMIDIのエディタもある。
一応、音やCGの面ではWindowsでできることなら、Linuxでもできそうに思う。
Windowsほどに使えるツールと出会えない可能性が大きいけどね。
たしかにGimpはPhotoshopやIllustlatorと比べるとフィルタやツールの面で見劣りはするかな。
主張したいことは思いっきり同意なんだが、文が長過ぎて陽動力が不足している。
母親は生保のセールスしてたし、姉たちも子供二人産んでいるが、それぞれ美容師とDTPオペレーターをして働いている。
義理の姉は地方で教師をしているが最近出産した。義理の妹は0歳児保育を利用して養護学校の教師に復職した。
育児出産のために勤務先に制限があるというのは、実態を見ているのでよく分かる。
だけど結婚しないし育児もしないで還暦迎える独身者でもないかぎり、男でも女でも、それぞれなんらかの制限は有るよ。
性別による制約の強弱は有るけど、制約の有無ではない。
おそらく自分の身の回りにそういう考えの女性しか居ないという世間の狭さが原因だとおもうけど。
そうだとしても「女性だから○○なんだ」という極端な論理展開には違和感を感じる。
「女性には○○という傾向がまだまだ多い」ぐらいの書き方で、いちいち書いてほしいと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20070128233637
思えば俺の親父も、けっこうヘンな人である。
化学合成を主とする製品を扱う学部であるからジャンルとしては理系に分類されるはずなのだが、俺が小さい頃からすでに俳句や漢詩・囲碁をたしなみ、正月での祝詞(我が家の宗教は神道である)の際はかならず一家を列席させて神棚に手を合わせさせたりだのと、「ヘンなエンジニア」ではあった。北杜夫や遠藤周作・あるいは司馬遼太郎といった小説に親しむ一方、大学時代は山岳部に在籍し富山・長野間の山に登ったりしていた。その兼ね合いでか、俺自身も理系崩れではあるが、四字熟語や「句読点のルール」といった分野には妙に関心を抱くようになった。
(その一部が、かつて在籍し倒産したDTP会社では、多少は生かされたとは思ってはいるが)
あと読書だけど、おカネが無くても古典を読むだけなら、「青空文庫」でも幾らかは読めるからね。自分のお勧めは、宮澤賢治と中原中也。今度は、太宰治作品に挑戦してみるつもり。