はてなキーワード: 池田先生とは
http://anond.hatelabo.jp/20091011164125
これを読んで、思ったことをつらつらと。
まず、池田先生のネットに対する姿勢がよく表れている、この記事を引用させていただく。
ひろゆきは「賠償金を取る方法はない」と高をくくっているようだが、バブルの処理のときは、同様に開き直る不動産業者を警察は「競売妨害」などの罪で大量に投獄した。要は「あいつは悪い奴だ」というコンセンサスができるかどうかが問題で、そういう「国策」があれば犯罪は(よしあしはともかく)いくらでもつくれるのだ。ライブドアやWinnyには擁護論が高まったが、2ちゃんねるが閉鎖されても同情する人はほとんどいないだろう。
前にも書いたように、排泄物を見れば健康状態がわかるという意味では、2ちゃんねるにもいくらかの意味はあるかもしれません。異様な匿名志向の強さは、「表」の生活で彼らが強く抑圧されて「本音」を押し殺していることを示しています。ふだんはおとなしくて礼儀正しい日本人の「裏」の顔が、実はこんなにおどろおどろしいというのは、まぁ他では知ることのできない貴重な情報でしょう。
端的に言わせていただく。池田先生は、下品である。
刑事犯でもない人間を犯罪者がごとく扱い、呼び捨てにする。亀井大臣を、「亀」などといった明らかに侮蔑をこめた呼称で呼び、「あいつはヤクザとつるんでいる」などと公の場で言う(仮に事実だとしても、確たる証拠もないのに言うのはちと問題。ちなみに私だって亀井大臣の政策は大反対だし、正直早々に辞めてほしいとは思っている。その上で言っている)。公の場で人をクズ呼ばわりする。twitterで罵倒してきた人間をわざわざ晒し、わざわざ「こいつをブロックしてやった」と宣言する。2chを排泄物に例えるなど、あまり上品とは言えない例を平気で出す(「便所の落書き」というのは自嘲ネタであって、外部の者がそれを踏まえて揶揄するにしては、いささか下品すぎる)。
2chの経験もまったくない人のために少し基礎的すぎることから話すけれども、2chのヘビーユーザーはIEやFirefoxといったwebブラウザで閲覧・書き込みをすることはめったになく、Jane Doe Style(余談だがJane Doeとは「山田花子」的なありふれた名前、つまり事実上の「名無しの権兵衛」を指す。2chの名無し文化を象徴しているセンスのあるソフト名である)などといった「専用ブラウザ」を用いている。これが非常に便利で、自分が好かない言葉を表示させないようにしたり、気に食わない人間のIDを指定してその日の彼(彼女)の発言をすべて抹殺することができる。これを「あぼ~ん」というのだが、世の中にはいちいち「てめぇなんてあぼんしてやったからwwww」とばかりに対象のレスが消えた状態を相手に見せつけてくる趣味の悪い輩がいる。
これと、池田先生の「twitterブロック宣言」(参照1)(参照2)(参照3)(参照4)は同じなのだ。いわゆるネット弁慶のねらーとやっていることは大して変わらない。私は池田先生のそういった幼稚なところが一人の人間として大嫌いなのだ。本質的には池田先生と彼の発言をいちいち取り上げて「ネットいじめ」に近いことをしている連中は、同じ穴の狢なのである。
ここで、「名無し」と実名でやってる学者を対等に語るなという批判はもちろんある。さきほど挙げたブログにも、コメント欄にこんな氏の発言がある。
2ちゃんねるに対する評価は、そこに書かれる可能性のある(名前の知られた)人とそうでない人とでは、まったく違うと思います。事実無根の悪口を書かれる不快感は、そういう経験のない人にはわからない。他人に対する想像力もない人が「お前はわかってない」などと説教するのはやめてほしいものです。
なるほどなるほど、正論、と私は思う。
そもそも何故匿名が叩かれるのかといえば、攻撃の一方向性にあるのだと私は考えている。反論する場所を与えられていないのは、苦痛だ。言われっぱなしはつらい。学校や職場における1対多数のいじめが何故いけないのかというのも、ここにある。殴り返す相手もいないまま、自分だけボロボロになっていく。これは卑怯だ。事実私も、はてブのホッテントリに池田先生の自転車云々の発言が載っていたのを見て、ドン引きした。これはひどいよなと思った。これ以上アクセス数を伸ばすことに加担するのはよくないと思ったので、ブコメは読んだものの私は登録しなかった(したらますます上に上がるから)。
話が散漫になってきたので、改めて私が一人の人間として池田先生を好かない理由を述べる。
それは、下品で甘ったれた世間知らずの幼稚なオヤジだからである。ひとつじゃない?言語化するとそうかもね。でも「こういう人間」だというのに形容詞がいくつも必要だっただけだ。ていうかまぁ、ぶっちゃけるとタイトルは切れ味がいい方がいいじゃん。
匿名の集団による叩きは卑怯である。じゃあ実名は正義か。そんなわけないだろう。
池田先生の発言は公ですべきものとはとてもじゃないが言えない。2chの煽りに「お前、じゃあそれ俺と面と向かっても言えるんだな?」と返している人をたまに見かけるが、それに対し「ああ、言えるさ」と平然と答える人間は私は軽蔑する。反撃される覚悟を以てして言ってるからいいのだ。そんなわけないだろう。路上で一方的に殴っていようが殴り合っていようがおまわりさんが見かけたら怒られるに決まってる。一方通行の煽りは、卑怯だ。でも双方向ならいいかっていうと、それは違うでしょ。
そして、暴露してしまうと、実は池田先生は正々堂々としているかというと、そうでもないのである。
何故なら罵倒してきた人間をクズ呼ばわりして、公衆の面前に晒しておいて、そこで「あぼん」をしたからである。「あぼん」された側は以降池田先生に反論ができない。クズ呼ばわりされた弁解もできない。一方通行の罵倒で終了である。本来、ブロックにせよあぼんにせよ黙って各自が勝手にするのがスマートというか、マナーだとは思う。捨て台詞吐いてフタを閉めてるようじゃ、2chの卑怯者とやらとなんら変わらない。
私は以前からそれを池田先生に対し実名アカウント等で直接本人に何度も言ってきた。無論、反応はない。先生は多忙なのだからそれに対しては文句は言わない。一人の人間としてそれはどうかと思ったから、一人の人間として抗議というか忠言というか、そういうのをしたまでだ。学者先生とか、そういう肩書の問題じゃあない。メディア論を語る人として、ネットの言論を引っ張っていくアルファブロガーとして、そういったレベルぐらいはちゃんとしようよ、ということだ。私から言わせれば先生、あなたの罵詈雑言こそがネットのノイズなんだよ。そういうことなんですよ。
というわけで実名でも匿名でもネット空間を活用してる一小市民の私が、池田先生に対する反感を代弁してみた。多分、いわゆるネットイナゴ的な動機で騒いでいる人だって多いだろう。ただ、私のように「てめぇだって卑怯じゃねぇか」と思った上で抗議している人間が存在することも池田先生は分かってほしい。
ちなみに今回は、増田が「匿名」でしたので、私も「匿名」でトラバを送らせていただいております。繰り返すけど実名でも抗議はしてますけどね。
そこそこの反響があったので、追記。ブコメで「なげぇよ」といったのがあったので、上の論点もまとめとく。
・一方通行で殴るのは卑怯
・だから匿名は卑怯
・でも実名でも罵倒しておいてその後にブロックしたら双方向性がないよね
別に私自身匿名でも実名でもそんなにお上品ではないんですけどね。実況板で「見えたっ!」とか言ってるアホですしね。でもまぁ、事実無根の中傷とか、本当の意味で下劣なことは好かないんですよね。本当に何度も繰り返しちゃうけど、S/N比が高まることを望むなら、イナゴが沸かないような言葉回しを覚えることも必要だと思うんですね。池田先生の著書は一般向けに面白く書かれているものもあるし、アゴラといった活動も応援しています。だからこそ「ネット上での私語は、居酒屋でオヤジとやってる時の私語ほどフリーダムであってはならない」ということを自覚してほしい。聞いてる人の数が問題なんですよと言えばいいのかな。
正直に相手にしてくれないことが悔しいと書け
嫌う必要がない。嫉妬では?
こういうのを読むとなんだかなぁ、と思う。一方向性と双方向性について書いて、「前者は卑怯だ、でも後者でも品はよくないよね、しかも池田先生って前者を否定してる割には実は双方向性がないよね」と説いてみたわけなんだが、私の書き方が悪かったのかしら。「みんながみんなノリで騒いでるわけじゃないんだよ」ということを知ってほしかったから書いたまでであって、タイトルが示す通りこれは価値の問題です。結局、正誤は問えん。嫉妬なのかなぁと一応まじめにしばし考えたけれど、そういう感情はないな。
池田信夫の場合は最初から、自分が傲慢に振舞うことを恐れていない。
だから考えながら読む必要があまり無い。言葉の裏を読む労を閲覧者に強いていない分、やさしいよ。
だから読者が多いんだと思うよ。
人と仲が悪くなることを恐れて書くブログって、すげーつまんないから。
これは同意かな。mixiで昔はすっげーはっちゃけた日記書いてた人がいたんだけど、知名度あがったら「ライブやります☆」みたいな宣伝日記とか「ファンの皆さんに感謝です♪」とかなんの面白みもない言葉しか書けなくなった人がいて、あれは残念だった。池田先生もキレがあるから池田先生なのかもしれない。でも、やっぱり、さきに述べたようなことは少しは改善してほしいな。
匿名側は、三振したら別人を装って直後に打席に立つことが出来てしまい、ホームランを打ったときだけ、その記録(例えば、はてブなど)が残せてしまう。やっぱり、アンフェアだよ。
そうね、これも同意。双方向性に欠けるだけじゃなく、発言の蓄積がない者が急に正論めいたことを言ってもな、というのはある。属人的な考えだけど、否定はできないな。
仕事が忙しい時期や、たまにうつっぽくなって、一時的に組織から離れた時期もあった。
この信仰は本当に正しいのか?
信仰の正しさについては、様々な体験を通じて、どうやら間違いないらしいというくらいの確信めいたものはある。
でも、自分の信仰が本物なのかどうかは、疑いが消えることはない。
もしかしたら、一生涯かけても消せないのかも知れない。
信心してなければ、こんな悩みなんか持たなくて済んだだろうな。
でも、目の前の困難から逃げ出すか、ひたすら耐える人生だったと思う。
自分で解決するしかない。
信心は、その困難を乗り越える力になる。
学会では、その力をどう信心で引き出すのかを教えてくれる。
創価学会三世です。祖父母の代からの会員です。
両親は一応両方とも学会員だったけど、父と母の学会に対する温度差が大きく、
というよりむしろ父はほとんどノン学会員みたいなもので、
それが原因でうちの家庭はずっと機能不全だった。
そういう環境で長年育ってきたことから受けた心の傷やゆがみみたいのはかなりあるなーっていうのは
自覚してる。
でも、いい歳して「トラウマ背負ってるんだー」とか「不幸な生い立ちでー」とか言うだけ言って
自分の人生をよりよい方向に向けていこうという心構えのないやつは馬鹿だと思ってるので
時折自問自答したり、近しい人と話をしたりして、そういうディスアドバンテージを乗り越えようと努力している。
信仰、というより、学会に盲従するような人だから、基本的には朴訥としたいい人、
疑うことを知らない人、優しくてかわいい人なんだと思う。
何より、世界でただ一人のお母さん。
最近は歳をとったせいか若干脳内お花畑はいってきているのも涙をさそうんだけど、
一生大事にしたいと思っている。
でも、会話をしているとしょっちゅう学会のこと、聖教新聞のこと、会合のことを言われるのが苦痛。
ほんとに苦痛。
読みたくもない聖教新聞を豊かではないポケットマネーで購読していることで親孝行と思ってくれよ。
それ以上はまじ無理だから。
まあでも今は別の家に住んでることもあり、なんとかのらりくらりとかわしている。
最近思うんだ。もう遠くない、近い将来、創価学会はかなりの変質を迫られるよね。
ほらだってあのプレジデントもご老体だし、人間には寿命があるから。
外から学会を覗いていると「うーん、来るべき時にそなえてプレジデントのさらなる神格化と内部引き締めに躍起になってるな」
と感じるわけなんだけど、実際あのプレジデントがみまかられたらどういう風になるのかは未知数。
求心力は必然的に低下するんじゃないかと思ってる…ていうか、低下してほしいと願ってる。
何も根拠はない…ただただ主観的に願ってるだけ…。
もしそうなったら、学会の雰囲気が変わったら、末端信者がもっと生きやすいようになったら、
そうしたらもっとお母さんと話をするんだ。
もっともっとお話しするんだ。
もっと近くに寄ってお母さんを大事にするんだ。
「聖教新聞読んだ?」「池田先生のご指導から離れちゃだめよ」なんていう言葉を聞かずに
たくさんお母さんとお話するんだ。
お母さんも「この子は学会から離れて…心配だわ…」とか思わずに
にこにことした老後をすごしてくれたらいい。
孫に信心を受け継がせなくては!とか躍起にならずに家族団らんを楽しんでくれたらいい。
あの組織が早く弱体化しますように。
はてブで創価学会についてのエントリーが話題になっているので、ちょっと便乗して書いてみる。というか、実際に困っている...。
私は大学生。去年の春から進学のために親元を離れて一人暮らし。
今まで創価との関わりはできるだけ避けてきた(それでも何かしら強制イベントは発生する)。中学生、高校生のときは面倒くさい、という思いで。
一人暮らしをしながらの大学生活という新天地で創価と関わらずにいられると思ったら、悲しいことにそうじゃなかった。
まず3月、高校卒業だからか、引っ越すからかよくわからないが、怪しい大人たち((いわゆる婦人部))に囲まれて学会させられる。
ああ、思えばここで間違っていたんだ。どうして入会してしまったんだろう、畜生。でも、親もいたし、きっと無理だっただろうな。悲しいけど。
そして4月、入学して間もなくするとアパートに学会の人が来て((今度は青年部らしき人))、池田大作について語られる。うざす。
それから何度か池田大作のオナニーみたいな糞中継((同時中継というやつで、各地にある学会の施設で池田大作のありがたいお言葉なんかをきく))を、学生部に連れられ、嫌だなと思いながらも見に行った。
だけど、それからもっと創価学会のことが嫌いになってきて、学生部とも連絡を取らなくなった。
これで少しはほっとしたのだが、やはり創価学会は恐ろしい。
なんと学生部が家に来ているではないか。ドアの前に手紙。内容はというと、急に連絡が取れなくなったので心配している、悩みがあるなら相談に乗る、僕たちは学生部という池田先生に守られた仲間だ、みたいな。
気持ち悪い。なにか学会のイベントがあるごとにやってきて、ドアを叩いて、こっちはバレるように居留守を使ってるのに、馬鹿みたいに毎回来て。
書き始めたらどんどん書けてしまってとまらない。こちとらまだ言い足りないぞ。
もう嫌だ。創価なんて。脱会したい。あの信仰深い人たちを見ていると、ネットで噂されていることがすべて本当に思えてくる。あいつらならやりかねない。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/2b12cad34eec4aec8766661a0885a1b7
池田先生の上記記事を読んで。
前から同じような理屈(酒や煙草はOKで大麻がダメなのは筋が通らない)で大麻解禁を唱える人たちがいて、私は大麻を吸わないんだけど、筋の通らない規制はとてもとても嫌なので大麻解禁に賛成している。(大麻を吸い出すと他の体に悪い麻薬の入り口になってしまうからダメだという説もあるらしい。この説が筋が通ってるのかは勉強不足で私には分からない。)
でも一度このように規制された物(しかも嗜好品)が日本で解禁される日が想像できない。日本はとても保守的でそんな動きは金輪際起こらないと体に染み付いてしまっている自分がいる。
解禁に向けて大きな動きを起こしている団体とかいるのかなぁ。あと政治家で解禁してもいいと思ってる人はいるのかしら。
まとまらなくなってきたが、何が言いたいかというと「大麻解禁せよ」ではなく、一度禁止された嗜好品が禁止を解かれるとは思えないほど日本は保守化していると自分は感じているという事だ。
もちろん保守化していようがどうだろうが本気で大麻解禁を求めるなら行動を起こすのみ!なのだが、なにか日本はその辺、風通しが悪いなと感じているのは私の思い込みが強すぎるのか。
他の国での扱いももうちょっと勉強しなきゃいけないなぁ。
池田先生の「造反」でしっちゃかめっちゃかになったようなMIAU、今さらだけど、その趣旨をちょっと見てみた。ココね。
コレを見ると、MIAUがいったいぜんたい何を目指しているのかがわからなくなってくるのね。いや、ページにはいちおうソレっぽいことは書いてある。じゃあ、具体的にどういう方面に働き掛けていくのかをそろそろby nameで示さないといけないんじゃないかなあ。
寄付を集めたり、会員を募ったり、ラジバンダリという行為が必要なのはまあ理解できなくもない。そりゃこういう活動はえてしてカネの掛かるものだから。でも、カネを集められたとしてその使途をどう考えているか、そしてその中長期の計画はどうなのか、といったあたりがクリアにならないとねえ。
津田さんとか小寺さんとか、主要メンバーの子供っぽさも気になる。いや、個人的には津田さんは嫌いじゃないよ。でもね、いいかげん人を食ったみたいな振る舞いはやめようよ。実は、音楽著作権について彼が制度側と反対側の立場でそれぞれ一人二役を演じたあたりから、彼は信用ならないと思ってる。つーかソレってずいぶん前なんだけどw
それと、お墨付きが欲しかったときに池田先生しか思いつかなかったってのもなんか貧相だなあと思ってさ。これじゃ自業自得、身から出たサビと言われてもしゃあない。上武大学なんていう駅弁じゃなくそれ相応の大学のセンセなんかでも、著作権行政に積極的にコミットすることを表明してる法学者はけっこういるんだよ。ググればすぐ出てくる。
そういう人たちが「インターネット先進ユーザ」ってさ、なんか笑わせるんよ。Macをハック(笑)してるから俺って先進的じゃん、みたいな非社会性を感じる。
創価大学に入りたいと言ってる、
恋愛の相談をされたことがある。
その子はすでに恋人がいて
創価大学に入った後、寮などで、
先輩から今はそんな時期じゃないといって別れさせられるのを恐れていた。
そんな極端な例はなかなか無いと思うよー、と言っておいたけど、
創価大学の恋愛に関する考え方にはそういう雰囲気が確かにあったりする。
この考え方も創価学会の組織文化からきていることは間違いない。
創価大学の恋愛に対するスタンスは、大学時代に恋人をつくってはいけません!というものだ。
創価大学の一番コアな部分、特に女子寮ではこうした極端な考え方が流布されているということが知られている。
なぜこのような考え方なのかといえば、池田先生の指導では、
大学時代は自分を鍛える時代だから、恋愛にうつつを抜かしているようではろくな人間にならないからだそうだ。
それよりも今は真剣に勉強したり、組織活動を頑張って福運をたくさん積むことが人生の
幸福に繋がるという指導だったような気がする。
そして、特に女子部に対しては、結局悲しい思いをしなければならないのは女性の方だからという話だった。
だから恋人がいると、今はそんな時期なの?という指導が入るという流れになっている。
私の家庭は親類も含めて皆、学会員だった。祖父が初めに入会したので、学会3世ということになるらしい。組織では福子と言われるらしいが、大学に入るまでこの言葉は知らなかった。
幼稚園の頃は、家が拠点に使われていて、よく地域の学会員が会合で使っていた。いつもその人達の近くにいたので、勤行や唱題することが普通な感覚になっていたと思う。6歳くらいから、母親に言われるままに御本尊の前に座るようになった。で、普通に唱題を始めた。
小学校に入ると、少年部員会というところによく連れて行かれた。会合の中身より、終わった後のゲームやお菓子がおいしかったことをよく覚えている。男子部や女子部の兄さん姉さん達がとても優しかった。
この頃、少し悲しかった出来事。年に一回、実家の地域ではお神輿を担ぐ行事があり、小学生達はハッピを着てワッショイワッショイやってるのだが、私は参加させてもらえなかった。近所の人に母親が丁寧に断っていた。今はこういうのって地域との友好を深めるから大丈夫なんだろうか。自分の部屋の窓枠に腰掛けて、隙間から友達を眺めていた。
5年の頃から、少年少女合唱団という組織にも連れて行かれた。月に2回くらい会館に集まって練習し、発表会とかもあった。とりあえず、行くのがひたすらだるかった。2時間くらいほぼ休憩無しで、立ちっぱなしで歌うことに耐えられなかった。ずるずると6年まで続けてしまった。
中学生になり、体育会系の部活に入るとかなり忙しくなった。その分、会合に行く回数がかなり減った。だが私はなぜか勤行は欠かさなかった。きちんと朝に唱題をして、夜は三座をあげていた。今考えてもよく続いていたものだと思う。この頃になると、他の人と自分のやっていることの違いに気付きはじめて、頭に??がつく場面が増えてきていた。何で僕だけ?会合ってどういう意味があるの?池田先生って誰?・・・だがそれを言葉にすることもできないし、親も担当の男子部にも説明されないので、次第にわざわざ週末を半日潰してまで会合に出る必要はないと自分で考え始めた。
高校に入ると、いよいよ会合に行かなくなった。たぶん高校の3年間で1回か2回くらいしか会館に行ってなかったと思う。部活が忙しかったのもあるが、行く必要性を感じられなかったのが原因だ。担当者の人を玄関先で追い帰す日々だった。強引な担当者は、世間話の後にすぐ、「一緒に唱題あげよう!」とせまってきたのでムカっとしていた。缶コーヒーを買ってきてくれた優しげな担当者もいたなぁ。今となっては人として申し訳無い対応をしていたことを謝りたいです。そして、そんな未活動ぶりの私は、なぜか地域の部長にさせられた。よほど人がいなかったんだろうな。『希望祭』だったか、少し大きめな会合の司会が唯一やった仕事だった気がする。高等部になると、男子と女子は分かれて活動している。ただ、この希望祭のように大きな会合の場合、打ち合わせやら、司会やらで学会員の女の子と一緒に作業することになる。こういうのは初めてだったので、すごくドキドキしていた。司会の相方をやってた女の子も創価大学に来るって言ってたけど、結局来てるのかなぁ。。
高校までは、こんな感じで学会と関わってきてました。学会2世・3世の人って、こういう人多いんじゃないかと思う。何となく学会に入っていて、中学高校の時に、だんだん反発を始める感じ。7割くらいの人は、そのままほとんど活動しなくなったりしているみたい。まれに関西とか、活発な地域やバリバリの親のもとに生まれると、純粋なだけに超バリバリ活動家になってる高校生もいるけど。。
先にことわっておくと、タイトルは大マジである。皮肉とかではけしてない。もう一つ、ここで言う池田先生とはあくまで上武大学大学院教授の池田信夫先生を指す。間違っても信濃町の名誉会長の某先生ではない。
なぜ俺が池田先生に心酔するか。それはその無邪気なまでの反骨精神だ。「無邪気」「反骨」なんてコトバは久しぶりに使った。
では、どこが「無邪気」で「反骨」か。順番を変えて「反骨」から触れていこう。
池田先生の、既成制度への対決姿勢はもはや既知のとおりである。それがゆえに、もしかすると池田先生は学究のフィールドで公的な影響力を及ぼしづらいという不利な立場に置かれているのかもしれない。
しかしながら、池田先生とは逆に政府・官庁の審議会や委員会に入り浸る学術関係者たちを、池田先生は「御用学者」と切って捨てる。実に鮮やかである。
それでは次に、どこが「無邪気」か。
自blogのPVがン十万を超えたと子供のように喜ぶ態度、そしてそれを恥ずかしげもなくエントリに上げてしまうこと、こんな愛すべきアルファブロガーを他に知らない。アルファブロガーとは皆おしなべてスノッブで、アクセス数なんかに小躍りして見せる人はいない。
じゃあ、ダンコーガイとかネタフルとかがアフィリエイトの売上を報告するのは何か。彼らがやっているのは、「これだけ儲かるのだからみんなやろう」と勧誘するマルチ商法と同じだ。小飼やコグレとかいう連中を支持する者は、今さらながらマルチは後発組が損をするという事実を認識しておくべきだろう。
話が外れてしまった。池田先生は、アルファブロガーを装うマルチ商法エバンジェリスト(笑)たちのような真似はしない。PVが増えたと言い素直に喜ぶ。自身の著作をこれでもかとばかりにページにレイアウトする。自身への批判・非難があればその本人はおろか批判・非難の載ったメディアに向けてもあからさまな敵愾心を見せる。
こんなに人間的でソウルフルでロックな池田先生、愛されてやまないわけがない。みんな池田先生が好きなはずだと俺は勝手に思い込んでいる。
俺も、池田先生の足元にも及ばないながらも、梅田望夫とか渡辺聡とか、あるいは先に挙げたような、アルファブロガーと讃えられつつインチキマルチ商法を広めてはばからない輩たちをいつかまとめて痛罵したいものだ。
モバイルコンテンツ審査・運用監視機構への通報 - 池田信夫 blog
と、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構へ通報したと記されています。
しかし、そもそも「モバイルコンテンツ審査・運用監視機構」は、今回の池田先生による通報を受け付けて検討する手続・制度を有しているのでしょうか?
このエントリーでは、このことだけに限って検討を加えてみたいと思います。つまり、池田先生が行った通報自体又はその内容に対する評価等を行おうとするものではありませんので、その旨ご理解いただくようよろしくお願いいたします。
まず、このモバイルコンテンツ審査・運用監視機構の設立計画書から、同機構の事業内容をみてみましょう。
本機構では、健全な管理体制であるかどうか等の基準の策定と基準に基づいたサイトの認定と運用監視を行う。また、フィルタリング会社等の第三者の利用も視野にいれた有害なサイトを制限するためのカテゴリー基準の策定も行う。
基準に適合したサイトについては、通信事業者及びフィルタリング会社の協力のもと青少年が利用できる環境を提供する。また、一般ユーザーからのクレームを受付、基準策定への反映、該当サイトに改善の指示等を行い、モバイルコンテンツが健全に利用できる環境作りを目指す。
このうち、「一般ユーザーからのクレームを受付」との部分からは、まさに、今回の池田先生による通報を受け付けることも同機構の事業内容であるかのように考えられなくもありません。
もっとも、その部分だけにとらわれることなく、引用冒頭の「健全な管理体制であるかどうか等の基準の策定と基準に基づいたサイトの認定と運用監視を行う」という部分と、「一般ユーザーからのクレームを受付」との部分にかかることになる「基準に適合したサイトについては」という部分に注目してみましょう。これらの記述からわかることは、同機構が運用監視を行う対象とするサイトは、何もこの世に存在する全てのサイトではなく、あくまで同機構が策定した基準に基づき認定したサイトであり、「一般ユーザーからのクレームを受付」るのも、また、その認定サイトのみ(上記設立計画書3頁中「クレームの反映方法」も参照のこと。)ということです。
とすれば、今回のケースで、池田先生は、「はてなブックマーク」を対象として通報しておられますゆえ、果たして、「はてなブックマーク」は、この認定サイトなのか? という疑問が次に生じることになります。「はてなブックマーク」が、この認定サイトでなければ、同機構が「一般ユーザーからのクレームを受付」ることはないと考えられるというわけです。
この疑問に対しては、明快に解答することが可能です。すなわち、「はてなブックマークは、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構が認定したサイトではない」と。なぜならば、そもそも同機構が認定したサイトが、2008年6月6日現在、世界中のどこにも存在していないこと(2008年7月下旬に、はじめて認定を行うことになっています。モバイルコンテンツ審査・運用監視機構 スケジュールを参照のこと。)が明らかだからです。
以上から、少なくとも「はてなブックマークが認定サイトではない現時点」では、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構は、今回の池田先生による通報を受け付けて検討する手続・制度を有していないと言わざるをえません。ただし、現時点においても、同機構が基準を策定する際に参考にすることはあるかもしれませんが、今回の池田先生による通報が意図するところは、そのようなところにとどまるものではないのでしょう。
そのほかにも、そもそもモバイルコンテンツ審査・運用監視機構には、「『有害サイト』として携帯フィルタリングの対象にすべき」か否かという選別等の権限はないと思うのですが。。このことに関する検討は、省略することといたします。
ところで、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構は、今回の池田先生による通報にどのように対応されるのでしょうか。以上のようなことにつき一から説明を付した返答を行うのか、それとも、設立計画書を読めばそれぐらい理解してもらえるだろうとして返答を行わないのか。池田先生からの経過等の報告があれば嬉しいところです。
個人的には、今回のケースと同様に、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構が認定したサイトでもないのに、同機構にクレームを通報する一般ユーザーが、今後、多かれ少なかれ現れるであろうことを鑑み、クレーム通報のフローのなかで以上のような説明を判り易く行う必要があるのではないかと考えているところです。
品が無いエントリーだが、本質をえぐった一文がある。
http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20071115/p1
「現実的なリスクを背負え」という文脈でなら、同意は出来ないが理解は出来る。要するにネット上で気に食わない奴がいた場合、相手の家まで行って刺したいとか、相手の会社/学校/家にじゃんじゃん電話をしたいとか、ブログで晒し上げまくって相手の社会的信用を失墜させたいとか。池田先生がid:arakik10さんの実名を書いたのは、社会的な信用を失墜させたかったからですよね?
一般には実名が忌避される理由として「会社などでの立場があり、自由にものが言えなくなる」ことが、柔らかい表現で挙げられるが、背後にこういう恐怖があるのは純然たる事実。実名での議論を主張する池田からして、この手のことを平気でやる輩だし、最近の騒動のように、狂った奴との距離が、ネットではあまりにも近すぎる。実名なんか仕事上のメリットが無ければ出す必要は無い。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ce8ac492c3f703cea78f2d69afd22d5
一つ目のお願いは『冷静になってくれ』
はてブ内では、特定のブロガーにある種のレッテルが貼られていることが多い。
その人の書いたエントリに対して、良いところは良い。悪いところは悪いと、是々非々の態度で評価、コメントしているだろうか?
今までの経緯をちょっと取り除いて、冷静に評価してみてくれないだろうか。
だが、その方のエントリには、そこまで否定されるようなものだろうか。
エントリは、何割かの事実誤認、何割かの悪い感情(というか悪意)、そして何割かの良い指摘から構成されていて、全てが誤りではないんじゃないか?
たしかに、そのブログには感情的なエントリが多い。誤解も多い。
だが、聞くに値する、検討に値することも言っているんじゃないか。
たしかに、子どもっぽい人だとは思う。
負けず嫌いな性格が無理を押し通して、その結果自滅しているのだとは思う。
だが、ユーザ側が一歩大人になって、"そういう人"として扱うことがなぜ出来ない?
なぜ、わざわざからかいに行くようなことをする?
二つ目のお願いは、人をあざ笑いたいだけの人間は『他所でやってくれ』
頼むから他所でやってくれ。頼む。
はてブ開始時から、幾度となく話題に上った衆愚化なんて言葉は、もはや語られることもなくなった。
ある意味、落ちるところまで落ち、もう現状を受け入れる段階にきているのだろう。私も似たような気分だ。
それでも、"はてなブックマーク=人を貶めることに喜びを見出す人の集まり"と、そこまで落ちぶれてしまうのは、悲しすぎる。
これは、名もない一ユーザとしての(無駄終わるであろう)お願い。
ところで話は変わるが、池田先生エントリでこの部分については心の底から同意した。
diggのように相互批判できるようにし、他人の評価によってコメントにランクをつけるとか、Slashdotのように評価の低いコメントを隠すこともできる。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ce8ac492c3f703cea78f2d69afd22d5
人をからかうことを目的としているようなユーザのブクマコメントは、"見えにくく"されるような仕組みがあって良いのではないか。
(現在の仕組みでは、はてなユーザのみが特定ユーザのブクマをオフにすることができる)
池田先生のエントリには読むに値する指摘が、しばしば含まれていると私は思う。
※本エントリ中、行き過ぎた表現があったかもしれません。お気に触りましたら(いろいろな方に)謝罪いたします。