はてなキーワード: 徹夜とは
実際は自分のブログに嫌なコメントつけられた所で削除アク禁など対処法はいくらでもある。なのになんでコメント付ける行為だけが悪者にされて「ヲチ先触らず荒らさすマッタリと」っていうヲッチャー行為は最低のネットマナーとは言われないのか?納得いかない。書かれる方にとっては他所の記事で叩かれたほうが対処法が限られていて精神的重圧感はあるのに。それなら不特定多数にコメント求めなくてもいいじゃん。
荒らしの定義を「罵倒発言をする人」っていう人がいたんだけど、実際は荒らしと呼ばれる人はあからさまな罵倒よりも揶揄と曲解と脅し芸のほうが多い気がするし、ささいな発言で大騒ぎする管理人に限って、管理人にとって都合の良い罵倒は感謝こそすれ荒らし扱いしないですよね。
本当は荒らしの定義は「罵倒する人」じゃなくて「サイトの運営を妨害する行為をする人」なんじゃないかな。そういう意味ではかならずしもコメントじゃなくてもいいわけで。極論だけど通報も荒らし行為に入るのかな?
荒らしだ荒らしだと騒ぎながら、結局その荒らし認定者のサイトにクレーム付けて新たな荒らし行為をしちゃうんだからさ。それでどちらかでも相手を閉鎖に追い込むような所までいけば、勝てば官軍負ければ賊軍なんですからね。でもここまですると、いくら勝って溜飲下げた所で流石に冷静なROM専はドン引きだ。キレたらなにしでかすかわからない管理人を遠巻きにして近付きずらくなる。人のの注意も耳に入ず罵倒と捉えるから、誰も注意出来なくなって結局一人になっていく。そうして閑古鳥が鳴くサイトのイッチョあがり!
サイト潰されたほうは悔し涙を堪えつつHN変えて出直し。新しいネットライフを始めている事でしょう。
ネットマナーとはいったいなんの為に必要なのか?勝者の作ったルールなんて破る為にあるのさ。
徹夜明けで寝ぼけてて自分でも支離滅裂、何言ってるのか分からなくなってきた。
工学系院生(男)だけど、激しく同意。理系女子は結構おいしいと思うよ。
大学入った瞬間からチヤホヤされるよ。自分の場合だと、大学一年のときのクラスは60人いて女の子3人だったけど、4月の花見のときすでに女の子の周りは人だかりできてたから。そういう男女比のところにいるのと、男女半々ぐらいのところにいるのと、どっちがモテそうかは自明だよね。
単位取るのも楽。どこにでも一番前に座って完璧なノートをとってくれる人がいるから、その人に頼むか、その人の友達経由で入手すれば良い。実験のレポートも同様。まぁ、自分の経験から言うと女の子の方がまじめで、その分成績優秀ってケースのほうが多いような気がするけど、そういう方法も有るよ、って言う話。
理系にいてチヤホヤしてくるのはキモメンばっかりだけなんじゃないの?っていう疑問もあるかもしれない。確かにキモメンは多いけど、磨けば光るタイプも中には絶対いるよ。そういう人を見つけて彼氏にすれば良い。理系男子は真面目、コツコツ、確実にって言うタイプが多いから、結婚相手としても結構有望だと思うし。
就職も良いよ。ガチンコ系の職場ではあまり良い顔されないかもしれないけど、設計職とか研究開発なら男女差はそれほど感じないと思う。徹夜は絶対出来ない、とかは結構大変かもしれないけど。理系には豊富な学校推薦があるから、文型の同級生が何十社も回ってやっと内定もらえるような会社にあっさり決まったりすることもよくある。女の子なら4年で出ても良いと思うし、実際そういう子も多いけど、最前線でバリバリやりたいなら修士は行っといた方がいいかな。
ただ男の中で生きてくしたたかさというか、逞しさみたいなのは必要かもしれない。一人でトイレに行けないような女子(そんなんこの時代にいるのかもよく分からないけど)にはお勧めできない。理系でやってく難易度から言うと、
http://www.nicovideo.jp/watch/sm500873
公式解説が出たので修正。作曲者でとる(一部除く)のがさすが音楽の人だなあと思った。
異論はあると思うけどとりあえず自分が貼るときに使ってるリスト(最後のアレ除く)。
まだ上の動画みてない人はネタバレ注意。ちなみに貼り用なので,歌手名とかがあんまり長いのは省いてます。
かなりの誤字・曲名間違えして注意されては直した現在形。でもまだ多分変なのがある。一応公式を受けて直したので多分大丈夫。
or のところは特定できないので気分で貼り替えてる。or のとこ,原曲っぽいけど例によってアレンジの方でした。ちなみに自分も東方はあまり詳しくないです。あとたまに嘘曲名をつける(ガラスの十代 / 光GENJI とか)。
「人形裁判」と「魔理沙は」は、自分は分けるのが好き。でも本当かは知らない。やっぱ分けないらしい
(わーい初増田)
(けっこう間違えてたなあ)
人月とは
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/mm.html
ろくに研修もしなかったしわよせがいよいよでてきて、
所謂標準的スキルというものを定義できないでいる。
もし彼らで定義したら、1yearsはかかるといいたいが、上は長くて3か月しか許さない。
それで結局中途か、当たりの新卒待ちというなんともていたらくである。
つまりちゃんと動くものを実装できる人が偉いという世界である。
しかし企業が大きくなり、人数が増えるとそうもいかなくなる。
さもなければ株価が大きく動き、お偉いさんの首をしめかねないからだ。
ただ出世した人間は結局、人月管理をしたことない、プログラマーだ。
そして多くのプログラマーは人月管理は意味のないものと思っている人が多い。
そのため部下に丸投げをし、専門用語を並べ知ったかぶりをするしかないのである。
この時点ではきづかづ、
開発の遅れを、ポジティブシンキングというマジックでひたすら働かせる。
そして、鬱になったり、倒れても、せいぜい休職に追い込まれそのまま辞めるるだけだ。
問題自体はそもそもの人月管理に問題があってもだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070607210408
一週間前 - まだ時間がある。
前日 - 今夜からがんばる。
午前0時 - 今からやるんだ。
午前8時 - なんとかなるさ。
当日正午 - 夕方までは猶予がある。
当日夕方 - あれ…?
危機感の欠如というか麻痺というか。
そんな病気みたいなモノにかかってしまった。
治したいとは思ってるけど、行動に移せない。
http://anond.hatelabo.jp/20070606151621
http://anond.hatelabo.jp/20070606151902
http://anond.hatelabo.jp/20070606152210
http://anond.hatelabo.jp/20070606160927
環境とか関係なく、生まれつき、勉強の向き不向きってあると思うんですね。
少なくとも私の両親は勉強が苦手ではない人間で、私も弟も(そういえば両方早生まれです。)塾やら家庭教師やらにはほとんどお世話になりませんでしたが、勉強で落ちこぼれることも辛いと思うこともなく、結局勉強では苦労してきませんでした(もちろん徹夜の試験勉強とかしましたけど、それはある意味楽しいイベントですよね)。
勉強って理解できると楽しいものです。何かを学び習得するというその楽しさを、私は自分の子供には知っていて欲しいと思います。勉強って分らないと辛く厳しいわりに、長々と人生に関わってきますし、少なくとも自分の子供が勉強が辛くてたまらなかったり、勉強が嫌で嫌で仕方がないようにはなってほしくないんです。子供に対して、「どうして分らないのかが分らない」という無力感を感じたくないんです。
もちろん遺伝が全てというわけでもなく、勉強に向いていない子供が生まれる可能性だってありますし、その時私はどう思うのか、とは考えます。
頭がよけりゃあ何でもいいのか、という質問の答えはもちろんNOです。結婚相手は優しい人がいいなあ、くらいの勢いで、できれば頭がよい(というか勉強を苦にしない)人がいいなあ、と思うだけです。
生きていくのに、あるいは頭の回転に、勉強の出来は関係ない、という言葉には同意です。でもできることに越したことはありませんし、勉強で身を立てるのが最も簡単で楽な道だとも思うのも、確かです。
対象は国内MBA、若いうちと言うのは20代半ばまで。
(1)メリット
1)頭が凝り固まらないうちに、経営学を体系立てて学べる。
2)同期が年長者だと可愛がって貰える(人脈の構築に役立つ)。
(2)デメリット
1)実務経験年数が短いと、議論に付いていけない。
(3)その他
1)さすがに学部卒ですぐMBAってのはどうかと。
ベンチャーで長年インターンしてるとか、会社やってるならば別だけど。
2)若い人はおおむね2パターン。
1つは野心的なイケイケ系。プレゼンとかは上手い。年長者の反応は好きと嫌いでハッキリ分かれる。
もう1つは謙虚な研究者系。普通の修士課程でも良いんじゃないかと思う。気配り上手多し。
…なんか愚痴っぽくなってきたのでこの辺で。
俺は中国人は嫌いだ。でも仕事を一緒にしている中国人の朱さんは物腰も穏やかで知識もすごいし、だからと言ってそれをひけらかしたりもしないし仲良くやっている
俺は韓国人も嫌いだ。でもこれも仕事を一緒にしている韓国人の金さんは日本語は不自由だけど仕事は速いし、一度注意したミスは二度と間違えないし、日本語を覚えるスピードも半端ない。この人も一緒にお酒を飲みに行く仲間だ
俺はDQNも嫌いだ。でもバイトをしてた頃にいた地域で一番のDQN高の生徒だった古谷君は思ってる事はすぐに口にして社員には嫌われていたけれど、言ってることは間違いじゃないし、仕事の覚えも速かった。「母親が妹に手を挙げるのをやめさせたいんだけどどうすればいいっすかね?」なんて相談されて徹夜で話し合った挙句に一緒に家までついて行ったっけ。
俺はギャル(死語っぽいけど)みたいな奴も嫌いだ。でもバイトにいた桜井さんはいかにも格好をしていたけれど、細かいところによく気がつく子で店の外で困ってるお年寄りを助けに店の外まで走っていったっけ。それを褒めたらすごい照れくさそうな顔をしてた。
一般化した呼び方をすると突然嫌悪の対象になるんだろうか。
それとも集団になると途端に人が変わってしまうのだろうか。
彼らから見た日本人は俺が思ってるのと同じなのか、それともちがうのだろうか…
某大手国立大学卒業、25才、大手IT系企業に勤める優秀な社員が
絵に描いたような生き方をしたら
絵に描いたような悩みを持ったんだ
それはこんなカンジだ
「あ、はい」
「できます」
「大丈夫です」
「頑張ります」
一人が無理をすれば、他の人に無理がかかるんだ
会社なんてその最たるもんだ
べらぼうな目標に向けて無理を宣言すれば
もちろん、中間層まで全て、
一番のシワ寄せを喰らうのは実務者だ
なのに、困ったことに、なぜか、どうしてか
実務者も徹夜をして勤しむ
上の人間の無理を喜んで喰って、
無理なものを無理して吸収する
そしてたまに「頑張ったな」と言われて、喜んでる
みんな頑張れ?
みんな苦しいから俺もがんばろう?
みんなが頑張ってるから俺もがんばらなきゃ?
人が死にそうなぐらい働いてるから自分死にそうなぐらい働こう?
俺も含めて、おまえら正気か?
小さなプライドは捨てるんだ
無理なものは無理と言え
目の前の「はい」は本当にそれでいいのか?
そこで「やりたくないよ」と言えない事情がある
そんなことを言ったら生産性が低下する
「はい」と言い続けてべらぼうに働く社員を持って、低コストで高い生産性を確保してる他の企業と競争したら負ける
潰れる
食えない
みんなでいっぺんに変わらないと無理なんだ
けれどみんなそれぞれが閉塞してる
何も変わらない
そりゃ少子化になるよ
誰も結婚しねーよ
べらぼうな「はい」が閉塞を生んでる
もしこれが、
この国のNoと言えない国民性に起因するなら、
流し流され自分を消して他人に合わせて得た繁栄だとしたら、
俺はこんな国はデタラメだといいたい
こんなのは虚栄だ
こんな国に未来はない
これを見ている学生、リーマン、ニート、主婦、管理職、役員、天皇でもいい
先生の言うことに全て「はい」
親の言うことに全て「はい」
偉い人が言うことに全て「はい」
恋人が言うことに全て「はい」
読んだ教科書に全て「はい」
目で見たものに全て「はい」
自分自身の思考をしないで、価値観を消して、自分の考えを卑下して
自分以外を全肯定、鵜呑み、疑いなし
「しょうがないから」
「みんな言ってるから」
「教えられたから」
「あるある大辞典が言ってたから」
「あの人に褒められればいい」
「あの人に好きになってもらえればいい」
まず自分を持て、自分を出せ、好きにやっていい、自由でいい
疑問をぶつけて、怒鳴られ、白い目で見られて、恥をかけ
これは、この社会に対して、誰でもいいから手当たり次第に言うべきだと思った
けれど上司には言えなかった
だから、ここで言う
誰か、聞いてくれ
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http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50841971.html
>私は見栄っ張りなので、NoはYesと言えるときでないと言いたくない。
徹夜の時間潰しに生まれてからの四半世紀を覚えている範囲で振り返ってみました。
一部あんまり意味の無い記述とかありますがあんま突っ込まないでくれれば幸いです。
1981年生まれの25歳。
■保育園時代
今考えるとこの時から周り(他の園児)と馴染めず一人遊びが多かった。
■小学校低学年
外で遊ぶ事が多かった。
ただ、同級生らと遊んでる最中に気が付くと置いてけぼり食らって一人だったとか。
何かに気が行くと周りが見えなくなるタイプだったという事か?
この頃から家庭訪問では毎回"やればできる子"と言われる。
それが真実だったかどうかはさておき、特に何もやらずに過ごす。
ファミコンに代表される家庭用ゲーム機が本格的に普及し始めたのもこの頃。
ファミコンを親に激しくせがんだ末に買って貰ったのはメガドライブ。
当然の如く、これはファミコンじゃない!と抗議。
父親の実家から祖母がやってくる。
■小学生高学年
母親の入院が長期化。5年生の一年間を父親の実家がある沖縄で過ごす。
それまで特に何の説明も受けず、こちらからも聞こうとしなかった故に、
あまりの唐突すぎる状況に全くついていけず通夜の晩は普通に就寝。
翌日の告別式でも涙が出ない。火葬場で棺が納められた炉の扉が閉まって、
ようやく思考が現実に追いつく。泣く。父親にしがみ付いていた記憶がある。
何度か棺の中を見た記憶はあるのだが死に顔は全く思い出せない。
その後沖縄に戻る。
春になり東京に戻ることになったが、父親の横には見知らぬ女性が。
幼児までいるし。告別式の晩に泊まった、父親の部屋には誰かと一緒に生活
している気配があった為、特に大きなショックも無く。
今考えると驚くほど違和感無く打ち解ける。弟の世話もなかなか新鮮な体験だった。
将来の夢は弟の影響で保父(保育士)だったが楽器演奏が壊滅的だったので諦める。
■中学生
入学当初がピークで成績は下がりっぱなし。ただ、非行に走ったとかいうわけでもなく
周りが進んでいく中で取り残されただけだった。
集団の中での規律というかルールを守るタイプの人間でもなかったのでいじめられる事も
しばしば。とはいっても極端に酷い状況に追い詰められる事はなかった。
文芸部の活動で歌舞伎座に行った時は、東銀座にも関わらず物凄く遠くに来たような気がした。
(生活していたのは練馬区)
■高校生
この頃から、ようやく世間(外の世界)を意識するように。
ただ、将来の夢は無し。周りが就職するっていうから流されて就職。
■社会人(19??
1年目
2年目
(印刷機から製版機へ)
自分を含めサポート人員が全国で3人しか居ないという状況で出張範囲が
一気に関東から九州まで広がる。でも、営業部だから手当は雀の涙。
3年目
業務内容は変わらず名古屋に転勤。
MMORPGを憶える。
4年目
大阪に転勤。業務変わらず。
が、そこの所長とウマが合わず転勤後2ヶ月で退職。
■NEET?生活(22??
1年目
ネトゲやってるか寝てるかの生活。外出は基本的にコンビニ行くときのみ。
バイトも試みるものの長続きせず、この頃は殆ど変化のない生活だった為、あまり記憶に残っていない。
2年目
前半はネトゲ生活。部屋から物が無くなる。(お察し下さい
夏に、会社員時代の同僚からmixiのお誘いがかかる。それほど時間も経たないうちにコミュのOFF会に
出てみたりするなど生活に変化が。OFF会である人物と仲良くなる。
その頃からネトゲの幻から目が覚める。でも仕事はしたくない・・・したくないというか、やりたい仕事とは
あまりにもかけ離れていた為、やる気が出なかった。
やりたかった仕事というのは、IT系のハードウェアに近いところ。
NEET生活も3年目に挿しかかろうという頃、住所不定に転落の危機。
藁をも掴む思いで前述の人物に相談。「東京じゃなないところで生活する事になるけど行く?」と
聞かれ、即答。今の職場を紹介してもらう。
■社会復帰(24??
1年目
職場のエースと自分とのあまりの実力差に価値観というか自尊心がものの見事にぶっ壊される。
多少判るとはいっても結局のところ、自分は初心者に毛が生えた程度だと思い知らされました。
やりたい仕事ってなんだったんだっけ?といった具合に立ち位置を見失う。
この頃からOFF会で出会った人物の事を先生と呼ぶようになる。
2年目
相変わらず彷徨っていた。のだが、なんとなく自分の立ち位置(出来る事)が見えてきたような気が
してくる。同時に、この頃から自分の性格というか志向で思い悩むように。いい加減遊んでいられる
年齢でもなくなって来た焦りもある。気が付けば四半世紀。
3年目(今年
職人にはなれない事をようやく自覚。ただ、自分が社会に対して出来る事が何なのかは未だ不明。
まだまだ当分もがく事になりそうです。
#気が付けば実母との付き合いより養母との付き合いの方が長いのか・・・
#ちなみに4人兄妹(俺妹弟妹)ですが、妹たちのお話はまた別の機会にでも。(あるかどうか判らないけど。