はてなキーワード: 国内問題とは
http://www.asahi.com/politics/update/0919/TKY201009190254.html
中国から対抗措置の正式連絡なし 政府、情報収集急ぐ
中国が19日夜になって「強烈な対抗措置」に言及したことについて、日本政府は情報収集に追われた。外務省関係者によると、中国側で報道された段階では北京の日本大使館など外交ルートを通じた中国側からの正式な連絡はなかったといい、中国側の真意を測りかねている。
中国側報道の直後、福山哲郎官房副長官は日本政府としての対応を記者団に問われ、「事実関係を把握してからだ」と語った。外務省幹部も朝日新聞記者に「(中国政府からの)正式な申し入れは全くない。外に向かって言っているだけではないか。正式に言ってこなければコメントのしようがない」と述べた。
日中間の閣僚級以上の交流の停止について、同幹部は「外相にそんな予定は入っていないし、他の閣僚も(閣僚級協議の)予定はない」と指摘。「(中国人船長の逮捕という)この一件だけをもって、中国が日中関係を縮小させようと思っているのなら残念なことだ」とも語った。
内閣改造終わったばかりで「さて何をすんべか」な時期に閣僚交流打ち切られた程度で大騒ぎするのもどうかと思うけどな。
靖国は明治に国家の要請でつくられた官製の神社で、たとえば西南戦争の朝敵側など、国家に敵対した側は祀っていない、その意味で、非政治的な鎮魂の社という主張は欺瞞的。
ただし、国家に身を捧げた人々を追悼し、称揚する施設は、近代ナショナリズムの論理からいうと、まあ、あっておかしくないし、当然という意見もある。普通の話。このへんで、その形式が特定宗教だから揉める、というのは、ほかの国でも最近になってのことだから、そこに無神経でも、それほど「遅れてる」ともいえない。ただし、改善した方がよい、のは当然。
ポイントとしては戦犯問題については、極東軍事裁判を日本は国家として受け入れた、それが前提になって国際社会に復帰した、という事実があるので、それを覆すような政治的メッセージを送ることは、サンフランシスコ平和条約にもとづく政治的枠組みを壊すものだと見られても仕方がない、ということ。つまり、戦犯を戦犯視し、政治的に称揚せず、戦争犯罪者とみなす、というのは、国内問題ではなく、国際的な約束という側面もある。だから、そこを変えたいのであれば、国内世論だけでなく、当時の戦争の関係国にも納得してもらう必要がある。これは、東アジア諸国が干渉的であるとかそういう問題ではない。たとえば、オーストリアは終戦時に国際的な約束としてドイツとの合邦を禁止された。これも、これを変えようと思ったら、国内世論だけの問題ではない。そういう、これを条件に戦争を終わらせますよ、という条件のひとつであった、ということを意識する必要がある。
国内問題としての政教分離としては、靖国が国家によって、特権的地位や恩恵を与えられているか、という問題が一つ。国家の公的な追悼施設として位置づけられているとすればそういえる。現状は微妙な位置づけなんだよね、これ。事実上はそう見られているけど、制度的にはそうではない。このへんのねじれを解消するのはよいことだろう。
もうひとつこれと関連する話だけど、人権問題というか信教の自由との絡み。非神道者を祀ることの意味、もちろん、オバマの背後霊に悪口を言わせるのも合法ではある以上、靖国に少しも公的な性格がないのなら、問題はない。ここで、事実上、というのが、判断の微妙な、というかめんどくさいことになっている。キリスト教徒が神社にかってに祀られた場合、普通は、まあ、微妙にありではあるんだろうけど、でも、よく考えれば、いやがらせ的ではあるよな。ほめられた行為ではない。
しかし民主党(おそらく次期政権党)は「外国に配慮して」参拝しないと明言しちゃってるからね。
国内問題というのも、国外で騒いでる国に便乗している手合いが国内に居るという一面もあるし。
つまり「配慮が必要な外国」がどこかに存在し続ける限り、靖国だろうが「追悼施設」だろうがいつまで経っても閣僚は参拝できないって事にならないか?
この問題、まずは文句付けてきてる国に「別の追悼施設を造りますんで、文句はもうありませんよね?」と言質を取ってから始める事のように思う。
つか、その方が「追悼施設」造りたがってる奴らも錦の御旗を手に入れられて上手く運ぶような気がするんだけど、どうして誰も言い出さないんだろう?
批判しづらく、誰も喜ばない記事、まとめ。
「一番的外れな議論をしている1人」が今さらはてなに出入りするというのも考えづらいな。文面から「中立ごっこ」以上の意図を読み取れと期待するのは驕慢。
>http://anond.hatelabo.jp/20090103123246
国内問題の暗黒面に落ちてしまっているよ。
さの対策。
平穏なブログ運営。だから増田で。気づかれても目をそらさず否定できる。
<中立ごっこ、未熟者と失笑されようが、物言えば唇寒しの状況は気持ちが悪い>意欲は買うが、長年の南京論争を眺めてきた増田には、新参者が手首足首を縛り氷河に飛び込む軽業師に見える。酷な言い方だが、あがいて浮上を繰り返しても、ガスが腹の中で膨らんでいるとしか思えない。如才ない奇術師はパンツに剃刀を縫いこんでいる。南京論争には初心者が陥りやすいトラップがあり、反論もルーチンワークの仕掛けになっている。情熱も知識もない増田だから助言。長文も対応策のひとつ。ひるまないでいただきたい。
三項目の問題点、最後に可能性を探る。
(1)数字
<それでおたくは何人と考えてる訳?>南京事件に触れ、まず数を考える者は多いらしく、頭に浮かんだ疑問をそのまま論争に持ち込む初学が後を絶たない。四万に留意する事。四万以下の数字を主張するのは、はてサに<虐殺三十万人説を証明しろ>と迫るのと変わらない。一蹴されるのが落ちだ。数字は慰安婦強制性では虚偽説の代表的論客である秦郁彦が、廃棄処分を免れた現存する日本側文書を軸にし、明らかに不当な、不法なケースを取り上げて最低限の数を順次加算したもの。覆すには秦の著書を購入し、関連書を参照しなければならない。本末転倒で、不本意な作業を強いられる。四万以上の数を扱う場合は当然資料も増え、最終的に中国側の農村部での人口推移の調査報告まで視野に入れなければならなくなる。
<証明できるのか? 二十、二百かも知れないではないか>見出しの百の文字に惑わされてはならない。元中尉の名誉回復裁判は人数が焦点ではない(数にこだわるなら政治屋弁護士と心中する覚悟がいる)。増田の知る中ではてサに「百人も殺したのだから処刑されて当然」と主張する論者はなかった。「国を挙げての士気高揚、その象徴的人物が戦後に個人の責任を問われた」事件と認識され、同情的な見方もある。産経の「捏造」、「真っ赤な嘘」が指すのは、言論統制、検閲を断行した政府、それに唯々諾々と従った当時の報道人と国民に対する侮蔑だと把握しておけば足元をすくわれない。
(2)検証
テンプレがネット上に大量に転がり、手軽さも手伝うのか、初心者がもっともはまりやすく、もっとも論立てが煩雑なのが細部の検証だ。手軽な詰問に対しては反論も数通りのテンプレが用意されている事に気づかないといけない。相手は気分に応じて資料を選ぶ。複数あるのは遺物の集積と相互依存で史実が成り立っているからだ。独自の疑問点を設定するには書籍の購入が必要であり、新書一冊ではまかなえない。たとえば(1)の不当、不法に言及する場合は法学に踏み込むことになる。質問者をよそおって相手の出方を研究する手口も使えない。また万一資料に不信を植えつける事に成功しても、一人の証言者、一枚の写真に疑問符を付けただけで終わってしまう。労多く功無し。
(ただし「功無し」は学術上に限って。目ざましい功労者にポストを提示する教育機関が現れても増田は驚かない)
(3)政治
<謝罪を繰り返させられ、外交で押し切られる隙を残すのは国益を損なう。否定派には存在意義があるのではないか>メタ視線は悪くないが、楽な筋道ではないのは胆に銘じる。最初に日中間に「南京問題」は存在しない事を確認してほしい。政府は「肯定派」であり、中国は賠償も新たな謝罪も要求していない(調査のために遺骨を発掘しろと主張する者がいたが、ビルや田畑を取り壊す政治力や膨大な費用を日本政府が負う事はない。有志による個人負担となる訳だ)。決議に反した閣僚の発言が、政治問題化しないための「強い遺憾」と「村山談話」の応酬が謝罪の内実。また外交問題ではなく国内問題とする誘導に抵抗するのは並大抵でない。はてサに<中国が怒ってる、問題だ>と、一時期の朝日の影を思い描くのは悪手だ。富田メモによって、靖国親拝中断が中国の干渉によるものとしてきた右派は、靖国を国内問題に渡らせないために「天皇」と靖国の距離を広げざるをえなくなった。辞任問題に踏み込めば、閣僚らの特権的地位について逆に問い返される覚悟が必要。初歩の問答を想定しよう。
「旧軍はバターン半島で捕虜らに最大限配慮した。非難は不当」が持論の司令が、「A区調整、全住民を安全に配慮しつつ速やかにB区へ避難させよ」と命じられたら?
「日本は資産を持ち出してまで朝鮮に富をもたらした。利他的で手本となる施策であった」と講演する政治家が、経済相か雇用対策の特命相に任命されたら?
不用意に無償の政治カードを世界に乱発する人物が、通商代表として使節団を率いるとしたら?
(バターンに関してはネット情報でカバーできる。植民地事情に関しては英国と植民地印度の貿易収支が英側の赤字であった事、双子の赤字を抱えた米国が二つの戦争を始めるほど好景気だった事、当時の日本政府と国民が、兵士の生命と財産を供出しても特アの隆盛を切望したと夢想するだけで間に合うだろう)
(4)トウハセイ
<嘲笑と罵倒では相手は聞く耳を持たない。壁に大声でがなりたて、言い返してこないとふんぞり返るようなものだ>読者を無視さえすれば、論争で宗旨替えした否定派が皆無という事実がこの主張の説得力を後押しする。ここで唯一のトラップは、はてサの多くが自身の党派性を否定していない現実だ。質問に質問を重ねるのを逃亡とみては失敗する。彼らは論争に通じ、経験から言質を取られ議論が拡散する事を嫌う(「黙らせるための問答で満足している」と左派から非難された左の論客もいたが)。<イデオロギーで記事を選る、コメ欄に同調者が群れる>といった非難は想定内なので、泥仕合に持ち込むつもりがなければ控える(泥試合が有効な左派も存在するが、医療、疑似科学がテーマ)。党派性で彼らの選択ではなく論理が歪んでいると考えるならば、事の検証が欠かせず、(2)へと戻る。膨大な過去ログを読む必要も。しかし、増田が提案できるのはこの(4)だけ。遠回りで時間は取られるが、非専門家でも順次対応可能で、一点突破も目指せる。