はてなキーワード: 名詞とは
「高校国語」擁護派の意見を書いた増田より。今回はもう少し「文学」に話を振って、擁護してみるよ。
まず、プログラムについては大昔にプログラミングの基礎みたいのを独学で勉強した程度なのでBN記法とかは知らなかった。面白い言葉を教えて貰ったことに感謝したい。けど、一応論理学は大学で学んだし、法律のとっかかりみたいなのも学んだ。オレは「理想として」高校国語にはそれらが含まれているという話をしはしたけど、同時に高校の国語授業に「現実問題として」それらが欠けているという増田たちの主張も、もちろん分かる。その通りだと思う。
ただ、同じく「現実問題として」言うならば、それをやらないのは多分生徒の理解を超えるからだという面もあると思う。年齢が一年二年違うだけで、同じ事柄に対する理解力が驚くほど変化するのがこの年頃だ。大人から見て「こんな簡単な理屈が…」ということが、子どもには全然分からなかったりする。「論理的な精神活動とは全く別の芸術ですよ、ということにして明確に区別したらいい」という意見も、確かによく聞く意見だが(以前2chの教育板で、これと全く同じ議論をしたことがある)多分「論理的な精神活動『だけ』を教える科目」は高校では科目として成立しにくいだろうと思うよ。個人的には、明治の初めまで日本人の「論理的思考力」は漢文を学ぶことによって鍛えられていたと思うが、同じ役割を英語に期待するのはやはり難しい(漢語はある程度日常化しているが、英語は(特に文字の面で)それほど日常的なものではない)と思う……英語の授業で民主主義の原理や自由・権利といった概念について学ぶというのはなかなか筋が通ってると思うのだが。
しかし、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」と言うのが文学で学べるかというと、それはないんじゃないかなと思う。
学べたつもりにはなれるので娯楽としては成立するがね。
「異質な他者・異文化との出会い」に触れる経験なら実際に異文化に触れた方が早い。旅行に行ってもいいし、自分と違う階層の友達を作っても良い。
「自分を遥かに超える思想体系」がどう言ったものを指すのかは微妙だが、知りたいなら数学を勉強すればよい。数学以外でも技術や物理でも良い。
「実際に異文化に触れた」経験が無意味とは言わないが、「実際に異文化に触れた」結果としてひどい偏見を抱え込むことも別に珍しくない。そもそも日常的に「実際に」他人と触れ合っていながら我々は、相手がその内面に何を抱え込んで生きているかを理解しているとは言い難いだろう? 文学で現実を分かったつもりになるのはキモいが、一方現実の体験の「方が」「同じこと」を「より効率的に」学べるという考え方もまた危険だと思う。どんな体験をしようとも、結局の所それを「解釈」するのは自分だから。つまり「学びて思はざれば則(すなは)ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則(すなは)ち殆(あやふ)し」(書物や人から聞いただけで自ら考えることをしなければ、実は何も分からない。一方、自ら考えるだけで書物や人から学ぶことがないのは、危険なことだ。)という意味でね。
また「言葉」というのは、一見共通OSのように見えて実は「出力が近似である」に過ぎない。だから、誰もが気づいているように「同じ日本語」を喋っているように見えて「理解しがたい」人間が存在するのだ。初期条件として与えられた僅かなものをてがかりに、我々は一人一人自分自身のOSを構築して生きている。従って、一見同じに見える人間が全く異なるOSを積んでいても、それはごく普通のことなのだ。
そういう、OSの設計思想から異なる人間は普通に身近に存在するにも関わらず、日々の生活の中では互いにその「出力」しか見ていない以上そのことに気づくのは難しい。「数学」というのは、完全に定義された一つのOSを巧みに操作する方法を学ぶことだと思う。それは確かに高パフォーマンスをあげることが可能な世界だが、そこで学ぶことができるのは「一つの」OS思想でしかない。もちろん数学史上色々なパラダイムが時代時代に存在したことは知っているが、しかし「互いに通じない言葉」を用いていたら、それは数学ではないだろう。その意味では数学は「一つの言葉」しか用いていない。一方「文学」の世界には、先に述べた理由で無限のOSがあり、つまり無限の設計思想がある。たとえばオレが過去に感銘を受けた詩や小説の書き手は、オレに「(同じこの)世界をこんな風に見ている人間がいたのか」という衝撃を与えてくれた。それは自分自身のOSをくみ上げていく上で、また後々他者を理解する際におおいに参考になった。たとえば宮澤賢治の詩を読んでいたことが「共感覚」に対する理解を助けてくれたりした。
一方また、「言葉」を限界まで使いこなす実験を行ってきたのも文学の領域の仕事だ。論説文は名詞に、小説は形容詞に、そして俳句や短歌は助動詞や助詞にどこまで意味を盛り込めるかの実験だと考えてみても良い。「もしフランス語に『郷愁』にあたる言葉があれば、プルーストが「失われた時をもとめて」を書くことは無かっただろう」という話があるが、逆に言えば彼の試みは、自分が持っている言葉では未だ語り得ない何物かに千万の言葉を使って迫ろうとした行為だと言うことができる。それもまた文学の仕事だ。いわゆる有名な「ブンガクサクヒン」を授業で取り扱う意味というのは、究極すればここにのみ意味を見いだすことができる。自分が学んだ大学の教授の言葉を借りれば、時代を越えて残る名作の表現というのは「その時代の表現水準に挑戦した言葉」だと言えるからだ。凡百の「娯楽作品」と「芸術」としての言語表現を切り分ける場所があるとすれば、それはこの一点にあると言えるだろう。その意味で、いくつかのラノベ作品なんかは、「時代の表現水準を変化させ」「多くの人々に受け容れられることで後代の表現のスタンダードを為した」という正しい意味で「芸術」だと言っていいと思っているよ。
最後に、「音楽・絵画・スポーツ」の「本物」が清新に与えるインパクトはなるほど大なるものがあることは否定しない。けれど、その「本物」を全国全ての学校の教室に持ち込むコストはどのくらいだろうか? そして、それと「本物の文学」を教室に持ち込むコストを比較してみれば、どうだろう。それでも、国語の授業は非効率的で不要なものと言えるだろうか。
まあ、こうして述べながらも、改めて「国語」の授業に期待されているものの大きさと現実との差違には打ちのめされるような気持ちではある。まだまだ、増田が触れていた「情報伝達」に関わる話とかしたいところなのだが、時間がないのでとりあえずここまで。
じゃまた。
ソムリエってワイン専門の給仕人のことだぜ?しかもソムリエは男性名詞。
http://anond.hatelabo.jp/20080623013851
大方そんな意味なんだろうが、その前提として、ソムリエ=ワインに詳しい人、って前提があるよな。
この先ワインブームが過ぎ去ったとしたら、野菜ソムリエって言葉は通じるだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20080623014542
外国の言葉を噛み砕いて取り入れ、自国の言葉とくっつけ新たな言葉を作り出すって割りといい日本の文化だと俺は思うので、別にアリ。フランス人?知ったことか。欧米人の機嫌なんぞいちいち伺わなくてもいい。
この例が噛み砕いている例だとは思えない。
「欧米人の機嫌なんぞいちいち伺わなくてもいい。」って、そりゃ独りよがりすぎるだろ。いくらなんでもソムリエという言葉を産んだ国に対して失礼だ。
> 読みから英語に変換する機能
これはMS-IMEでもいけるな。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0707/20/news068.html
個人的におすすめなのは、MS-IME標準の「Microsoft IME カタカナ語英語辞書」を利用する方法だ。この機能を使うと、カタカナを直接英単語に変換してくれるので、当てずっぽうでスペルを検索しなくても、カタカナ読みから英単語のスペルを調べられるのだ。
例えば、カタカナで「インターネット」と入力して変換キーを押すと、「INTERNET」「Internet」が候補として表示される。一般名詞以外でも「セントルイス」だと「St.Louis」、「ケネディ」だと「Kennedy」、「カサブランカ」だと「Casablanca」などなどなど、地名、人名、英語以外の名詞にも対応している。
この辞書機能を使えるようにするには、IMEのプロパティを開き、「辞書/学習」タブから、システム辞書の欄にある「Microsoft IME カタカナ語英語辞書」にチェックを入れるだけ。追加のインストールや再起動などは必要なく、チェックを入れてOKを押した瞬間から使えるようになる。
しかし会社のマシンにATOK/一太郎導入するために、ずいぶん骨を折った…。決められたソフト以外インストールするなとかいうんだもんなぁ。ひどいや。効率確実に下がるのに・・・ただし俺限定。
「カタカナひらがな」キーで、カナ入力と英字入力を切り替えてくれないと納得いきません。いえ、キーバインドの問題に過ぎないのですが。
罫線はけいせん、まんなか、ふとわくなどの読みで変換できるのは知っているが、もっと使いやすい体系がないものかと考えていた。で、思いついたのが下のようなもので、ためしに登録してみたが、はたして使いやすいか否か…。
k7 ┌ 名詞|k8 ┬ 名詞|k9 ┐ 名詞|k4 ├ 名詞|k5 ┼ 名詞|k6 ┤ 名詞|k1 └ 名詞|k2 ┴ 名詞|k3 ┘ 名詞|k02 ─ 名詞|k08 ─ 名詞|k04 │ 名詞|k06 │ 名詞|k77 ┏ 名詞|k88 ┳ 名詞|k99 ┓ 名詞|k44 ┣ 名詞|k55 ╋ 名詞|k66 ┫ 名詞|k11 ┗ 名詞|k22 ┻ 名詞|k33 ┛ 名詞|k20 ━ 名詞|k80 ━ 名詞|k40 ┃ 名詞|k60 ┃ 名詞|k71 ┠ 名詞|k82 ╂ 名詞|k93 ┨ 名詞|k58 ┰ 名詞|k52 ┸ 名詞|k54 ┝ 名詞|k46 ┿ 名詞|k56 ┥ 名詞|k79 ┯ 名詞|k13 ┷ 名詞| <||
will 100% 必ず…する
should 提案・忠告
would 習慣的行為
will 単なる予測、パッと思ったこと
代用表現 客観的
不定詞 未来
be to …することになっている
分詞構文 文末では 「そして…、…しながら」
受動態 The mansion is haunted...
前の文との自然なつながり
-ever 譲歩 「たとえ…しても」
have 強形 [hæv] 弱形 [??v]
SV いる・動く
SVC Cだ・Cになる
SVO 力を及ぼす
SV+人+物 人に物を与える
音の強弱、上がり下がり、音と音のつながり
[th] 上の歯と下の歯の間に、舌の先を軽くはさんで、ひっこめながら「サ」
舌先で上の前歯の裏をウッと押すようにすると、文頭で閉じた口をいきなり開くときにも楽に発音ができる
[f] 上の歯を下唇の上にやさしく置いて
[v] 歯と下唇が振動して、むずがゆくなる
[w] 思いっきり口を突き出し、丸めて
as 手のひらに載せて比べる
ヤバいネタ満載ってんで評判の、葵せきな『生徒会の一存』読んだ。
自分で感想書く気力まで吸い取られるぐらいゲンナリ。
なんで以下は引用。
話は飛ぶけど、この10年ぐらいぼくは若い子の書くものに妙に伏せ字が多いのが気になっていた。同人誌とかファンレターの類とか「某」とか「××」といった言い回しが盛んに登場するのだ。伏せ字にされるのはまんが家の名前や企業名・商品名なのだけど彼らは固有の名詞をまるでそうしなくてはならないと思っている節さえある。
問題なのはそのタブーの「プチさ加減」で、しかも変な言い方に聞こえるかもしれないけれど、このプチ・タブーを自作する側にある種の積極性を感じうるのだ。何かちまちました「禁忌」を必死でこらえているというか。
その共同体が一つの世界としてもっと閉じるために今やプチ禁忌を自作自演しているのではなかろうか。共同体って禁忌があって始めて成り立つものであり、そう考えると若い子の文章の伏せ字好きも、禁忌が存在すると信じることでプチ共同体を求めていたのか君たちは、と納得がいく。
以上、大塚英志の「プチプチプチ・・・プチ禁忌」(『戦後民主主義のリハビリテーション』)から
親会社同じところのレーベルまで伏せ字にしようとする――上に肝心のネタもヌルい――小説のどこがヤバイの?
「気がついた! どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのかしら! アニキが気に入らないんだったら自分で作ればいいのよ!」
「何を」
とか
「こんちわー! コンプ編のみなさーん! 連載作家一式、いただきに来ましたー!」
ぐらいやってくれ
追記。
普段しゃべってる口調で文章をうつとさ、冗長だったりする訳じゃないか。
方言だって、きついとこの出身だと動詞名詞形容詞どれもこれも標準語から外れるわけ。人に文意を分かってもらえなくなるわけ。
でまあ語尾を普段使ってるものにすると、ネカマ呼ばわりされたりするの。普段なら口調でカバーできる分の女っぽさが、過剰に現れてるんだろうね。
ネカマ呼ばわりされなくてもミソジニーが絡んできたりとか。めんどくせー。
で、それを踏まえて文章書いたら自意識過剰って!どうしろっていうんだ!
文体くらい好き勝手書くよ。不自然とか言われてもさー、そこにお前の「女子の自然な文章とは」みたいな思い込みが存在してるだけでしょうがっていう。
それは、はっきりいって、先生の教え下手。
生徒の今できるレベルがどこなのかを把握していないんだと思う。
あるいは、目先の期末テストで、なんとかいい点が取れるよう、応急処置で詰め込ませているのか。
どちらにせよ、理解できなくてごめんなさい、なんて言わなくていい。
どこが分からないかもわからないようなレベルの課題を与える、
今ちっとも理解できないレベルの課題を与える、
そんな先生の方こそ、ごめんなさいと言うべきところよ。
先生には、今時分が理解できるレベルがどの程度なのか、一度自分から説明して、
そこから勉強を見てもらいたいと伝えたら良いんではないかな。
具体的には、「英語は中学2年生の動名詞のあたりから分かりません。」
先生にはそんな風に言ってみたらいいし、
実際に模試や過去問を解かせてもらって、自分の今できる範囲を一緒に確認してもらうといい。
ブログでこうして文章を書けているのを見ると、
自習のために必要な国語力は問題ない(問題文が読めませんとかいうレベルじゃない)とも思う。
だから、あとは、きめ細かなステップを踏んで勉強すれば伸びるはずだよ。
生徒にどんな階段が必要なのかを理解して、その階段を用意するのが先生のお仕事。
登れないほどの段差がある階段を与えるのも非効率。
生徒に合った階段を用意できない先生ならば、代わってもらったほうがいい。
家庭教師にかかる費用は安くない。
とか、いきおいで書いたけれど、実際の状況をよく知らないので、参考までにどうぞ。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%A4%A4%EF%A4%E6%A4%EB&kind=jn
[三](形式名詞)
(2)〔漢文訓読で連体修飾の「所」を直訳したことから生じた用法。……〕用言に付き、「…ところの」の形で、連体修飾語をつくる。
だそうな。和語的には受身がしっくりきたんでしょうね。
そりゃ来るでしょうね。
完璧な対策は無いですが、手を尽くせることは尽くすしかないでしょう。
メール直接よりもフォームを用意する方が遥かにマシですし。
ユーザに件名くらいかけよ!とか問いかけたって何の解決にもなりませんしね。
手を尽くすとかじゃなくて、有効な対策になっていないと指摘しているように見えるけど?
と言うかどんな対策をしても、相手に礼を尽くす気の無い人にとっては同じだと思うんだけど。
据え置き電話でも携帯電話でも手紙でもメールでもメールフォームでも何を話しているかも判らない主語抜け名詞抜けメールを送って来る人は変わらないよ。
まずはじめに、コードを書きます。この時点では、恐らくソースコードにちょこちょことコメントが付いているくらいでしょう。私の場合、「ここ怪しいけれど一応動いてる」だとか「決め打ちなので後で書き直す」だとか「ここを参考:http://www〜」だとかみたいな一般的なコメントから、「帰りに〜買う」などまで書いています。まあこの辺は思い思いに様々なことを書いていることでしょう。
次に、このままではしょうがないので、他人のためのコメントを追加したり、明らかにいらないコメントを削除していきます。が、しかし、ここで困ったことが起ることがあります。そう、英語でどう書いていいのか全く解らない、何となく不安ってやつ。今まで適当に「if you cant 〜, delete this line」(これじゃコメント削除しろと書いてる気がしないでもないけれど……)とか書いたりしてきましたが、必修英語でさえダメダメの評定とかいう英語ダメ人間なので、多分に変なところがあったと思うのです。
そこでGoogle Code。例えばテストケース用の#defineの説明などを書きたいときなら「comment out」とか適当に使われそうな言葉で検索すると、何だか流用できそうなコメントが沢山出てくるわけですよ。そしたら後は適当にそれっぽいコメント選んで名詞などを書き換えつつ機械翻訳して意味を確認。これで英語に頭を抱えなくて済むかもしれない。
この「の」の用法は格助詞「の」がもつ用法のひとつで準体格と呼ばれる。格助詞「の」に続く(ノ格の名詞句が修飾するはずの)実質的な名詞を省略するもので、奈良時代から例が見られる。
問題は、任意の場面が設定された上で「俺のがある」「彼女のがある」と言うことに我々は違和感を感じないのに、なぜ「俺のがすごい」という例になると不自然に思えるか、であろう。これは、準体格に下接する名詞の省略用法として、実質的な名詞(「車」や「靴」)を省略する用法は定着しているが、抽象的な名詞(「方」といった形式名詞)を省略する用法はまだ定着していないのではないか、ということが考えられる。
実例としてあげられていた、
などの例はいずれも文の中に選択肢が含まれており、述語が話し手の評価や価値判断を示す表現になっている。このような枠組みの支えがあれば、格助詞「の」に続く名詞を省略する用法でありふれていない名詞であっても省略し、また復元しうる環境が整うのではないだろうか。
(φには形式名詞「方」が入る)
これを実証するには、「文の中に選択肢が含まれており、述語が話し手の評価や価値判断を示すもの」以外で同様の例(形式名詞などの抽象的な意味をあらわす名詞が省略されている例)を探す必要がある。
http://anond.hatelabo.jp/20070814202848
科目によって違うので英語だけ説明するけど、数学とか物理も必要ならリクエストしてくれ。
大雑把に言えば、以下の4つを同時に勉強して初めて効果が現れる。
なにはともあれ、ある程度の単語力は必要で、これがないと話にならない。だから、例文集をうっすらと暗記しなさい(完璧である必用はない)。Duoとかあるでしょ。日本語の訳文を見て、なんとなく英語の例文が思い出せればおk。単語を1個1個覚えるのはしんどいので、単語集はとりあえずやらない。Duoだったら1日15分、3ヶ月くらいで、日本語見て英訳ってのができるようになると思う。英単語に対応する日本語を1つ1つ単純に暗記するのは効率が悪いです。単語は英文に埋め込んだ形で、イメージで覚えましょう。Duoはダメでした。英語1文と、その日本語訳がペアになってるものが良いです。
とりあえず、例文を500個くらいうっすらと暗記したとしよう。
そしたら、次に文法。文章を見て、各単語の品詞、すなわち名詞か形容詞か副詞か関係代名詞か動名詞か不定詞か前置詞か、という識別ができないと話にならない。とりあえず、実力を伸ばす以前の問題なので、これだけは識別できるようにしてちょ。1日1品詞2時間ロイヤル英文法でも読んどけばいい。1週間でできるよね。これを3ループするとして、1ヶ月。3ループで品詞識別がある程度できなかったら、死んだ方がいいかもしれない。
文法が終わったとしよう。次に聞く。これはひたすら聞くしかない。英語の音源を聞け。1人でテクテク歩いてる時は常に聞け。電車の中では他の勉強しろ。自転車乗りながらは集中できないから無力。
iPodに
English as a second language
をたらふくいれとけばいい。iTunesを使えば、簡単にDLできる。これは受験が終わるまでやれ。もちろん、受験が終わってから継続してもいい。3年やると映画の字幕無しが理解できる。6ヶ月継続しないと効果は確認できない。6ヶ月くらい経つと、あれなんか聞こえるぜってなる。
例文うっすら暗記が完了し、品詞識別もけっこうできるようになり、1ヶ月は英語リスニングをしたとしよう。そしたら、最後は書き。まあ、気合入れて書かなくてもいいから、英語で日記つけろ。ブログでもいいぞ。ノルマは1日1行な。もちろん、1行以上書いてもいいけど、1行かけば十分。毎日つける必要はない。1週間まとめて書いてもいい。内容は、テレビの感想でも、漫画のストーリーの説明でもいいし、なんでもいい。ただし、文法的におかしい文章は絶対書くな。1ヶ月後にはネタさえあれば3行くらい書けるようになってる。6ヵ月後には、1エントリーくらいは英語ですんなり書けちゃうと思うよ。
さて、英語日記も1ヶ月くらいやって、30行以上の英文を書いたとしよう。これで成績を上げる準備が整った。もちろん、少しは成績があがってるだろうけど、その上がり方は不安定だ。こっから先は、塾でも学校でもなんでもいいので、指示にしたがって、ぐーたら勉強してればいい。効果は1ヶ月でセンター試験15点から20点分くらいアップするよ。だから、センター試験で200点近くとるのもへっちゃらだね。もちろん、英語1日1行日記と、ウォーキング中リスニング縛りは忘れるなよ。