はてなキーワード: ミーハーとは
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(a) アニメを長く見ていて、アニメの見方の作法を確立している人たち=オタクエリート
(b) 好きだ!という理由だけで作品を楽しむめる人=非オタクエリート/一般オタク層/ライトオタク
(c) みんなが誉めた作品が良い作品だと思っているだけで自分の意見で好き/嫌いを判断しない、もしくはその勇気がない人=ミーハー?
(d) アニメには興味がない。ネットでみんなが褒めているのにその良さがわらないため、否定する人=ネットが好きなだけの人
私は、(a)と(b)の間に、"ある種の層"が存在し、増殖しているのではないかと感じています。
つまり、オタクエリートに成り損ねた非オタクエリートという人たちです。
成り損ねた、などと乱暴に書くと「貴様はオタクエリートの方が非オタクエリートより偉いと思っているのか!」
と叱られてしまいそうですが、どちらが上か下かという気持ちはなくて、
非オタクエリート>オタクエリートという通常であれば歩むラインから外れたはいいもののどこにもたどり着けない隘路に落ち込んじゃった、という意味です。
ぶっちゃけ、私は、彼ら特有の言説はオタクエリートにとっても非オタクエリートにとっても有害
(あるいはアニメという表現媒体そのものにとってさえ有害)な存在だと思っており、
その危険性をしっかりと指摘しておきたいなぁ……というのがここ一連の作文に至った動機であります。
一昨日、昨日の前置きがないといささか乱暴になってしまうと思いこれまであえて「オタクエリート」という言葉に"ある種の層"を仮託してきましたが、
前置きが完了したのではっきりと書いてしまおうと思います。
「なんちゃってオタクエリート」が、オタクエリートだと勘違いされている状況が多いのではありませんか?
コメントやトラックバックで「君はオタクエリートという言葉を勘違いして使っているのではないか?」という指摘を頂戴し、
我が意を得たりと思いました。
■個人の好悪表明が評論と勘違いされる事の危険性
なんちゃってオタクエリートは基本的には(b)に属しています。つまり、「好きだ/嫌いだ」という気持ちが言論の主体にある人たちということです。
前回、前々回の指摘の繰り返しになりますが
http://anond.hatelabo.jp/20070326142734
http://anond.hatelabo.jp/20070327135230
彼らにはまず「まなびが嫌いだ」という気持ちがあって、それが発言の主体となっている。
「好きだ/嫌いだ」を表明することは大いに結構、キュートで好ましい、それが私のスタンスです(前回書いたとおりです)。
ただ、私は、彼らがその「好きだ/嫌いだ」をそのまま表明したがらないところに――
分析モドキや事実の捏造を含めて見解を正当化・権威化しようという試みがなされているところに歪みと危険性を感じます。
まず、非オタクエリートが、なんちゃってオタクエリートの見解を「権威」だと誤認し、それに流されてしまう危険性を挙げておきます。
「2chで絶賛されていたから面白いんだろう/糞と言われていたからつまらないんだろう」といった発言は、
"嘘を嘘と見抜ける人でないと2chでは有益な情報を得ることができない"というコモンセンスの敷衍によって淘汰されつつあります
(実は淘汰されていないんですけど、まあ、表面上は淘汰されたということにしときましょう。少なくとも、口にしたら恥をかくしね)。
しかし、前述のコモンセンスは"嘘を嘘と見抜ける人でないと『ネットでは』有益な情報を得ることができない"という形にまでは一般化していない。
顕著なのがwikipediaですね。「2chに書いてあったから」と口にするのを恥と感じる人が、「wikiに書いてあったから」と言うことを愚かな行為と思わない。
これはwikipediaがまとう"権威のかほり"が大きいのではないかと私は考えます。
「wikipediaってなんかアカデミックなかんじがするよね!」「なんかエリートなかんじがするよね!」ってことですな。
非エリートはそれを真実かどうか見極めるだけの経験や知識がないがゆえに、権威風のものに幻惑されやすいわけです。
さて。
なんちゃってオタクエリートの感想文は、分析に見えるものやそれっぽい言葉が多用されているので"権威のかほり"だけはまとっています。
そのせいか、実際は一個人の好悪の表明であるにもかかわらず、非オタクエリートにはそれが一般性をもった評論に見えてしまう。幻惑される。
http://anond.hatelabo.jp/20070326142734 この程度の明らかな事実誤認(捏造)さえもが
http://hibizaren.blog93.fc2.com/blog-entry-130.html こうしたニュースサイトなどを経て伝播し、
「ふーん、まなびストレートって結果としてアニオタの大部分に失笑を買ったまま終わる事になったんだ。糞なんだね」
というように非オタクエリートを洗脳してしまうのではないか、という危惧を抱く次第であります。
実際に見たら人生を変えるほどの傑作なのかもしれないのに、見て、自分で判断する機会自体を奪っているのではないかと。
ひいてはモノを自分で判断する思考実験の場を奪い、自分なりのアニメ鑑賞作法を確立する機会を奪っているのではないかと。
こうした「なんちゃってオタクエリートが非オタクエリートをなんちゃってオタクエリートへと導く構図」にもあるように思います。
作法さえ確立してしまえば、ぶっちゃけアニメの出来とは無関係にアニメは楽しめるものです(笑)。
自分ひとりで深く深く井戸を掘り下げてそこに水脈を見出すことができる。あるいは掘り下げる作業自体が楽しみとなる。
それができないとアニメに飽きちゃうわけです。
どんな美人だって三日すれば飽きるそうなので、10年も20年もアニメを見続けていればそりゃ刺激は落ちますわな。
アニメは愛している。
でも勃起できない。
愛しているからアニメと絶縁するわけにもいかない。
自然、「昔はよかった」「今のアニメは」という愚痴ばかりが出てくる。付随して「業界の体質が」「最近のアニオタは」という批判をおっぱじめる。
そんなオッサンをネットの辺境で見かけたことがありませんか?
私はそれをとても不幸なことだと思います。
さて。
これとは別に、「オタクエリートの真に価値ある評論がなんちゃって評論の叛乱によって埋没するのではないか」、という危惧も抱きます。
人間というものは、わかりやすかったり乱暴だったりダークな言説にぴょんと飛びつくものです。悪貨が良貨を駆逐するのではないかと。
今日はなんかコードを書く気になれんので、開発環境でも整えよう。
自分の物理的な開発環境は、会社PCと自宅PC(デスクトップ)、自宅PC2(ノート)。
会社PCと自宅PCデスクトップはWindowsで自宅PC2(ノート)はUbuntu Linuxみたいな構成になっている。
基本的には、PHPのコードしかいまんとこ書いてないんだけど、まあいろいろ他のコードも書いたり。
いややっぱりPHPしか書いてないか。現在の構成は以下のようなかんじ。
会社開発環境:Eclipse + Aptana + PHPEclipse ほんで日本語入力がskk。あとは特になしデフォ。
自宅(デスクトップ)開発環境:萌ディタ + FFFTP。あんまこっちじゃ開発してない。
自宅(ノート)開発環境:gedit(なんか標準でついてるやつ)。これで書いて、ごにょごにょみたいな。(Apacheいれて)。こっちメイン。
ほんで、これを統括するリポジトリ、BTS。会社のリポジトリは、SourceSafeとSubversionがある。Subversionに移行中。
BTSはMantisとかいうのだったはず。導入したばっか。あと個人用にもSvnリポジトリがある。趣味の開発とかはこっちへ。
なんというか正直複雑するというか、結構面倒なんでいろいろ統一しようと思う。
まず自宅はノート遅すぎなので(このご時世にX20はねーわ)、デスクトップだけにしてノートはお蔵入り方向で。さようなら。
会社の開発環境もちょい変えよう。なんかEclipseはだめだ。僕みたいな初心者プログラマには便利すぎ。
なんかどんなコードを書いても動いてしまいそうな気がする。よくない(自分がだけど--)。
基本構成は、http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0703/07/news017.htmlを参考に。
会社と自宅のデスクトップにcoLinuxを入れて、上記3種の神器を入れる(ミーハーでごめん)。
次に全PCのIMEをSKKに。いい加減統一しないと指が変なかんじになってきている。
これでコードを書いたり、文書を書いたりできるようになった。次に開発動作環境。
Apacheとphpとrubyとgccとg++とnasmとjavaとhaskellとperlぶっこんどこう。jsはFirefoxで動くからすばらしいね。
次は、subversionとmakeとqemuいれとく。
社内環境はどうにも変えようもないけれど、BTSとかSVNに変更が発生したらIRCでメッセージ流すのはいいと思った。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0703/01/news113.html
はやめにPG終わらせてやってみよう。
まあこんなかんじかなあ。だらだらと書いてしまった。まあよさげ。ちなみにこれ以外のごにょごにょは
はじめに
秋葉原は現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術の聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェア・コンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェア&ハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。
この記事は、秋葉原の歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。
電気屋街としての秋葉原の歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前の秋葉原にも山際電気(現在のヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後、焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。
この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野や新橋、渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原の国鉄や都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。
その後、GHQにより道路の拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本の高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車で郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原は電脳街となるのである。
秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメやゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタクの聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。
秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌、アニメグッズ、ガレージキット(フィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原に移転するまで吉祥寺、渋谷、新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂の宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャー・ショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメやマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。
批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメの物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。
東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語(アニメにおけるキャラクターやロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語は存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンのデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」
この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁・血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティ=コミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクターを好み、そうしたキャラクターが登場するアニメやゲーム、ガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在の秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術の進化が趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。
オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクはオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家の篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。
しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。
秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCやインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタクと情報家電の親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブやパソ通などで、一部のオタクはBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチな趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。
「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。
秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバblog(http://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットのジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在の秋葉原はオタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメのコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。
高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在の秋葉原は評価されるべきだろう。
参考文献
「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹
http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1
http://sotokanda.net/his_cafe.html
註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。
コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博
カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介
動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀