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2012-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20120705170740

よくわからないんだけど

http://ja.wikipedia.org/wiki/Model_View_Controller

※右図の写真ModelからControllerへの戻りはないよ?

別に ModelViewが通信しちゃいけないわけじゃないし

ModelからViewおよびContollerへ飛ばすのは EventとCallbackであって、処理依頼ではないので・・・

何が言いたいかというと、MとCを勘違いしてない?

もしくは、イベントドリブンとファンクションモデルを誤解してない?

 

たとえば、ListView の ListModelとListViewがあったときに Modelデーターが更新されたらControllerに通知しないでViewに通知してデーターを更新すればいい。

Controllerというのは ユーザから入力を受ける装置 であって、Model操作する装置ではないのだが・・・ ControllerをModel操作装置として定義してないかなぁと思って。

2010-07-09

ビジネスロジックをストアードプロシージャで実装してはいけない

ストアードプロシージャでビジネスロジックを実装するメリットを認めつつも、以下の点からビジネスロジッククライアント言語で実装できる場合はできるだけそうした方が良いという結論に達した。

ストアードプロシージャと単体テストは食い合わせが悪い

RDBMSによっては無料あるいは有料でソースレベルデバッガを使用できる場合もあるが、通常はクライアント言語デバッグ機能を使う方がはるかに便利だ。何か問題があったときに、どこが問題なのかを見つけることがクライアント言語記述した場合よりもはるかに時間がかかる。

また、Unit Testing Framework(xUnit)も使用できない場合がほとんどだ。

さらに、カバレッジツールは大抵の場合使えないだろう。

ストアードプロシージャは、たいていの場合、静的解析が行えない

ストアードプロシージャ用の静的解析ツールの存在を知らない。巡回的複雑度を知りようにも知るすべはないのだ。それが行えるツールを知らないだけかもしれないが。

ストアードプロシージャは、バージョン管理されたコードとの整合性に問題がある

仮にストアードプロシージャの変更を全てAlter xx等で構成されたSQLスクリプトファイル管理し、それをバージョン管理システムに含めたとしても(というか、最低そうすべきなんだが)、あるリビジョンコード一式に対応するデータベーススキーマを取り出すのは難しいか面倒だ。

ではトリガーはどうなのだ

リガーでビジネスロジックを実装する場合も、上記問題点が全てあてはまる。

さらにトリガーの場合は、どのような場合にどのような処理が実行されるのかを俯瞰することが難しくなるという問題もある。

では一体いつストアードプログラムを使うのか

一つは、Oracleで言うところのストアードファンクション、つまりSELECT等のDML内で使用する関数で、そうした方がパフォーマンス的にも良い場合

もう一つは、複数クライアント言語で同一データベースを使用することが決定済みな場合

2010-06-12

開発生産高をステップ数で計るのいい加減やめようや。

同じ要件でも、スキルのある人が作れば共通化されてステップ数が少なくなる。

当然、ソースの全体量は少なくて把握しやすいし、保守性も高い。

単体テスト工数も少なくなる。

ファンクションポイントクロス生産高評価に使わないと

ぐちゃぐちゃなコピペだらけのソースになるぞ。

2010-02-06

自転車を漕ぐ時って、自転車を漕ごうと思って自転車を漕いでいる

何が言いたいかっていうと、右足でペダルを踏んで…バランス取って…今度は左足を…なんて考えて無いってこと

そういう風に、ファンクション化されている動作や行動っていうのが人間にはたくさんある

それらのファンクションは、経験学習によって獲得されるものだ

仕事でも何でも、自分の中でファンクション化されて自分の物になってこそ一人前と言える

ファンクション化すれば余計なことに脳を使わなくてよくなるので動きが洗練されるし余裕が出てくる

ファンクションの組み合わせで応用して更にファンクションを作ってプロフェッショナルになっていく

ファンクション化できていない状態では、もちろん同じ作業を行うことはできるけれど、マニュアル操縦で無理も出てくるし無駄なパワーもかかる

ちゃっちゃとインストールしたいなぁ

問題は人間インストーラの出来がメチャクチャ悪いことだ

コスト時間もかかるし、2年も3年もかかってインストール失敗なんてよくあること

2009-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20090510121111

古くからある通信系のITにいましたが、どちらもあっているけれども、微妙に違うと思います。

下手くそな実装というのは存在しなかった。

バグとかの管理の仕方とかも含め、帳票が個人ベースだったり、レビューという概念があったりするなど

へたくそな人を上位職が直すという概念存在しているので、昔からへたくそな実装という物は存在していたが

期間が2年とか3年とかあったので、上位の職の人が、手を入れて直す時間ゆとりがあった。

つまり、結果として製品品質は高かったのでおっしゃられていることは製品ベースで見るとあっていますが

ベースで見ると間違っていると思います。

今回の議論の根本には、開発期間が数ヶ月のように短期開発が中心となった現在の開発では

人のスキルがそのままダイレクト製品に反映してしまう(上位職が修正する期間的余地がない)

また、転職市場が広がったり、会社の規模拡大がリニアではなくなり、

一律ベースアップが不可能になっているなど、年功序列制の給与体系が崩壊した昨今

であるならば、評価を含め製品の評価を個人の評価と直結させて、給与まで反映させるべきである。

であるならば、ファンクションポイント方の方が優れているが、

実際は、やはり同じように製品品質ファンクションポイント法であっても、使い方の問題で人の価値判断から逃れられず

結局、上司のなーなー、や上司の采配、上司の『感情』、上司の『好き嫌い』という物からは逃れられず・・・

書いていて思ったのですが・・・。『大手IT下請け』という物には入ったら終わりなんだと、ちょっと思いました。

所詮、上質なコードを書いても評価なんてされませんって。それより、上司と酒飲んだりしたほうが評価されるじゃね?と

現実と違っていても思われてしまう当たりが、『大手IT下請け』は終わってるなと。

駄文ですみません。

http://anond.hatelabo.jp/20090510103004

昔の名残だと思います。

なぜ昔そうだったのかは、私見では以下2つのどちらかです。

(1)昔のプログラマ(≠コーダー)は本当に高度な専門職で、

 下手くそな実装というのは存在しなかった。

(2)昔の環境では、同じ機能を実装するにあたって

 上手い人でも下手な人でも同じコードになったから。

 工夫の余地が少なかった。

私もファンクションポイントの方が良いと思いますよ。

ステップ

うちの会社はIT業界なんだけど、プログラムステップ数を

開発規模やテスト項目の指標として使ってる。これって変だよね?

実力のある人が設計実装すれば、同じ機能を実現するにしても少ないステップ数で実現できる。

ファンクションポイントで開発規模見積もるべきじゃないんだろうか?

テスト項目数もユニットテストならステップ数に依存するかもしれないけど、

結合テストならステップ数より、ユーザ入力できるパラメータ数に依存するよね?

他の会社は開発規模やテスト項目数どういう指標使ってんだろう?

2008-12-19

まだ早いって思いすぎたのかなぁ

カーネル勉強会に参加した中学生ブログを見て。

http://blog.livedoor.jp/natoi/archives/2008-12.html#20081218

プログラミングやり始めたのは、中1の時。

N88BASICから入ったけど、システムの基幹的なところがわからなかったので、中1の冬に応用MS-DOSとか読んでFATの仕組みとか一通り勉強して、中2の春ごろMASMとCでBIOSとかMS-DOSファンクションコール呼び出して遊んでた。中3の頃はBorland C++とかやってたっけなぁ。

でも、自分中学時代、一切こういう勉強会みたいなのに行く気がしなかった。1996??1998年ぐらいの話だから、一応インターネットはあったんだよな。

「きっとみんなすごい人たちなんだろうなぁ、自分なんか足元にも及ばないだろうし、そこまで専門的な話を聞いてもその知識をどう生かせばいいのかわからないし・・・」って思ってた。

中3の冬あたりでLinuxさわりはじめて、sambaとかapacheたてて遊んでたりしたけど。やっぱり、これらのソフトソースコードを読もう、とかいう気にはなれなかったなぁ、なぜだろう。他のすごい人たちが作っているのだから、自分勉強したりしたら邪魔かなぁ、と思ったんだと思う。

で、東大入学した。(カーネル勉強会に参加したこの中学生も、今から勉強すれば、東大とか、いい大学ふつーに受かるよ。その方が幸せ人生送れるよ。)

なんか、周りのすごい人たちは、ICPCとかいってる。ICPCとかに参加しても、数学が出来ないといい結果出せないしなぁ、数学才能だからなぁ、足手まといになりたくないなぁ、って思って、参加しなかった。

院に入る。なんかすごい業績あげている先輩がいる。「なんかみんなすごいなぁ。僕も頑張らないといけないのかもしれないけど、この程度の成果じゃどうしようもないよなぁ」って思っていたら、出せるはずの業績も出せず。

今考えてみると、「あの時、あれに注力していれば、今頃トップになれたかも」みたいなのはあったんだよなぁ。JavaScriptマルチタスクできないかなぁ??、みたいなことを高校の時にやっていたし。「まだ早い早い」って思いすぎたのが、自分欠点だったのか。今考えてみると、どの人も、頑張っているけど、それほど革新的なことはやっていない気がするんだよなー。だからといって、自分の考えたものが革新的かといわれると、そりゃ、発表する時は革新的だっていって発表するけど、内心大して革新的じゃないって思っているから、やる気がしないんだよなぁ。

こうやって、いっつも悲観的になって、中途半端にやめてしまうのが、自分の悪いところなのだろうな。

2008-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20081218121631

ファンクションポイントとかCOCOMO工数とか、

なんか他にもいろいろあったけど、

見積もる際の手間とかでやってらんねぇーってことで普及しなかった。

どいつが幾らで見積もったほうが楽だからね。

あいつがひと月80万!?チェンジ!みたいな。

2007-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20071106231227

おお増田よ。そなたはファンクションプログラミングというパラダイムシフトを一人で超えていこうというのか。

というのはともかく。つthrow つ例外処理

2007-09-09

ヱヴァンゲリヲン新劇場版

ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を観に行った。2007/9/7金曜日歌舞伎町ミラノ1。仕事帰りだった。18:00に劇場に到着してチケットを購入し、そのままホワイエに通された。カウンターパンフレットを購入してその後、モスモスバーガーセットを購入。オレンジジュースを飲みながら時間を潰した。17:00の公演を逃して、次は19:15。公開時間まではあと1時間近くある。買ったパンフレットを眺めながら、まだ残暑の厳しい外に比べてエアコンディショニングされた劇場のホワイエで、ふと周りを見渡してみる。

 そこに居たのは全く自分と同じ人々。年齢は20代後半から30代にかけて。それ程多くない。男女比率は同率程度。

 10年前、僕は同じ劇場エヴァ劇場版Airを観た。それは高校時代後半の全てだったエヴァの最後を見届ける為、同時代のグルーヴ感を感じる為だったと思う。深夜、TV局が行列に並んでいる人に取材している姿を横目に見て僕は「お前らには絶対にわからねぇよ」なんて悪態をついていた。

 あれから10年が経ち、僕はまた「ヱヴァ」を観に来ている。庵野秀明が全身全霊をかけて、僕達に叫んだ「お前ら、こんなもの観てるんじゃねぇ!」という叫びも虚しく僕は今、ここにいる。それは自分が選んだ道だけど、それでもスーツを着てここに並んでいる自分の姿は、傍から見て、とても滑稽だろう。

僕は携帯を取り出してさっき彼女から貰ったメールの返信を打つ。「大好きなのに・・・」と始まる彼女メールを見て、お昼過ぎの痴話喧嘩を思い出す。二人はとても仲が良くてお互いがお互いの事を最も大切に思っているから、ちょっとした事で喧嘩をする。それは自分の気持ちが相手に上手く伝わらないジレンマのようなものだ。メールには友人と飲みに行くと書いてある。僕は「さっきはごめん。今日はゆっくり楽しんできてね」と携帯の単語予測から選択して手早くメールを作成し、彼女に送信した。

携帯の電源を落として改めてさっき並び始めた列の後ろを眺める。長蛇の列は劇場脇にある入口からホワイエまで続いている。優に40m近くはある。それが劇場両脇にあると思えば大した人数である事が予想される。

「何故僕は今、ヱヴァを観るのか。」

この問いはここに来る前からずっと僕の頭の中でループしている。その答えはきっと庵野秀明によってフィルムで示される筈である。でもそれ程多くは期待していない。何より僕は当時に比べて歳を取ったし人生経験も積んだ。離婚も経験した。それは僕の心に大きく影響して、僕の中から少しづつ童心純粋さは失われていった。それを肌で感じていた。僕は十分に大人だ。それも随分腐った大人になっていた。当時とは違う。そんな事を考えながら立ち続ける。

凡そ40分後、劇場のドアは開けられた。中は比較的広く清潔だ。多分リニューアルしたのだろう。10年前とは違っていた。僕は中央付近の良い席を取る事ができた。席に荷物を置いてビールとポップコーンを買いに行く。ビールを飲む辺りに親父臭さを感じる。

席に戻ってポップコーンを摘みながらビールを飲む。果してどんな作品を観る事ができるのか。僕はとても楽しみに、少しの絶望を抱えながら、それでも楽しみにしていた。GAINAXの「トップをねらえ!2」に絶望し、「グレンラガン」に次世代性を読取った僕が、庵野秀明の最先端に触れられる瞬間である。時代を築いた映像作家の最新作。否が応にも期待が膨らむ。僕の前に「ヱヴァ」はどんな姿で現れるのか。ネット等で事前知識を何も仕込まずに観に来たのは、それが一番純粋に作品に触れられる方法と考えたからだ。僕はやっぱり何かが変わる事を期待していた。庵野秀明が何かを変えてくれることを期待していた。

映画は静かに始まって、劇的に幕を閉じた。

興奮する観客の中で一人僕はうっすらと涙を浮かべていた。それは感動の涙である。「ヱヴァ」は「エヴァ」ではなかった。それは全く同じキャラクター世界観で描かれた純粋二次創作物だった。「エヴァ」で面白かったと思われるエピソードを凝縮し、解像度を上げ、劇場作品として耐えられるクオリティにまでベースアップして新しく作られた「エヴァ」だった。「ヱヴァ」は「エヴァ」ではない。それは様々なガジェットで示されている。「エヴァ」が「ヱヴァ」としてリメイクされた理由、それは庵野秀明が「閉塞した時代」に風穴を空けようとした、という一点に収束する。「エヴァ」が批評的であり、文学的であり、映像芸術的であったことに比べて「ヱヴァ」は極めてアニメ的だった。それは「時をかける少女」が極めてアニメ的手法によってそれまでのアニメーション作品には無い全く新しい映像表現を目指した事とシンクロしつつも少しずれた感性である。

アニメ外の人間だった庵野秀明アニメ内に入りエヴァで再びアニメ外に出て行ってしまった、しかし10年の時を経て再びアニメ内に戻ってきた。この波は彼が「ナディア」から「エヴァ」に到る際に経た道程と同じではないか?「ナディア」を撮って、もうアニメは撮れないと言っていた庵野が再びフィルムを撮ろうとした、あの「エヴァ」に到る道程と酷似してはいないか。

表現者・庵野秀明の本気は恐ろしい。彼の本気は時代を動かす。「ヱヴァ」は庵野秀明憂さ晴らしでは終わらない。彼は再びアニメーションという表現を信じる事ができた。彼は再び物語が持つ強度を信じた。その事が僕にはとても嬉しかった。彼が10年前に三行半を突きつけたアニメーションを、どんなに蔑まれてもずっと追い駆けてきた僕は、そこに一筋の光明を見る事ができた。庵野秀明が再び信じたアニメーションという表現手法。それは日本が世界と鎖国し独自の文化として大切に育ててきた集団芸術総合芸術である。宗教に並びうる文化的発明と言い切ってしまっても構わない。

アニメーションには未来がある。SF子供たちに夢を届ける。ぼくらはそのファンクションを十分に生かして自らの人生を豊かにしなければならない。次世代へ繋ぐ夢を語り続けなければならない。素晴らしい芸術作品を創作し続けなければならない。素晴らしい芸術作品の下僕として作品に仕えなければならない。

ピラミッドが何故素晴らしいのか?万里の長城が何故人々に感動を与えるのか、東大寺大仏金剛力士像が何故現代でも価値を持ち続けているのか。その事について僕達は自覚的にならなければならない。ゴシックの大聖堂が持つ光と影が作り出すドレープの豊かさ、そういった表現が何故我々の心に届くのか。全てはたった一つの事に気づく事で理解できる。芸術とはそういうものだ。

ヱヴァ」はその意味で十分に芸術作品足りうる。つまり「エヴァ」とは違った芸術的価値を持つ作品である。

ヱヴァ」を観て涙を流した僕が思った事。それは「庵野秀明の帰還」と、「エヴァ」ではない全く素晴らしい作品の誕生の瞬間に立ち会えた事である。世界はまだまだ素晴らしい出来事で溢れている。

戦争の無い恒久の平和を胸に。決して叶う事の無い夢とは解っていても…。

2007-04-27

低級指向

http://anond.hatelabo.jp/20070427093912

マシン語で組んでみないか

入出力のファンクションさえ用意されたら作れそうな気がする

オブジェクト指向

PHPオブジェクト指向勉強してる。というか仕事での必要性を感じてやってるけど、正直オブジェクト指向の良さがさっぱりわからん。

オブジェクトで書いてたらなんか格好いいかなってくらいのレベル

オブジェクト指向でフォームとか作ろうとしてるから?

文法もわかるしそれなりに書ける。

設計も難しいし。

よくあるオブジェクト指向の解説本には車がオブジェクトタイヤファンクションでみたいなんかいてるけど、実務で使うプログラムの設計の仕方がわからん。

関数使いまくりじゃダメスクリプトHTMLが混入してたらダメ

8年くらい前にKENTWEBでCGIを覚えた自分はすっかり時代にとり残されてしまいました。

2007-04-24

自称“DoCoMo2.0”、904iを一言で言うなら

2007-03-07

人月神話

http://anond.hatelabo.jp/20070307222424

つうか、見積もりってどうやってやってる?

COCOMOだとかファンクションポイントだとかなんか色々あるみたいだけどさ、正直弱小が見積もろうとしたらさ、、

なんつうんだろ。

予算どれくらいですか?」から入らない?

というか、お客さんなんかどうせ素人の場合がほとんどなわけで、その工数に根拠つけて教えたところで意味なんてないと思うのさ。

でね、予算を想定して、その予算ならこれくらいの機能は載せられるな。この調子だと仕様の決定に2ヶ月ぐらいかかるわな。機能に6人ぐらいつっこんで3ヶ月でおわらせて、それくらいの機能ならテスト工数をこれくらいでとって。。みたいな感じで予算に合わせてコースメニューを組んであげるぐらいの話しなんじゃないの?

お客の要望をくみ上げてから見積もってたら夢がひろがりまくりんぐで、居酒屋価格で結婚披露宴なみの料理を要求されておわりだがや。

人月なんてあれでしょ。根拠がなにもないと困るから言うわけで、

披露宴のメニューを人数分そろえようとしたら材料代も時間も手間もかかるので値段があがりますよ?てな具合だと思う。

できあがった料理うまいか不味いかはコックの腕前だけど、そこでは値段は関係ないよね?

まずい料理でも価格は一緒だ。顧客満足度が違うだけ。

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