はてなキーワード: がっかりとは
ああくだらん。
受験シーズンももうすぐ終わる。それはそれでいい。受験生の皆さんご苦労様と言いたい。
だがな、それに乗じて「新入生のためにアドバイスを」とかのたまう奴が胸糞悪い。
勘違いして欲しくない。ちょっと前に流行った「今年〇〇を卒業する俺が新入生にアドバイスしたい」系の、どんな部屋を選んだらいいとか、新勧にはどう望めばいいとか、ぼっちはやめろとか、そういうアドバイスをするのは一向に構わない。むしろどんどんやって欲しいと思う。だいたいこのエントリのタイトルもそれをパロってるしな。
俺が気に食わないのは、「有意義な大学生活を送るには云々」とか言う奴だ。
だいたいお前ら、言うことが判を押したように同じなんだよ。「本を読め」「狭いコミュニティにとどまらず外に出ろ」あと「海外に行け」。この三つぐらいだろ。
同じことばっか言いやがって。予想できるから面白くないんだよ。意外性の欠片もないクズめ(と言っておきながら水戸黄門が結構好きな自分。人間って不思議ですね)。
そういう奴に限って、「大学の四年間を無駄に過ごす人間が多くて残念」とか言うんだよ。
お前こそ、大学の四年間で何を学び、何を見て、何を考えてきたんだよ。
お前らが偉そうなことを言う背景には、お前らなりの「こうなりたい」と思う理想像があるんだろう。お前らのアドバイスは、その理想像に近づくための手段だ。それはそれでいい。
だがな、自分の理想像が、無条件に誰にでも当てはまるもんだと思ってんのか?んな訳ねえだろ、ばーかばーか。
外資のコンサルにでも入って転職なんかもしちゃいながらキャリアを積んで、将来は独立してちょっとばかし社会に貢献なんかしたい。それがお前らの理想か? 大いに結構。
でもそれはあくまでお前の理想だ。万人共通の理想じゃない。むしろ万人共通の理想なんて存在しない。そんな世の中気持ち悪いわ。吐くぞ。ゲロゲロ
将来の理想像。自分の望む生き方。幸せのかたち。んなもん人によって全然違う。
大学ってのは、そういうことを学ぶ場じゃねえのかと俺は思う。
周りには自分とは価値観の違う人間がいっぱいだ。よく「大学入ったらもっと変な人間がいっぱいいるのかと思ったら、そうでもなくてがっかり」とかほざく奴がいるが、それはお前がボンクラなだけだ。外っ面ばっか見て判断すんじゃねえ。周りにいる人間は、全員、お前とは違う人間なんだよ。
話が逸れた。んでだ、偉そうに新入生にアドバイスなんかしちゃってるお前、お前は何を学んだんだ。「多様性」とか言うとなんかむずガユいが、お前はそれを理解してんのか? してねえだろう。してたら「こんな人間になってはいけませんよ」なんてしたり顔で言えるわけがない。
お前たちのやってることは、自分の理想像を人に押し付けてるだけなんだよ。
でもう一つ言うと、お前らは一見すると外の世界に出て、世界が広がっているように見えるが、全然違う。まったく広がってなんかいない。
結局外に出ていろんな人と会ったところで、そいつらは結局お前らと同じ価値観の奴だ。もし本当は違ったとしても、お前らは自分の価値観に沿った形でしか、そいつを理解しようとしない。
その証拠にだ、お前らはサークル活動にかまけて外の世界には出ず、休みの日は家にこもっていて、海外にも行った事がない。そんな人間から何か学べると思うか? せいぜい反面教師にするぐらいだろう。ちなみにこれらの特徴はすべて俺に当てはまるが、まあ気にするな。
俺には俺の信念があって、俺の論理があってこういう生き方をしている。これは自信を持って言えるが、お前らはそれを理解しようとはしないし、存在すら認めようとしない。だから「もっと外に出なよ」とか言っちゃう。言っちゃう。大きなお世話だ。
お前らは心の中の世界を狭くとってるんだよ。だから広い外の世界に触れても、心の中の狭い世界の範囲内でしか理解しようとしない。
心の中の世界を広くとれよ。だいたい何が「海外」だ。勝手に日本とその他を区別してどうする。何が「海外行きたい」だ。「海外に行く」ために海外に行くな。寺マニアだから京都行きたい。科挙マニアだから(これは俺だ)北京行きたい(だが金銭面の理由からまだ実現していない)。どっちも同じだ。日本じゃないからって区別するな。
心の中にまで国境を作ってどうする。んなもんとっぱらっちまえ。
国が違うからって区別すんな。それじゃあ結局狭い世界の論理の中でしか理解したことにしかならない。広い世界を持って、見るもの聞くものすべて、自分の世界に取り込んじまえ。変なものが入り込んだら、後で取り除けばいい。
ちくしょうまた話が逸れた。だいたい俺の文章は長すぎる。もっと簡潔にまとめれんのかゴミが。
それでだ、こういうエントリが現れると大抵「すばらしい。一年生の時に読みたかった」とかほざく蛆虫野郎が湧いてくるのがまた胸糞悪い。
さっき「心の中の世界が云々」とか偉そうなこと言ったが、こいつらの場合、そもそも広いとか狭いとか言う前に、心の中の世界が「ない」んだな。
つまり信念がない。信念がない人間は後悔する。だからあんなコメントしちゃう。
信念のある人間は、反省しても後悔はしない。例え結果が悪かったとしても、それは自分の信じた道なのだから。
まあこういう類のつまらない人間は掃いて捨てるほどいる。お前らは判を押したように同じアドバイスを真に受けて、判を押したように同じ本を読み、判を押したように同じ会社に入り、判を押したように同じ人生を歩み、判を押したように死ね。このハンコ人間どもが。まあ時代はこれからペーパーレスだが、無能な役人と無能な政治家がはびこる今の日本なら当分ハンコは使われ続けるだろうから安心しとけ。
書いているうちに俺の怒りも消えてきた。言いたい放題言って実にいい気分だ。この文章が誰にも読まれなくても俺はもう満足だ。さすがに批判で埋まったら心が痛むが、それはしゃーない。
じゃあ最後に俺も偉そうに春から大学に入る新入生にアドバイスしちゃったりしよう。ああ恥ずかしい。厚顔無恥とはこのことだ。
とは言っても、すでに俺の言いたいことは書き尽くしてある。
心の中の世界を広くとれ。別に外の世界に出なくてもいい。もちろん出たきゃ出ればいい。海外なんて行かなくていい。もちろん行きたきゃ行きゃあいい。だが、家にこもっていたって、テレビの画面には、パソコンの画面には、漫画には、アニメには、お前の世界を広げてくれるものが山ほどある。それらをすべて飲み込んで、自分のものにしてしまえ。そうすればお前は、外の世界に出て海外にいっぱい行ってても結局は自分の狭い世界の枠組みでしかものを見ていないボンクラ野郎なんかより、よっぽど広い世界を手に入れることができるはずだ。
自分を持て。信念を持て。どんなグータラな生活でも「俺はこういう考えでこの生活をしている」と自信を持って言えるなら、それでいい。「その時楽しいと思ったことをする」でもいい。何なら『信念を持たない』という信念でもいい。だが安易に人に流されるな。人の意見はまず心の中の世界に取り込んでしまえ。それから従うかどうか判断すればいい。従ってもいいし従わなくてもいい。そこに信念があれば。
行動の第一原理は「~しなければならない」じゃなくて「~したい」にしろ。本なんて読みたくなけりゃ読まなきゃいい。もちろん、読みたきゃいくらでも読めばいい。本だけ読んで、他に何もせず過ごした大学四年間というのもなかなかステキだ。惚れるぜ。もちろん、「俺は将来〇〇したい。だからそのためには今〇〇しなけらばならない」というのは大歓迎だ。ただ闇雲に、何かの強迫観念のように「~しなければ」と思うのはやめとけ。ハンコ人間になりたくなければ。
以上だ。色々偉そうなことを言ったが、要はやりたいようにやりゃあいいんだ。人生なんて。もちろん他人に迷惑を掛けるのはよくない。と言っても人に全く迷惑を掛けずに生きてくことなんて不可能だが。たまには人の気持ちを考えよう。人にされたくないことを人にするのはやめよう。当然だな。幼稚園児でも知ってる。といいんだが。
最後に、このエントリを読んだ反応には、そもそも読まない、賛同する、顔を真っ赤にして反論する、「フンッ、判で押したようなこと言いやがって、つまんねーな」と鼻で笑う、などが考えられるが、俺が望むのはもちろん一番最後のやつだ。まあ現実には、もっとも多い反応は一番最初のやつだろう。いいさこんなの俺のオナニーだから。
言っておくけど、こんなくだらんアドバイス(なんて立派なもんじゃないが)、従いたきゃ従えばいいし、従いたくなきゃ従わなきゃいいんだからな。
自分を童貞と自称するtwitter-erもやばいけど、ロリコンと自称するtwitter-erも大体嘘だよね。
この前オフで、普段深夜になるとロリコンネタばかり言う人と会ったんだけど、全然そういう感じじゃなかった。
なんていうか、かなり女の子を意識した格好? をしていて、あー、絶対このオフでそういう出会いを求めているなーって分かったもん。
でも私の場合は、気持ち悪くて全然。
なんかやたら「君可愛いよねー」なんて言ってきて(しかも全然顔に似合わない!)、そわそわしてる姿は鳥肌が立った。
ロリ話を振ってみても、言葉を濁して笑うばかりだし、チラチラ胸を見ててはニヤニヤしてて、気味が悪い。
途中で本人もそれに気づいたのか、後半はずっと黙ってひたすらお酒を飲んでました。
オフ会が終ったらさっさと帰っていったよ。
前にあった童貞自称男子はうまくやってたみたいだけど、今回の人は、女性に見向きされないから、わざとtwitterでロリコンネタを使って、必死に自分を守っている印象だった。twitterでいつも強気なことばかり書いているから余計にリアルとの落差が酷くて(twitterの発言は面白いものも沢山あったんですが)がっかりしたよ。
多分、twitter-erでロリコンを自称している人は、大体こういう感じなんだろうなー、と思って、それからtwitterで幼女幼女騒いでいる人が嫌になった。
はあ……
最近、仕事の中身がネゴばっかになっていることにがっかりしている。
あらゆるところに話を通さなければならない。
管理職にあたる連中が何人もいて
それぞれ言う事が違う。
技術的な指摘ならともかく
思想・信条的なことばかり言いやがって
結局何すればいいのか明確にならないまま会議が終わるんだけど……
あのさ、もっとシンプルにモノを言ってくれないか?
管理職として原理原則に基づいた、技術的裏付けのある言葉をしゃべってくれ
それだったら納得するし充実した会議になる
どう話が展開するか全く読めなくて次回につながらないよ
何がイノベーションだ
ネゴってばっかだから、時間がたりねーんだよ
品質も上がらないんだよ
びびって誰も挑戦しないよ!
友人から自身がどんな活動したとか、作品つくったからって写真毎回見せられるのとか、発表会きて、とかそういうのいちいち言われるの疲れた。
毎回わーすごいね、って心にも無いこと言うのも疲れた。
いや、友人はまじめだし実際凄いもの作ってるのもわかるんだけど。
いまいち好きになれないっていうか。
なんか褒められるのわかっててそれ前提で言ってくるから疲れるんだよね。
お前の親じゃないっちゅうねん…って思う。
あとなんでも知って欲しがり、知りたがりなとこも。
最近は向こうも察してきたのか、それとも単にレスポンスが悪い奴だと思って怒ってるのか、
あまり連絡とらなくなってきました。
楽だけど、ふと思い出していらいらする。
いっかい大げんかできれば楽なのかな〜〜〜う〜〜〜ん。
この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。
あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。
ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。
こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。
原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。
歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。
難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。
そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。
これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。
この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。
飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、
黙考はずいぶんと深くなるし、ブログのネタに応用すれば必ず一目置かれる。
選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。
この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。
ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!
『逃走論』 浅田彰
『アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
『よいこの君主論』 架神恭介
『おまえが若者を語るな!』 後藤和智
『シミュレーショニズム』 椹木野衣
『箆棒な人々』 竹熊健太郎
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 西寺郷太
『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 ばるぼら
先日、高校時代の友人の誘いではじめて合コンに行ってきた。
男性陣が自己紹介したときの女の子達の反応が俺の期待したのと違って少しがっかりした。
俺は難関国立なんだけど、理系以外の知名度が低い大学出身。私立の工業大学とよく勘違いされる。
ニッチ製品で世界シェアトップの会社勤務。業界外での知名度はかなり低い。といっても日経平均構成企業なんだが。
友人の経歴は地方国立出身で大手メーカーの孫会社。「日立××サービス」とか「トヨタ○○」みたいなそういう系。
俺の自己紹介の反応は
「それってなんの会社なんですか?」
とかだったのに、友人自己紹介になると、
「すごい!国立大学って頭いいんですね」
「一流メーカーじゃないですか!」てなった。食いつき具合の良さに嫉妬。
どうも、俺のことは「私立の工業大学」出身で、「地味な中小企業」勤務だと思われてしまったようだ。
いろいろ話す中で、海外旅行の話題がでたので、これならいけると思ってがんばってみた。
・・・だめだった。仕事でアメリカの研究所(のどかな田舎町にある)や
みたいなところしか行ったことのない俺の話はあまり興味を持たれないようで、
ローマとか、ニューヨーク、上海みたいなメジャーな都市の観光地の話で持ちきりだった。
かろうじて、通じたのは空港の話だけだった。(バス乗り場がわかりにくいとか、入国ですげー待たされるとかその程度)
なんて言うか、わかりやすさみたいなのって大事だと思った。
これが「一般ウケ」ってやつかな。
ちいさい頃から、わたしは女の子のおっぱいを見るのが好きだった。
父親や兄が持っている雑誌のグラビアを盗み見て、おっぱいの大きな女性に憧れてた。
水着からこぼれてしまいそうな、豊かでぷりぷりのおっぱいにハァハァしてた。
わたしもいつかこうなりたいな・・・と漠然と思ってたら、人並みにすらならなかった。
いまのわたしのおっぱいは丸くない。横から見たら、なだらかな丘になっているだけ。
グラビアの女の子が水着からはみださせている横乳や下乳がまったくない。
着替えのときとかに他の子が大きくなってるのを盗み見て、ショックを受けてた。
なんでわたしだけ・・・高校生になったら色んな豊胸術を試してみた。
雑誌の広告に載ってる怪しい塗り薬とかにも手を出しそうになったけど、お金がないんで無理だった。
いや、今も頼みそうになるよ?だって写真の人、本当に大きくなってるんだもん。
A→Dとかさ~。羨ましいじゃん。本当にそうなるんだったら、今すぐやりたいよ。
んで、お金がないから、牛乳飲んだり、にぼし食べたりしてた。あとマッサージ。
牛乳ばっかり飲んでたら母親に「無理すんな」って言われて、無理したから、お腹が太くなって、やめた。
大学に入ってしばらくすると、同い年の男の子に、告白されて付き合うようになった。
中高の頃はコンプレックスが歪んで「わたしを好きになる人なんかいない」なんて思ってて、
事実、恋愛話なんかなかったし、だんだんグラビアを見るのも嫌いになって、世をはかなんでいた。
彼氏ができて、コンプレックスはなくなるだろうな、って思ってた。
実際に最初の数カ月は自分の胸のことなんかどうでもよくなってたし。
でも、エッチするようになってまたコンプレックスが再発し始めた。
だって、彼氏が小さい胸を必死に揉もうとしているんだもん。
その行為に「あーーーーーーーーーーーーーー」ってショックを受けて、落ち込んだ。
やっぱりおっぱいあった方がいいよね、胸揉みたいよね・・・って。
でも、無理なんだよ・・・わたしの胸は一生小さいまま・・・はぁ・・・。
センター受け終わってリサーチも返却されてそこそこ行きたい大学にそこそこ行けそうで、2次に向けて頭切り替えて勉強しなきゃしなきゃしなきゃと思いながら、最近、自分になんにもないことに気づいてもう本当に馬鹿馬鹿しいし情けないしで恥かしくて泣いた。進路のこと話してると無性に泣きたくなるのだけど、その理由を考えたら、なんか私の人生軽くってさぁあぁ、人が好きーとか言ってみるも別に、なんか、逆に人が嫌い、なんてないんじゃないかとか、人に対する好き嫌いを人と比べることなんてできないし、だから比べる必要もないのだけど、人と比べてより大きな愛情を抱いていて貢献したいと思っていて、みたいな、そういうものしか評価されない風潮と、それに流されたり甘えたりで見失っちゃった自分と、本当に馬鹿みたい。人が好きっていうかね、無趣味だから、小学生の時の社会の授業で習った戦争についてが私の人生で最大の刺激だったんだよ。被害も加害も酷いから、なんか、ぐわーんとアタマなったのがそれくらいだから、時々考えて、パソコンあったから調べたり、して、多分、血を見てなにか思うのも感じるのも誰だってそうなのにね。
勉強が半端にできるから、しっかりしてるね頑張り屋さんだねって言われて育ったから、なんか、そうなんだと思ってたんだよ。それなりに考えててヴィジョンを持ってるんだと、本当に、思いこんでたのに、ふと気づいたら勉強に疲れて、大学なんてどこでもいいし学部だってどこでもいいし、入学後の勉強はそれなりに楽しみなんだけども、ひどく無気力になってしまって、私は、なにがしたいのかなにが欲しいのか考えるのだけど、時間がないし、求めたところで手に入らないかもしれないし、明らかに今はそんなことしている場合じゃないの、分かってるんだけど、どこでもいいなら確実な国立を前期で抑えた方が学費的にいいんじゃないかとか、自分で払えるわけじゃないから申し訳なさで思ったり、だけど勉強はそれなりにしたいし就職のことも考えなきゃいけないし、社会、広すぎて、国際関係からでもメディア関係からでも政治・経済・法・心理・言語、どこからのアプローチでもいいと思ってしまうからどの大学でも構わないしどの学部でも構わないし、できたら都会から離れたくないからーとか、就職で有利って言われてるからーとか、そんなことを思ったり、で、申し訳なさを思い出す。泣く。
こんなに短く頻繁に泣いたのは初めてだ。ぐちゃぐちゃと泣くことは稀にあったけども、最近はぱたぱた泣く。ぱたぱた涙流してそれを拭いたら終わりで、また少しして急にぱたぱた涙が出る。昨日か一昨日、ばらばらと泣いたら泣き顔があまりに幼くて笑えなかった。小さな子供みたい。もし私の背が高かったり顔や身体や雰囲気が大人びていたりしたら泣き顔の滑稽さに笑えただろうかと考えて、目と鼻と唇がやけに赤いのを、赤鼻のトナカイの歌を思い出しながら、見て、目と鼻はともかくなんで唇が赤いんだろうなぁなんて、考えて、大学のパンフレットを投げようとしたら手が滑ってポスって可愛い音たててベッドに落ちるから、もうあまりにも、ばかばかしい。
なにがしたいのかなーって考える。熱いお風呂で本が読みたい。高校生にさぁ、さぁ決めろなんて迫らないでほしいよね、自分の将来なんて。もしかしたら皆そんなにしっかり考えてないのかもしれないよな、とも思う。「とりあえず経済学部」という人も多かろう。そうしたらやっぱり私は真面目なのかもしれない。馬鹿馬鹿しく思うだけ冷静なんじゃないかとも思う。思うのも馬鹿馬鹿しい。卒業後になにをすべきかなにができるか今の自分に言えるべくもないので社会を知ろうと思って社会学部です、と、担任との面接では言った。ふぅん、と言われた。嘘じゃないのに全然違う。嫌な面接だった。個人的なことを話すのはあんまり好きじゃない。口に出すのは嫌い。キーボード叩くのは癖。ごめん。
日記を読ませろと強いられてるような感じ。あるいは今すぐここで脱げ、とか。担任相手なら脱ぐ→面接→日記の順にやる。貧乳なのは明らかだけど頭の中まで貧しいことは私の秘密なんだよ。傍目には胸並みに明らかなことかもしれないけども。それでもさぁ、なにもないくせに、プライドはあるじゃん、18年も生きたら。だから恥かしくて情けなくて何も言いたくない。何も言いたくないときに数式解いたり英文読んだりはまだましな行為で、なにか優しく語りかけてもらってるような気になる。そういうわけでまた考えるのを止めて勉強する。多分どこかに受かって張り切って、夏休みくらいまでがっつり勉強して飽きるんだろうな。大学の講義楽しいといいな。
勉強って嫌いじゃない。と、小学生の頃から思ってた。だけど趣味でもない。
受験が終わったら一人旅をしようと思う。青春18切符で。いつか体力つけられたら屋久島に行く。読みたい本がたくさんある。それから、学びをまとめてサイトを作ろうと思う。
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おそろしくなにも考えてない文章だなぁ。
ハイチ地震の被害を伝える写真をネットで見てたらいつの間にか気晴らしになっていて自分にがっかりした。人が号泣しているのを見て痛ましく思うのは気分のいいことかもしれないけど、そうありたくはない。絶対にないし、気分をよくするなら泣く人たちに近づいちゃいけないと思う。だけど一緒になって悲しくなっていたらなにもできないのかもしれない。痛ましいと思うなら、その痛ましさが自分にとって快ベクトルであっても、絶対値の大きさで動けばいいのかな。愛よりお金が、労働力が、とにかく助けが必要なんだったら、同情されたくないんだったら、私でもいいかな。道に死体が転がっていて回収されなくて腐って衛生問題が、なんて、ちょっと信じられない話。ハイチの空気、今、どんな臭いがするんだろう。