はてなキーワード: お化けとは
単純に需要が減ってんだよ
あーそうなんだ。
知らなかったよ。
教えてくれてありがとう。
つまり、それは不況やデフレとは関係ない文脈で減ってるってことだよね。
いい変えると金が問題ではないと。
性欲が環境ホルモンで減ってるってのはきいたことないけど、まあなんらかの関係はあるかもしれないよね。
エロゲーや二次に奪われてるってのもあるかもね。
ただ、これってリアルに会話をするのがめんどうくさいっていう人が増えたことなのかなーという気がしてる。
もう、同性でも異性でも生きてる人が怖いというか。対人恐怖症的というか。
何でそうなったかと考えると、
さっきの共同体の話じゃないけど、世間が壊れて、なくなってしまえばいいんだけど、その残骸が得体の知れないお化けに見える時代なのかもなと。
そんな気がするな。
最近気がついたのでとりあえず書く。
三次元的な性行為と、二次元的(リアルアニメ問わず、平面情報を元にした)な自慰行為の決定的な違い。
性行為って、声出しちゃうじゃないですか。男であっても。
いや、ゴルゴとかでもないかぎり、基本的に。
イくときとか、「うぁぁぁっ!」みたいな。
しかし自慰行為って、声出すことってないですよねぇー…。
この「声出すか出さないか」ってのが、何より決定的な差なんじゃないかとか気づいた。
ある意味、声を通した発散。
ジェットコースターで声出さないと、ものすごくツライじゃないですか。お化け屋敷でも。
声出すことで、よりストレスやたまったものを出し切れるというか。
それが一番大きな差かなー…と。
いっくら自慰行為しても、モンモンとした気持ちが消えないのは、それが一番の原因なんじゃないかと思うのですよ。
だから自慰行為が性行為に勝てないのは、それが最大の要因ではないかと。
昔から自慰行為はもちろんあったわけだけど、人類が滅亡しないのはそれが原因かなーとか思ったのだよ。
声、出た。
あ、これでいいじゃん、と一瞬思った。
どの程度似ていたかというのもあるけどね。
その中で、任天堂とスクエニの人気ゲームのキャラクターに似せるのは難しい。
似すぎていれば酷似と言われるわけで。
削除したようだけど、何故社内チェックがないのかとか。上司の承認は降りたのかとか。
削除した時点で酷似していると認めているのだろうけど。
グリーについていろいろ調べていたところ下記の2ちゃんのスレがあった。(もう過去ログ落ちているようだが)
モバイルという媒体を利用してスクエニや任天堂の商品をパクリまくっているようだ。おそらくこれは氷山の一角だろう。
そうそう目につかないということを利用してやりたい放題のようだ。
あそこはモバイルについては後手後手の会社。いくらパクってもばれないと。
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/sns/1252945693/
736 :友達の友達の名無しさん:2009/10/13(火) 12:22:31 ID:fbCc8ejpO
739 :友達の友達の名無しさん:2009/10/13(火) 12:58:03 ID:oKQpmfmmO
今回のはカボチャ掘りか
ドラキーだけ見てみたいな
740 :友達の友達の名無しさん:2009/10/13(火) 13:18:54 ID:N3i+P0eaO
スクエニに通報してみよう
748 :友達の友達の名無しさん:2009/10/13(火) 16:13:54 ID:fBq5bEBEO
ドラキーもあれだが
どうなんだ?
749 :友達の友達の名無しさん:2009/10/13(火) 16:17:15 ID:At9bnmNkO
やっぱりスクエニかw
771 :友達の友達の名無しさん:2009/10/14(水) 08:37:49 ID:zQWThJWXO
一概にそうとも言い切れない。
前回は鬼ディスで300物とジャンゴの誤爆でプラスになった。
しかし今回はマジ糞!
上記装備でドラキーとかもうね・・・。
結論としては毎回微妙に変わるって事で・・・。
796 :友達の友達の名無しさん:2009/10/14(水) 22:40:44 ID:G7fFG00sO
ドラキーとテレサ変わってるね。
変わる前に日記に書いておいて良かった~
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0909/25/news042.html
グリーは「当社は、知的財産権を事業の極めて重要な資源の一つと位置付けており、今後も知的財産権が侵害されたと判断した場合には、毅然(きぜん)とした態度で臨む」としている。
知的財産権を極めて重要な資源と位置付け理解しているにも関わらず
PCについてもFacebook,twitterの酷似サービスだし。
確信犯だよね。これ。
http://anond.hatelabo.jp/20090627152057
最近ブームに便乗してコン活中の女子でつ。|´・ω・)ノ
今年に入ってかなりたくさんの男子さんとデートを繰り返してきたのですが、
いかにもありそうな話になってワラッタ
特にあたしがネット系なのでgooランキングの結果になってしまうのですが
ポジティブにしたいなと思って、
いやはやどう?どう?ノ(´д`*)
5 まともな視線を子供に送る
特に多いのが子供好き男
4 病弱アピール
「俺、風邪引いたんだよね」とか(-Д-)
それ何期待?助けちゃうから
3 酔ってひどいことになっても介抱してくれた
たとえば、一緒に歩く時、抱えてくれるとか
どうどうと介抱して草食系とか
仕事できそう( -人-)
2 初めて長時間話をした時に疲れを感じなかった
ネットでも色々いわれてますが、女子的にはやっぱりストライクですね
一番いいのが「1000分も話しておしりがきつい」とか言い出すやつ
どんだけいすの上に座ってるの?凸(゚Д゚#)
1 公共の場でも私的な場でも「ラクだ」と感じる
やめないで~ 回りが見えなくなっちゃうよ~(/ω\)
化粧落とすとおかしいのばっか
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/love_destiny_moment/
追記
すまん、書き直してる間にレスもらっちゃった。早く寝ないとお化けがでるぞ!(笑)
ーーーーーー
インターネットっていう言葉自体がアレルギーになってそうな人たちを相手にする感じか。
たしかにいそうだな。
微妙にWiiが頭をよぎったけど、どこにも横文字を使わずに電子新聞!みたいな感じで、レトロコンテンツひっさげて出せばいけそう・・?
iPhoneみたいに最新鋭ってオーラを出さずに、薄型ブラウン管テレビのデザインとか、昔のテレビで使ってたフォントとか、レトロ全開で、機能や操作を現実にあるもので表現するってのはどうだ?
ユニットごとに固定のメールアドレスがついてて、着信すると封筒が画面の端からすーーっとでてきたり。(メルアドは「住所」って教える)
メールをつけるかどうかは、シンプリシティ的にどうかわからないけど・・
本体は木製だったり、和紙っぽい素材を使ったり・・
画面だけの本体だとテクノロジー臭がするから、本とかアルバムとかみたいな形にして売ったり?(厚みもごまかせる)
イメージとしてはこんな感じ?
http://anond.hatelabo.jp/20090126
むろんひとの心というものの受け入れる幅はひとによって違うので、姪御さんに見せるべきであったかどうかというのはわからないが、ただ、見せない・見せるという議論の前に姪御さんに説明すべきことがあったのではないか?
自分は5歳で祖母を亡くした。確かにそのときは焼き場には連れて行かれなかったと思う。ただ、そのあと小学生のときに叔父を亡くしたときには焼き場にも一緒に行ったし、投稿者と同じ19歳になるころには両手の指を超えるだけの通夜・葬儀に出ていた。
うろ覚えではあるが、そのとき周囲の親戚たちは、くどいほどわたしにいろいろ教えてくれたと思う。これから叔父はお骨になること、(我が家には仏壇もあったので)今後は仏壇のなかから自分を見てくれているということ、これから出てくる骨は「おじちゃんの」骨である、ということを、だ。
確かにこども心に、いろいろと衝撃はあったが、これはあくまでも「おじちゃんの」骨である、怖いものや悪さをするものではないということがわたしを怯えさせなかったのは間違いない。
見せるということをその姪御さんの親が決めたのであれば、その親御さんに足りなかったのは、姪御さんへの気遣いやフォロー、そういった「怖いものではない」という説明だ。
お化けやガイコツ、というものは怖いものだと刷り込まれているこどもに、なんの前説明もなくリアルに骨を見せたら、怯えるのは当たり前だと思う。突然自分の生活に「骨」が現れたのだ。そのガイコツが一体何者で、どんな悪さをするのか、こどもの想像力には限度がない。トラウマになることもありうるかもしれない。わたしたちが生活のなかで突然他人の遺体を見せられたら衝撃を受ける、それと同じではないだろうか?
けれど、それは身近にいたひとのものであり、決して怖いものと同義ではないということを十分に教えてあげれば、すこしは和らぐのではないだろうか。害をなすものではない、守ってくれるものである、というように説明をしてあげれば。(今からでも少しは和らぐかもしれないがそれはわからない)
遺体や骨、がショックなのではなく、自分の生活の範囲内に、物語などでオソロシイ、オバケだと教えられたものが目に見えて近づいてきたことが一番衝撃なのではないか、わたしは、そう思う。(あくまでも個人的に思うこと、ということだが)
「これは実話なんだけど……」と言って怪談を語りだす行為とこれとにはどんな溝が?
マジレスすると、増田にたまにあるドラマっぽい恋愛話はあなたの言う怪談に近い。
しかしフィクションであることが明白な漫画・アニメは、怪談じゃなくて遊園地のオバケ屋敷だろう。
オバケ屋敷に入るとき、本物のオバケが中にいることを前提にする人はほとんどいないよ。
『「キャラクターは商品ではなく実体を持った一個の存在だ」という神聖な嘘を前提』になんかしていない、と言ってるつもりなので
ジョークを飛ばすくらい自覚的だと返されても、「うん、そのとおり」と言うほかないが。
「悪い」っていうのは、「分からない」ってことなんだ。
なにやら分からないものが、音を立てている。
これは怖い。
名前は付いている。
「子供」であったり、「子供を持つ親」であったり、「新しい住人」であったり。
名前が付いていても、マンションの壁で閉ざされているから、見えないし、理解できない。
得体の知れないものが、音を立てている。
昔はお化けや妖怪のせいにできたのに、今はお化けも妖怪も居なくなってしまった。
替わりに出現したのは、モンスター隣人であったり、モンスターペアレントであったり、モンスター患者であったり。
彼らの正体は、妖怪の発する異音に怯える隣人に過ぎないのに。
個人的見解でおこがましいが。
http://anond.hatelabo.jp/20081025124842
(爆)って、爆発とか、爆弾とか、マイナスイメージのほうが先に来るので(爆笑)とまで書いてもらわないと、逆にいやーな感じがする。
メールで笑っていることを表現するときはこんな感じ。
(大笑い中)○○すごいですね。
チャットとかだとこんな感じ。
はははは。いいねえ。
wは使いたくないな。ハロウィーンのかぼちゃの口みたいで、お化けの笑いを連想する。
追記
http://anond.hatelabo.jp/20081025132829
結局、俺が一番モテなかった(爆)
(爆笑)じゃなくて、(爆発)かもなー。
失礼。
ぼくは眠っているとたまに、体はまったく動かないけど外の景色が見える(またテレビとかの音が聞こえる)という状態になることがある。これは一種の金縛りらしいけど、恐怖感はない(さらに言えば、このとき見えている外の景色、たいていは部屋、は実際に見えているわけではなく、寝る直前に見た映像が再生されている一種の夢らしい)。ぼくは恐怖をともなう金縛りにもよくなるのだけど、この場合、目は閉じたままで外の景色は見えないから、とにかく目を閉じたままでいればとくに問題はない(おそらく目を開くと、お化けとか、何か怖いと思っているものを見てしまうのだろう)。しかし、外の景色が見えているのに体が動かないという状態のほうはかなりつらい。いまぼくが寝ていることとか、これが金縛りの一種であることとか、見ている映像が、リアルだけど、夢であることとかを冷静に考えられるのだけど、なんだか息が苦しいからこのまま死ぬんじゃないかと不安になって(この意味ではお化けとかとは別の恐怖感がある)、なんとか体を動かそうとする(思う)けど何もできないのです(『マルコビッチの穴』のラストシーンはたぶんこんな感じだろう)。そんな感じで(頭の中で)五分くらいもがいていると、起き上がるような感覚とともに目が覚めて解放されます。起きれてというか、生きててよかったと思うけど、これは究極的にひどい悪夢だとも思う。悪夢の臨海というか。童夢くんのOPはCHA-CHA。
舞浜にあるネズミ王国でアトラクションの列に並んでいた時の話。もう二年くらい前の事だ。
休日だったからそりゃ当然混んでいるわけで、乗る時間より並ぶ時間の方が長いのはあたりまえ。
で、待ち時間暇だからつい周りの人を見てしまう。
ネズミ王国に限らず、こういうアトラクションのある遊園地っていうのは、家族だったり、修学旅行だったり割と集団で来るのに向いた場所だと思う(それが一般的な考え方かどうかはさておき)。
私は女性だけど、女の子同士で行く時も二人で行くっていうのはないかな。友人同士ならわいわい行った方が面白いので、最低三人から。中で個別行動を取る時二人にばらけるのはあるにしても。
で、前に並んでいた男の子二人の話に戻る。
男の子二人で並んでるってのも珍しいなー、と思ってはじめは見ていた。ネズミ王国に男の子二人で来るのもないだろうし、連れが他にいるんだろう、と。
あれ? と思ったのは、男の子の一人が後ろポケットに付けていたストラップ(ネズミ王国のキャラクタ)と、もう一人がいじっていた携帯のストラップが同じものだと気づいた時。
若い男の子がネズミ系キャラクタのストラップをつけている時は、彼女に押し切られて付けているケースが多い。……この二人、お揃いのストラップを付けている。
女の子はお揃いが好きなんすよ。何かといえば、記念にお揃いのものを買ったりするものなのよ。けど、若い男性がお揃い……っていうのは、するのかな?
連れはいつ戻ってくるんだと思っていたけど、結局アトラクションに乗り込むまで連れらしき人物は彼らの周りには来なかった。二人は一緒にアトラクションに乗り込んだ。
その時、一緒に来ていた子の中に彼らのストラップに気づいた子がいて、アトラクションから出てきた後「さっきの男の子たちさぁ……」、「うん。ストラップがおんなじだったね……」と短い会話をした。
「きっと他の場所で待ってる子たちがいるんだよ」
「そうだね」
と、話を終わらせたけど、絶叫系という程の乗り物ではないホーンテッドマンションに、男の子二人で来るのは果たして……
二年前の二人組。知らない人なのをいい事にすんごい勘ぐってしまって、ごめんなさい。
うーん、でも男性は同性のみでネズミ王国に行きたいと思うのか、そしてキャラクタもののストラップをお揃いでつけるのはアリなのか、というのは他の10人の増田に聞いてみたいところではある。
生まれて初めて、人と口をくっつけた。
口と口が触れた。
自分の口で、人の口に触れるなんて、私史上、もうそれはありったけなことだった。
ありったけ。
小学生に「おばさん、ボール取ってください」と呼ばれた狂おしい春の桜が、
こざっぱり散りきった4月の25日。
そのおばさんは、初めてキスをしたよ。
ホームランが飛んでいく音が、した気がした。かも。
そりゃね、かっとばすよ。
私はおばさん。
投票所には10回以上足を運んだことがあるし、
所得税もがっぽり取られるイイ年頃で、
suicaなんかもピッてやって、優雅に改札を抜けてる堂々たる社会人で、
とっくの遠い昔の、教科書とか体育とか文化祭とか、そういうものに紛れながら経験して然るべきで、
こんな今頃、年金とか後期高齢者医療制度とかガソリン税がひしめき合う中で、
転がってきたら、初めてのレモン。
オーロラも孫の顔も見ずに、死ぬんだと思ってた。
この年まで見なかったものは、きっと十年たっても二十年たっても、見ないで生きていくんだと思ってた。
でも、苦しくなかった。
キスなんて、もう、分かってたから。
うん千っていう少女漫画を読んできたし、
少々の小説も楽しんだ。
口付けという口付けが、そこには描かれていて、
私はその大体に感情移入して、何度も何度も夢中でしてきた。
このキスは、逆に悲しいな。って苦味も知ってる。
キスの時はあれでしょ、少し顔を曲げたりすんでしょ。どーせ。
散々見てきたっつーの、キスシーン。
ってね、思ってたのね。
びっくりした。全然違うんだもの。
私、本当にたくさん見たのよ、キスシーン。
でも、全然違うのね。
本当に当たり前のことなんだけど、
キスの時って目をつぶるから、自分のキスシーンは何も見えないんだね。
私がキスしてるところなんて、私にはわからないんだね。
私史上、一番の名場面は、真っ暗でした。
http://anond.hatelabo.jp/20080313133611
あとさ、家庭用ビデオカメラが普及しはじめた80年代後半から児ポ法施行までの10年ちょっとと、
児ポ法施行から今年までの10年弱の間に地下市場で作成・販売された児童ポルノ(第二条第3項の一、二)を比べれば、後者の方がはるかに多いと思う。
児ポ法以前の作品も援助交際が騒がれるようになった95年以降に作られたのが多いんじゃないかと思う。
95年を境にして、80年代初頭から95年までと95年から現在までで二分割すれば断然後者の方が作成数も販売数も多いと思う。
デジタルカメラやインターネットが普及するようになった2000年代にはさらに勢いに拍車がかけられたんじゃないかな。
21世紀に入ってからは50作や100作のシリーズを持つお化けタイトルがいくつか作られたからな。
ということは、児ポ法は児童ポルノに歯止めをかけなかったということになるかもしれない。
しかし児童ポルノの中でも「第二条第3項の三」つまり一般書店に流通してたエロ雑誌にも載ってたようなロリータヌードやパンチラ写真だけは明らかに減ったろう。
快楽殺人犯の捜査に同類のハンニバル・レクター博士の強力が必要なように、ポルノによる児童被害を本気でなくそうと思ったらアニメを規制するとかわけのわからんことをするよりもロリコンの意見を聞いた方がいいと思うよ。
1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51
「ちょっと」を毎日。
- 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
- 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。
- 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。
- 大事なのは毎日(毎日じゃなくてもいいんだけど、常日頃)続けること。
- とにかく結果を焦らない。落ち着けって。
- 今日の努力が実を結ぶのは、だいたい1年後。のんびり行くしかないですよ。
- ちょっとだけやる。「ちょっと」が超大事。
- ダイエットしようと思って、いきなり5キロ走るから辛くなる。初日は着替えて玄関出るところで終了。
- だけど、やろうと思ったらその日のうちにやる。絶対やる。1歩踏み出すだけでいい。
- 今日行動を起こさないと、ゴールにつくのが1日遅れるよ。
- あんまり遅れると、そのうち門が閉まるよ。
バイオリズムに逆らわない。
最初にここまで読んだとき、よくあるポジティブ・シンキングのメソッドの一つだと思った。それで長すぎるので読むのやめたのが、何時の間にやら4桁に達するブクマがつくお化けエントリになっていたのであった。
実録・自己責任教の信者たち - HINAGIKU 『らめぇ』は元エントリも、それに異を唱えるd:id:fromdusktildawnもひとしく自己責任教であることには違いがないと喝破している。
なるほど、どちらも「成功するためには何をすればいいか」ということを問題としている。そして、guri_2の「地道な努力」とfromdusktildawnの「効率的な、正しい努力」のどちらが正しいのかはかなり哲学的な問題であって、一意の答えがありそうではない(というか、fromdusktildawnの言う努力も本人が考える以上に地道なものである。「最小の努力」などと言っておきながら、「意識を研ぎ澄まして」、「目を皿にして」チャンスを捕らえろ、などという。結局たゆまず努力するしかないのだ)。
さて、guri_2のエントリに戻って、先の引用の部分以降を読んでいくと、いきなり
気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。
とあって、驚く。「イメージと現実をごっちゃにしない」はずではなかったのか。日照りが続くのは自分たちが神様に生贄を捧げていないことが原因、って原始人かよ!
その後の「何かのせいにしない」も、全ては自分のせい=自己責任ということになるだろう。
それにしても「とりあえず100万円は貯めておく。余裕が出る」と言っておきながら、y_arimのコメントに応答して、
ただ、月並みですが電気ガス水道をたびたび止められ、狭い部屋で共同生活しながらも夢を追いかけている友人を見ていると、デッドラインはいくらもで下げられるのでは、と思ったりします。
というのは何なのか(実は見当がついているのであるが、ここでは言わない)。そのほか、アドヴァイス間の矛盾が多々ある。
さて、それでもコメント欄やブクマには「勇気がでました」という反応が見られる。それ自体は良いことである。こうした自己責任教がどうして人をポジティブな気持ちにさせるのか。
アル・ゴアの『不都合な真実』を見た人は「不都合な真実」を見せ付けられたにも関わらず、絶望は感じなかったのではないか。それはゴアのエンカレッジメントの上手さがある。深刻な環境破壊の現実にも関わらず、ゴアはフランス人権宣言、リンカーンの奴隷解放、ロシアの農奴解放、ガンジーの非暴力主義による植民地解放運動などを引き合いに出し、「人間はこれまで不可能と思われてきたこともやってきたじゃないか」という。こうした楽観主義が観客を勇気付けるのだ。つまり、人間には環境問題に取り組む「責任」もあるが問題を克服する「能力」もちゃんと備わっている、「能力」があるからこそ、それに応じた「責任」を負うのだ、ということを指摘する。
同じような現象がguri_2のエントリにも見られる。つまり、エントリに勇気付けられた人は(エントリを見るまでは勇気がなかった人であり)、そこに自分の底力、潜在能力があることを発見したのである。「自分はまだまだ頑張れる」のだと。自分に自分の人生をコントロールする能力あるからこそ「人のせい」にはしないのだ。
逆に考えてみよう。自分のおかれている立場が自分以外の「何かのせい」だとすると、それをコントロールする能力はないし、そのことに本人が責任を負う必要は無い。誘拐犯に拉致され監禁された人間が、脱出できない自分が悪い、とか「もっと注意して歩いていれば」などと考える必要がないのと同じことである。
ところが、最近では(イラク邦人拉致事件で明らかになったように)上記のようなケースにすら、自己責任を適用しようとするのである(性犯罪被害者への「夜道を歩いていたのが悪い」というような、セカンドレイプはそのはるか以前からあったが)。
ここにguri_2の問題点がある。「何かのせいにしない」、「自分が原因です」は無前提に使用できる言葉ではないのだ。
何か重大な不幸がその人を襲ったとき、「自分が原因だ」、「自分が悪い」と考えること、それは普通ネガティブ・シンキングというのではないか。「自分の家族が不幸せなのは自分が原因だ」、「自分のチームが成果を出せないのは自分が足を引っ張っているから」、「子供が難病にかかったのは自分が墓参りを怠ったから」……。こういった思考法が容易にうつ病や自傷行為・自殺、カルト宗教への入信といったさらなる不幸をもたらすことは想像に難くない。もっとも、guri_2は「そんなときもあるさ」(これは明らかに失敗を何か運やツキのようなもののせいにしているのだが)とか「できないことが多くてもくじけない。続けていれば必ずできるようになる」、「だってオレも↑これの9割方できてないもん」という安全弁を用意してはいる。
しかし、無制限な自己責任論が過剰に自己処罰的な傾向を生み出すということにはもう少し敏感であるべきではなかったか。テレビドキュメンタリーに登場する若年ホームレスやネットカフェ難民が一様に抑うつ状態にあって「自分が悪かったからこうなった」と発言するのをguri_2はどう見ているのだろうか?
こんにちは! 今日は記念すべき日だ。フルキャスト(FC)への業務停止命令が決定したんだ。FCといえば、グッドウィル(グッド)と並んで日雇い派遣の大手だからね。といっても、僕はFCやグッドを責めるつもりはない(嫌いなのは確かだけど)。責められるべきは、この“派遣漬け”の日本社会だ。「フルキャストなんて会社、知らないよ」という人は、ぜひ知ってほしいんだ。あなたの現代的な生活が派遣労働によって支えられているということを。
物流業界は、おそらくFC/グッド依存度が最も高い業種だ。現代の物流では、海外から輸入されたり、工場で生産された商品は全て倉庫に集約され、そこから全国へ配送される。この倉庫というのは、映画に出てくるような、赤煉瓦と三角屋根の古典的な倉庫とはだいぶ趣が違って、「物流センター」とも呼ばれる近代的なものだ。これらは大体、4-5階建てぐらいの、「箱」という形容が相応しい無味乾燥な建築物で、お台場あたりから浦安、市川あたりの東京湾沿いに集積している。
倉庫では、ピッキングと発送という2つの仕事をひたすら行う。ピッキングってのは針金で鍵を開けるアレじゃなくて、注文に従って棚から商品を選び出す仕事のことだ。たとえば、「うまい棒」を大袋で5袋、「とんがりコーン」を2箱、「プリングルス」を3箱、という指示が来たら、倉庫の中を歩き回って、それらが置いてある棚を見つけて、台車とかコンベアを使って発送係のところへ送る。ピッキング係の仕事はここまでだ。
発送係は、ピッキング係から送られてきた商品が注文通りかどうかチェック(これを検品という)して、発送用の段ボール箱に詰める。このとき、中で荷物が暴れないように緩衝材を詰めるのが一番大事な仕事だ。詰め終わったらテープで箱を閉じて、パレットの上に乗せる。パレットってのは、フォークリフトのツメを入れるための台だ。パレットの上に乗せ終わったら、サランラップのお化けみたいなやつで荷物をグルグル巻きにする。これで荷崩れを防ぐわけだ。ラップ巻きが終わったらここから先はフォークのおっちゃんがトラックのところまで運んでくれるから、発送係の仕事は終わり。また検品に戻るわけだ。
ピッキング係と発送係は分業になっていることが多い。つまり、ピッキング係は一日中ピッキングをして、発送係は一日中発送をする。これは恐ろしく退屈な仕事だ。だから正社員はこんな仕事はしない。小遣い稼ぎの学生が主戦力で、すこし年上の氷河期世代がチーフとなって指示を出す。もちろん、どっちも派遣だ。
考えてもみてほしい。あなたは今日、どこで何を買ったか? いや、ここでは「何を」はどうでもいい。「どこで」が重要だ。工場に直接買い付けに行ったりはしていない筈だ。あなたが買った物はすべて、時給700円のワープアによってあなたの元に届けられているんだ。皮肉なことに、ワープア達もこの消費社会の一員なんだけどね。それにしても、この事実からは目をそらしたくなる。我々の生活はワープアによって支えられているんだ。介護事業どころの話じゃない、老若男女みんながワープアありきの構造の中で暮らしているんだ。まったく、何回「絶望した!」と叫んでも足りないよ。