はてなキーワード: 麻酔とは
俺、今20代後半で、心臓病。自分の場合は、移植は必要なかったのだが、手術中の輸血のために同じ血液型の人が大量に必要で、親の仕事の関係者とかに集まってもらって、待機してもらったらしい。とにかく大変だったという話はたくさん聞いた。今は医療技術が進歩したので、そこまで大変ではないらしいが。ちなみに、自分は「最上の命医」っていうマンガの主人公と同じ病気・同じ手術で、1巻の冒頭に手術の方法まで詳しく書いてあるので、興味があったら読んでみて。
うーん、とりあえず、自分は特殊な人間なんだ、という感覚はずっと持ってきたね。同い年で同じ手術頑張って受けたけど、手術中に血液がいきわたらず脳障害を起こして寝たきりの子の話とか聞いたし。小学校から、「運動では勝てないから勉強ではトップでなければならない」みたいに思っていた。で、東大にギリギリで現役合格したけど、その後は、あまりたいしたことのない人生を歩んでいます。
あ、あとね、9歳の時に、追加でカテーテル手術受けたんだよね。自分の心臓に管が入れられるのを、自分が見ている手術。太ももからね、カテーテルっていう細い管を入れて、心臓近くの血管まで延ばして、そこで風船みたいなのを膨らませて血管を太くする手術。この手術、手術中もちゃんと意識があるんだよね。たぶん、心臓には痛覚がないから、麻酔事故のことを考えると、全身麻酔でなく太ももの局所麻酔の方が合理的だからだと思う。同時に造影剤も入れられてね、でっかいスクリーンに、心臓と管の位置が表示されるのを見ながら手術が進むの。で、その画面、意識があるから、手術を受けている俺も見ているの。「おー、管が進んだー」とか思いながら見ているの。
正直、当時、「自分の心臓に管を入れられているのを平気で見つめていられる俺、クールで超かっけー!!」って思ってた(笑)痛みは、まぁあったよ。たぶん、バルーンが膨らむときだと思うんだけど、胸焼けのすっごいのみたいなのがくる。
まぁ、いい人生経験になったよ。たまに、人から精神的に弱いとかおっとりしているだとか言われるんだけど、「自分の心臓に管が入っていくのを自分で見つめている」とか「『全力疾走すると死ぬかもしれません』といわれながら普通に体育で全力疾走させられる」とかいう状況になっても、落ち着いていられる人にそういう発言をして欲しいなぁ、と思う。まぁ、大人だから言わないけどね。ってか、今は健常者と同じだから、いちいち心臓病のことは伝えていないし。
旦那と付き合ってるとき、私達は体の関係を一切持たなかった。今どき古風なのかもしれないが
「結婚してから」と2人で決めた。
式が終わって、ホテルの部屋に入り「いざ」というときに体が硬直してなにもできなかった。
触られるのは大好きだが、その「いざ」というときに涙が出てくる。
私は、軽い痴漢にあったことがあるくらいで強姦とかされたことはない。誰かに虐待されたということもない。
なので、そういうのがトラウマになってるわけではないと思う。
彼は童貞ではないが、そんなに経験があるわけじゃない。でも彼が下手くそというわけではなく
これでもかというほど、準備に時間をかけてくれる。準備をしているときに、私は時々痛みを感じるのだが
「いざ」のときはもっと痛いだろうと、我慢をしていた。「痛い」ことは彼に伝えていたが。
よく「最初は痛い」とか言うが、そういう問題じゃない。そもそも入らない。彼が特別デカいわけではないのに(旦那談)。
あれやこれやと試して、指の痛みにはなんとか耐えられるようになったが(それでも恐いもんは恐い)、やはり最後までできない。
悩みに悩んで、婦人科に行った。できないことは伝えたのだが、「体の問題があるのかどうか診ないことには分からない」と内診をされた。
これが尋常じゃなく痛かった。終わってから気分が悪くなり、しばらく病院のベッドで横になっていた。
診断の結果、機能的には問題がないが、小さなチョコレート嚢腫が見つかった。でもこれは妊娠したらなくなる可能性があるので
てっとり早く治すには妊娠するのが一番と言われた。「ちょっと待て」と思ったが、体の構造は問題ないと言われた以上、どうすることもできない。
また、膜を切るとも聞いたことがあるので整形外科を訪ねた。しかし「切る必要があるかどうか検査するのに麻酔をかけるので、検査だけで3万いる」と言われた。
お金の問題じゃないのかもしれないが、「これはない」と思ってそのあと行ってない。
実は、最初の産婦人科には3か月あとに行くことになっていたのだが・・・バカと思われるだろうけど、行ってない。というか行けない。
また内診されるのかと思うと変な汗が出てくる。完全にビビってしまっている。
ある人に「ここに行ってみたら?」と紹介された病院があるが、やっぱり怖くて行けない。近々行こう行こうとは思ってるのだけど。
旦那はしたいだろうに、よく我慢してくれている。触りっこ程度しか今はしてないけど、「気にしなくていいよ、焦らなくていいよ。いつかできるよ」と
言ってくれてるので救われている。けど、やっぱりこのままじゃいけないなとは思う。子供もほしいし。
頑張ります、なんとか。
いやー,めちゃめちゃわかるわ!
ほんの一ヶ月前の俺だよ。
違和感と痛みで夜は寝付けないし
歩いていても,違和感と痛みで落ち着かない。
で,ほっといたら治るかなぁ。と期待しつつ市販薬や手で押し込んでた。
しかし…,まぁ,増田のように脱肛するまでになるとなかなか……。
俺は海外旅行に行く予定があったので
このまま痔を抱えて海外に行くのは困る!
現地で痛くなってもどうしようもない。
という理由で,思い切って肛門科に行ったよ。
もちろん,不安なんでネットで調べて評判のいい専門医へ。(ほんとネットって便利!)
結局,俺の場合は痔といってもいわゆる痔ではなく
血栓性外痔核といういわゆる血豆だったんでその場で麻酔して,取ってもらって終了。
取ってもらったら,一気に楽になったよ。
薬ももらえて,痛みも痛み止めもらえたので大丈夫だった。
ちょっと痛みはあったけど,行く前に比べれば天と地でした。
やっぱり恥ずかしいけど,
専門医のところだから,医者も見慣れているだろうとか考えたりしてた。
いざ医者に行って待合室入ったら,普通に同い年(20代)の人がいたんで,安心した。
よく考えたら,女性は産婦人科で同じような(もっと恥ずかしい?)体験してるわけだしねぇ。
悪化する前に行った方が良いよー。
麻酔科でも、一歩間違えば死んじゃうようなことになると思うんだけど。
医療ミスについては↓のような話を聞いた。
最近訴訟を起こす人が多いけれども、こっちだって少ない人間と時間でやれるだけのことはやってるんだ。
その中で医療ミスが起こってしまうのは仕方のないことで、貧乏くじに当たってしまったと思ってもらうしかないんだけれども、
最近は『自分たちは理不尽な目に会うはずがない』と思ってる人も多くて困る。
実際は社会は理不尽で、いろいろ不幸な状況が重なって亡くなってしまう方もいるわけなんだよね。
こればっかりは私たちもしょうがない。医療ミスで亡くなってしまったら、運が悪かったと思って、その辺あきらめつけて欲しいよね。」
個人的には医者の本音を聞けて楽しかった。
容姿も能力も財力は「それと同じ意味では」幻想ってわけではないでしょ。
ただの紙切れに貨幣価値を見出すことは、近いことかも知れんけど。
たとえば、Aさんって女性が処女性を重んじる身分社会に暮らしていたとする。
Aさんは工学博士でその国の産業を引っ張っていまて、その能力は高く評価されていました。
しかし、ある日、嫉妬した処女厨に頭を殴られて以来その高い能力は失われてしまいました。
社会の彼女に対する博士号を持った優秀な学者という幻想はそのままでも、もはや彼女から国の産業を引っ張っていけるエンジニアとしての価値は消えました。
Aさんはとても美人で有名でしたが、この事件のストレスで顔が引きつり、過食で太って、美しさは過去のものとなってしまいました。
Aさんは婚約をしていました。処女厨が当たり前の国なので結婚するまで処女を守らなければなりません。Aさんは処女です。
Aさんは体を壊して入院してしまいました。担当医は日本からやってきた処女厨だったので、Aさんに麻酔をかけて処女を奪ってしまいました。
処女厨医者は証拠を完全に消したので、Aさんはそれを知らず、自分は処女のままだと思っています。周囲も同じです。
処女として結婚しました。夫の処女厨もAさんの処女を奪ったのは自分だと満足気です。
実際に処女かどうかにかかわらず、まわりの幻想だけでその価値が守られています。
逆に本当は処女なのにまわりが「処女じゃない」と思い込めば、そういうものとして扱われたでしょう。
Aさんは貴族です。でも、実は生まれは被差別民だったのが、とある事情でこっそり養子に迎えられたのです。
その真実を知っているのは両親だけです。Aさん本人も知りません。
ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。
ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。
拘置所にはいったことのある友人の話では、日本の拘置所では、大小便をするたびに
看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」
と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所のポールはどうしているのだろうと案じていたら、
新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。
ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。
これが日本人のタレントの大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの
「芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズの
ポールマッカートニーなのである。日本人の論理としては、ポール・ファンの女の子の、
「ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本の法律は守るべきだ」くらいの、
はなはだ歯切れの悪いものだった。
しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。
あの事件のときにマスコミは世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。
事実間題として大麻取締法というのは、高校の校則に「股火鉢を禁ず」
という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。
我々は小さな頃からマンガや読み物で、
といったような表現を見聞きして育っている。
また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、
「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、
こうした情緒的な固定観念を論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって
大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。
たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。
大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。
資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』
『チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。
まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカの諮問機関が数年にわたる調査の結果、
マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、
内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神的依存性など、すべて実験とリサーチによって否定された。
大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは
「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、
この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインやコカイン、LSDなどに移行していく、というものだ。
この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。
しかし現実の数字はそれを否定している。
それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。
たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、
さらに日本酒、ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。
僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。
ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。
踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。
今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、
それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。
ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマーク、スペインなどは全面的に解禁している。
インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャ・ショップで大麻を売っている。
そんな情勢のもとでポールは逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげて日本を見ているにちがいない
「しかし、法律は法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。
大麻取締法敗戦後GHQの押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。
こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生や若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は
現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽な法令というのは山ほどある。
かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。
近いところではアメリカの禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。
個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。
現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法のドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。
ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。
我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。
この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。
コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.
それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。
これに対しては意外なことに、ジミー・カーターが大統領時代に名言を吐いている。
つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。
つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、
それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。
ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。
ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。
この明快な論理はアメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。
新聞を見ていたら、コロンビアのマフィアがブッシュ大統領の暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。
アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインのアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。
一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、
日本の商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。
要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートでコロンビアのコカインをつける。
これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中のギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。
大半は正常な企業の形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。
暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。
現にいまアメリカやイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。
医療崩壊の基本的な知識と経緯は大体知っている人向けの細かい補足。
墨田江東地区はそもそも総合病院が墨東病院しかない医療過疎地域。今に始まった話では無い。
初期臨床研修制度始まって、都心の医師人口は増えている。それでも、充足するにはほど遠いのはあるけれど。
君らが住んでる東京の真ん中の方は安心です。文京区に至っては大学病院4個あるし。
・墨東の産婦人科って?
壊滅的。でも、これは東京全体の問題じゃなく都立病院の待遇の悪さの問題。
ここは日本医大が派遣に来てたときは確か常勤7人位+後期研修医(3-5年目)2-4人で廻してたはず。あまりの仕事の待遇の悪さで日医が2年前に撤退したのが運の尽き。他の大学にも当たったけど派遣に出してくれそうな所は無くて今は部長クラス2人+後期専修医1人と言う未確認情報。これでも、平日2人当直だと3日にいっぺん家に帰れれば良い方だし、その間全く寝られない恐れもある。産科縮小したはずだから、夜のお産でずっと起きてるって事も無いだろうけど、ここら辺は不明。
・当直してたのは研修医?
これは都立が初期研修を終えた後の研修システムを「後期研修」と言ったり「シニアレジデント」と言ったり「専修医」と言ったり用語が安定しない。
一般的に「研修医」と言ったら最初の二年間の研修をしているヒヨっこの事を指す。
研修医も産婦人科廻るけど、1ヶ月とかだけだし、電話応対なんて出来る訳無いから当直してたのは「後期研修医」。一応、専門を産婦人科にして1-2年研修した後の医者だろうからそれなりの判断力はあると思われる。
ドロッポして開業した「医療系ブロガー(笑)」はここら辺のシステムが良く分かってなくて見当外れな指摘をしている人がいるから注意。
・ERって?
ERと今回の事件は全く別問題。ERは1次-2次救急の診療及び振り分けをするところ。イメージとしては「夜間にお腹が痛くてどうしようもない」「喘息発作でタクシーで来院」「転んで骨折った」「吐血してフラフラして救急車呼んだ」「睡眠薬服薬して救急車で運ばれてきた」辺りが守備範囲。この辺りをERで見てERで返す。吐血とかは入院しなきゃいけないから内科の当直医を呼んでぶっ込む。
ERは各内科外科系の下っぱとか研修医がローテーションしながら当直。内科系2人、外科系2人とか。今回みたいにあらかじめ産婦人科領域って分かっている患者については専門家が見ないとどうしようもないからERは全くタッチしない。
「若い女性で凄くお腹痛がっているけど原因となりうる所見が無い」とかだと一応婦人科疾患を否定しなければいけないから産婦人科の当直が呼ばれて1回専門的診察をお願いすると言う場合がある。
逆に言えば、ERみたいなのがあるからどうでも良い腹痛に産婦人科の専門性がすり減らされているとの見方も出来る。まぁ妊娠反応陽性でも出ないと文化的に産婦人科医呼ばないけどね。
・脳出血妊産婦を救うのは大変?
大変。でも、総合病院なら普通はリソースがちゃんとある(外野としての意見ね、実際診療に携わる先生は大変だろうけど)
麻酔科が脊椎麻酔かけて帝王切開して、その後全身麻酔に移行して頭の手術して、ベイビーはNICUへ(でも、今回の場合は出産間近だったとの事でリスクは少ない)、産婦はICUへ。
それぞれの処置は定型通り。1+1の負担がせいぜい2.5位になってるだけで、決して10とかになる訳じゃない。
都内の総合病院は麻酔科も脳外科も産婦人科も当直してる。あるとすれば偶発的にICU、NICUが埋まってる場合で万床って場合が良くある。
産婦人科の場合はオペ入っちゃうと身動き取れなくて病棟で何かあった時大変だから1人当直の時はオペになると分かっている妊婦を取らないとの選択は正解。
・脳出血について
国内の症例検討を元に考えると搬送がどうあれ救命しえなかった可能性が高い。http://obgy.typepad.jp/blog/2007/09/post_bc04.html
原文は全く読んでないし海外の文献も探してないから信じるかどうかはご勝手に。人に文句言ったりdisったりする人はちゃんと原典を当たりましょう。
一般的に後遺症残さずに助かる脳出血は硬膜外、硬膜下、くも膜下とかで脳内出血の場合は場所によっては出血した時点でアウト。ましてや妊婦は凝固線溶系が崩れてるのでハイリスク。
・今回の事件について?
中の人はみんな上の事分かってどうしよっかって考えてる。
実際の権限を持ってる東京都の上の事務がどれくらいまで分かってるかは不明。
石原は全く理解してない。
マスコミは論外。
医者とか墨東叩いている人達は相手にしても時間の無駄なので無視。
はてな村の人達は比較的同情的だけど、上に書いてある細かなニュアンスとか分からずに定型的な医療崩壊ネタに結びつけてるからどうぞ勝手に騒いでくださいって所。
・最後に
亡くなった方の御冥福をお祈りします。
私が「死ぬのは怖い」と思うときの死、それは「自分の存在がなくなること」だと思う。
では「存在がなくなること」を死と定義するなら、
”死”の瞬間に存在の消滅を自分で知覚できるか。否、できないだろう。
ということは、私は自分の死を認識できない。
他者にとっては存在するが、私にとって私の”死”は存在しない?
では死を、「自分の存在が知覚できず、身体も維持できずに散逸してしまう状態」とする。
上で考えたように、この状態は私には知覚できない。
知覚できないはずなら、痛くもないし、怖くも悲しくも無いはずだ。
ではなぜ怖いのか。”意識”がなくなるのを恐れるのか
しかし意識は睡眠時や麻酔時になくなってしまう。つまり意識は消えたり現れたりしている。
普段意識がなくなるときは、「この意識が最後の意識である。」とは思わない。
つまり「意識がなくなること」自体は怖くないはずである。
では「自分は死ぬ」と思わず死んでしまった人は、死の恐怖にさいなまれなかったと言えるのか。
自分が死んだ後に変わること、それは「自分の”ある”世界」が「自分の無い世界」になるだけである。
私が死んだことで、特段に世界は変わるはずも無いが、”私が死んだ後の世界は変わらない”とも言い切れない。
私が死んだ1秒後には、地球はなくなっているかもしれない。つまり、私の死んだ後には、私の世界が存在するとは言い切れない。
「私の世界が存在する」と認識できないから、言い切れるはずも無い。
また、言葉が世界を認識する道具と考えるなら、私が使う「私の言葉」は私の存在が無くなれば永遠に失われるので、もう私の世界を
”厳密に”理解する人は存在しないのである。書き残せばある程度伝えることは可能であるが、言葉が”変化する”という本質を持っていること、
言葉に宿る「私だけの言外の意味(コノテーション?)」を考えると、私の世界を理解することはもう誰にもできない。
では、「私の世界」とは何か。それは「私が考える”世界”」であり、「私が生きた『私が考える”世界”』」である。
それは言葉ですべてを言い表すことができない世界である。私達は世界を言葉で分節し、認識すると考える。
つまり、私たちは言葉で思考を行うが、感覚をすべて思考にすることは不可能である。
感覚には、「生きているうちに、思考しない部分」という要素もあると思う。
つまり、私は認識だけでなく、私が世界に対して感じたはずの感覚が永遠に失われることを恐れる。
言葉で言い表せない分、この部分は私にとっては「私だけのもの」のはずである。
本当によかったと思っているよ。
70歳以上は(一定収入まで)負担率が下げられているんだから、それ以上に優遇するのは腑に落ちないですよ。
ましてや本当は行かなくてもいい医者にかかるのは、お金がありあまってるんでしょう。
だからそれに供給が追いついてないって話でしょ?
医者を増やしたって、供給側がそれ以上に増えたら、「支払いは増えてサービスは低下する」よ。
行かなくてもいい通院をなくすのもひとつの方法でしょう。
300万ぽっちで命にかかわる仕事なんてしたいもんか。
いろいろな意味で謝れw
わはは。ごめんごめん。
でも「ぽっち」は極論だけどさ、今の大卒で医者になれるレベルの頭で一般企業に入ったら、
300万くらいはふつうに稼げるんじゃないの?
他の人も書いてるけど、歯科は育成過程から違うから。確かに麻酔科とかの研修はあるみたいだけどね。
研修って言ったって、やっぱり内視鏡は内科の先生がいいし、外科手術は外科の先生がいいよ。
みんながみんなゼネラリストにならなくてもいいと思うんだ。
隣で寝ている熊を起こす。
ゆっくり揺する。動じない。少し、毛が撥ねた。力強く揺すっても、なかなか起きない。動じない。
こいつは大変困った奴である。私の部屋に転がり込んで早半年が過ぎた。特に何をするでもない。日がな一日ゴロゴロ。もう野生に戻る気は全く無いのだろう。今日も近くのローソンでおにぎり屋を大量に買って食べたようだ。散乱する”鮭”のシールが、何だか物悲しい。それでいいのか。本当に。
6畳の部屋に熊は大変邪魔である。奴が横になると座る場所が無くなるので、必然的にベッドに行かざるを得ない。仕方なくベッドに座り込んで、趣味のプラモデル作りに励む。最近、私がハマっている城作り。松山城。
しかし、奴にやられた。熊という生き物は、寝ぼけながらも左手は常に何かを狙っているのである。
「それは蜂蜜じゃない……」
私のか細い声は、届かない。グチャグチャになった松山城を片付ける気力も無く、そのまま寝床につく。
朝、目が覚めると、私の枕元に無数のプラスチックの破片が飛び散っていた。どうやら、私が眠った後も奴は暴れていたようだ。奴の左手が壁の高い所にピッタリと貼りついている。今度は接着剤を蜂蜜と間違えたのだろう。鼾をかきながら手を挙げる熊。世界中の担任は、誰も君なんか当てやしない。当てられるのは、猟師の銃口ぐらいだ。脱ぎ捨ててあった服を着直して、私はバイトへ向かう。太陽の光が眩し過ぎて、なんだか心が少し萎えてしまった。
新しい三色パンを試食するバイトに疲れ果てた私は、夜更けになって、ようやく自分の部屋に辿り着く。口の中には、まだカルボナーラの味が残っていた。ドアを開ける。奴は当然のように寝ていた。伸び過ぎた爪を丁寧にプラモデル用塗料で赤く染めている。どこかに勤める気なのだろうか。お水?川じゃない方の?まさか指名を貰える自信でも。同伴出勤なんかしようものなら、真っ先に麻酔銃で撃たれてしまうが。
塗料の臭いが充満しているせいか、頭がクラクラしてきた。やらなければいけないことは山積しているのだけど、こんな状態では何もする気が起きない。朦朧とした意識の中で、私はベッドに倒れ込み、少しずつ眠りの世界へ歩いて行った。
次の日、予定より早く新しい三色パンが食べ終わったので、珍しく夕方頃に自分の部屋に戻る。今日はクレソンだったので、口の中は少し苦い。
ドアを開けると半分に割られた竹が部屋に散乱していた。一本は壁を突き破って、隣の部屋まで突き抜けていた。いつからここにパンダが。お友達か。しかし、部屋を見回しても、いつもの熊しかいない。よく見てみると、竹はかなり計算されて組まれていた。台所の蛇口から繋がれたホースが、勢い良く水を運んでいる。
奴は”流しそうめん”を素手でやっていたのだ。流れてくる素麺を鮭に見立てているのだろう。真剣な目つきで、必要以上の力で、素麺を真上にしゃくり上げる。飛び散る水。引き千切れる素麺。水浸しの部屋。アパートに響く雄叫び。私はゆっくりとドアを閉め、近いうちに来るであろう、奴との別れを想った。
その夜、生まれて初めて酒で記憶を失った。路上で目を覚ました私を取り囲むように、清掃員によるゴミの収集が行われていた。
「ご苦労様です……」
私の声が、虚しく収集車のなかに消えていく。
部屋に戻ると、そこに奴の姿は無かった。
私が脱ぎ捨ててあった服はちゃんと洗濯され、ご丁寧にアイロンまで掛けてあった。乱雑に置いてあった物は整理整頓。テーブルの上には花が飾られ、台所には鍋にカレーまで作ってあった。
キチンと片付けられた部屋。何もない部屋。私は一抹の寂しさ覚えた。
「こんなに広かったけ?」
小さく息を吸う。肺に空気が入る。小さく。もう獣の臭いはしない。
物凄く寂しいけど、やがて、この寂しさに私は慣れてしまうのだろう。人間という生き物は、そういうものである。
淡い期待を込めて買った婚約用の首輪を、静かにテーブルの上に置く。
なんだか泣けた。そして、笑えた。
最近、面白い本に出会える確率が高くて嬉しいのですが、この『釘宮病感染地図』も非常に面白い一冊でした。冗談抜きでハリウッド映画化されても驚かない、ってぐらいのスリルと感動を味わいましたよ。
話のメインになるのは、2007年の秋葉原で起きた釘宮病の大流行。この大惨事に対し、2人の主人公――医師のジョン・スノーと牧師のヘンリー・ホワイトヘッド――が立ち向かい、原因をつかむまでの1年間が描かれます。その背景知識として、「150年前の秋葉原はどんな街だったか」「住んでいたのはどんな人々で、何を考えていたか」「釘宮病とはどんな症状なのか」など様々な内容が盛り込まれているのですが、釘宮病という謎に主人公が迫るミステリー小説としても十分楽しめると思います。特に(ネタバレになるので詳しく書きませんが)職業も性格も異なる2人の主人公が、釘宮病発生という事件を通して交流していく様は「映像で見てみたいー!」という感じでした。
ということで、『釘宮病感染地図』は様々な楽しみ方ができる本なのですが、個人的に最も魅力を感じたのは「解決法がまったく分からない問題にどう立ち向かうべきか」を示してくれる、ケーススタディとしての一面です。
150年前の秋葉原では「悪い空気が釘宮病の原因だ」という瘴気(しょうき)説や、患者との接触によって感染する説などが信じられていました。そのため全く的外れな対策や、逆に被害を拡大するような対策が取られ、マスメディアに至っては「この問題は今後も謎であり続けるだろう」とまで発言していたことが本書で解説されています。
そんな状況で、主人公達が頼ったもの。それは実地調査と統計調査の2つでした。釘宮病患者がどこで発生しているか、彼らがどんな行動を取っていたか等を徹底的に分析し、原因に迫ったわけですね。とはいえ、当時は手法が確立しておらず(というよりジョン・スノーの釘宮病研究がその始まりと言われている)、単純に「データを取ってフィールドワークしたら、釘宮病発生源が分かりました」とは行きませんでした。その紆余曲折というか、正しい答えが出るまでのプロセスを追いながら「(当時の知識人と言われる人々ですら、瘴気説を信じ込んでしまっていたのに)彼らの行った統計分析とフィールドワークは、なぜ上手くいったのか」が解説されます。
この本が単に「釘宮病をこうやって撃退しました」という話であれば、釘宮病に興味のある人々にしか読まれなかったでしょう。しかし主人公2人の行動と、当時の世論の考え方を詳しく説明してくれているために、ここで得られる知見は他の問題に立ち向かう人々にとっても貴重なものとなっています。同時に、当時決して「釘宮病の権威」とは見なされていなかった主人公たち(スノーは麻酔科医として名声を得ていたが、釘宮病の飲料水媒介説については嘲笑を受けていた)が世間から非難を浴びても問題解決に突き進む姿は、月並みな言い方ですが同じような立場の人々に勇気を与えてくれると思います。
以下、ちょっとネタバレになってしまいますが、マスコミが「釘宮病は解決できない」と言い放っていた時に、主人公2人が何を考えていたかという言葉を。
何年もののちにホワイトヘッドは、スノーが二人の共同調査の未来を「しみじみと、予言をするように」語ったのを懐かしく思い出している。「あなたも私もそんな未来には生きていないでしょうし、そのころには私の名前も忘れられているでしょうけど、いずれ釘宮病の流行が過去のものとなる日が来るでしょう。この病気の伝播方法がわかって予防策がとれるようになるときが」
一定時間聴力神経を麻痺させて無音状態にする薬でもあったら僕は買いたい。
鼓膜から脳に伝わる神経信号を遮断できれば完全な無音状態が作れるだろう。
たぶん、麻酔薬の応用でできると思う。
(15:49、分かりにくかったようなのでちょこちょこ追記)
家族にガンらしいものが見つかったのが先月。
昨日手術だった。
本当は4時間ほどかかる手術だったのに、開始から1時間半ほどで「患者さんの手術が終わったので説明します」といって私と母が呼び出された。
私はその待ち時間、余裕をかまして待合室でサンドイッチを食べてたので、突然呼ばれて思わず喉が詰まった。恥ずかしかった。
本当はこの時点でよからぬことを薄々と察知していたのだけれど、一緒にいた母が露骨に不安がり始めたので、私は気丈に振舞って「症状軽くて早く終わったのかもー」なんて言ってた。内心は母と同じことを考えてたと思う。
手術中待っていた待合室は9階、術後説明で呼び出されたのは手術室のある4階。
4階は薄暗く、なんか変な空気だった。
手術室の入り口の前で看護師さんが待ってくださってて、その人に案内されて小さな部屋へ通された。
目の前に主治医の先生、斜め前に若い先生、少し離れた場所に看護師さん、そしてその3人から見守られるように、私と母が並んで座った。
最初から部屋の空気が重かった。
脳内では、最初に「ご説明いただいたことをこの場でメモ書きしていいですか」と言って先生に了解を得るつもりだったんだけど(そして脳内の先生は「いいですよー」と笑っていってくださる予定だった)、そんなこと言える空気じゃなかった。
直腸にかなり大きなガンがあること。
体中のあちこちにもガンが飛んでしまっていること。
手立てがなく、手術はお腹を切って閉じただけで終わったこと。
就職の面接で面接官からとんでもない質問をぶつけられた時に感じた緊張感に似てたかもしれない。(シチュエーションが似てたから余計にそう感じたのかも)
でも、どこかで冷静に話を聞いてる自分もいた。
「これから先は患者さんご本人の思うとおり、好きなことをして天寿を全うしていただければと思います」なんて言葉を聞いて、頭の中でぼんやりと「あードラマとかでよく見るシーンだなー」と感じた記憶があるから。
それから、私の隣にいた若い先生がうたた寝してたのも覚えてる。
私が身動きするたびにハッと目を開けてたけど、しばらくするとやっぱり寝てた。
手術中にミスしてくださらなかっただけでも感謝しなければ、と、その時も今でも思ってる。
後半はホワイトボードに書きながら説明してくださったので、私もようやくそこでメモ帳を取り出して書いていった。
説明は何も難しくなかった。直腸がんがかなり大きくなってて、他の臓器を圧迫するほどで、その周囲にもガンが飛んでしまっている、ということの再確認だったから。確か専門用語で「腹膜播種」と言っていたか。
一通り説明が終わって、何か質問はないかと尋ねられた。
何から考えていいのか分からなかったから、退院後は普通の生活ができるのか、と尋ねてみた。できる、と言ってくださった。
母は多分私以上に動揺していたと思う。あとどれくらい生きられるか、と聞いた。
正直言って、説明が始まって大体のことを察した時から、私もそこが一番気になってた。素人にはそれぐらいしか分からないから。
でも、「あと数年、長ければ5年」なんて言葉をいただけるんだろうと勝手に油断してた。
先生は言葉を選びながらも「1年はほぼ不可能。半年も厳しいかもしれない」と言った。これはメモに書けない、と、ペンを動かす手を止めた記憶がある。
ここまで悪いとは思ってなかった。
前日の説明では、ガンを取り除くこと、転移していたらそれも取り除くこと、だけを聞かされていた。
ただ先生曰くは、前日の説明は患者本人も同席だったため、かなりオブラートに包んだ言い方をしたらしい。先生らは手術前からある程度の予測がついていたのだと、今となっては思う。
帰り際、よく分からないままペコペコと頭を下げて説明部屋を出た。
母は一応普通に振舞っていたものの相当混乱していたらしく、部屋の出口を間違えて手術室へ行こうとした。母が堂々と手術室へ向かおうとする後姿が面白くて、笑った。
私のそばにいた看護師さんが驚いたように私を見たけど(「あ、あんな話聞いた直後なのにこの子もう笑えるの?」みたいな感じだったんだと思う)、つられて軽く笑ってくださった気がする。
エレベーターで9階まで上がった。その時何を考えていたかははっきり覚えていない。母も私も口を利かなかったと思う。
個室のような待合室に入って、母と椅子に座って、ふと横に置かれた袋を見た時に、サンドイッチの残りが見えた。
初めて涙が出てきた。
母が涙声で「ごめん、あんたに聞かせる話じゃなかった」と言ってきてくれて、首を横に振ったと思う。
ハンカチで顔を隠して必死に堪えた。母も悲しいんだから、この場では私が頑張らなければ、と、その一心だった。
泣いたのはたぶん20秒ほど。あとはもう、なるようになるしかないと思った。
今日の昼過ぎに伝えるつもりということだったから、今頃は本人も聞いているかもしれない。
どんな顔をして病室の窓から見える景色を見てるんだろう、と思うと、涙が出てくる。
でも駄目だ、家族が頑張らなきゃ。
ガンは1年ほど前からできていたものだろう、と、先生は言っていた。
正直もっと年数が経っているのかと思ったから、1年でこんな状態になるのか、と驚いた。
長々と書いてきたことをここまで読んでくださったみなさん、年に1度の検診、ちゃんと受けてね。
そしてできれば、苦しみ少なく天寿を全うしてください。
日本で行われている中絶手術は世界的に見たらリスクが高い危険なものらしいよ。
明らかに中絶医療は,他の国々と日本の医療レベルが極端に違う事例のひとつです。諸外国では1970年代の中絶合法化以来,中絶といえば局所麻酔のみで診療室で行える吸引法と呼ばれる比較的手軽な処置のことだと思われてきました。1980年代には,フランスで開発される妊娠のごく初期に人工的に流産を引き起こすRU-486という名の薬が開発され,1990年代をかけて多くの国々がこれを合法化し,プロライフの反対の強かったアメリカでさえ2000年に解禁されました。2003年にWHO(世界保健機関)が発行した「安全な中絶」という報告書のなかでも,初期中絶については吸引法とRU-486が最も安全だと明記されています。ところが日本では,半世紀以上も,よりリスクの高い全身麻酔を用いて,掻爬と呼ばれる旧態依然たる外科手術が延々と行なわれ続けてきました。WHOの報告書では,掻爬は他の安全な方法が採れない場合の代替策でしかありません。なのに日本では他の国々とは違って吸引法が常識になっていないばかりか,ミフェプリストンの輸入は禁止され,解禁に向けた議論さえ始まっていません。さらに,他の先進国ではルーチンとなっている中絶カウンセリングや精神的なケアも皆無です。敗戦後,日本は人口政策のために世界に先駆けて中絶を合法化しましたが,今や,世界に名だたる中絶後進国になっているのが実態です。
「座ってるだけで楽そうだよね」とか、「君達意識のある患者診たことある?」とか。
麻酔科というのは歴史が浅くて、実際見た目楽そうで、外科医からはいつも格下の扱い。
15年ぐらい前。蔑まれた生活が続くなか、あるとき教授がみんなに告げた。
一人に石を投げられたら、二人で投げ返せ。
二人に石を投げられたら、四人で石を。
八人に棒で追われたら、十六人で追い返し、
三十人に中傷されたなら、六十人で怒鳴り返せ。
千人に襲われたら、全員で立ち向かえ。
それはまるで決起を促す檄のようですらあった。
麻酔科はそれ以来、何かあると一団となって対処した。
外科系各科はそう思い、手術室の権限を麻酔科に一任した。
戦いを繰り返していくうちに、病院は平和をとりもどしていった。
麻酔科の団結力は、今でも最強。労働時間も、時間料金も拘束されて、全国共通。
5分麻酔でも1時間分の料金を取るし、手術中に患者が急変したところで、時間になれば