2007-08-24

家族が余命半年宣告された

(15:49、分かりにくかったようなのでちょこちょこ追記)

家族にガンらしいものが見つかったのが先月。

昨日手術だった。

本当は4時間ほどかかる手術だったのに、開始から1時間半ほどで「患者さんの手術が終わったので説明します」といって私と母が呼び出された。

私はその待ち時間、余裕をかまして待合室でサンドイッチを食べてたので、突然呼ばれて思わず喉が詰まった。恥ずかしかった。

本当はこの時点でよからぬことを薄々と察知していたのだけれど、一緒にいた母が露骨に不安がり始めたので、私は気丈に振舞って「症状軽くて早く終わったのかもー」なんて言ってた。内心は母と同じことを考えてたと思う。

手術中待っていた待合室は9階、術後説明で呼び出されたのは手術室のある4階。

4階は薄暗く、なんか変な空気だった。

手術室の入り口の前で看護師さんが待ってくださってて、その人に案内されて小さな部屋へ通された。

目の前に主治医の先生、斜め前に若い先生、少し離れた場所に看護師さん、そしてその3人から見守られるように、私と母が並んで座った。

最初から部屋の空気が重かった。

脳内では、最初に「ご説明いただいたことをこの場でメモ書きしていいですか」と言って先生に了解を得るつもりだったんだけど(そして脳内先生は「いいですよー」と笑っていってくださる予定だった)、そんなこと言える空気じゃなかった。

直腸にかなり大きなガンがあること。

体中のあちこちにもガンが飛んでしまっていること。

手立てがなく、手術はお腹を切って閉じただけで終わったこと。

患者本人は今麻酔で眠っていること。

えげつないことを言われ続け、心臓バクバクした。

就職面接面接官からとんでもない質問をぶつけられた時に感じた緊張感に似てたかもしれない。(シチュエーションが似てたから余計にそう感じたのかも)

でも、どこかで冷静に話を聞いてる自分もいた。

「これから先は患者さんご本人の思うとおり、好きなことをして天寿を全うしていただければと思います」なんて言葉を聞いて、頭の中でぼんやりと「あードラマとかでよく見るシーンだなー」と感じた記憶があるから。

それから、私の隣にいた若い先生がうたた寝してたのも覚えてる。

私が身動きするたびにハッと目を開けてたけど、しばらくするとやっぱり寝てた。

手術中にミスしてくださらなかっただけでも感謝しなければ、と、その時も今でも思ってる。

後半はホワイトボードに書きながら説明してくださったので、私もようやくそこでメモ帳を取り出して書いていった。

心臓はまだバクバクしていたけれど、ペン先は震えてなかった。

説明は何も難しくなかった。直腸がんがかなり大きくなってて、他の臓器を圧迫するほどで、その周囲にもガンが飛んでしまっている、ということの再確認だったから。確か専門用語で「腹膜播種」と言っていたか。

一通り説明が終わって、何か質問はないかと尋ねられた。

何から考えていいのか分からなかったから、退院後は普通の生活ができるのか、と尋ねてみた。できる、と言ってくださった。

母は多分私以上に動揺していたと思う。あとどれくらい生きられるか、と聞いた。

正直言って、説明が始まって大体のことを察した時から、私もそこが一番気になってた。素人にはそれぐらいしか分からないから。

でも、「あと数年、長ければ5年」なんて言葉をいただけるんだろうと勝手に油断してた。

先生言葉を選びながらも「1年はほぼ不可能。半年も厳しいかもしれない」と言った。これはメモに書けない、と、ペンを動かす手を止めた記憶がある。

ここまで悪いとは思ってなかった。

前日の説明では、ガンを取り除くこと、転移していたらそれも取り除くこと、だけを聞かされていた。

ただ先生曰くは、前日の説明は患者本人も同席だったため、かなりオブラートに包んだ言い方をしたらしい。先生らは手術前からある程度の予測がついていたのだと、今となっては思う。

帰り際、よく分からないままペコペコと頭を下げて説明部屋を出た。

母は一応普通に振舞っていたものの相当混乱していたらしく、部屋の出口を間違えて手術室へ行こうとした。母が堂々と手術室へ向かおうとする後姿が面白くて、笑った。

私のそばにいた看護師さんが驚いたように私を見たけど(「あ、あんな話聞いた直後なのにこの子もう笑えるの?」みたいな感じだったんだと思う)、つられて軽く笑ってくださった気がする。

エレベーターで9階まで上がった。その時何を考えていたかははっきり覚えていない。母も私も口を利かなかったと思う。

個室のような待合室に入って、母と椅子に座って、ふと横に置かれた袋を見た時に、サンドイッチの残りが見えた。

初めて涙が出てきた。

母が涙声で「ごめん、あんたに聞かせる話じゃなかった」と言ってきてくれて、首を横に振ったと思う。

ハンカチで顔を隠して必死に堪えた。母も悲しいんだから、この場では私が頑張らなければ、と、その一心だった。

泣いたのはたぶん20秒ほど。あとはもう、なるようになるしかないと思った。

患者本人には先生から伝えるという話だった。

今日の昼過ぎに伝えるつもりということだったから、今頃は本人も聞いているかもしれない。

どんな顔をして病室の窓から見える景色を見てるんだろう、と思うと、涙が出てくる。

でも駄目だ、家族が頑張らなきゃ。

ガンは1年ほど前からできていたものだろう、と、先生は言っていた。

正直もっと年数が経っているのかと思ったから、1年でこんな状態になるのか、と驚いた。

長々と書いてきたことをここまで読んでくださったみなさん、年に1度の検診、ちゃんと受けてね。

そしてできれば、苦しみ少なく天寿を全うしてください。

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