はてなキーワード: 死票とは
現代の日本の政治家は、政党助成金に頼る以外に政治資金を確保できないようになっている。
分派や造反が起きないように、がちがちに締め上げているようである。だが、議員を縛ることは出来ても、国民を縛る事は出来ない。やっても無駄な事をやってしまう前に、誰も止めなかったというあたりに、馬鹿殿と茶坊主が相乗効果で暴走中という内部事情が露呈している。
マニフェストも密室で製作中という話であるが、マニフェストは地域の党員集会から声と個人献金を吸い上げていって、国民全体の支持につなげる道具であるのに、その過程をすっぽかして、いきなり発表してお前らありがたく受け取れというのでは、よほど美味そうに見える餌がついてなければ誰も見向きもしないし、過去に毛鉤で散々騙された有権者は、どんなに美味しそうにみえても、警戒して近づかないという事になるであろう。
政治に対する絶望が、無能が判明した多選者はダメで、万が一を狙って新人に入れ替えるという投票行動に現れたのが、この間の都議選である。
この有権者の投票行動が衆議院選にも現れるとすると、民主党も自民党も、当選回数が多い人ほど落選し、新人と一期目が当確、二期目から三期目は対立候補次第となる。
この基準で立候補予定者を単純にふるいにかけると、民主党の躍進という結果になってしまうのであった。
問題は、多選現職と元職に、木っ端政党という選挙区である。この扱いが難しい。木っ端政党に死票を投じる人は少ないだろうが、過去に失格の烙印を押されて落とされた元職に、落とすべき多選現職という争いは、蝸牛角上の争いというか、不毛な争いにしかならない。
底辺には底辺同士の争いがあると言うが、これほど戦う意義が立候補者の面子だけしかない戦いを避けられないというのは、多選規制が無い為である。
なお、アメリカ大統領選挙と違って、衆議院選挙は何時あるかわからないから、マニフェストを地域集会からフレームアップしていくのは難しいというのは、理屈としては通らない。毎年やれば良いのであって、去年のマニフェストから今年のマニフェストへの変更によって、方針の微調整を行えるようになる。首相が変わる度に、首相に信任されたのだから、方針を変更する権利があるとして、国民不在の転進を重ねて前途不明になるのは、恥ずかしい事である
討議デモクラシーの挑戦 ―― ミニ・パブリックスが拓く新しい政治 ――
Amazon.co.jp: 多数決を疑う―社会的選択理論とは何か (岩波新書): 坂井 豊貴: 本
「多数決」以上に民意を反映できる選挙方法とはどのようなものなのか?
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
小選挙区の死票半端ない 自民2500万票222議席 民主1100万票38議席 共産700万票1議席©2ch.net
小選挙区制の魅力 有権者2割の投票で8割が自民党議席に©2ch.net
今回総選挙の自民党の絶対得票率は、比例代表選挙で16・99%、 小選挙区で24・49%に過ぎない!
一選挙区から一人しか当選しない小選挙区制を採用している場合には、特定の政党に投票する傾向の強い地区を分割し、相対的に多数が別の政党に投票する傾向のある選挙区に吸収させることで、特定の投票を無効化することができる。
共和党のジョージ・W・ブッシュが、民主党の現職副大統領アル・ゴアを破って当選した。
獲得選挙人 271
得票数 5045万人
得票率 47.9%
獲得選挙人 266
得票数 5099万人
得票率 48.4%
Amazon.co.jp: 選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?: ウィリアム パウンドストーン, 篠儀直子: 本
「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
151 :名無しさん@12周年 : 2012/03/18(日) 21:15:38.52 ID:q4JH9ZwT0
>>127
どちらも同じ芸能人になったりするように
全く合理的ではない
多数論証
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書) | 高橋 昌一郎 | 本 | Amazon.co.jp
Amazon.co.jp: 不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力: ジェイムズ D.スタイン, 熊谷 玲美, 田沢 恭子, 松井 信彦: 本
アローの不可能性定理とコーポレート・ガバナンス: 官庁エコノミストのブログ
[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]
シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
書評 「選挙のパラドクス」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
確かに、行かないよりサイコロ転がしの方が数百倍社会的には役に立ちます。「どうせ落選する候補に一票いれてもなー」という人。じゃあたとえば40人のクラスで委員長決める選挙があったときに、『友だち5、6人が押してるA有利だろ常考』みたいな感じで毎回低投票率、
Aくん …7票
Bくん …4票
Cくん …1票
(投票率30%)
…という選挙結果だったらどう思いますか。しかもその結果Aくんが調子こいて「オレはクラス全員に選ばれた代表ぉぉぉウヒヒwwwサーセンwwww」とか言ってたら、大概むかつきませんか。お前、友だち除いたら実質1票しか取ってねえだろ、と。この状況で白票や棄権票をAくんが「自分への批判」と捉えると思いますか。確実に言えることは、Aくんは「白票や棄権票はBやCへの批判もあるんだからオレ関係ねえwwwwwつか棄権増えるほどオレの組織力有利wwww組織票うめぇwwwwwwww」としか思わないだろうってことです。ハッキリ言や現状こんな感じじゃないっすか。
これで投票率が80%にあがり、仮に結果が変わらなかったとしても(残りがサイコロ投票として+16票が6/5/5とばらけるとする)
Aくん …15票
Bくん …10票
Cくん … 7票
(投票率80%)
これなら、Aが調子こいて少し票を減らしたりすると、B・Cが手を組んであっさり失脚の目も出てくるように見えます。Aくんも簡単に調子こけなくなるでしょう。第二、第三候補への投票を「死票」だと思いこむのはAくんの策略にはまってるってことですよ。だから、白票投じるくらいなら「まず当選しねえだろ」という候補に一票を。
「死票」という言葉にはある脅迫的偏向が潜んでいる。客観的に見て当選しえない候補に投じる票は本当に「死んだ」票なのだろうか。
たとえばある市のある選挙(1)で次のような選挙結果が出たとする。
J・K党候補 10万票 …当選
M・S党候補 2万票 …落選
K党単独候補 5000票…落選
K党単独候補 2万5000票…落選
更に次の選挙(3)
K党単独候補 3万5000票…落選
さて、明らかにK党単独候補は「惨敗」してるんだけど、この「K党候補」への投票行動に本当に何の意味もないと思うだろうか? ここから市民のメッセージは読み取れないだろうか? そんな安穏とした選挙分析をする馬鹿な候補がいたら見てみたいものだと思う。普通に考えれば、K党以外の各党は、政策の一部見直しは当然迫られることになるだろう。K党候補は惨敗でも、そもそも無風選挙にしてしまうことに比べれば大きな意味があるし、また当該候補への投票行動が与党候補や次の政策に影響を与えるという意味では、この場合立候補することに非常に大きな意味がある。その結果、たとえば次の選挙ではこんなことになるかもしれない。
J・K党候補 7万票 …当選
M・S党候補 5万票 …落選
K党単独候補 5000票…落選
こういうのを「死票」「金の無駄遣い」の一言で片づけることで、知らず知らず「長いモノに巻かれる」ことを是とするメッセージを発してしまうとしたら、その方が危険なことではないだろうか、と、まあ、私はそんな風に考えるわけです。「少数意見を大事にしてこそ民主主義」ってのは、別にキレイゴトのお題目じゃない。