2007-02-28

君達が語っているのは頭の良さというより適性の話だ

頭の良い人論が白熱しているみたいだけれど、頭の良さってつまりはなんだい?

今までの議論を見ていると、やれテストの点がとれるだけじゃ駄目だとか、大事なのはコミュニケーション能力だとか、思考と行動のバランスだとか言われている。議論されるべきは、“頭の良さ”というひとつのパラメータの話であるのに、さも“頭の良さ”の中にいくつものパラメータがあるかのように語られるのは、“頭の良さ”というものをなにか別のものにすりかえられてるような気がしてならない。

君達が語っているのは、頭の良さではなく“適性”じゃないのか。

剣士はメラゾーマを簡単に放つことはできないし、魔法使い魔物を剣で一刀両断にはできない。人には適性がある。それは、決して数直線上で簡単に語れるものではなく、無数に、四方八方に広がっているものだ。数学が得意な奴もいれば、走り高跳びが得意な奴もいる。

数学が得意なA君が、いくら走り高跳びの練習をしたって、走り高跳びが得意なB君には勝てない。適性がなければ努力は報われない。もし、A君が大学に行ってまで競技を続けて、体育学部かなにかに入ってしまったら、それは悲惨だ。A君はきっと「なんでこんなに努力しているのにB君に勝てないのか」だとか、「こんなはずじゃない。俺はB君よりできるはずだ」とか思うのだろう。悲惨だ。

A君はもっと早い段階で気付くべきだったのだ。高校時代で走り高跳びと決別し、大学では数学を学ぶべきだった。そうすればA君は偏屈な感情も持たずに、人生を過ごしていけただろう。

そう、問題はいつ気付くかだ。適性がないものに固執してはいけない。

頭の良さをこう定義する。

頭の良さ=『自分の適性を見極め、それに向かって正しい努力をできる能力』

こう定義すればA君は頭が悪いと言えるし、確かに人生がうまくいっていない。A君が頭の良い人間だったなら、数学を専攻しているはずだ。

もしあなたが何かをやっていて、それがうまくいかないとしたら、それはあなたに適性がないのかもしれない。

しかし、ここで誤解してほしくないのだけれど、適性がない部分も、努力によってある程度は伸ばすことができる。そして、社会には求められる仕事の本質的な適性以外の能力がある程度必要とされる場合が多くある。(コミュニケーション能力なんてその最たるものだ)

よく世間では、勉強に適性がある人のことを頭の良い人と呼ぶことが多い。それは社会がある段階まではそのようにできているからに他ならない。生活の大半を占める学校テストの点数で評価されているからだ。もし学校が走り高跳びで成績をつけたら、あるいは早口言葉のうまさで成績をつけたら、と想像してほしい。

君達が今まで考えていた頭の良さってなんだい?

はてな村に多く存在する人たちが属する社会が求める適性が、頭の良さとして今まで議論されてきた。

社会が求める適性を持っていて、それを伸ばした人間が成功する。もし、社会が求める適性を持っていないなら、自分の適性がどのように社会に活かせるかを考えたほうが良い。なにもせずに既存のシステムに自分をはめてしまうと、成功するのは難しい。

  • 君達が語っているのは頭の良さというより適性の話だより 適正云々が何か納得いかんので重箱の隅をつつくよ。 剣士はメラゾーマを簡単に放つことはできないし、魔法使いは魔物を剣...

    • たぶん、あれ。万人が納得する「頭がいい人」の定義しないと、話は前に進まないんだろうけど。つまらないから、そんな方向には進まない訳で。 今までに出てきた頭がいい人の定義(...

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