はてなキーワード: ボリュームとは
いや、いいけど。書いたとおりだよ。
そこに自己PRでなにか付け加えて120点 200点を狙っても良い。
それこそ、3Dテトリス作っても良いし、音楽プレイヤー付きテトリス作っても良いし、アルゴリズムに凝っても良いし、複数言語で作っても良い。複数OSで作りましたでも良い。やりたければ、4Bitマイコンとフレームバッファでテトリスでもいいかと。
2桁の乗算だと、課題が限定されすぎていて、自己PRしにくいでしょ。出きましたで終わっちゃう。
自分の得意分野のプログラムと関連させやすいとなると、テトリスとかになるかなぁと。幅広くいろいろ入ってる。
あと逆に、それだと、学術的すぎて、単にそういう方面が得意なのか、手広く出来るのかわかりにくい。
絵・音・アルゴリズム・OS・ハード、選択肢が広い中で、最低限の課題がテトリス。あとは、それを、どうアレンジして自己PRするか?だからね。
技術力だけじゃなくて、総合力も見てる。だから8時間。もちろん、超高速で作りましたというのも、可。どういうPRをしますかって事だからね。
何でも良いといえば、良いんだけどね。重要なのは課題じゃなくてボリュームがある程度あって、分野が多岐に渡る課題なら、なんでも。
オフに限定してるのはカンニング対策の意味もあるし、何が起きるか分からないオンライン付きで試験はできないよ。最悪チャットされたらかなわないし。試験だからね、8時間もあるし、ネットは危険すぎる。オフなのは仕方がない。
レビューでは防ぎきれない部分もあるしね。ひつようなら、資料は別途取り寄せる、フリーソフト、ライブラリ フレームワークなんかもリクエストがアレば取り寄せる。前提でオフかなぁ。基本マニュアルがアレば十分だと思うけど。
ネットに完全に負けた新聞 もうすぐ終了 42歳記者「年収ベースで200万減った」
ttp://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51438850.html
93 名前: 電卓(愛知県)[] 投稿日:2010/02/18(木) 23:47:13.82 ID:A11Vhue5
>東大卒の頭脳明晰集団の組織が時代の流れに沿った先手先手の対策を打てなかったという事実である。
ビジネスモデルそのものが破綻するんだから対策しようがないだろ
車が発売されだしたぞ、馬車が売れなくなる!どうにかしろレベルの話
155 名前: イカ巻き(catv?)[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 23:59:43.10 ID:1IRsP9ik
»93
笑い話でもない。YahooJapanが登場したのが96年ごろ。当時は読売、朝日などの
系列マスメディアの存在感とボリュームはヤフーの100倍、いや1万倍はあった。
それがわずか5年後には肩を並べ、10年後には10倍以上の規模に逆転し、15年後には
滅亡に追いやろうとしてるんだからメディアの変遷は凄まじすぎる。
YahooJapan登場当時、思ったもんだ。「こんなもん大手メディアが進出したら
吹き飛ばされるだろw」ってな。それが業界利権の理屈と殿様商売根性で腐りきってて
「メディア産業のエリート揃い」のはずのマスコミがこの間、何もできなかった。
170 名前: そろばん(愛知県)[] 投稿日:2010/02/19(金) 00:01:44.73 ID:A11Vhue5
»155
そうかポータルサイトそのものに乗り出すってのがあったか
ものすごいチャンス自分たちで捨ててたんだな
178 名前: 霧箱(愛知県)[] 投稿日:2010/02/19(金) 00:03:46.50 ID:jtYU9c61
»170
実際この10年、15年、何も動かなかったんだから凄いよな。
凄い間抜け。
ふきだまってるみなさん、こんにちは。
尽きないモチベーションと、あふれるガッツがあるひとは、「中学生レベルの英語力の奴が4ヶ月でTOEIC「Bクラス」を出す方法」を読んでください。
根性はちょっとたりないけど、コツコツやれるひとは、「大学のときTOEIC390点だった社会人が1年でTOEIC「Bクラス」を出す方法 」を読んでください。
読んだけどだめだった、というだめなあなた。
これはあなたのために書かれています。
http://anond.hatelabo.jp/20100219230508「社会人のための本気の英語学習法」?ああ、ムリムリ。というあなたです。
前提
TOEIC700っていうのは、しかるべき方法で4カ月がんばれば、とれなきゃおかしいスコアです。そのために身につけるものとしては、1)最低限の文法、2)語彙、3)リスニング能力の三つです。まあ、だめなあなたであればこのへんは百も承知でしょうね。
*文法
文法を勉強する目的は、TOEICレベル、つまり、かなりやさしい文章や会話を理解する土台をつくる、というものです。英米文学や英文雑誌を完璧に読みこなす、というのが目的ではありません。また、英文法の勉強は、かなりつまんないので(あなたならご存知の通り)、飽きる前に終わる、ぐらいのボリュームの本を選ぶ必要があります。
これにもっとも適した本は、「TOEIC TEST 英文法完全攻略」(石井 辰哉)です。これは分厚いですが中身はすかすかです。これを1週間で終わらせます。終わらせるコツは、1)わからない単語は覚えようとしない、2)和文英訳問題は無視する、3)なんかいまいち納得いかない、ってとこも無視して進む、という三つです。とにかく、最優先事項は「1週間で終わらせる」ということを肝に銘じてください。
*語彙、リスニング1
そう、おっしゃる通り、ボキャビルも文法に負けず劣らずつまんないです。これを乗り越えるための教材は、「TOEIC TEST 速効英単語2400」です。DUO?あなたには無理です。つづかないでしょ。この本は、6つのセンテンスからなるショートエッセイ50からなる本で、単語が1700入ってます。つまりセンテンスは300。DUOは540ですから、DUOを投げ出すあなたでもコンプリート可能です。また、CDがついてるので、リスニングを一緒に学べます。一日1、2セクションを、週に5日(休みを週二日入れる)、5~10週で終わらせます。こなせなかった分を休日に取り戻す。具体的なやり方としては、1)単語を覚える、2)文章を理解する、3)英文を聞いて聞き取れ、内容も理解できたらクリア。まあ、理想は5週以内でおわらせることですが、あなたのことですから2カ月はかかるでしょう。でも、いいんです。それくらいかかっても、とにかく終わらす、ってことが何より大事ですから。
*語彙、リスニング2
速効英単語は、DUOよりちょろいぶん、内容も不十分です。単語のレベルにも非常にばらつきがあります。ですから次にもう一冊やる必要がある。ここで、DUO. 3.0+復習用CDをやるんです。すでに一冊やってますから(あなたのことですからうろ覚えの単語もたっくさんあるでしょうが、それでいいんです)、ここでDUOをやるとかなり楽です。これを1日1セクション、週に5日、9週かけてやれば、あなたはもうTOEIC700レベルですよ。おめでとう。
*TOEIC対策
英語学習の目的が、「英語を学びたい」のか、「TOEICスコアがほしい」のかは人それぞれです。スコアがほしいかたは、対策をすると当然成果はあがるでしょう。対策をするんであればDUOがおわったこの時期です。まあ、あなたはこの時点で4カ月はたってますけど・・。受験後にスコアが返ってきて、モチベーションが上がってる時期にやって、またすぐ受験するのもいいかもしれませんね。具体的にはリスニング、リーディングボックスで形式になれる。そんだけ。
≪継続のためのいくつかの方法≫
とはいえ、あなたのことです。これだけ負担のかからないやり方でも、途中で投げ出してしまう可能性はたっぷり残ってます。ですから、モチベーション維持のための方法を、いくつか用意しなければいけません。
1)本を買う。本を買うとテンションがあがってしばらくやる気になります。まあ、2週間はもつでしょう。だから、本は必ず1冊づつ買いましょう。手元にすでにある、って人は(あなたのことですからたくさんありそうですが)、歯をくいしばって売り飛ばしてください。ちなみに、買った本が終わるまでは次を買ってはいけません。
2)TOEICを申し込む。飽きたな、ってとこで、TOEICを申し込みます。ですから、TOEICの受験日にあらかじめあわせて勉強をスタートする必要があります。具体的には、テスト3.5か月前に本を買ってスタート、飽きたところでTOEIC申し込み、ってことです。
3)家族、恋人、友人といっしょにやる。これはきわめて有効ですが、あなたのまわりには駄目な人がふきだまってるかもしれません。友達がひとりもいない、ってこともありえます。でも、できればだれかと一緒にやることをおすすめします。
4)学習記録をノートにつける、ブログをやる。などなど。あとは自分で考えてください。
最後に
学習者にとっての英語なんてものはただのツールで、TOEICにいたってはしょせんモノサシにすぎません。ただ、何をやっても長続きしないあなたが、それなりにがんばって一つの結果をだすことができれば、その経験をもとに、つまり「継続のためのノウハウ」をつかって、これから何かを成し遂げることができるかもしれません。そう、人生がかわるかもしれない、そんなふうに思っています。
検討をお祈りします。
公式「Retweet」と元からの「RT」が機能的に異なる上で、「RT」を「QT」(quote=引用)と変えたらどうだろう。別になんでもよいわけだし、それぞれ別の機能として残したほうがよい。こんなふうに。 QT @kenjieno どう?
ふぁぼったーで、キーワード:QT ユーザ:kenjieno の検索してみろ。
posted at 2009-11-19 10:18:30 だから、たった3ヶ月前。
これもそう。
海外ではRetweetは純粋にRTと付けていただけだが、日本人はコメントを加えてRTしている。140文字で語れるボリュームが違うからだが。だからQuote(引用)としての機能をQTとして使い分ける運動はどうだろう。 QT @kenjieno どう?
posted at 2009-11-19 10:23:03
海外のHD機向けゲームが色々とローカライズされるようになって、初めて触れる人が多いのか知らんけど
「日本のゲーム会社は遅れてる」みたいなことホザく人が増えてきた。
日本とは違う進化を辿ったゲームに触れてカルチャーショックで頭おかしくなっちゃったり、
宗教戦争に加担していたりするんだろうけど、本質が見えてないよね。
はっきりいうと、日本のゲーム会社と海外のゲーム会社で決定的に違うのはプロジェクトに付く予算。それだけ。
才能の限界にたどり着く前に予算の限界が来ちゃって作り手がフルでがんばれる環境ができてない。
なぜそうなるかっていうと、HD機にユーザーが期待するゲーム(要はグラフィックがキレイでボリュームのあるゲーム)を
作るために必要な予算をかけちゃうと国内だけじゃペイするのが難しいっていう現実があるから。
もちろんぺいできてるソフトたちもあるけど、圧倒的にペイできてない方が多いよね。
国内だけでペイできるように作ろうとすると予算規模が縮小され、PS2でもいいんじゃねーの?みたいなゲームしか作れない。
でもわざわざHD機買っといてPS2みたいなソフトをやりたい人なんてそんなに居ないよね。
高い金払って新しいゲーム機買った以上はその性能を最大限まで生かしたゲームやりたいんだよ、誰でも。
作る側だってそういうの作りたいよね。
でも無理なんだ、商売だから。慈善事業じゃないから。
市場規模のデカイ海外は海外で、調子に乗って金かけすぎてヤバくなってるけどww
でもやっぱ市場規模がでかいってのはいいよね。ニッチ市場でも絶対数がある程度あるからペイ出来る場合もあるわけだし。
日本のHD機で冒険できるのはFFみたいにブランド確立できててどんな出来でも一定以上の売上見込めるソフトぐらい。
もしくは気前の良いパトロン見つけられた人たちぐらい。そんなの居ないけど。
FF13は賛否両論あるけど、安牌狙わずに冒険したってのもすごいし戦闘に緊張感を持たせるってのに成功してる感があっていいよね。
序盤はまぁ、アレだけど。
グダグダ余計なことも書いたけど、日本のゲーム会社は能力で劣っているわけじゃない。金と時間と余裕が無いだけだ。
でもそれをどうすれば得られるかはわからんね。景気が良くなれば多少はあぶく銭がゲーム業界にも回ってくるかな?
でもゲームに投資するぐらいなら他に投資した方がまだ回収の見込みあるよね。難しいねぇ。
だれか予算の壁を才能の壁の向こう側に蹴飛ばせるぐらいの金をゲーム業界につぎ込んでくれないかな?
まぁ、予算の壁を超えてもその先に文化の壁があって、なかなか簡単に海外でも売れるようなゲームが出来るわけじゃないんだけどね。
ふた昔くらい前、私も受験生でした。
かといって芸大に入れるほどの実力もなく
残り半分が実技試験の配点となっていました。
筆記試験に一日、実技に一日を費やします。
実技の場合はモチーフの周りに
前の人の絵は丸見えに近い状態になります。
実際描いている時はバランスを確認したりするために
席を離れて見ることも可能でしたので
前の席の人でも後ろの人の絵を見こともできました。
本題。
私の斜め前の方の描き方を未だに忘れられません。
あなたは人の姿を描くとき、どこから描き始めますか?
絵を習っていたことがあれば、おそらくは
全体のボリューム(頭と身体の大きさのバランス)をざっと描く方が多いでしょう。
もしそうじゃなくても、輪郭を描く方が多いのではないでしょうか?
その方はなんと、服のシワから描き始めたのです。
実技試験のある学部は、その実技を重視するために
偏差値が低くなる傾向があるのですが
センター試験の結果でその低さを狙って
にわか美術志望者が結構多くあらわれます。
おそらく、その方もそのうちの一人だったのでしょう。
私はその描き方に気が動転し、自分の絵よりも
その方の絵が気になって仕方がなかったのでした。
私の気持ちをよそに、ちゃんと紙に収まるように
結局全体を書き上げたのには、驚きました。
その方は合格することはできなかったようです。
実際合格した同級生で絵をちゃんと習っていない方は0でした。
やはりいくら勉強ができても入学はかなわないようです。
いまだに忘れられないから面白いですよね。
先生になろうとも思わなかったですし。
実技試験のある学科を安易に受けるより
ちゃんと勉強して行きたいところに行けるよう
努力した方がいいよ、という話。
1、現代社会こそが最重要科目。現在の数倍のボリュームがあってもいい。
学生が現代社会について学んでいないから発生している問題が多すぎないか?
法律とかもっと知っとくべきだろ。社会の仕組みとか知らなすぎ。
2、絶対やったほうがいいけど、まったく行われていない心理学。
心理的な問題にどれだけおまえら悩まされてんだよ。
3、やったほうがいいけど、現行の授業のやり方には問題がある体育。
集団競技とかはっきり言ってどうでもいいから。卒業したらやる機会は極端に減る。
逆に個人が一生に渡って自分の肉体をメンテナンスする方法を一切教えていないのはどういうわけだ。
4、将来なりたいものによる数学。ぜんぜん使わない職業もあるだろ。
使わぬものを教えても仕方ない。忘れるだけで学ぶだけ無駄。
5、英語は使い方によって学び方を変えたほうがいいんじゃないか。
人によっては英文のドキュメントを読むことに特化したほうがいい気がする。
まったく不要という人もいるだろう。
6、芸術系は個人の欲求を重視すべき。
必要のない人に芸術を与えても仕方ないだろ。
ファッションについては後で使えるから教えてもいいが。
つうか、後で何年もかかって自分にとって必要な食事を経験から発見するって作業をすることになる。
食事や生活習慣に起因した疾患ってみんな多かれ少なかれかかってるよ。
病気や試行錯誤の時間が無駄だから、栄養についての知識を徹底的に教えたほうがいい。
選択すべきことと全員が絶対にやるべきことがゴチャ混ぜになっているのが現状。
■絶対全員がやるべきこと:
■必要な人がやればいいこと:
佐藤賢一の「双頭の鷲」を読んでる。ブックオフの100円コーナーにあった本で、数年前に1度読んだことがある。可笑しいのは、印象的な主人公の名前だけ憶えていて、ストーリーラインだとか脇役の名前はまったく憶えてないってこと。昔、父親が映画を見終わったあとに「見たことある映画だった」と言った話を、ねーよwwと笑っていたものだけど、そろそろ自分もその域に達しつつあるのかも。さすがに読んだことがあるかどうかはタイトルと導入部を読めば分かる状態だけど、それもあと何年持つか。書棚にある程度ボリュームのあるおもしろい小説を300冊くらい用意しておけば、その小説たちをローテーションすることで一生やっていけるかもしれない。300冊読む頃には1冊目の内容も忘れているだろう。この「双頭の鷲」のように100円コーナーで探すなら300冊でも3万円にしかならない。かなりコストパフォーマンスいい。検討に値すると思う。
2009/08/01(土)
みんな、泣いてる。とても静かに泣いてるみんなの姿を
僕ははっきりと感じることが出来るよ。
僕は暗闇の中に逃げ込むことで沢山の安息を得たし、
みんなは僕の暗闇を覗き込むことで、あるいは
僕の暗闇にしんしんと降り積もる雪のような悲しみを眺めることで
すこしだけ人を信じたでしょう。
だけどそれももうすぐ終わるんです。終わります。大丈夫。
2009/08/01(土)
僕はいつのまにか逃げることが人生みたいに思って
ずいぶん遠くの暗くて静かなところまでやってきたような気がしていたけど
本当はすこしもあの故郷の匂いから離れることは出来なかったと思う。
僕は今も遠いあの故郷にいて、夏の夜にふく風の心地とか
夕暮れが町を包み込むときの空気の触れ合いを少しも忘れていないし
むしろそれをいつも心の綺麗で優しい場所に暖めていた気がする。
2009/08/14(金)
こんばんは。僕です。
みんなには随分不憫な思いをさせてしまってとても僕は反省しています。
殺せ。俺も殺す。
そんな気分でしたから、僕がここにスレを立てるのはすこし大変でした。
人が人として生きることはそんなに難しいことではありません。
でも誰がそうしていますか?あなたですか?では僕もです!
2009/09/12(土)
こんばんは。僕です。僕は夢をみていました。
絶望だけの夢です。
太陽が死んで、明日のまた次の日も
そこに新しい一日が二度と訪れない世界にいて
僕は死んでいったジョニーや麻井、それからJのことを想っていました。
そうしている僕は、しかし何も感じず何も見ず、ただ世界が終ったあとのこの
風景にやっと時間だけが流れていることをかすかに意識することが出来るだけだったとも思います。
僕は過去と現在においてただそこにある時間だけが流れさったということを自覚することができたから、
今ここにいない彼らの過去にあった現在もまた確かに現在の過去として存在することを認めることができました。
夢の中にいた僕にはだからそこに彼らの生があることを認めることができたけれど、
その夢が醒めた今となって、かえって僕はまだ自分が世界の終ったあの日にいて、
それからすこしの時間にも流されず、ただあの突然の巨大な破壊の前に
焼け爛れた人々の死の壁の前に立ち尽くしたままなのかもしれないと思うようになりました。
みんな死んだのだ。そして僕だけがまだここにいて、こうしてただ振り返ることにおいてのみ生きているのだ。
僕はこうして過去の存在の、失ったものすべてを一つ一つ認めることにおいて現在の生と時間を生きているのだ。
僕は死んでいないのだ。だからこそ僕は死を認めるのだ。
麻井の死を、ジョニーやJのその死を。そしてあの破壊。彼らの生を、魂を簡単に粉砕したあの破壊を。
そして彼らの破壊された時間だけがそこに留まり、僕だけに新しい時が訪れたのだ。
だが本当にそうだろうか。彼らは死に、僕だけが生きている。そんなことが本当にあるだろうか。
あの恐ろしい破壊が僕の時間だけをさらい忘れるというようなことが。否、そんなことはないだろう。
僕はまだ、夢を見ていてこうしてここに過ぎていく時間も全て本当には存在しないのではないだろうか。
時間が止まった後そこに夢だけが、死の数だけの夢がそこにのこされているのではないだろうか。
僕も死に、彼らも死んだ。あるいは彼らが生き、僕だけが死んだということもできよう。
だが僕の夢がまだこうして続くのなら僕はただその夢を、夢の中の生に流されていようと思うのです。
2009/09/12(土)
みなさんこんばんは。僕です。おひさしぶりですね。
この頃は元気ですか、僕は元気です。
雨は降ったり止んだりといった感じで、
せっかくの休日なのにと言う人もあるかもしれませんが、
僕のほうは休日に降る雨のことが好きだし、その雨にしてもどうもこちらに気があるらしいから、
この静かな午後の雰囲気をいっそう穏やかなものにしてくれるし、
僕はそのなかでずいぶん落ち着いた時間を過ごしています。
それで今、パーラメントを聴いています。マザーシップ・コネクションです。
1976年、地球征服を企む宇宙人ジョージ・クリントン(本名不明)が
この音楽を人々の脳に直接流し込むことで
街を一瞬のうちにP-FUNKと呼ばれる興奮状態に陥れたという話ですが、
その威力は本当に凄まじく、
いまこうしてスピーカーから流れるボリュームを極力抑えた旋律ですら
僕の下腹部の奥に熱を与えそこからごりごりとした欲望が膨らむのを感じます。
アンニュイな休日の午後にはすこし強すぎるスパイスでありました。
2009/09/27(日)
痛みがある。随分苦しい気分でいる僕です。恥かしい気持ちだけが脳を満たしていて
独りでいないとどうしようもない気がするので僕は今日もそうしています。もしもそばに誰かいたら
やっぱり駄目になりそうです。気付いたら誰もいない生活が当たり前なので、人の声がうるさくて仕方ないし
それで怒りみたいな感情がどんどん溢れてきたときには、それがもしもこぼれ出したりしたらと思うと
やっぱり恐ろしくて仕方ないです。わからない間にとんでもないことをしていたりするんじゃないかといった不安が
あることと、もうイロイロなことが前とは違う風に見え始めていること。
良くなることが有るような気もしますが、それは記憶が褪せるのと同じように
ただ痛みを忘れているだけの気もします。忘れているのは自分だけでそれは決して許されること
ではないのかもしない。最初からわからないことが多すぎるし、
僕の知らないところで僕が撒き散らした破壊によって今おびえる僕はもうとても苦しい気分でいるのです。
2009/10/06(火)
すいぶん時間の進み方が変わっている。と俺は考える。
朝、と思っていたらもうすっかり夜になっているし、
秋だ、と感じたそばから冬だったりする。
そもそも俺は、過去と未来がこの瞬間とどういう具合に組み合わさっていくのだか知らんが、
こうやって生きていくにつれ、過去というのが次第にその体積を増加させ、
そして過去は、いずれ俺の現在と未来に与えられた全ての時間を少しも残らずに覆い尽くしてしまうのだろう。
それは始め、とてもゆっくりだったのに、今ではもう決して追いつけない速度になっているし、
そのせいでこの現在は、この瞬間はただ過ぎ去っていき、そこに自分が生きたという実感も無く
ただ過去という巨大な闇に飲み込まれていく。
とても速い。と俺は思う。それから、もう遅すぎる。と思う。
俺が歪んでいるのか、時間の方がそうなのか、
どちらにしても俺の精神は既にこの時間の速度を認めることが出来ないでいる。
2009/10/07(水)
精神の悪化が著しい。
このところずっと俺の背後に立っている男が俺の精神の自発的な破壊をもって
俺の完全な抹殺を開始する算段を企んでいることなどもあって、
俺はすこしも心を落ち着ける時がなく、
何者かがこちらの精神の崩壊の瞬間を窺っている様子もある。
そして俺は今日もこうして睡眠などに身を任せるような危険な状態を避け、
俺の抹殺を企てるもの、現在も俺の後ろに立っている男などを筆頭に
俺の精神を一刻も早く破壊せしめ、俺の存在と俺の時間の完全な抹殺を遂行しようとする輩から、
すくなくともまだ、こうしてかろうじて日常生活をぎりぎりで保てる段階に留まっている限りは
その手に安易に落ちることを拒否し続けることにしている。
しかしそれももう長くは続かないだろうことは、俺もそして俺を抹殺しようとする奴らにも
既に大方は了解されていることではある。
問題は、俺がその瞬間においてどの程度人間であるかという点にあり、
そのことが今の俺の最大の関心事となっているのである。
2009/10/07(水)
たしかいつだったかに俺は雨が好きだ好きだというようなことを言った覚えがある。
そのことは今も変わらない。俺は今も雨が好きで好きでそうしてその雨量は多ければ多いだけ好きで、
その時間は長ければ長く降り続くだけ俺の精神を安らかな状態に満たしてくれるから
俺は一層に雨を好きになるという按配なわけだ。
そしたらさっき、台風なんぞが来たる。なんつう声が耳に入ってきよったもんで俺、にたにたしたっきり外を眺めとった。
俺は雨が好きで好きだというようなことが、そのまま台風にも通じるんであって、
俺はベランダに静かに立って、そこから見える景色、家の前を流れる小さな川とその川の向こうにある小さな公園と
その向こうにある人家とマンションとそれから小学校の校庭と、もっとむこうの山々とに、
今も降り続く雨をこのベランダにも降りかかる雨にしとしととこの身を濡れそぼらせながら見とるわけだ。
そうして俺が恍惚とした表情で見とれておる間にもその雨は、次第に風を増し
雨量を増し、その一粒一粒の重量は益々に肥え、
俺のこの目の前に広がる人の気配のない空間に降り続ける雨の質感が
より重厚によりドラマティックに揺れるのを俺はもう、俺はもうここに俺の時間がただこの瞬間にだけはっきりと
流れその流れが雨の時間と混ざり合っていくのを感じているということなんよ。
つまり今夜だけは俺もこの精神に静かな安らぎを与えられるということなんよ。誰も俺を抹殺にかかるようなことはないんよ。
今日だけは、深く沈む闇の中から俺を監視する視線は消えるんよ。目を閉じてそして狂ったように振りつける雨の呻きも
ふいに静かになる雨の押し引きにもそのどこにも俺の精神に痛みを与える気配はないということなんよ。
2009/10/08(木)
休日のこと
朝、目が覚めて
たしか9時くらいだったと思います。
まず洗濯機を回して、
そのあいだとりとめもない空想に浸りながらストレッチをして、
部屋の電球を交換して、セロニアス・モンクを聴きなが小説を読みました。
しばらくして眠くなったので、本を閉じて眠りました。
目が覚めて、夜ご飯を食べにいって、戻ってきてお風呂に入ってから眠りました。
一体人生とはなんでしょうか。
2009/10/09(金)
Jっちこんばんは。
僕はニンテンドーじゃなくて時給780円の弁当工場に勤務していますけど、
高収入?なんすかそれ。幕の内とどっちが美味いの?みたいな世界ですね。
なんつって、来る日も来る日も目の前を過ぎ去っていく焼肉と筑前煮見てて
ああ、もうこんなに筑前煮ばっかりで人生うんざりだなってこともある俺だけど、
そこは俺、プロなわけで、なんだかんだ、すんげえ良い感じに盛り付けちゃったりするわけですわ。
だからこその焼肉弁当ラインなわけです。そこは俺の領域なわけね。俺の場所。超クール。
とかなんとか、この俺の人生だけど、まあそれ以外にも楽しみはいっぱいあるよ。
一体何に喜べばいいの?
ってそんなもん自分で見つけないといけねえにきまっとるだろが。
生きるっていうことは考えることだし、学び続けることだろが。
昨日より明日、明日より明後日の焼肉弁当がもっと美味い。それが人生だし、
今日の筑前煮、その煮汁が完璧な旨みを含むまで何回でも煮込む。
それが生きるってことなんちゃうかなあ。と思うけど、
たまにはやっぱり人生ってなんですか。って思う俺です。
2009/10/12(月)
昨日も、朝起きて、やっぱり、何かむなしいような気持ちでいた僕は、
お昼ごろになってご飯を食べて、
静かに流れていく川。それを眺めている間だけ、このむなしさも僕から離れていく。
と、そんな風に思いながら僕は歩きました。
しばらくしてベンチを見つけて、そこに座って本を読みはじめました。
堀辰雄の風立ちぬでした。ずいぶん綺麗な言葉たちが鴨川の水面に浮かび僕の心をさらさらと流れました。
原っぱには白人の家族がいて楽しそうにボール遊びをしていました。
その向こうのベンチには若いカップルが、そんな家族の様子を眺めて幸せそうに笑いあっていました。
空は気持ちよく晴れ、そこにうすい雲が流れています。ゆるい風の中には秋のぴりとする冷気を認めますが、
ふりそそぐ陽光の暖かさがそれを心地よい肌触りに感じさせます。
僕はベンチに寝転がって、本を読みながら、ときどき空を見上げ、うすい雲のそばに淡い空想をゆらしたりもしました。
そんな風にしている僕はいつのまにか眠ってしまったのだと思います。
ふと気付くと、すっかり陽は傾き、辺りは秋の気配に包まれ、周りにはもう誰もいませんでした。
ふらと起き上がった僕は、帰ろうと思いました。そしてまた歩き始めました。
途中のうどん屋さんで夜ご飯を食べました。そうしてまた電車に乗って帰っていきました。
家について、お風呂に入ってからからチューハイを飲みました。やっぱりいろいろ恥かしい気がして、
まだ誰にも会えない、と思いました。それはすっかり冷たくなった夜の風のせいかもしれません。
いろんなことが、駄目になり始めてから、もうずいぶんの時間が過ぎたようです。
2009/10/13(火)
告白します。
8月、私は毎夜モンスターハンター3ばかりやっておりました。
それは真夏の世の夢、日暮れを待っては無法残虐の限りを尽くす暴君と化した私、
気が付いた時にはカーテンの向こうが白々と輝き、
すっかり日が昇っていたというようなことも何度かあったほどです。
そんな風にして過ぎた9月のある日に、私はふと思い立ち
コントローラーを静かに床において、普通のサラリーマンに戻りました。
そして今、なにかがふいに私の内を過ぎたのです。
ああ、我が燃ゆる夏、灼熱の鉄槌を再びこの腕に。
誰か、一緒に狩りに行きませんか?HRはたしか30か40くらいだったと思います。
ハンマーを背負っております。テクニックはございません。ただ破壊を
振りかぶったハンマーが獣の脳髄を揺らします。
よろしくおねがいいたします。
2009/10/14(水)
僕にはさっぱりわかりません。
僕は日々その間を、あっちこっちに振れている人間です。
2009/10/14(水)
昨夜、私はこの苦しみから逃れるため酒に溺れ、そして苦しみの底でこの世界を強く呪いました。
バーモンド・キッス。いかにも私は、是をパクったことを認めます。
しかし今になって、私はその事実に対してただ一片の後悔もこの心に認めてはいません。
それは相対性理論という楽団こそが、
言わずもがな「地獄先生ぬ~べ~」の周到なパロディに過ぎないという事実を私が知るからです。
その楽曲の全ては、「鬼の手」を持つ小学校教師「ぬ~べ~」こと鵺野鳴介が生徒を守る為に、
妖怪や悪霊を退治する学園コメディーを、一話一話、楽譜の上に置き変えただけのものなのです。
であれば今、私がこうして、相対性理論をパクったという一つの現象は
はたして私をこうまで苦しめる理由になるでしょうか。
あなた達がいかに厳しく私を断罪したところで、私の心には今も清涼な風が吹き抜けるばかりなのです。
2009/10/14(水)
言わずもがな私は今夜、言わずもがなという言葉を多様しています。
繰り返す時間が私を言わずもがなの罠に誘います。
言わずもがな、私はこの罠を、罠と認めることなく、一度、そしてもう一度、
言わずもがな二度三度とその失態を繰り返します。
私はこの痛みをもったまま言わずもがな次の言わずもがなへと進みます。
すこし度が過ぎたようでう。今夜はすこし酔いすぎたでしょうか。
秋の風が頬の熱を奪い、私は風の王に嫉妬します。
これは現実の時間です。そして私の精神は今、確実にその強度を失っています。
2009/10/15(木)
本当のことを言うと、僕は文通がしたいのです。
こうして、誰とも無く世界の果てに向けて自分の精神を拡散させるのではなく、
確とした誰かに、己が胸のうちをひっそりと告白したい。
そうして僕は彼方にあるその存在に思いを馳せ、
ただじっと待ちたい。私はその時間を愛し、その距離を空想したい。
文はその遥かなる旅路の内に芳醇な感動を携えて私の心を狂おしく酔わすであろう。
2009/10/15(木)
わし今から自分の住所と名前を念じるから感じ取ったら着払いで送ってください。
替わりに高校のときに使ってた数Bの教科書送ります。
もし数Ⅲの方がいいとかだったら相談に乗ります。念じてください。
よろしくおねがいいたします。
しかしモンハンやろ言うても誰も乗ってくれへんし、
わしも寂しい男やなあ実際。
まあ、こうやって毎晩、部屋で独りビールのんで、絶命しかけた肝臓に毒の油塗り込むような人間なんぞ
そりゃ誰も相手にせんやろってなもんやけど、せやかてまだわしも人間の姿はしとるで。
徐々にやけどまあ顔は獣じみとるけどな。実際狂うように美しいで今のわし。
鏡にもずいぶんはっきりと狂気が写りこんできとるしな。そやしそもそも人の美しさなんつうもんは
ひっくり返してみたらこんなもんや。やっぱり腐りかけがうまいんやな。健康的なもんの美しさには
わしなんぞも興味ないわい。それはしかし生きとらんわな。なんの歪みもない美からは
人を狂わす色気はでえへんで。わし自分の妖気に酔いそうや。そやからまだ誰にも会うわけにはいかん。
人がおったらたまらんで、会うたら畢竟まぐわうことになるのはわかりきっとるからの。くわばらくわばら。
恐ろしいのう。生きることはずいぶん辛いことやのう。
徐々に言葉が離れていくようになった。
元通りにしなくちゃ。生きるんだもの私。
無理だ。もう本当に無理だよ。
駄目になるのがはっきりとわかる。
もうすぐだよ。一度は超えたヒューマンの境界線。
もう2度と見たくないあの地獄。いやだ。助けてよ。
酔ってしまったような気もするし、
かといって時間が歪むのを確かに判別できる程の理性は
確保されているような気もする。
すこしの間忘れていたことを思い出す瞬間が訪れる。
それは、最もおそろしい闇を見るのが溺れていく私だけではないからです。
私の周りにある人々をも同様に捉えて離さない深く濃い闇がそこにあります。
必死で手を伸ばすもの、私を捉えてその暗黒から救い出そうととするものそれら全て飲み込む
闇がそこにはあるのです。今、その闇の中に沈んでいく私にできることは限られています。
選択肢は、そこにある結末は。
元増田ですが、えーと、そうなっちゃうんですかね。私の設問自体がおかしいのかな。選挙については、候補者のポリシーを伝えるべく、いちおう法整備もされて報道が義務となってますね。新聞やテレビやラジオで各候補者について、ある程度のボリュームの話が喧伝されるので、それを見聞きせずに「情報不足は報道の怠慢だ」というのは有権者の怠慢だと思います。
世論調査に関しては、例えば「日本郵政に元大蔵次官着任」のニュースは、十分な報道がされぬまま、或いは(政見放送とは違って)おもしろおかしい部分がフィーチャーされた報道だけで、「さあ、あなたはいいと思うか悪いと思うか」と問うているマスコミの態度に問題があると思いました。つまり選挙とは違って、(調査を)実施する者=報道する者、という図式ですね。そしてそれに当然のごとく回答している私たちにも問題があると思った、という次第なんですが。
自分の心が如何に動くかを知り、そしてそのあるがままに任せる方法。
そうすれば貴方は救われるはずだから。
・自転車や徒歩で移動する時、歌をうたう。
歌は何でも良い、貴方の歌いたい、好きな歌。
そうしていると、貴方は誰か他の人が、前からやってくるのを見るだろう。
で、その時に貴方は、歌うのをやめちゃいけない。
だけど、自分が恥ずかしくない程度に、ボリュームを絞って歌ってみよう。
最低限、無声音で歌ってみよう。
貴方が感じる恥ずかしさにあわせて変化するボリュームから、自分の心がどのように動いているかが、手に取るように分かるはずだ。
いつだって心はざわめくように動く。
その動きを悟れば、後はその流れに任せるだけだ。
1/ CDから起動
2/ Windows XP 回復コンソール(R)を選択
3/ コマンドプロンプトが起動したら、
「format drive: /FS:file-system」
と書く。
例:
「format D: /FS:NTFS」
http://support.microsoft.com/kb/314058/ja
①<スタート>メニュー→<ファイル名を指定して実行>を選択し、
②「名前」欄に半角で「format(半角空き)d=(半角空き)/fs:NTFS(半角空き)/v:データ」
と入力。
「NTFS」はファイルシステムをNTFSにすることをあらわし、
かわりに半角で「fat32」と入力すれFAT32形式でフォーマットできる。
「データ」はボリュームラベルで任意のものを入力すればいい(省略可)。
③<OK>ボタンを押すと「コマンドプロンプト」が起動するので、
④[Y]→[Enter]とキーを押そう
元増田です。ご指摘ありがとうございます。
確かに体力面の問題は大きいですね。
60歳以上のひとがどれぐらい動けるのか、わかる資料はないかと思って検索してみたのですが、
はっきりとした資料は出てこなかったので、なんとも言えません。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2009.asp?fname=T02-02.htm
ただ、上記の少子化情報ホームページの人口統計の資料のよると、
2009年時点で60歳から64歳の男女は8,544,629人、55歳から59歳の男女は 10,255,164人だそうです。
かなり人数のボリュームがあるので、仮に半数が体力的に参加不可能だったとしても、やっていけるのではないでしょうか。