はてなキーワード: チャイムとは
わかるわー。
12時にチャイムがなって、みんな一斉にお昼時間。っていう会社がうらやましい。
14時になっても誰も昼とってないとかザラ。
それが今日、届く予定だった。そして来た。押されるチャイムのボタン、鳴り響く「ピンポーン」という音。
俺は分かっていた、この時が来るのを。そして待ち侘びていたのだ。
俺は玄関へ向かおうとした。しかし次の瞬間、響き渡る怒鳴り声。親父だ。
うるさい。家には内線でチャイムと電話が繋がっていて、その電話から玄関と通話ができる仕組みだ。
しかしこっちはもう既にamazonからの荷物だと分かっているのに。くどい。
俺は無視した。そして玄関を開けると、そのタイミングで親父も玄関に駆け寄ってくる。
「インターフォンから出ろって言ってるだろ!」
違いない、だがそれは来た人間が誰か分からない時に限るし、たとえamazonでなくとも俺はそれ相応の対応をすることができる。なのに何故こんな事を痴呆の様に連呼するのか?
俺は刹那の間に思った。もし仮に俺が「自分の用事だからお父さんはいいよ」と言っても信じてもらえるだろうかと。
玄関を開ける。「amazonからです。サインお願いします」と言う配達員。後ろでまだ怒鳴り続ける親父。
あまりにも親父が鬱陶しいので俺は後ろを向いて「いいから!うるさい!」と言ってしまった。
「あ・・・」と戸惑う配達員。
殴り書きでサインを済ますと「ありがとうございました」と言って逃げるように配達員は退散して行った。
俺は荷物を適当な場所に置いて親父の方を向く。
「自分の用事だからいいのに」
すると親父は
「だったら最初からそう言えよ!少しは人のことも考えたらどうだ!?」
いい加減にしろよ。クソ。
中学時代、マッカーサーと呼ばれたロマンスグレーの美術教師は言った。
「本当にすばらしい芸術とは、万人にわかるものか、それとも一部の人にしかわからないものか」
生徒たちは沈黙する。
教室をサングラスの裏からひとねめした後、とくにもったいぶるそぶりも見せずマッカーサーは続けた。
「答えは、一部の人にしかわからないもの、だ」
ざわ・・・ざわ・・・(※誇張)
「真に優れた芸術とは、それが真に優れたものだとわかる能力のある者が見て初めて良さがわかるものである。万人に良さがわかるものは真に優れたものではない」
はりつめた空気を揺り動かすかのように鳴り出すチャイムの音に合わせて振り向くと、
「覚えておくように」
看守の残すそれに似た靴音を響かせマッカーサーは教室を去っていった。
覚えておくようにと言われたその言葉を聞いて以来、わたしはずっとその理由を疑問として抱えながら生きてきました。
しかし、未だにその答えは見出せていません(マッカーサーには怖くて聞けていません)。
「真に優れたものだとわかる能力のある者」とそうでない者の差が、本当の意味で存在するのかどうかの、すっきりとした納得がいかないからです。
もっと言えば、「”真に”優れたものだとわかる能力」って何ですか?ってことです。それが「真に優れたものだとわかる能力」だってことを、保証してくれるのは誰なの? わかると思っている人の自己満足ではないの? それとも限られた「真に優れたものだとわかる能力」のある者同士? もしくは「『真に優れたものだとわかる能力』だとわかる能力」のある者なんてのがまたいるの? いずれにしても一部の人にしかわからない良さ、それってその一部の人たちの嗜好とどう違うの?ってことです。
嗜好であるにしても、それがその限られた人たちの豊富な知識や経験に裏うちされたものだってことはわかるのです。ですが、その豊富な知識や経験を有する人だけが「良い」とわかるものが、そうでない人も含めてより多くの人が「良い」と感じるものより上である理由がわからないのです。逆に言えば、多くの人が「良い」と感じるものを、わざわざ「いやそれは本当は優れてないんだよ」ということにできる意味がわからないということです。
それこそ、より優れた芸術作品とは、この多種多様な嗜好をもつ知的生命たちのより多くの固体に、「良い」と認識されるものではないのでしょうか。
ごく一部の者にとっての「良い」ものは、所詮その一部の者たちにとって優れたものでしかない、というわけではない理由はあるのでしょうか。
例えば私は漫画を描きますが、いくら私が技巧を凝らして、「これはすばらしいものだ」と思えるものができたとしても、見てもらった人々に「つまらない」「面白くない」と言われたら意味がありません。
「いや、このコマがこうなっている理由は、これこれこうだから。そしてここに歴史あるあの物語から換骨奪胎した暗喩を印象的に配し、それがまたここの斬新な伏線とのシナジー効果で・・・」等と説明すればできますし、そういう意匠に気付く人にだけ「おー、面白いね」と思ってもらえること、それ自体に意義が無いとは言いません。ただ、気付かないような万人でも「面白い」と思えるものよりそういうものが上だとはとても思えない、思える理由がないのです。
多くの人たちの支持を得ているものは、それだけで価値があると思うのです。
小室哲也の音楽は、大衆支持されこそすれ、一部では曲の軽薄さを馬鹿にされていたりもします。
「小室の音楽ってのは、薄っぺらいというか全部こんな感じで、こういう風にすれば全部小室の曲っぽくできる」
っていうのを実践してもらって、
「ほんとだー」
と感心したことがあります。
しかし、私は小室の曲は耳に心地よいと思う”大衆”の1人でした。そして、他ならぬ私が心地よいものは私にとって心地よいものに他ならず、内情を知ったからと言って耳に心地よくなくなるものではありません。私の「良い」は、私以外誰にも覆せないわけですし、それは誰にとっても同じことです。
そもそも「良い」と言っている人が感じているその良さが、真なる良さなのかそうではない低レベルな良さなのかなど、誰がどのようにして決めることができるのでしょう。決められないのだとすれば、その作品を「良い」とする者すべてが、その作品に対しては「優れたものだとわかる能力のある者」であり、「優れたものだとわかる能力のある者」を多く生み出せる作品ほど、真に良い作品なのではないでしょうか。
もしそうではないのだとしたら、誰かマッカーサー先生の残した言葉に説明を加え、どうか私にもわかるように教えてください。
そして小室哲也は、どんな曲が”多くの”人に「良い」と思われるかに気付いて、その良いものを、「良い」と思われる時期に、できうる限り提供しておこうとした、才能と熱意のあった人物ではないでしょうか。
<<注>> いまも才能があるかはわかりません。そしていくら才能があっても人に迷惑を掛けることは宜しくありません。私が評価しているのは、あくまで彼のかつての音楽に関してのことです。
俺誕生。
幼児。記憶あいまい。親の笑顔は・・・記憶にないや。だっこして欲しいのにしてもらえなかったような気がする。
小学生になった。
会話ない。雑談しない。サイレント空間。たまに話しかけてもすぐ終了。俺怖くないよ。避けないで。
親なにも教えてくれないすごい放置っぷり。でも親の気に触ることしたら烈火のごとく怒る。(≠叱る)
小学生高学年ごろ。だんだん他人の顔色伺うようになる。優しさ?ホントにあるの?
ある日。下校時に後ろを歩いてた男子が自分のことを噂して笑ってるようなきがしてならない。我慢できずに詰め寄ったら別のこと話してただけだった。ごめんよ。
中学生。親戚と旅行。ゲームしてて楽しい話で盛り上がってたら、「我慢しないで笑ってもいいんだよ」とかいわれた。あれ?俺、笑えてない?
親あいかわらずすぐ怒る。でも、なんとなく分かってきた。ちやほやして欲しいみたい。愛情を注いで欲しいみたい。・・・そんなのこっちが言いたいよ。
高校。人怖い。人付き合いは浅くする。
大学。一人暮らしすることに。なんか気が楽。なんでだろう。落ち着く。人との関わりを避けてたら一人も友達できなかった。そりゃそうだ。避けてるのにわざわざ関わってくる人なんてセールスか宗教家くらいしかいない。
家を出るとき、親が宗教のアイテム渡してきた。無事をいつも祈ってるって。でも卒業まで選挙のときの投票の電話しかしてこなかったね。そっちのが大事なんだ。
社会人。家に戻る。仕事だし役目もあるから会社の人とたくさん話す。なんかみんな優しい。怖くない人いるのかも。
親、ちくちく小言で責めてくる。俺がなつかないのが不満みたい。俺も親が愛せないのが悲しいんだ。とても、とても。
体調崩して退社した。しばらく動けない。
親が心配してこうしたらどうかとアドバイスしてくる。余裕なくて断ったら怒鳴られた。悲しかった。苦しいときも親に気遣いしないとだめなんだ。
体調良くなってまた就職した。家を出ることにする。
やっぱり一人暮らしだと気分が晴れるみたい。人はまだ怖い。
会社で失言して注意された。失敗。でも、別の人が助け舟出してくれた。優しい。感動した。人生で一番の優しさに触れた気がする。
他の人も優しい。怒鳴らないでやんわり言ってくれる。瞬間沸騰する人は一人いるだけで大抵は優しさがある対応をしてくれる。ちょっと人が怖くなくなった。あいかわらずプライベートでは踏み出せないけど。
親が家にやってきた。居留守つかったら1分ごとに電話が鳴って、チャイムもたくさんなった。怖い。いや、恐ろしい。
仕事をしてるといろんな人がいることに気づく。他人がどう感じるのかなんて全く興味ないですと言い切って迷惑かけまくる人もいるし、知ったかぶりして失敗を繰り返す人もいる。でも極端な人はほんのわずか。たいていの人は優しさや気遣いをもってるみたい。家族を大切にしてる人もたくさんいる。でも俺は親には恐怖や緊張しか感じない。それが悲しい。
親はまた放置することにしたみたい。連絡全く来なくなった。でも選挙の時の電話や手紙は必ず来る。親子関係の修復よりそっちのほうが重要なんだと思い知らされる気がして少し落ち込む。期待しないようにしようかと思い始める。
社長にがしっと肩をつかまれた。普通のスキンシップなんだろうけどびっくりした。でも、すごく落ち着く。こんなに他人に触れられたのは初めてかも。親に抱っこやなでなでしてもらった記憶がないし。小学生以降だと間違いなく触れられたことはない。
親のことはKさんと名前で呼ぶことに決める。
考えは表現しないと相手に伝わらないから、Kさんに愛情を感じないことや恐怖を感じること、家に来られるのはイヤだから話があるなら手紙にしてほしいということなどを手紙にして出してみた。
「今、下にいます」
俺は・・・Kさんを見限ぎることに決めた。
愛されない親に育てられた子供は人間不信になり人との交流がなくなる。そして優しさに触れる機会も少なくなり、人間不信の解消の障害となる。
人を疑うものは愛されず、さらに人を嫌いにさせる。
愛され幸せになるためには、人と交流する機会を増やして優しさにふれ、親を基準にしてしまう習慣を上書きすることから始めるのがいいかもしれない。
小学生のころ、のぶながという友達がいた。
そいつのことについて勝手に書こうかなとおもう。
ちょっと小太りな男子だった。
そのテストには、3回挑戦できる代わりに、必ず満点を取ることが要求された。
出題された漢字を1日1ページ。約40ページ埋めて提出すること。
なかなか凶悪な宿題だった。
のぶながはそのテストに落ちた。
3人くらいしかその時落ちなかったが、このときはまだ
のぶなががあんな面白いことになるなんて、思いもしなかったよ
夏休みが終わった。
みんなが夏休みの工作とかを持って元気に登校してくる。
のぶながもやってきた。いつもの半ズボンで。
朝の会を終えて、担任がいよいよ
と言った。
結果、3人中やってきたのは1人だけだった。
のぶながもノートを持ってこなかったようだ。
忘れてきた2人は起立させられた。
担任は若干切れ気味で、「やってきてるんか?ノート忘れただけなんか?」
と凄んでいた。
今考えると、この担任も少しおかしな男だった。
男子からはキャッチボールの相手してくれたり一緒にドッチボールしてくれたりで、
けっこう人気があったが、お気に入りの女子をよく膝の上に乗っけていたり
セクハラっぽい言動もちらほらだった。
この前久々に地元に帰ったら、生徒に手を出したが断られたことに逆切れして
相手の親の車をめちゃめちゃにしたとのことで、逮捕されてた。。
この日はまだ初日ということで、つるし上げも10分も経たないうちに解かれ
2人は席に座ることができた。
2日目、3日目とプレッシャーがかかるうち、
のぶながじゃない方のやつも、ノートを持ってきた。
明らかに徹夜して書いたっぽい、目にクマができている。
のぶながは、まだ持ってきていなかった。
4日目、のぶながはまたノートをもって来なかった。
担任は、ぶちぎれた。
「やってあんのか?え?おい!」
宿題のカツアゲだ。
「やってあります」
のぶながはこの4日間、一貫してこの言葉を発し続けていた。
もともの口数の少ない、ただの小太りな男だったが、
凛とした表情で、繰り返していた。
「やってあります」
その言葉に、担任も3日は我慢できたのだが
4日目で限界が来たのだろう。
ぶちぎれ具合が半端じゃなかった。
「お前、やってへんねやろ!?おい!!」
起立したのぶながを、なぜか教室の隅に追い詰める担任。
のぶながを教室の隅のピアノのところまで、追い詰めた担任は
両手を振り上げると、のぶながの顔を両側からビンタした。
ビンタしたというか、ものすごい音を響かせながら挟み込んだというべきか。
のぶながの鼻から相当な勢いで鼻血がでてきた。
完全に静まり返った教室の中で、ぽたぽたと鼻血を出し続けるのぶなが。
担任は鼻血だらだらののぶながにティッシュを渡すと一言、
「とってこい」
のぶながはノートを取りに帰らされた。
絶対やってあるはずないのに。
そして、通常とおり1時間目の授業が開始された。。
2時間目の授業が始まる前に、担任は少しおかしなことを言い出した。
「のぶながが宿題やってあると思う人、手挙げて」
誰も、あげなかった。
「な、やっぱりそう思うだろ?」
こいつ、何がしたいんだろう。
家までは歩いて20分もないはずだから、明らかにおかしかった。
少し焦る担任。
同級生を数人連れて、車で捜索にでかけた。
のぶながは、家に帰れず、周りをうろうろしているところを保護された。
同級生と一緒に車に乗って帰ってきたw
この日は担任がちょっとびびってしまったらしく、
宿題は明日で良いから、ということになった。
5日目の朝。
教室は、のぶながの話題で持ち切りだった。
今日こそノート持ってくるのか、持って来てなかった場合何が起こるんだろう。
というか、担任の怒鳴り声を毎朝聞くのは最悪な気分だったので
早く終わって欲しいという声が大半だった。
担任が教室に入り、朝の会が始まる。
「おい、今日は持ってきてるやろな?」
のぶながは平然と言い放った。
「すいません、わすれました」
した、を言い終わるかどうかの内に
担任はのぶながに内股を決めていた。
確実に一本だった。
「とってこい」
のぶながは廊下に追い出された。
実は4日目に車で帰ってきたときに、ノートはおばあちゃんの家に忘れていて、
夜持ってきてくれるみたいな話をしたらしいのだ。
だから、また取りに行かされた。
そして、1時間目の授業が始まった。。
2時間目が終わっても、3時間目が終わっても、のぶながは帰って来なかった。
しかし5時間目に担任は一人で帰ってきた。
帰りの通学路にも、昨日見つかった団地の外周にも、のぶながはいなかったらしい。
のぶながは行方不明になった。
6時間目の授業も終わり、放課後になっても、以前消息は不明のまま。
帰り道にみんなでのぶながの居そうな場所に寄ってみたが、見つからず。
担任も結構焦っていたような気がする。
自業自得なのにw
一方クラスのみんなは、そんなに心配していなかった。
というか、毎朝のやり取りが面白過ぎたため、他クラスまで巻き込んで
ものすごい話題になっており、ついに失踪したことで
のぶながついにやっちまったw という感じだった。
陽の落ちた頃、担任は、警察に捜索願を出した。
夜中も警察と担任と、のぶながの親でいろいろ探していたみたいだが
翌日の朝学校に着くと、まだ見つかっていないらしいということだった。
担任は明らかに疲れている表情だったが、1時間目の授業を始めた。。
3時間目の中ごろ、いつも昼時のチャイムを鳴らす有線放送から、役場の広報が入った。
いつもは、地域の人の訃報とかが流れてくるやつだ。
でもこんな時間になぜ?
いまでも覚えている、とてもお茶目な放送だった。
○○小学校の、○○のぶなが君が、現在行方不明となっています。
黄色い半ズボンを履いた、やや太目の男の子をお見かけになった方は
○○町役場までご連絡ください。
繰り返します。。」
クラスは爆笑に包まれた。
有線放送の甲斐なく、その日ものぶながは見つからなかった。
しかし、その翌日にのぶながは意外とあっさり捕獲された。
なぜか親戚に発見されたのだったw
警察に事情を聞かれたりして、のぶながはその次の日に帰ってきた。
しばらくの間、みんなのヒーローだった。
学校を追い出されたのぶながは、やっぱり家に帰れなかったらしい。
そして、隣の町までぷらぷら歩いて行ったとのこと。
隣の町には大きな古本屋があり、そこでやわらちゃんを全巻読破。
その後、近くのスーパーで晩御飯のかわりにソーセージ(魚肉)を買ったらしい。
ラブホテルしかなくて、のぶながは、近鉄の高架下で一晩明かすことにした。
そして、高架下で、ダンボールを敷いて眠ろうとしたところ、
犬が近づいてきたらしい。ソーセージはその時取られたと言ってました。
そして次の日の朝、親戚に見つかり保護される。。
いろいろお騒がせな奴で、他にもいろいろな事件を起こしていましたが
なんてタイムリーな。
わかってみればなんてことはない、というわけにもいかないのですが、
遠い知り合いの子の妹さんからのお荷物でした。たぶん。
夜遅くに訪問者があって、ぴんぽーんと鳴ったオートロックからの呼び出しに出ると
「おっそーい! 早く入れてよ!」
……あのー、あなたどなた?
「○山○子の妹の(伝票の名前)でーす! 早く! アイス溶けちゃう!」(本当にこう言った)
妹さんがどんな御用でしょう?
「夏休みに入るので、夏コミ遠征も兼ねて上京してきた! もちろん泊めてくれるよね!
ついでに原稿作成合宿もやっちゃうよ!」(口調はこうじゃないけど中身はこんな感じ)
面識ございません。訪問予告ございません。もちろん泊まりの承諾もございません。
丁重にお断りさせていただき、チャイムの音をOFFにしてそのまま寝ました(笑)
念のために○山○子さんには「うちに妹って人が泊めろって来てるー」と連絡しておきました。
その次の日には感謝のメールが届いていたので、きっと戻ったんでしょう。
感謝のメールの中に、荷物を直接持っていったのだけれど、受け取ってもらえなくて
宅配便で送ってもだめだったと書いてあったので、たぶんこれが例の荷物なんでしょう。
衣類と原稿が入っていたらしいですよ。
ちなみに妹さん20代後半のフリーターさんですよ。ひえー。
ところで夏コミって7月なんだっけ?
それはほんのちょっとしたいたずらだった。まさかそんなことになるとは、Cは夢にも思っていなかった。
先日学校からいじめバッジというのが全生徒と全職員に配られた。それをつけている者はいじめをしませんという証であり、それをつけていない者はいじめをされているという無言のメッセージを意味するらしい。しかしCのクラスでは、少なくともCの知る限りではいじめなんてなかったし、自分たちには関係のないものだと思っていた。それでも、教師がつけろというものだから皆仕方なくバッジをつけていた。
ある日の体育の授業開始時、Cは日直の仕事のため職員室へ行っていたため皆より少し遅れていた。授業開始のチャイムが鳴り、皆が出る頃に更衣室に入った。更衣室にはCが一人で取り残された。Cは焦って着替えていたが、そこでふと、友人Dの制服が目に入った。その襟元には例のバッジが光っている。Cの心に瞬間的にいたずら心が芽生えた。「このバッジを隠したらどうなるだろう」
DとCは自他共に認める親友同士だった。小学校以来の友人で、家族ぐるみの付き合いだった。よくふざけあったりしていたが、お互いに最も心を許せる友人だと思っていた。だからこそ、CはDにいたずらをしても許されると思っていた。
CはDの制服からバッジを取り外し、自分のポケットに入れた。バッジがなくなったことに気付いたDの焦った顔を想像するとニヤニヤとした笑みが浮かんでしまう。そこで「なんちゃってー」とバッジを出して笑いを取るという寸法だ。
体育の授業が終わり、皆が制服に着替え直す。しかしDはバッジがなくなっていることに気付かなかった。Dだけでなく、周りの誰もそのことに気がつかない。CはいつDが気付くかヤキモキしながらも、何も知らない風を装っていた。
次の授業は担任の受け持つ数学だった。担任が出席簿を見ながら点呼をはじめる。教室を見れば空いている席がないことなど一目瞭然なのだが、この担任はなぜかいつも一人一人の名前を読み上げる。そうやって生徒とコミュニケーションを取ってでもいるつもりなのだろうか。Cの名前が呼ばれ、少し後にDの名前も呼ばれた。Dがダルそうに返事をすると、そこで担任の点呼が止まった。
「おいD・・・。お前バッジはどうした?」
Dは最初、なんのことかわからないようだったが、すぐに自分の襟元をまさぐり、そこにあるべきものがないことに気付いた。Cはいまにも笑い出しそうだったが、必死に平静を装っていた。
「え・・・と・・・わかりません・・・」
Dが小さな声で答える。顔が真っ青になり、目がキョドっている。ここまで効果的だとは思わなかった。Cはそろそろ頃合だと思い、ネタばらしをしようとしたのだが、授業中のしんとしたこの重い雰囲気の中で「なんちゃって」を言い出すことができず、言葉を飲み込んでしまった。
「お前、いじめられているのか?」
「え・・・あ・・・」
Dはいつもの快活さを失い、どもりながら是とも非ともとれない返事をするだけだった。Cはいじいじしていた。ここで「違います」とか「なくしました」とか言えば、自分も「なんちゃって」が言い出せるのに。
「授業の後に俺のところに来い。ゆっくり話を聞いてやる」
「あ・・・ちが・・・」
「違う」と言ったようだったが、それは担任の耳には届かなかったようだった。クラスメートたちは哀れみや同情の目でDを見ていたように見えた。しかしどうやらそれだけではない空気も流れていた。「いじめられていたのか」「めんどくさいことしやがって」。誰かがそう言ったわけではないのだが、Cは皆がそんな風に思ってDを見ているように思えた。そしてCは、ますますネタ晴らしを言い出すことができなくなってしまった。
授業が終わった。今の数学がこの日最後の授業だったので、その後は掃除をして放課後だ。Dは掃除もそこそこに、担任のところに行くためか教室を出ていった。Cはもうニヤニヤしているどころではなかった。どうにかして誤解を解こうと思ったが、完全にタイミングを失ってしまっていた。ポケットの中のバッジを握る手は、嫌な汗でじっとりと濡れていた。Cは掃除が終わり、教室に人気がなくなったのを確認してから、Dの机の中にこっそりとバッジを返した。その後はDが戻ってくるのもまたず、逃げるように家に帰ってしまった。
翌日。Dはまだバッジをつけていなかった。机の中にバッジがあることに気付いていないのだろうか。しかし教科書の出し入れをしていたので、気付いていないはずはない。では意図的に付けていないのか、それとも本当にバッジがなくなってしまったのか。しかし暗い顔で俯いているDに、それを尋ねることはできなかった。Cは朝からDと言葉も交わすさず、ただじっと様子を見守っていることしかできなかった。
朝のホームルームがはじまる前、トイレに行っていたCは廊下で担任と出会った。適当に朝のあいさつをしたところ、担任がCにだけ聞こえるような声で「後で職員室に来い」と言った。担任は理由はいわなかった。心当たりがあるといえば、昨日のDの一件くらいだ。ホームルーム後に職員室に行くと、担任は人のいない談話室へとCを連れていき、話をはじめた。
「Dから聞いたが、お前、Dの物をよく隠したりするそうだな。お前はいたずらと思っているかもしれんが、それでDは深く傷ついていたらしい。昨日バッジを外していたのはそのためだそうだ。お前のいたずらが、Dにとってはいじめだったんだ」
Cはとてもショックだった。まさかDがそんなふうに思っていたなんて。確かによくふざけてものを隠したり、背中を叩いたり、スリーパーホールドかましたり、ノートに落書したりしていた。そういうことをDはいじめと受け取っていたのかもしれない。
Cはどんよりした気持ちで教室に帰った。いつもと変わらない教室のはずなのに、皆の視線が自分を責めているような気がする。いや、昨日の今日で職員室に呼ばれたのだ、皆薄々と感づいているのかもしれない。CはDの方を見た。Dは一人で席に座り、何をするでもなくじっと俯いている。Cはとにかく悪意がなかったことを告げ、許しを請おうとDの前に立った。深々と頭を下げ「ごめん!」と叫んだ。Dは俯いたまま、小刻みに肩を震わせている。泣いているのか、起こっているのかわからなかった。そして次の瞬間、
「なんちゃって!」
Dが吹き出し、大笑いをはじめた。教室中がDに注目する。
「俺の方が一枚上手だろ?」
Dはいつもの快活な表情に戻り、ニヤニヤと笑っていた。
Bは気付かなかった。先週のはじめくらいから制服が汚れてきていることが気になっていたBは金曜日にクリーニングに出し日曜日に取ってきた。Bは大雑把な性格であったので月曜日の朝までそのまま放置して、月曜日の朝に慌ててハンガーから取りタグを外し制服を着てカーディガンを羽織りコートを持ってそのまま駆け足で学校へ向かった。だから気付かなかった。襟につけっぱなしにしておいたいじめバッジが外れていることに。
「B?バッジはどうした?」最初は教師の言葉が理解できなかった。バッジなら貰ったときからずっとつけっぱなしにしているはずだ。そう思って襟を見てみると何もついていなかった。「あれ?あれあれ?」Bの頭は真っ白になった。何で?どうして?バッジがないの?あれ?あれあれ?元々成績が良い方ではない頭をフル回転させた。だから返事をする余裕がなかったのだ。教師の「B、もしかしていじめられているのか?」という声に。
数秒後、Bはようやく制服をクリーニングに出していたことを思い出し、そこでバッジが外れただろうことに思い至った。「先週クリーニングに出したんで、つけてくるの忘れちゃいました。えへ。」そう明るく言ったBは教室の空気がおかしなことに気がついた。Bは元来いじられキャラだった。だからドジをすることは度々だし、ドジを披露するといつも笑いが起こった。それなのに今の教室の空気は全く違っていた。何とも言えない奇妙な空気が流れているだけだった。Bが不思議がっていると教師は言い辛そうに口を開いた。「B、本当に忘れただけなのか?」疑いながらも再確認するような言葉だった。「いやだなあ、ただ忘れただけですって。本当、本当。」明るさが足りないのかと思い、いつも以上に明るく言ったのだが教室の空気は更に奇妙なものになっていた。「…そうか。…それならいいが。…もしいじめられてるなら先生に言うんだぞ?」念を押すように言う教師を訝しがりながらも「はーい。」と返事をしてBは座った。
教師が職員室へ行き1時間目が始まるまでの間、Bはいつものように仲の良い友達グループのところに向かった。「なんか先生今日変だったねー。」先ほどのことを思い出しながらBは話しかけた。「…そうだね。」いつもならば、Bをいじって盛り上げてくれる友人達は、バツが悪そうに、腫れ物を触るようにBに接した。Bは奇妙に思い「どうしたの?」と問うが返事はどれも曖昧で要領を得ない。チャイムが鳴ったので席へ戻ったBはわけがわからないので首を傾げた。その後の休み時間に行っても対応は変わらず相変わらず腫れ物に触るように、できれば話しかけて欲しくないように、柔らかな拒絶をされ続けた。Bは自分が何かをしたのかと思い、授業中もずっと頭をフル回転させ続けたのだが、結局わからなかった。放課後になり、業を煮やしたBは直接聞くことにした。「ねえ、あたし何かした?教えてよ!ちゃんと直すからさ!」必死の思いで訴えるBに友人達はバツが悪そうに口を開いた。「ごめんね。あたし達Bのこといじめてるつもりなんてなかったんだ。ただいじってただけのつもりだったんだけど…でも、ごめんね。本人が嫌ならいじめなんだよね。もうしないから。」「え?何のこと?どういうこと?」Bはわけがわからなかった。「ごめんね、もうしないから。」そう言って友人達は去っていった。言われたこともそうだったが、初めて見る申し訳なさそうな友人達の顔に途惑いを隠せなかったBはそのまま見送ることしかできなかった。
その日Bは家に帰って考えた。友人達の発言の意味と原因を。先週は別に普通だった。何か起こったとしたら今日。それも1時間目の前からおかしかったんだからその前だ。そうしてBはようやく思い出した。バッジのことを考えてるときに先生の「B、もしかしていじめられているのか?」という問いに返事をしなかったことを。バッジを忘れた生徒がそう問われて10秒近く返事をしなかったら、いじめを受けているのに言い出せない生徒のように見えるかもしれない。その後の明るい答えもそれを隠そうと努めているように見えてしまうかもしれない。そう考えればその後の先生の対応も、友人達の対応も合点がいく。いじられているだけなのに、いじめだと私が感じていると友人達は思ってしまったんだ。
その後Bは友人達に事の経緯を話したが効果はなかった。一度できた疑念は簡単には拭えないし、あり得ないことでもない。自分たちとしてはいじっているだけなのにいじめだと告発されたら堪らない。内申にも響いてしまう。だからわかったとは言ってくれたものの、Bに接するときは余所余所しく、必要最低限クラスメイトに接する対応そのものだった。それは他のクラスメイトもそうだった。Bが友人グループと仲が良く、適度ないじられキャラだと知っていた人は皆、Bに関わるといじめの犯人にされかねないと距離を置いたから。あんな軽く悪意のない、いじりでいじめにされたんじゃ堪ったもんじゃないと、腫れ物を触るように、そして無視などもせず必要最低限の対応で、Bに接した。Bはバッジをつけ続けた。いじめではないし、そもそもの原因を招いたのは自分なのだからと、その後はバッジをつけ忘れることなく、つけ続けた。
Aは悩んでいた。バッジを外すか外さないかを。先日学校からいじめバッジというのが全生徒と全職員に配られた。それをつけている者はいじめをしませんという証であり、それをつけていない者はいじめをされているという無言のメッセージを意味するらしい。Aは悩んでいた。それというのもAはいじめを受けていた。いじめといっても、ドラマなどで見るような人格を崩壊されかねない重度のいじめなどではなく、昼になったら購買にパシらされたり宿題がある日はノートを渡されてそれを仕上げてくるなどの軽い行為だったから、それがいっそうAを悩ませていた。
今の状況は我慢できない程ではない。でも今の状況はとても嫌だったし、そのせいで学校が全然楽しくなかった。そんなことがなかった中学一年生の頃を思い出すと悲しくなった。その頃は学校が楽しくて大好きだったAは胸が痛んだ。そしてそれがAを決意させた。バッジがどれ程の効果があるのはわからないし、外したらどうなるのかもわからない。現在の状況に耐えられないことはないんだから、このまま甘んじてるのが賢いのかもしれない。でも、それは嫌だ!それに嫌な思いをしてこのまま学校を嫌いになるのはもっと嫌だ!Aは学ランからバッジを外した。
翌朝Aは時間を遅らせて学校へ行った。バッジのない学ランを人に見られるのが怖くて人と会わないように時間を遅らせたのだ。朝のチャイムがなる少し前に教室へ着いた。やはり見られるのが怖くて背中を曲げて胸を隠すようにして教師が来るのを待った。教師は真面目な人物であったのでその後鳴ったチャイムと時を同じくして入ってきた。教師はいつものように挨拶を済ませて点呼を取る。いつも通りの日常。でも自分だけが非日常。バクバクする胸を押さえながらAは順番を待った。いつもはすぐに来る順番がいつもの何十倍にも感じられた。そしてようやくAの順番になった。「Aー。」教師の声に小さく返事をする。「…はい。」折角外してきたのに胸を張れない自分が嫌になる。でも怖い。バッジを外すという意思表示が怖くて仕方がない。だから胸を張れずにいたのだが、几帳面な教師は何か気付いたようだった。「ん?A?バッジはどうした?」心臓がますます大きく鳴り上手く言葉が出てこない。「…え?…あの…その…」言いにくそうにしてるAを見て教師は続けた「まさかいじめられてるのか?」いじめられている。自分からは言い出しづらい言葉だ。まるで自分が劣っているのを公言するようで。でも今のままは嫌だった。このままの状況が続いて大好きだった学校が嫌いになるのはもっと嫌だった。だから勇気を出してバッジを外した。あと少しの勇気を。勇気を振り絞るんだ。「…はい」と言おうとAが口を開きかけたとき大きな声が教室に響いた。
「忘れたんだよな?A?」Aをいじめてる同級生だった。「Aのやつ忘れっぽいからなー。」「本当、本当。Aは忘れっぽいからなー。」他のいじめてる同級生達が続けた。「そうなのか?A」問うてくる教師に違うんです。いじめられているんですと言おうとしても口が動いてくれない。いじめてる同級生達の声を聞いた瞬間から体が萎縮してしまっている。「そうに決まってますよ。そうじゃなかったらAがいじめられてるってことになるじゃないですかー。」「本当だよ。俺たちクラスメイトがいじめをしてるってことじゃん。」「うわー、傷ついたー。そうだよな?な?みんなもさ。」いじめてる同級生達はおちゃらけた様子で語り、クラスメイトに話を振った。いじめについて知ってるクラスメイトがほとんどだったが、それに同意したように嫌そうな顔をしていた。直接はしていないものも、それを咎めなかった自分達もいじめているのと一緒だと暗に言われたようなものだから、面倒だ、余計なことをしやがって、あんたが勝手にいじめられていたんじゃない、皆そんな顔をしていた。Aはそんな皆の顔を見て諦めた。泣きそうになったのでもなく、悔しかったわけでもなく、諦めた。「A、どうなんだ?」機械的に聞いてくる教師の声は遠かった。そしてAも機械的に答えた。「すいません。忘れただけです。」
なんかただ「さみー」ってうずくまってるってより凄く辛そうなかんじで。なんかものすご痛いんですってかんじで。
唸ってるし。「うぅ……うぅうう」とかいってる。
「やべえ…」
と思った。
これあれじゃないの。私は声かけるべきなんじゃないのかと。
で、周り見るけど、やっぱ皆、知らん振りなわけよ。
えぇー、どうしよう…えぇーって思ってさ。
いやいやいや。これさ。友達とかといたらさ。まだ声かけられるんだけどさ。一人だと……難しい。ものすご難しい。
でも、なんで難しいんだろ?って考えてみたら、結局、それは「恥」が根底にあるんだよね、「声かけてもし全然問題なかったり迷惑だったらどうしよう…」っていう恥ずかしさね。あぁ…菊と刀…恥の文化…悲しきかなニッポンジンとか一人ぼーっと読んだこともない菊と刀の本の装丁を思い浮かべてたらふっと、
「でも冷静に考えると、別に恥かいたって何か減るもんでもないんだし、そうたいした恥じゃないし、そんなちっぽけな恥を怖がって辛そうな人を放っておくってどうなんよ?ていうか別に恥だったら例のあの「よかった…辛そうな人はいなかったのね」になるだけじゃん?」
というところに至った。
「声かけたけどスルーされる・全然関係なかった・迷惑だったときの私の恥」:「その人がガチだったときの辛さ」を天秤にかけると同考えても恥の方が軽いだろ。
ってここまではっきりしてんのにでもなかなか言う勇気がなくて、あーどうしよどうしよう…って考えた挙句、
「あれっ?今気付きましたよ」みたいな演技(誰も見てねーっつーのな)をして「今まで声かけられずに葛藤してたわけじゃないよ?」みたいな感じを卑しくもアピールしつつ
「あのー大丈夫ですか」
って聞いた
聞いたつもりだったけど多分実際には「アノダイジョブですか」みたいに片言チックになってた
この時点で恥だろ逆に…
恥を気にするあまり恥かいてる
で、「大丈夫ですか」って言った直後に(こういうのってなんでだかしらんけど絶対直後に気付くんだよなあ、テストで終了のチャイムがなった直後に、かけなかった漢字思い出す、見たいな感じで)「ていうか、マジに辛いなら、答えるのもキツいんじゃないの?余計なお世話なんじゃないの?」って思って「あやっぱ今のなしで」ってよっぽど言いたかったけどまあいえるはずもなく
そうしたら
「……だっ……大丈夫です……」
……。
やはり……余計なお世話コースだった……
「そそうですか」とキョドりながらいかにも「あっ今メールがきました…友達から」っていう素振りで携帯を見た。
そして更に「全然気にしてないよ?よかった……辛い人はいなかったんだねって思ってるけど?」みたいな感じで平然を装う。しかし頭の中は「ぁあああああやっちまったあああああああああああああ」
これで相手が「実はおなかが物凄く痛くて…」「なんだって!それはいけない。待っててください!私が今救急車をよびますよ!」「なんて優しい人!どうかお礼を…」「いやただの通りすがりのしがない女子高生ですよ」「若いのに見上げた子だ!<救急士さん」みたいな展開だったら、家でおかんや友達に「いやぁ実は人助けしちゃってさぁ(花輪君ポーズ)」とかいえたものを、実に中途半端な結果となってしまった。
やっぱ現実そうそううまくいかねぇな……
それにしても、本当、自分は「駅とかでケンカしてる人とかがいたら駅員に通報するくらいできるよ」なんて思ってたけど、いざとなると、全然できないことが、ショックだった。「え?え?ちょっとまって。心の準備が……ソノ……」みたいな感じになるのな。うずくまってる人に声かけるのですでにいっぱいっぱいな私がケンカしてる人がいたら本当に駅員に通報できるんだろうか。なんか難しい気がする。せめて日頃から駅員の近くにいようと思った。すぐ近くにいればまだ声かけやすいかもしれない。遠いとそれだけ「駅員さん慌てて探し回って、通報して、駅員さん飛んできたらもういなかったとかマジ恥ずかしいよ」とか思う事が目にみえとるかんね……
小学校低学年の頃のこと。
友達といつものように、教室でケンカともじゃれ合いとも付かない取っ組み合いをしていた。
やがて、俺が組み伏せられるとクラスの男子どもがおもしろがって、身動きの取れない俺を寄ってたかってくすぐりはじめた。
「やwやめろってwwww」
二十本近い手によるくすぐり地獄。
次第に気が狂いそうになってくる。
そんな中、一本の手。
一本の手が、俺のちんこをまさぐっている。
(何?な?やめ!)
性器を他人に弄ばれる、初めての体験。そして感覚。
俺は完全に混乱してしまっていた。
授業のチャイムとともに先生がやってきて、ようやくくすぐり地獄は終了。
いや、あれはたしかに軽いレイプだった。
外では雨が降っている。登校してきた時は、パラパラとしか降っていなかったのが、気がつくと窓を越して音が聞こえるほどに強くなっている。
雨音にもみけされそうなチャイムと同時に、いつもより5分短い、5限目の社会の時間が、終わった。今日は先生たちの用事で6限や部活はない。早く帰れる。
別に、早く帰ったって、何かをやる、というわけじゃない。目的は無い、だけど、なんとなく、憂鬱な学校から抜けられるのが、今日はとても待ち遠しいく感じられる。
皆が下校の用意を始めた。しばらくして帰りHRが始まった。先生のつまらない話が淡々と続く。どうでもいいような話ばかりが、耳を通過していく。下校時刻まで、あと10分。先生の話があと少しで終わる…。そう思っていた。そうなるはずだった。
その時、廊下のほうでガッシャーンというガラスが割れる音がした。教室に沈黙が走る。もやもやの雨の音が、さっきより大きくなった気がする。下校時刻まで、あと1分。「ちょっと待っててね。」先生は教室から出て行った。
今日の帰りはもう少し遅れそうだ。雨の音が、再びざわめきに埋もれていく。どうやら隣のクラスで喧嘩があって、廊下側の窓ガラスが割れたらしい。そのクラスの担任は、確か今日は出張のはずだ。長い針は下校時刻の「9」を越えて、「10」に近づいている。
隣のクラスまで見に行く野次馬や、席を立って友達と話しに行く人が現れ始めた。窓側で一番後ろの席に座っている僕は、じっと窓の外を見つめる。灰色とも黒ともいいがたい、複雑な色の雲から雨が降っている。他のクラスの生徒が、帰っていく。下校時刻はとうに過ぎている。「せっかく早く帰れるのに・・・」事件を横目に、僕は独り言を言っていた。
下校時刻から8分過ぎた。
先生が戻ってきた。事件のことを軽く話して、ようやく帰りの会が終わった。雨はさらに強くなっていた。「さようなら。」この言葉を言うと同時に、僕はかばんを持って教室から出た。長い針がもうすぐ真上を向きそうだった。早足で昇降口行き、傘を持った時に、誰かに肩を叩かれた。振向くと、事件のことを話してくれた友達がいた。「一緒に帰ろう」今日は一人で帰りたい気分だった。でも、なぜか断れなかった。「いいよ」と言って、傘を差した。
友達と、なんともない話しながら門に向かう。隣のクラスと僕のクラス以外はもうとっくに下校をしているので、人が少ない。門を出ると、僕は傘を閉じた。なんとなく、傘を差すのがめんどくさかったのだ。濡れることはかまわなかった。と言うより、濡れたかった。
なんともない話をしながら歩いていき、周りに誰もいなくなると愚痴に変わる。そんなのは、いつものことだ。でも、今日はなぜか愚痴を聞くのが嫌だった。しかし、そんなことに友達は気づくはずもなく愚痴を始める。最初に来たのは、やはり下校が遅れたことだ。確かに気にいらないことだったが、別に愚痴にする気はない。いつもなら二人で愚痴を言い合うのに、今日は友達一人が勝手にはき捨てている。ようやく気づいたのか、話が急に変わった。
「山本が、お前のこと好きらしいぜ。」
頭に巨大なスイカが落ちてきたような気分だ。ずっと片思いだと思っていた恋は、両思いだったのだ。ピーン。僕の気は、そのあたりから狂い始めた。
公園で雨の中サッカーをやっている小学生がいる。目の前にボールが転がってきた。「うひゃはほいひーっ」もっと遠くへ、俺は蹴飛ばした。
公園を出ると、いつもなら前の家の犬がほえてくる。しかし、今日は雨で犬が小屋に引きこもっている。「ヘッ、ざこめ。」と声を出して、犬小屋を思いっきりけった。
横に倒れた。「はーっはっはっはっは。」俺は勝ったんだ。犬なんて、所詮ざこなんだ。
向こうから、車がやってくる。「ヨユウ。」自然と口からこぼれた。俺は車の前に立ちふさがった。
キーッ、ドンッ。
勝った。勝ったのだ。車が。僕は負けた。そして僕は死んだ。
http://anond.hatelabo.jp/20071022234530
たとえば、「この道を通るとあなたはいつか必ず車に轢かれて死ぬ」と小さいころから成人するまで聞かされ続けると、どんなに嘘だと思っていても、なんとなくその道を通りたくないと思うようなもの。頭と感情は一致しないからこそ、理性だけで判断できる第三者からすれば簡単なことも、気軽にできない。その踏ん切りをつけるために、第三者に見てもらえる場所に書いたわけでもある。
さて。宗教とともに育ってきた自分にとっては、教義もコミュニティも自分のアイデンティティのひとつ。だから、宗教に求めるものは両方。やめて完全に忘れてしまいたいのに、それを完全に棄て去って否定しようとすると、自分の半生をも殺してしまうような感覚に陥るのかもしれない。
ただ、創価のコミュニティとはもう関わりあいたくない。折伏や選挙運動をしたくないからというのも大きな理由。
創価の人間はしつこいので、昔の友人も、家族や親戚も、そっとしておいてくれない。これはたとえだけど、一人暮らしをしていようが、電話番号を変えようが、住所や職場を探し出して突然チャイムを押してきたりもする。「君がどう思おうが、俺はお前のことを思って、こうしてるんだよ」というけれど、相手が近づけば近づくほど、こちらの心は遠ざかっていく。頼むからほっといてくれ。こっちにく・る・な・っつーの、という心境。
小中高大と、体育が嫌いで嫌いで仕方なかった俺の話。
大学は週に1時間・それも最初の1年間だけだったからまだマシだった。
体育のある前日から、当日体育の授業の終わりのチャイムが鳴るその時まで、
ひたすら不安感がつきまとう。
午後に体育がある日の午前中の授業中は、
ずっと胸が苦しくて苦しくて仕方がないのと同時に、
って会話を聞くのが苦痛だった。
特に気分が悪くなるのが、
大抵の場合2学期はバスケ、3学期はサッカー、という風に学期ごとでやっていたように思う。
そうして、一年の大半は不安で苦しい日々を過ごすことになるわけだ。
どこにどう動けばいいのか、全く分からなかった(今でも分からない)。
なんであいつらボールを「さわれる」んだ????
未だに大きな疑問だ。
何が辛いって、足を引っ張るからすごく申し訳ない気分になるんだよ。
中学時代は2クラス合同(男子だけなら30から40人程度)で授業があって、
その中でチーム分けをする。サッカーは11人だからいいよ。
それに比べて(たったの)5人でやるバスケはヤバイ。
本気でヤバイ。今書いてて当時を鮮明に思い出して気分が悪くなった。
俺があまりにも下手で、全然動けないのよ。
パスを回されてもとれない。ただオタオタしてる。本当によく分からない、状況が。
当然負ける。
教師が(適当に)決めたチームで、総当たりのリーグ戦を何回かやるんだが、
俺のいるチームは負ける。面白いように負ける。
俺らの勝てるチームは、俺みたいな奴がいるチームだけだった。
試合後の俺を睨む目が忘れられない。あの目を鮮明に思い出した。
優勝チームは全員1軍だった。仲が良さそうで、チームが発表された瞬間
「うわー○○もいっしょだやったーw 絶対優勝できるじゃん!!!w」
と調子に乗ってて殺したくなったが試合でコテンパンにされて泣きたかった。
本当の地獄はクラス対抗戦だった。女子が応援に来る、例のアレ。
俺のミスで相手に点を取られたときのあの哀れみの視線。
「あいつウザー」の視線。それで負けた後の申し訳なさといったらないよ。
クラスマッチなんて呼んでたっけな。そいつがある月はカウントダウンしてんのよ。
ひたすら。
「ああああ・・・・・あと10日で・・・・」
「あああ・・・来週の今頃は・・・」
「ああああああああ・・・・明日は遂に・・・」
1分に1回は頭をよぎっていたから、今思うと授業どころじゃなかったな。
言いしれぬ不安感で毎日が辛かった。寝る前も辛かった。
スポーツが得意な奴は女子にも好かれていたし友達も多かったしカーストも上位だった。
会話も面白かったし授業中に笑いをとれるしいつも明るい顔をしていた。
カーストも、スポーツの得意不得意で形成されている感じがした。
顔が良くてもスポーツが出来ない奴は1軍ではなかった。
スポーツができるというのは1軍になるための必要条件だったんだ、今思うと。
あいつらはほとんどが1軍か2軍の上位層だった。
壁を感じた。話しかけてはいけない、つるんではいけない壁。
中一と高一の最初の体育の授業は、その後の3年間のカーストを決定づけた。
お互いあまり知らないため、ちょっと地味目で見た感じ俺と変わりないような奴でも、
体育で大活躍したら、その日以降「昼休みスポーツメンバー」という1軍への道へ招待される。
大学はというと、体育は週一でしかも1回生の時しかないから問題ないんだが、
ファッションと高校までに培ったコミュ力・恋愛経験値でカーストが決定されるから似たようなものだ。
体育のできるはファッション以外はカースト上位への要件を満たしてるから
1軍や2軍の上位にはかるーく入れる訳で・・・。
嗚呼、スポーツ万歳!
「数学と現代文はパズルだし、物理や化学や生物や地学なんてさ、物体や宇宙や、物体の動きとか、そんな宇宙の根本的なところの話で普通に知ることが楽しいし、倫理なんかも人間の根本的なことだから楽しいし役立つし、しかも過去の超天才、超有名人たちのエッセンスだけピックアップして体系化して知れるんだから倫理なんてマジで超お得じゃん!現代社会とか政経なんて普通に新聞読む時とか実生活に即役立つし、歴史なんて、俺らと同じ人間の今までのビッグニュースを集めたもんだし、しかもなんせ歴史はマジで起こった事なんだぜ、楽しいよ。理科も、架空の事じゃなくてマジで今のここにある物体の仕組みの事で、リアルありまくり。全部即役に立つじゃん。楽しいじゃん。古文も、日本に文字とか文章とかの文化が生まれてから今までの超有名作がピックアップされててマジ便利。楽しい。漢文もそうだよ。だから勉強って超楽しいよ。ついつい夜までやっちゃうんだ。やめようと思ってもなかなか「あとちょっと」とかいってやめらんなくてさー」
大体奴はそんなようなことを言っていて、周りの皆は「理解できねえ」と苦笑いしていた。俺も含めてだ。
そして奴は、東大へ行った。
知ることが楽しいのだという。
他人の、自分の知らない趣味の話なんかされても、たいていの人は「へー」「ふーん」で流すばかり、気付けば一人で盛り上がってて周りは苦笑、てなのが常だが、奴はどんなことでも目を輝かせて聞く。
たくさん聞きまくるから、話してるほうは愉快で、もっと話す。奴はもっと聞く。困った事がただ一つだけある。奴がその後、その分野について、初めに話した奴より詳しくなってしまうことだ。そうなると相手はちょっと、面白くないようだ。
「どんな事でも楽しいよ。そりゃ最初から全部楽しいわけじゃないけど、どんな事でも、世界に一人はそれを楽しいと感じてる人がいるわけじゃん。どんなマイナースポーツでも、どんなマイナーな趣味でもさ。それだったら俺も楽しめるなって思うんだよ。楽しんでるその人がどういうところで楽しんでるのかって思いながら楽しいんだって軽く思いこみながらやってるとそのうちマジで楽しくなってくるし、楽しさがわかってくる。どういう所を楽しいと感じているのかってのが。基礎知識をある程度詰め込めば、それなりになんでも楽しくなるよ」
「でもその基礎知識を詰め込む時点では面白くないわけだろ?」
「まぁ、その時点ではその事に対して面白くて仕方がないってわけじゃないよ。でも、未知のものを知っていくっていうのは、楽しいことだよ。例えばサッカーを全然知らなくて、サッカーについて知ろうとしてるとき、そのときはサッカー自体について楽しくて仕方がないってわけじゃないけど、全然知らなかった未知のものについて、おおまかでも概要を掴むっていう動作が楽しいんだよ」
「それ楽しいか?」
「楽しいよ。概要を掴むとか、体系化するとか、そういうことが俺大好きなんだよ。段々世界を把握できていく気がして、すっきりする。怖いのは、そういう事をしていって、ついに知ることがなくなったらどうしようって事だけど、でも今の時代そんな怖さは全くないから。無限にある。いつまでもある」
「そういうもんかなあ」
「うん。そんで、大体概要が分かると、細かい事も知りたくなってくるんだよ。あと、日常でも、今まで見えなかったことが見えてくる。これは比喩じゃなくて、さっきのサッカーのことでいえば、今まではネットでサッカー関連のニュースがあっても、たとえ目がそこに向いても実質見えていない状態だったりするわけなんだけど、それが、目に付くようになる。「あれ?サッカーの事ってこんなにやってたっけ?」って気付き始める。そうすると、また知るだろ。そんで、知ると、また知りたくなる」
言うまでも無く奴は非常に博識である。
だが奴自身はそんな風には思っていないようだ。
小学校の時、嫌な場所の掃除当番になったときも、奴は面白がっていた。
「どうとでも楽しみ方はあるよ」
「どこがだよ。つまんねーよこんなん」
「めっちゃがんばって綺麗にすれば、楽しいじゃん。今まで汚かったのに、俺らがめっちゃ綺麗にできたら、楽しいし、すごいじゃん。先生も褒めてくれるし、優等生気分じゃん」
「うーん」
「それか、時間でもいい。めっちゃ綺麗にしなくても、いかに早く、大体を終わらせるかってのを目標にしてもいい。早くする方法を考えるの、楽しいだろ?それに、早く終わると、楽しい」
「まあそれはそうだけど」
「一番楽しくないのは、楽しくないって思って、ダラダラやることだよ。それは全然面白くなんない。つまんないとか嫌なことは、つまんないとか嫌だって思って嫌そうにやると嫌なままだけど、開き直って、おっしゃ、やってやるって、目標立ててやると、結構面白いよ」
俺らはかつてないほどその場所を掃除した。ただし時間内には必ず終わるように。だからすっげー必死になってやんないと終わらないから、チャイムがなったら急いでその場所にいって、嫌だとか考える暇もなく、ただおりゃーって頑張ってやってた。手が汚れるから嫌だとか前は考えてたけど、やるって決めてからはんなこと考える暇もなくてただやりまくってた。そして気付いた。手が汚れたら洗えばいいんだと。めっちゃ綺麗になって、俺らは先生から帰りの会で褒められた。
http://d.hatena.ne.jp/fuuuuuuun/20070801/p1
http://d.hatena.ne.jp/nitino/20070806
これらのエントリを読んで、昔を思い出して、ずっと苦い気分だった。以下半分本当で半分嘘の話。ありきたりかもしれないけど。書いてどうなるものでもないけど。
小学生の頃、いい子でいたい俺はともだちを沢山つくる必要があった。本には「優しくて強い子にはともだちがたくさんできる」と書いてあった。いい子でいなければならない俺は、当然優しくて強くなければならなかったから、その証拠が必要だった。
証拠に拘ったのは、俺は、自分自身が優しくも強くもないことを自覚していたからだ。注意深く振舞えば、本当は底意地が悪くて卑怯な俺にもともだちができるかもしれない。そしてそれは、俺が優しくて強いことの客観的な証明になるだろう、と考えたのだ。
まず誰にでも、嫌いな奴にも優しく振舞った。そして誰がどう見ても悪と思える事象には勇気をもって立ち向かってみせた。周囲はおれを優しくて強い子だと思い始めた。ともだちが増えた。誰かをいじめている上級生と喧嘩もした。同学年の子の親に、うちの子とともだちになってくれと頼まれたりもした。俺は進んでそいつの家にチャリで駆けつけて玄関のチャイムを押した。
俺はいい子になれた。このままいけば俺は誰にも叱られず、いい子として平穏に生きることができる。だからみんな、このまま俺と友達でいてください。俺が一緒に遊ぼうと言ったら「うん!」と笑顔で言って下さい。それだけで、俺が本当は底意地が悪くて卑怯な悪い子だと糾弾されずに済むんだから。
なのにあいつは、冴えない顔をして、口下手で、空気同然の扱いで、俺が一緒に遊ぼうといっても「ううん…」位しか口にしないあいつはなぜ、友達がいないのに誰にも責められないのだろう。休み時間は人の少ない図書室で怪盗ルパンシリーズをひっそりと読んだりして、ずるいじゃないか。俺がやりたくもないドッヂボールにくだらないブサイクを誘ってやってる間にあいつは好き勝手なことをしている。なのになぜ、誰もあいつを悪い子だと叱らないんだ。
そのうち理由が思い当たった。俺のように要らぬストレスを溜め込んで無理な笑顔を作らなくても、あいつは元々寛大なのだ。恐怖に震える手を隠さなくてもあいつは元々勇敢なのだ。繕わなくても悪い子ではないのだ。だから平気で一人でいられるのだ。自分を取り繕わずに自分の居たい場所にいることができるのだ。あいつは心から優れた人間だ。取り繕っている俺はあいつよりずっと劣った人間なのだ。
なのに。なぜあいつは俺をおびえた目で見るんだ。お前のほうが優れた人間なんだろうが。本当は俺が底意地が悪くて卑怯だと知っているんだろう。なのになぜそんなに俺を恐れるんだ。取り繕うのに必死な俺をあざ笑えばいいだろう。いや、そんな被害者ヅラして心の底ではあざ笑っているんだろう。
俺は彼を激しく憎んでいることに気が付いた。そして俺は何もできなくなった。少しでも動けば憎しみを外へ漏らしてしまいそうで恐ろしかった。他人に関わることができなくなった。優しく強く振舞うこともできなくなった。
丁度小学校を卒業する時期だったのが幸いした。俺は彼に憎しみをぶつける前に(自分の憎しみという感情に気づく前はもしかしたら無意識のうちにぶつけていただろうか、と今でも考える。そうではなかったと思いたいが、もしかしたらこれが「いじめた側はいじめた事を忘れる」ということなのかもしれない)中学へ進級し、教室の隅でひっそりと本を読み、クラスで二人組を作れば必ずあぶれる暗い少年になった。
あいつは当然こんな文は読んでいないだろう。
俺は君が羨ましくて憎かった。俺にないものを持っていながら弱者ヅラしている君がどうしようもなく狡猾な男に見えた。でも本当はそんなことはなかったのだろう、と今だから思う。
俺が許されることはきっとない。
昨日の話なんだけど、朝8:00過ぎくらいに家を出たら、隣の隣の家の前(うちはマンションの3F/1Fあたり3戸)に40-50前後の男の人が四五人たむろってたんだ。みんなポロシャツ+スラックスかワイシャツ+スラックスな感じで、クールビズというよりはゴルフの格好って感じだった(ちょう偏見)。手ぶらの人も何人かいて、一人は黒いブリーフケースというの?四角い持ち手のない鞄を小脇に抱えてた。玄関のドアを開けたときにちょうど彼らは到着したところだったみたいで、私が興味津々でゆっくりと鍵を閉める横で、おもむろにドアを叩きながら呼びかけだした。
「○○さん、○○さん」ドンドン「○○さん、○○さん」ドンドン「○○さん、○○さん」ドンドン てな感じ。
チャイムあるのに何で押さないの?とか、大人の男の人がこんだけ束になって訪問って何事?留守っぽいのになぜ諦めないの?、という疑問が頭の中をぐるぐる。その異様な空気に押されつつも、普通にその脇を通って会社に行った。彼らは私が離れるまでずっとドアを叩き続けてた。
借金取り?借金取り?という考えしか浮かばなかったんだけど、他に何があるだろう?(執拗にドアを叩いてはいたけど、そこまで強い叩き方でもなかったし、声を荒げてもなかった)
分りますか?