はてなキーワード: スピリチュアルとは
anond:20090504163059
宗教が野放しにされてるから終わってるんじゃないよ。
「むげに断ってはいけない」みたいな習慣を持ってる、比較的善良な田舎者が食い物にされるのを当然とみなし、被害者から見れば周到な詐欺や恐喝に感じられる問題が(すくなくとも田舎のマスメディアには)公開されない。そんな現状を訴えたら、加害者ではなく被害者を叩く。問題提起を思想の自由の侵害とみなす、まるで話題にする事すら許さない。あるいは「宗教が悪い」「カルトが悪い」などと、何が問題なのか、分析もせずに書き散らす。
こういう点が、終わってるんだよ。はてブと増田が終わってるだけかも知れんけど。
宗教について何か語りたいなら、一方的に肯定したり否定したりせず、少しはちゃんと見てみろよ。「宗教」と「信教の自由」って言葉をはずして、団体がやってる事を考えてみろよ。
「自分たちの考える善意・善行を相手に求める。」「集団活動のために集金活動に勤しむ。」くらいなら、いろんな団体でやってる事だな。でもこれが
「一人に対して組織的に、あるいは拘束するように説得される。」「賛同・協力しなければ不幸になるような事を執拗に言われる。」「協力しなければ集団が個人に嫌がらせをする。」
になれば、どんな団体が行っても問題だな。宗教団体かどうかに関わらず異常な行動だよ。その行いは非難されて当然なんだよ。
注意しないといけないのは、非難されるべきはあくまでこの行い。「宗教」団体だからかどうかは本質ではないはず。安易な宗教批判も問題解決を阻んでいる。
宗教団体ってのは、信者どうしの相互扶助団体って側面を持ってる。それこそ思想信条だけじゃなく、経済的にも相互に助けあってる。こういう団体に頼らざるを得なかったから相互扶助団体に加入してるのに、助けが見込めない一般社会に戻るわけないだろ。(って事を言うと「カルトを擁護しやがって!」とか言う奴がいる。こういう奴が問題解決を阻ん出るのにね。)
それと、神秘体験絡みの問題もあるな。日本は神秘体験に免疫ない人が多すぎ。スピリチュアルな体験だとか、神懸りのような独特の体験をすると免疫が無いからコロッと信じ込む。
体験自体は特定状況に置かれれば、たいていの人が感じるんだよ。よくある事なのに、その事を知らないから特別な体験と思い込む。
よくあるのが、個人の人格を否定するような罵詈雑言を言われ続けると、あるとき何か悟ったようなとても感動的な、あるいは世界と一体になるような状態になる現象。(折伏とか警察の取調べとか自己啓発セミナーあるらしい。)別に感動したからって内容が正しいとは限らないんだよ。
でもその事を知らないと特別な体験をした、自分が特別な存在であると勘違いする。
こういうの、ありふれた話だよ。でも情報が伝わってないだろ?伝えようとした人は、それなりに周りにいるはずだよ。宗教脱会した人とか。
人の話を聞かず、妄想を現実と思って問題を被害者のせいにする。それで解決したつもりになって僅かばかりの安心を手に入れる。あるいは一方的に文句言って人を見下して快楽でも得てるのか?
ほんと、日本は終わってるな。
だから7年前の写真と見比べたらその違いがハッキリわかるかもしれない。
ある意味7年前はほぼ別人だということなのかな。
だけどふと疑問に思うことがある。
体は入れ替わったとしても記憶や知識が入れ替わらないのはどうしてなんだろう。
それは脳みそが入れ替わらない部位に該当するかららしい。
だから体は変わっても脳みそは変わらないということらしい。
つまり体は普通の生活をしてればほったらかしても変わっていくけど
脳みそはほったらしにしてもそのまんま。
脳みその成長は同じ7年間に如何に知識や経験を増やせるかにかかっている。
体ばかり大きくなった子供のような大人や大人のようにませた子供がいるのがよく解る。
体と脳は別系列で進行しているものなんだろう。
僕は無宗教でスピリチュアル的なものに一切関心がないが持論はある。
輪廻転生とか前世とか来世とか霊魂とか死後の世界とかは人間の創造物で実在せず
現実に置き換えればそれはすべて「子供を生み育てること」だと思う。
子供を産んだ時点での分け与えた遺伝子と成人するまでの育成方法と育成環境。
その過程において元は自分と同じ細胞だった子供がどのように変化するのか。
良い方向に変化することもあるし悪い方向に変化することもあるだろう。
それが2回繰り返して14歳になれば尚のこと離れていくだろう。
自分の正の部分も負の部分も受け継いだ子供が どちらを増幅させるかは解らないけど
どうせ自分は朽ち果てていくのだから
受け継いだ命がその子なりに自分を変化させていくことに
そう考えた時、僕は自分の親を許すことができた。
僕の親だって自分が幼い頃は今の僕と同い年か年下くらいだったんだ。
その若者が100%正しい親になれるはずなんてないだろう。
今の僕が大人になりきれていないのと同じように当時の親だって大人になりきれていなかっただろう。
僕が大人になるにつれて虐待がなくなったのは僕が大人になっていったからじゃない。
僕の親が大人になっていったからなんだ。
ふと思い出したこと。
歩道を歩いていると、選挙が近いらしく、選挙カーが止まっていた。
立候補者は聞き役に徹しており、おじいさんが熱心に話していた。
おじいさんは語り続ける。いかに日本がすばらしいか。日本人は凄いのだ。
立候補者は苦笑いしながら、うんうん、そうですね、と頷き続ける。
俺は、無関心に通り過ぎる。
やがて、話し声は聞こえなくなる。
しかし、年を取ると似たような行動パターンになるな。
新聞の投稿欄で、熱心に世を憂うのは老人ばかりだ。
ある講演の質問タイムに、大演説をして講演者を苦笑いさせたおじいさんも思い出す。
不幸な男はナショナリズムに、不幸な女はスピリチュアルに走るという。
では、基本的に、老人であることは不幸なことなのだろう。
身近なところで自分が必要とされない不安が、世間への憂いにつながっているのかも知れない。
しかし、個人主義的唯物論的左翼思想みたいなものを語る知識人やエリートもやはり、どこか変だ。
違和感の中心にある物が、彼らの自分達の幸福に対する無自覚さなのか、彼らが自分達の幸福を維持するために
地位を活かしてその思想を広げるスタンスなのか、その両方かはともかく、彼らが自らの地位を維持するということは、
エリートカーストの維持であり、自分達に従う人々を敗北者のままでいさせるということだと思う。
若者も良い。自分に無限の未来が広がっているという錯覚も重要だろうから。
でも、構造的に全員が自分のようになれないということを知りながら、その思想を押しつけるのは欺瞞だと思う。
じゃあ、全員が幸福になれる道ってないじゃん!とは、多分、その通りで、心のケアとしての
ナショナリズムやスピリチュアルをある程度、適量を保って、検証しながら活用しつつ、
なんとかかんとか皆で生きていくしかないのではないか・・・。
おそらく、政治を熱心に語るおじいさん達は、日本人に生まれたことを誇りに思いながら死にたいのではないだろうか?
線香の匂いを漂わせているおばあさん達は、何を思って仏壇を拝むのだろうか?
自分が失敗した人生を送った場合、どんな思いを抱いて死にたいか。
最悪の状態に自分が耐えられるかどうか考えつつ、社会を設計するみたいな考え方があったけれど、これから、
その辺りを考えることが流行るかもな-、と何となく思った。
人の一生をフィルムに写し取ること、を目指したのかな。フォレストガンプが好きな人はいいかも、って聞いて見たんだけど、まあまあ面白かった。主役級二人の年代ごとのメイクが見所。長いわりにさらっとした感触。冒頭の戦争の描写がけっこうブラックで印象に残った。
ミュージカル映画。いやあ爽やか。つーか主人公の友達二人がいい味出し過ぎててわろてしまう。アンコールも満足感高い。うん、いい映画だよ。ところどころ「ああミュージカルだなぁやっぱり」と引っかかりも覚えるけど、ミュージカルから入るマニアックなお客さんのためなんだろうと思って流す。ことにしてそれを差し引いてもいい映画。
DVD。パンこえーよ。パパこえぇーよ。果てしない物語的なものを期待して見たら、なにこのごっつい悲惨な物語は。いや面白いよ、すげー面白い。CGや特殊メイクの完成度、ストーリー展開の巧みさ、伏線の回収、全てが素晴らしい。けどスゲー凹む。ファンタジーは現実を写し取るための道具であって現実逃避のための道具じゃねーよって言われた気分、なのかな。いや、現実逃避のための道具にしている嫌な自分を写し取られた気分なのか。よくわかんねーけど面白くてスゲー凹みました。
DVD。もっと毒が欲しいな。毒が足りない。いい人になっちゃった理由がわかんねー。
直訳すると取り替え子。スピリチュアル的なものを想像しながら見たらガチ社会派映画だったでござる。いや面白いよ。なんつーかな、見たばかりだからうまく言葉にできない、のであとで追記するかも知れん。
松山ケンイチと椎名桔平の顔芸が楽しめるいいドラマ、だったのですが最終回がなんつーか。evaの最終回と比較する向きがあるようですが、何つーかね、幸せ家族ドラマ幻想挟むスタイルは「幸せ家族ドラマも見たかったよ」と思わせなければ失敗だよね。eva最終回は「学園evaも見たかったなぁ」と思わせる魅力を表現できたからよかったんだと思うんだよね。これはなんつーか。うーん。松山ケンイチの顔芸もイマイチ立ってない気がした最終回。やっぱり打ち切りなんですかね。
いやいやいやwwwww本当に「ただノートに食生活を書き込むだけで痩せる」と思ってる人はいないだろうよwスピリチュアルじゃねーんだからwデスノートみたいに「書き込むだけで体重が減る不思議なノート」みたいな意味で言ってるわけじゃないしそのくらい世間の皆さまはわかってるっつーのw
レコーディングダイエットとかあのへんのは、書き込むことで自然と「自分がこれだけ食っている」ことに気がつき、自然と無駄に食べてた食べ物にどんどん手が遠のく、って類の効果を狙ってるわけだろ。あと森三中の誰かなんかは「食べたら書き込まないといけないと思うと、「これを食べたら書かないといけない、面倒くさい→食べない」ってことになる」とも言ってたな。要はそのへんの効果がある、意気込まなくても書き込んでるだけで結構そういう気分になるべ?ってことだろwww高卒の主婦でもんなこと分かってるわwww
「おい!書き込むだけで痩せるわけがないだろ!オカシイぞ!サギだ!」的な反応をする奴がいるってのが驚きだよw
で、「ザ・シークレット」が平積みされてて、立ち読みした感想。
ザ・シークレットってようは引き寄せの法則。
「自分に起きた出来事は、すべて自分の意思や思考が原因で引き寄せたものだ」という法則のこと。
引き寄せの法則は、物事の捉え方、あるいは考え方のひとつの方法に過ぎないが、理にかなっていると思う。
ただし、さすがに「すべて」ではなく「ほとんど」であると思うが(例えば、人の死は思考でなく寿命、運命が原因でしょ)
もっとも、引き寄せの法則を語る連中は、法則をさらにスピリチュアルに発展させ、「ただ強く願う(言う、紙に書く)だけで、現実化する」というが、これは甘い期待だ。
やりたかったり、やらなきゃいけないとずっと思っていても、「けじめ」や「規律」が欠けているため、できないときがある。
実業家とかで、願ったら叶ったという人は確かにいるが、それは周囲がお膳立てしてくれる金持ちのボンボンやエスタブリッシュメントがあるからに過ぎない。
引き寄せの法則関連によく出てくる、「一部のエリートのみが」云々は、引き寄せの法則が秘密だったからではなく、願っただけで叶う温室育ちの環境は一部の上流階級でしかありえないからじゃないか。
また、思考は現実化するため、ネガティブなことは決して考えてはならないとも書かれている。
精神衛生とか、メンタル的にはネガティブなことをくよくよ考えるべきではないし、ポジティブで明るいことを想像すると、安定した心理状態を得られるのは事実だ。
しかしだからといって、否定的なこと、起きて欲しくないリスクについて考えを巡らすこと自体を禁止してしまうのは、飛躍し過ぎだし、恐ろしい思想統制だ。
メンタル、あるいはメンタル状態が大きくパフォーマンスを左右するスポーツの競技中は、ネガティブな感情は消しさるべきだ。
しかし、将来に向けてロードマップを計画しようとするとき、あるいはビジネスの世界では、常にリスクを意識し、対処することが不可欠だ。
最後に、やや話は脱線するが、光があれば影があるように、ネガティブな思考を完全に除去することはできない。だからあえて目をそらさずに、その存在を認めた考え方のほうが、より現実を表しているのではないか。
など若年層と一部の発達障害と思われる大人の間で十数年前から語られる処女崇拝。もう語られているだろうが、2つの点で問題点があるのかなと思ったので整理しておく。
一つ目は宗教的・霊的・スピリチュアルななにかを処女に求める傾向だ。
昔から巫女は処女でなければダメ。婚前交渉はダメ、など処女による閾が提示されてきた(と僕は友達やネットで聞かされて育ってきた)。
男尊女卑の時代からだが、これは女性が毎月血を流すこと、それから処女を失ったときに一部の女性は血を流すということに由来する。
血と死は昔から"ケガレ"として遠ざけられており、処女の中でも初潮を迎えていない頃合いはもっともケガレていないという見方があった。
そこから貫通を経験していない女性にはケガレがない→神秘的な何か、力や霊的ななにかが宿るという宗教的な視点が現れたのではないか。
女性の体を神聖視し、初めてその体に傷をつけること。宗教的などと大きな言葉を使ったが、実際は小さな崇拝といったところだろうが。
女性をモノとしか見ていないとか、男尊女卑の名残だとかそういう見方もできる。
彼女が別の男を知っている。それはつまり自分が比べられる対象になることが含まれる。
日本は性的な産業が一般的にはなっているものの、まだ若年層には閾の高いものとなっている。要は練習の場がないのだ。
もし自分がそういう体験が無い場合、相手が自分の未熟さをどこまで許容してくれるか、性格から推測する以外に担保はない。
特に日本の男たちは優しい。
相手を満足させてあげたいのに他の方が満足できたと言われると(実際に早々言われる機会はないけれど)自尊心と他人に対しての貢献心までが傷つくことになる。
世の中が性に開放的になっている一方で、失敗に対して不寛容になっているように体感する現代では、処女崇拝は失敗をごまかし一度しかない経験を共有するという意味では恋愛的戦略なのだろう。そういう戦略しか知らない男が多すぎるのであろう。
恋愛なんて、つきあったりHしたりするのは意外と簡単だ。
ただ付き合いを続けるのは難しい。二人がつきあうことで、相手の家族や友達、職場、自分の周りの人間関係によい影響を与えなければならない。
最初に言っておくが、私はなんら仏教に関係ないし信者でもない。ましてやキリスト教、イスラム教、新興宗教にも全く興味が無い。ただ仏教の哲学には納得する部分が多いし人生の参考になるので簡単にまとめたいと思う。だから全く興味がない人や食わず嫌いの人に触りだけでもかじって欲しいと思い書きます。
そもそも現代の人は私を含めて宗教と聞くと胡散臭いや洗脳など怪しいイメージが強いから拒否反応が自動的に働くと思います。しかし、そういうイメージがついたのは仏教やキリスト教を適当に模写し都合の良いように作りあげた新興宗教やカルト教団のことを言います。例えばオウム真理教なんか日本代表である!つまり、仏教は胡散臭くも無く怪しくも無いブッタが一生をかけて考え抜いた精神世界の教えです。
ちなみに私は仏教本に関して、自己啓発本の一種としか考えていません。つまり仏教本を読めばモチベーションが向上する。ただそれだけです。しかし、知っているのと知らないとではこれからの人生の生き方や価値観は大違いだと思います。後、仏教と聞いて、お経なり墓参りや、お坊さんやお葬式など思い浮かぶと思うが、面白くないので触れません。私が興味あるのはブッタという哲学者が考えた知識です。
できるだけ専門用語は使わずまとめていきたいと思います。まず仏教といえば仏(ほとけ)様がイメージできますが、決して仏像の仏ではありません。では仏とは何かというと、悟った者のことを示します。
仏=ブッダ
ブッダとは「ブッダ」という名前ではなく悟った人のことを言います。それで「悟る」とはサンスクリット語でブッドゥッといい、その過去分詞がブッダ、つまり悟った人なのですね。とりあえず、ふんふんと頷いといて下さいwでは仏教を始めた人は誰か?ブッダと呼ばれるものは誰か?
「ゴータマ・シッダールタ」 この人がブッダであります。ちなみに仏教はインドから広まったものです。これで分かるように仏は神みたいな絶対的存在ではなく、ただの人間であり、ゴータマ・シッダールタという悟りを極めた哲学者であります。この人の生きた時期は具体的には分かっていません。なぜならその当時のインド人に「いつ」の概念がなかったからなのです。だいたい紀元前5世紀くらいの人と言われていて、生まれた場所はルンビニーという所。裕福な生活をしていて結婚して男児もいて普通の生活をしていました。しかし、29歳のときに家族を捨てて城から離れ修行者として旅立つことに。つまり出家ですね。それから苦行を続け、やがてナイランジャナーの河のほとりで瞑想を開始します。そして、35歳で悟ったと言います。それからたくさんの弟子をかかえて享年80歳という長命で姿を消すことになります。それで亡くなってから、当時の弟子たちがブッダの教えで会議を行い文章として作ったのが「経典」であります。
まず仏教のキーワードは「縁起」”えんぎ”。 是非この言葉だけは覚えて欲しいと思います。
「縁起」とは人や事柄などが関係しあってお互いを支えていることを言います。例えば、ここに40歳の男性がいるとします。彼は妻にとっては夫であり、子から見れば父、彼の親からすれば子である。会社にいけば彼は課長であり、オーナーから見れば従業員である。つまり、自分の存在とは情報によって作り出されたものであり、あなた自身多くの人々の関係、周囲にあるあらゆる物との関係において、今のあなた自身でいることができる。だから、最初からあなた自身が存在しているのではなく名前という情報があり、住所という情報があり、職業などがあってこそ自分がなりたつ。つまり、他人が自分の存在を示してくれる。逆にいうとあなた自身も周りを支えていることになる。こういう関係性を仏教では「縁」と呼びます。
もうひとつ知ってほしいのは<「空」”くう”です。
「空」とはそこに見えてるものは実体がないと考えます。ちょっとややこしいが、普通は実体があるからこそ人やものが存在していると考える。しかし、仏教では現象にすぎないと考えます。簡単にいえば全て幻と考え、起きることや物、人生、人すら実体のない幻と解釈してしまう。バカらしいと思うかもしれないが、ちょっと待ってほしい。例えばテレビ画面やパソコンの画面、映画のスクリーンを近くでよーく見てみると、小さい四角や丸の集合体であることは知ってますよね、知らない人はテレビ画面におデコをつけて見てほしい。すると小さいドットが繋がっている状態でひとつひとつがいろんな色に点滅しているただの光の集合体というのが分かります。つまり実体のない幻といえる。物や人も素粒子レベルで考えると、点滅しているにすぎない、だからあなたも私も幻と考えることができるということなのです。ちょっと分かりずらいが、「空」とはすべてが現象と考えると分かりやすいと思います。
もうひとつ例えを出します。皆様は普段から牛肉を食べますよね。これって食べた後にどうなるか知っていますか?そもそも、食べるものとは”アミノ酸”だとか””コラーゲン”みたいに色々な分子が集合してできているのが食物で、それを体内に入れた時に分子に分裂して体中に分子が散ればめられてたんぱく質に変わり栄養として吸収され破壊されて行くのですが、ここで問題なのが牛肉は牛であり、人間と同等の生物ということです。具体的に言いますと、牛肉は分子の集合体ですよね、ということは、牛も集合体ということになり、故に、人間も分子や原子の集合体ということになるのです。、だから、人間も実体がなく現象であり「空」であるというのが仏教という哲学なのです。
ちょっと分からなくなってきたと思いますが、この2つセットが仏教の基本なので、先入観を少し置いといてこういう考え方もあると思ってくれれば結構です。補足ですが、瞑想と言う言葉を聞いたことありますよね、洞窟の中とか誰もいない森の中で永遠瞑想という修行をする人たちのことですが。なぜ、できるかというと全てが幻と思っているからです。どこにいようとも何をしようといいというわけです。これが究極の空です。
ちょっと話がそれますが、巷では占い師の方が「あなたの前世は武士」だとか、死ねば生まれ変わるだの言われることがありますが、仏教では輪廻転生はないと考えているし来世も前世も存在しない、自我も空だと考えています。つまり、体がなくなっても魂は来世に蘇り繰り返すという概念はありえない(正式には分からない)しかし、一部では霊がいるとか神がいるとか、輪廻するとかいうのが信じられています。まあ信じる分だけならいいのですが、それに付け加えて出てくる概念が、この世で苦しめば苦しむほど来世でランク(ステージ)が上がるという考え方です。インドのカースト制度がこれ、ランク(ステージ)の低い身分の人はこの世で自分を苦しめ相手も苦しめることを現実にします。つまり問題なのは現世で苦しめば来世でランクが上がるという概念が怖いのです。
例えば、電車の中で騒いでいる若者がいたとする、こいつは人に迷惑をかけていてこのままでは来世でランク(ステージ)が下がるのでかわいそうと思い、早い段階で苦しめて殺しちゃえという考え方になり、ナイフで刺してぐりぐり苦しめて殺してしまう。この考え方がオウム真理教の「ポアの思想」。
もうひとつ例えれば、映画館で隣の男性がポップコーンをボリボリ食べていて人に迷惑をかけているとする。すると、前にも言ったがそういう人は現世で苦しめて殺してあげる、そして「来世でランク(ステージ)を上げて楽しく暮らしてね。」って感じで平気で人をナイフでぐりぐりして殺してしまう。刺されている人が「痛いよ!」って言っても刺してる側は全てが「空」だと思っているから、「この世には実体がない幻なんだから痛くないでしょ、何言ってるの」ってなる。これがオウムの「ポアの思想」で宗教を悪いことに利用したスピリチュアルな考え方です。
怖い考え方のキーワードは3つ
現在テレビで人気の○木数子はかわいいもので彼女はただのオカルト。怖いのはスピリチュアルの○原氏。輪廻とランクがありきと考え、しかも視聴率が良い番組で堂々とわけの分からないことを言っているので、このままいくとオウムみたいになりかねないと私は危惧します。
話を戻しますが、人間には煩悩がたくさんあります。代表的なのでは睡眠欲、食欲、性欲、物欲、などなど、これらの煩悩をなくしてしまうのが悟り、つまり全てが空と考える概念を「空観」”くうがん”といいます。その逆が「仮観」”けがん”。仮観は煩悩むき出しでお金も稼ぐだけ稼ぐし、あれも欲しいこれも欲しい、その為には戦争もする考え方。みんなが仮観の考えでは世界は滅びます。逆に「空観」もみんなが考えるとやる気もないし何もしない、食欲もないし睡眠欲もないからこれも世界が滅びます。
じゃあどうするの?
そこで仏教ではその間の「中観」”ちゅうがん”という概念が存在します。では「中観」とは何か。まず全員が「仮観」の考えかたをすると欲望を限度なく追求するから結局戦争になり人類が滅びます。次に全員が「空観」の考え方だと全てが幻と思っているからボケーっとして誰にも迷惑かけないけど何も進歩しないからこれも滅亡する。しかも「空観」にカルマの思想が入ると他人に迷惑をかける最悪のことになります。
それではダメなので昔に「中観」という概念を考えたナーガールジュナという人がいます。「空観」と「仮観」の間の「中観」。さっきの例で言うと、ポップコーンを食べている人はボリボリと人に迷惑をかけているが、その男性は彼女と映画を見にきていて彼女と楽しむことや、彼女を楽しませるなどやること、役割ががあると考えます、つまりその男性は機能をもっていて、デートいう役割を果たしている。すると矛盾が発生して殺してはダメになる訳です。
ちょっと話が脱線しますが、ブッダの弟子がブッダに対して「神はいますか?」「生まれ変わりはありますか?」という質問をした。その時にブッダが「毒矢の例え」で答えたという。「毒矢の例え」とは一人のひとがどこからか飛んできた毒のついた矢が胸に突き刺ささって苦しんでいて、その時にどこから矢が打たれたのか、この毒の成分は何なのか、何メートル先からか、ベクトル計算するとなど考える前に矢を抜けよってこと。つまり、ブッタは「霊」とか「神」とか「自我」とか考える暇があるんだったら他にやることあるだろ、だから「神」がいるとかいないとかどっちでもいいじゃんっていうのが結論。これが「空観」に機能(やる事)(役割)をもたせた考え、つまり「中観」。
私も「どっちでもいいじゃん」ってのが結論で、答えがでないものを考えるより他にやりたい事や、大切なことを楽しむ、そして人生有意義なものにできればと思いました。ただ仏教などの哲学全体を把握しての「どっちでもいいじゃん」と何もせずめんどくさいから開き直って、さも分かっているかのように「どっちでもいいじゃん」とでは雲泥の差があるので勘違いしないで欲しい。是非、皆様も仏教と聞いただけで邪険にするのではなく、知っていると悪徳新興宗教やスピリチュアルなんかで高額なお布施などを払うことも予防できると思います。是非これをきっかけに仏教本でモチベーションを上げてみるのもいいのではないでしょうか。
合言葉は「どっちでもいいじゃん」です。
http://anond.hatelabo.jp/20081206220423
釣られてみる。
ただ、その釣りだとしてもこのような考えをもっている日本人はいることだろう。それはまことに残念であるからして記そう。
具体例でもあるかと思えばパッとしない記事でその上醜悪な内容だった。だから一瞬くだらないと思いやめようかと思った。
スピリチュアルで笑った。
でも日本人らしく神経質にネチネチ書いていくことにする。
はっきり言ってあいつらはクズなのである。
日本と自分を同一化し、というくだりでもうめんどくさくなった。
たとえば「募金は偽善だ」なんて言い出しそうな厨二病といわれる人間を相手に、朝から自分はアホなことをしようとしてると悲しくなった。しかしバナナおいしい。
これについてはスルーしよう。
2chだとしても、その他のコミュニティだとしても、多くの人はここまで飛躍したおめでたい頭の持ち主ではないことぐらいわかってる。
仮にいたとしてもごく一部だ。
「日本SUGEE!」は「俺SUGEE!」でもなければ、これからの日本の未来の雲行きさえも悪くしている。
何故なら過去の結果に対しての「SUGEE!」と溜飲を下げているだけで、これからの結果を出そうという努力を放棄しているからである。いわば「三丁目の夕日」を「昔はよかった」とだけ言うノスタルジー中年と同質であり、その空気が未来を担う若者にまで侵食しているという証が「日本SUGEE!」なのだ。
文章全体をみればこれが20代とか30代の人間であったら、日本の未来の雲行きは怪しいなと思う。
10代なら20代までになんとかなってくれるだろうけど、もし30越えてこれだとああもう。
いちいち根拠がうすい。
どこかしらよくある考えを引用して、わざわざ批判するために持ってきてご苦労なことだが、言っていることが的外れだ。
過去の結果なんてなくたってそもそも努力を放棄している人間はそこらじゅうにいる。
本気で努力する期間なんて人生3~5年で、あとはボケーと生きてるだけだ。
それも稀で、たいがいは全編通してボケーと生きて結婚してボケーと死にたくないとか考えて、ボケーと血をはいて死ぬのだよ。
それが醜悪であるなら、人間そのものが醜悪であるというわけだ。
そんなことない、なんて思うなら過去の努力していたと思い込んでいる自分へノスタルジーしてる中年と同じだ。
停滞しているからコピペ化させてまで日本の凄さを再確認したいのか(再三するがキミが出した結果でもないしキミがすごいわけじゃもちろんない)、過去を憧憬するから停滞してしまうのかは卵と鶏の話になるが非常に危ない状態であるのは間違いない。
日本の凄さを再確認したいのか?だって。おかしいことをいう。しかしコーヒーおいしい。
そもそも思い込んでいなくて、その上努力していないだけだ。再確認して努力を怠ろうなんていう甘っちょろいことも考えていない。
もっと甘いんだ。甘党だ。
それだけじゃない。「日本SUGEE!」の怖さは他にもある。そして、それは何千年にも渡って文明を発展させてきた我々にとって断じて否定しなければならないものだ。
日本すげーは、我々が発展させてきた文明を誇るものでありそれがあるから努力を怠っているんだ今の日本人は、とか思う発想は無い。朝から牛丼は有りだが吐いた。
これは「(他国に比べて)日本はSUGEE!」「(他国じゃなくて)日本に生まれてよかった」「(他国の人間に比べて)日本人の俺はSUGEE!」という含みが入っている。それは外国人を排除するという今の国際状況からじゃ考えられないものだ。キミたちはついこの前オーストラリアの白豪主義を笑ったばかりじゃないのか?
一番つっこみたかったのはここだ。陳腐で幼稚な妄想だ。
他国に比べて○○、という含みが入って考えているやからはそういない。2chでもごく一部であろう。
そもそも日本人はそんなことに興味もなく、明日のスイーツ(笑)を楽しみにし、今月の給料で何を買うかを考えることの方が興味ありありの人間ばかりだからだ。我が国は他国に比べて優秀なのだ!なんて考えているよりも、服を買ったりとりとめのない話をしたり恋愛したりする方が楽しい人間ばかりだ。
ヨーロッパや、その他海外へいけば自分の民族を最高の民族だと思っている国が多い。
だがそれは他の民族を排除する、見下す言葉、差別する言葉ではない。では、その彼らなりの言葉の意味ではっきりいおう。
自分は日本の国は一番良い国だと断言する。なぜそう思うかといえば日本人だからだ。
ではお隣の韓国人が「そうです。日本は一番良い国ですごいです。韓国はだめです」とでもいえば、自分はその韓国人を張り倒すだろう。信用できない。
言っている意味がわかるだろうか。
張り倒すって本気で暴力するわけではないとクソ真面目な人のためにいっておく。そんなことは実際しない。
要は、自分の国に誇りをもてということだ。日本が一番だなんて思うな。韓国人なのだから、韓国を、朝鮮人としての誇りを持てということだ。ちなみにいまの朝鮮人というか韓国人がしていることはその誇りを、祖先だけでなく他国も汚していることばかりしているように思えるから、それで誇りを持てというのもきついかもしれないが…。となるとある意味では信用できるかもしれない。
しかしキムチおいしい。
ではもし仮に自分がイギリス人であるとして、そのとき自分は日本が一番良い国だとは言わないだろう。
もちろんイギリスが一番だと誇らしく語る。
これで言いたいことがわかってくれただろうか。こんなせまっくるしいはてなで言うのもなんだが。
それから、海外に行って人と触れ合ってきた経験のある人ならわかると思うが、
自分の国をなんとも思っていないような人間は差別され信用されないことが多い。
彼らは祖先への敬意と、誇りを持つことの大切さを知っているからだ。たくさんの戦争をしているヨーロッパでは特に。
後ろ向きかつ自分の国を誇らない国がどうなるかなんて明白だ。滅亡に決まっている。
ちなみにその誇りとは、戦時中の愛国心まがいの盲信とは違うともいっておこう。
もう書くことがなくなったが全文やっておく。
もっと言おう。この「日本SUGEE!」は同じ2ちゃんねらーが嘲笑うスピリチュアリズムと同じである。何故か?
それはスピリチュアリズムが人間の資質は前世によって決まるとしているからである。この「前世がすごいんだから私もすごい」という考え方はそのまま「先祖の日本人がすごいんだから俺もすごい」と一緒だ。どっちも自分のすごさの立脚点を自分と関係ないところに置いているのだから。さらにはスピリチュアリズムは「前世がダメだからこいつもダメ」という考えを孕んでおり、江原はこれを臆面もなく「霊的絶対差別」とまで言っている。「日本SUGEE!」も「日本人じゃないからすごくない」という転化をし、これは間違いなく「国的絶対差別」だ。
二度言うがこれは現代社会が絶対に受け入れてはいけない考えだ。絶対に!
以上のように「日本SUGEE!」は絶対に認めてはいけない思想なのである。キミたちはコピペを読む前に本当の自分と向き合い、どうやったら自分を承認できるかを考えた方がいい。そして日本が好きならば「日本SUGEE!」などという後ろ向きな考えを捨ててこれからの日本がさらにすごくなるように努力すべきだ。
日本すげー=俺すごい
的な発想があるのかもしれないとしても、我々はこれを絶対に受け入れてはいけない。江原も受け入れてはいけない。美輪はけばけばしい。
日本が好きならば日本すげーなんて思うな、と後ろ向きな考えを捨てて、
祖先の行ってきたことを誇りに思い、また行ってはならなかった歴史の過ちを認め、それら全て責任をもって努力し次の時代へ語りつなげるべきだ。
もっというと努力しなくてもいい。やるべきことをやればそれで良い。結果的にそれが努力につながっている。
日本を知り、日本を誇れ。日本人なのだから。そして他国を敬い理解しよう。彼らの国も日本と同じように、祖先が築いた誇らしい国なのだ。
おいらは【高嶺説】+【心配説】かなあ。
他の増田が大好物な「ブサイクVSイケメン・美人」論と違って、明確なゲージというのが存在しない。
あるとしたら、増田自身の心の中にしかない他人とは共有しづらいものだとおもう。
「魂のステージ」の物差しを一般化できる奴がいれば楽なんだろうけど、そういう言説を認めてもらえるほど日本と言うという国はスピリチュアルに理解がないのが心配説の要因。
あとは、「魂のステージ」の概念を相手に伝えられるかどうかにもかかる。
増田がいいたい「魂のステージの高い子」ってのはなんとなくつたわるけど、はたして相手に理解されるかどうか。
下手をすると高嶺のなんとやらじゃないかと思う不安はある。
結論:軽めのノリで「きみ魂のステージが高いねー」と語ってみて相手の反応をみろ。
それ次第だと思う。
橋下派ってのは何かと抽象的な精神論ばかり言って論理的な話をしないから困るよなあ。
橋下もそう。全く論理的な事を話さない。「16歳は壁にぶつかってぶつかって」とかオッサンの人生論かよwってなことでまるめこもうとするんだからおつかれさまですwそしてそんなのを「正論」とかいって(何が正論だよww論ですらねぇよw)勘違いして喜んでるようなバカどもだから、しょうがないのだろうけど。
このエントリが反論している相手も、「みんなダメで、でもダメでも頑張ってて」とかそんな抽象的なスピリチュアルですか、てな精神論しか話さない。話にならない。橋下とあれを正論とか言ってる一派ってのは議論を勘違いしている。なんかよさげな人生論・精神論で相手をまるめこむのが議論じゃねーっつーのw
おいおい、勘弁してくれよ…
女の人も理解してほしいと口走ってるよ。
はっきりとは言わないけどオーラを感じる。
なんだその物凄く漠然とした話はw
女の人ってどの女の人だよ、そういう事を口走ったなら口走った奴に直接言えや、この増田関係ないだろうがw
やさしく受け止めてあげたら?
はああ?なんでそれが自分勝手になるのかわからねwどういう頭をしていたらそうなるんだよwてーかそれこそが自分勝手だろ。「自分は理解されるべき、それをしないなんて自分勝手!」ってアホか?頭にウジわいてんのか?そういうのをジコチューっつーんだよボケ
人類博愛主義者かお前は。そんなアホは一人で勝手にやっていてくれ。
ああいう自分勝手な男は、女じゃなくたって俺もごめんだと思うし、そしてそれは当然の事だろうと思う。
なぜ彼氏でもないのに弁当なぞ作ってあげなきゃならないんだよw
もうみてないかもしれないけど考えまとまらないけど思ったことを言ってみる。
なるほど。異性でなくてもいいのでは?
あとだれでも血はちょっとはつながってるし。
スペックでもてたくない。
相手のスペックで一緒にいたいと思いたくない。
自分も相手も今のスペックを失っても好きでいてくれ好きでいられるような相手を欲しいなら
まず自分で自分のことをスペック抜きでどう評価しているか?が肝心。
性格とか表面的なことより。
深い部分でつながる部分を。
「部屋を明るい感じにしたいんですがどうしたらいいでしょう?
ちなみにパソコンのハ - ドウェア構成は・・・.」
みたいに質問してる感じ。
相手とつながりたい自分の深い部分を自分が好きでいられていますか?
相手の条件が変わっても一緒にいたいと思えて、相手も自分をスペック抜きで必要としてくれる相手が欲しいなら
自分が自分をスペック抜きで認めれば両方解決します。
そしてあなたが無条件に自分を肯定するうちに相手も当然のように無条件のあなたを愛するようになるでしょう。
ていうかすでに無条件のあなたが愛されています。そのことを信じて相手の中の無条件の自分への気持ちに意識を集中してください。
以上、スペックに釣られてメール欲しがった増田からのスピリチュアルメッセージでした。
まぁ自己啓発本の受け売りなんですけど。
あと
「俺みたいに収入も多くない普通の男に惚れたとか正直信じられない」と言われ、
というのは「信じられないくらい嬉しい」
とか「びっくりした」程度の意味では?って当たり前か。
───アタシの名前はアイ。心に傷を負った女子高生。非モテブスデブでオタ体質の憎まれガール♪
アタシがつるんでる友達はコスプレをやってるミキ、学校にナイショで
メイドカフェで働いてるユウカ。訳あって同人グループの一員になってるアキナ、という設定。
脳内友達がいてもやっぱり学校はタイクツ。今日も先生に「はーい二人組みになってー」って言われてしょんぼりした。
学校で一人ぼっちだとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは一人で公園を歩くことにしている。
一日学校をがんばって乗り切った自分へのご褒美ってやつ?ロンリーな自分らしさの演出とも言うかな!
「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこいカラスを軽くあしらう。
「カーカーッ、ギャーッギャーッ」どのカラスも同じようなセリフしか言わない。
黒いカラスはカッコイイけどなんかゴミとか漁っていてキライだ。もっと人類の男にアタシを見て欲しい。
「クルックー」・・・またか、とド貧乏なアタシは思った。シカトするつもりだったけど、
チラっと小うるさい鳥の顔を見た。
「・・!!」
・・・チガウ・・・今までの鳥とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルな感覚がアタシのカラダを
駆け巡った・・。「・・(カッコイイ・・!!・・これって運命・・?)」
鳥は迷子になったインコだった。連れていって飼いはじめた。「キャーやめて!」飼い主のもとへインコは去っていった。
「ガシッ!ボカッ!」アタシは壁を殴って一人泣きした。スイーツ(笑)
http://anond.hatelabo.jp/20080831141206
http://anond.hatelabo.jp/20080831222120
気温が高いから、Kさんが薄着でエッチだった。誘ってたよ! だって、谷間が……柔らかそう……。
増田の人たちの忠告を思い出して、入場料は僕が払った。これで逆援助交際じゃありません。二人合わせて400円です……。
お金払う僕を見て、Kさんが衝撃的な一言。
「なんだかデートみたいだね」
みたいじゃいよ! デートなんだよ! 僕たちはカップルなんだよ! ちょっとショック……。
御苑のなかは自然がいっぱいで、なんというか、自然しかなかった……。
でも、それが気持ち良かった! 新宿のど真ん中にあるのに視界が全部緑で、高い木が並んでる向こうにさらに高いビルが立ち並んでいて面白かった(って、Kさんが言ってた)。
管理事務所って札がかかっているところに入ると中で働いている人たちが「入ってくんじゃねえよ」って感じで睨んできてスリルも満天。
外周が確か五キロくらいあるから、自然を見ながら、立ち止まりながら、いっぱい喋った。
スピリチュアルの話とか、木の下に埋まっている死体の話とか、あと職員の悪口とか。
Kさんはデジカメ持ってて、何枚か写真撮ってた。立ち入り禁止の怪しい農園の鉄柵の前で二人の写真も撮った。
途中、ベンチで濃厚なキスをしてるカップルがいて、横通る時に二人とも無言になって気まずかった……。
もちろん僕らもカップルだからキスくらいしたよ。……間接キス。
休憩所のベンチに腰かけてる時にお互いのジュースを交換しました。
僕が勇気出して
「間接キスだね」
って言うと、Kさんが
「えへへ。そうだね」
で、終わり。
Kさん「間接じゃないキスもしたい?」
僕「うん」
Kさん「おっぱい揉みたい?」
僕「うん」
Kさん「ホテル行きたい?」
僕「うん!」
こうなるはずだったのに。
閉園までずっと一緒にいた。楽しかったけど、キスも手繋ぐこともできなかった……。
これってスローペースで進展してるのかな? それとも、単なる友達?
毎日日記つけてるって言ってたけど、なんて書いたんだろう。
僕とKさんが濃厚なキスをするのはいつなんだろう……。
格差はこれからどんどん広がっていくんだろうし(少なくとも狭まる気配はない)、ホームレスがいるのは「痛み」の一つとして、受け入れないといけないわけなんだろ。だから、図書館に代わるホームレスが昼間いられる場所をちゃんと作れば?え、もう誰かが言ってるの?でももう一度言うよ。
自分さえよければそれでよし、汚いものには目をつぶる、っていう本格派ダメ人間しかこの世にいない、ってわけでもないことは分かってるんだからさ。格差社会上層部は1000万や2000万の出費なんか痛くも痒くもないはずだし、本格派ダメ人間を除いた上層部で金を出し合って、ホームレスのいられる場所を作ればいいんだよ。何でそうしないの?何だったら俺も100万くらいなら出すよ。1000万は無理だけど。このプロジェクトを引っ張る力のある人間くらい、上層部にはたくさんいるだろ。それじゃ根本的な解決にならない、といっても、根本的な解決なんかどうせすぐには無理だから同じこと。
もしかして意外と本格派ダメ人間の数が多いんだろうか。「何で俺が金出さないといけないんだよ」とか思ってるとか?そんなことだからスピリチュアル系の変なおっさんにもっともらしい顔で「地球はすべての惑星の中で、下から3番目のレベルです」とか言われちまうんだよ。というか、下2つの惑星はどうなってんのかも気になるけど。