はてなキーワード: クリエイトとは
ボロアパート1棟。5から10室程度のもの
生きのいいニート数名
当面の運転資金
アパートにニートを住まわせ、その生態をインターネットで公開するサービス
ニートはニートハウスに居る限りにおいて居住と生命の安全を保証されるものとする
原則として各部屋のニートはそれぞれ持ち寄りの企画に基づいた生活を営む
企画としてはできるだけ人目を引くものが望ましい。電波少年や黄金伝説などで採用されるようなものを想定する
生活、活動の様子は人間としての最低ラインを除き、すべてインターネット上で公開する
各部屋それぞれにブログ、twitter、Ust、チャットや掲示板などを設営し、更新を義務付ける
1週間など適当なスパンで閲覧者による投票や各メディアへのアクセス状況などを集計し、成績が悪い入居者はニートハウスを追放される
部屋に空きが出た場合は新たに入居者を募集する。
入居者の募集に際しては、志望者およびそれぞれの持ち寄りの企画でコンペを行う。
生命に危険が差し迫った場合などは入居者と相談の上、企画の中断、退居を実施できるものとする
懸賞ニート:ネットの懸賞に応募し、獲得商品で生活を営むニート
株ニート:企画開始時に融資を受け、株やFXで生き抜くニート。資金ゼロで強制退去
イラストニート:ネット経由のリクエストに答えてイラストを描き続けるニート
通常のアフィリエイトのほか、各部屋の企画に基づいてスポンサーを募る
(株ニートであれば使用している証券会社、料理系のニートであればレシピサイトや使用食材卸、クリエイト系のニートの場合は使用機材メーカなどとのタイアップを図る)
外国で似たような企画があった気がした。もろパクリにならなければ大丈夫だろ
企画がパクリぽい場合は訴えられないようにアレンジすればたぶん大丈夫
ニートハウスポータルサイトTopにアパートのイラストを置いておき、各部屋の部分に入居者の顔写真を貼るなどして一覧性を確保する
炎上すればpv的においしいのでポータルサイトTopのイラストで該当の部屋から火の手をあげたり、ブログの背景を真っ赤に染めるなどして煽る(企画中断時は遺影に)
マンネリ化してきた場合は入居者間でケンカさせたり、ブログでの不謹慎ネタ、犯罪自慢などあらゆる手段を用いて各部屋を同時多発的に炎上させ、最終的にはニートハウス全体が火柱に包まれ爆発。壮絶な最後を遂げる
その程度でスポイルされるようなものを才能とは呼ばないし、まして創造性などとは口が裂けても言えない。主婦であろうがフリーターであろうが才能のある人間はいかなる瞬間にもクリエイターであるし有り続ける。
才能のある人は、生活の基盤が有ればそれを理由にしてクリエイトする。生活が苦しければそれをネタにしてクリエイトする。
才能のない奴は、常に出来ない理由を見つけることにだけリソースを投入する。生活の基盤が有れば「やっぱりハングリーな環境からクリエートする奴らにはかなわないよな」といい、生活の基盤がなければ「やっぱ文化って貴族が育てるもんだし。パトロン有ってのクリエーターだよやっぱ」という。
Xbox360(以下「360」)の機能に関しては公式サイトにあるとおり。
巽氏 ただのゲーム機というよりも、コミュニケーションとしてのツールではないかと思っています。オンラインでもオフラインでも、そこに一緒に遊ぶ友達がいるから、面白いゲーム機なんじゃないかな、と。
この認識自体が間違いの元なんじゃないか思う。
どうしてみんなオンラインに繋ぐのかな、と思うと、みんながみんな、世界中の知らない人と対戦したいから繋いでるわけじゃないと思うんです。そういう人も、もちろん多いとは思いますが、一番多いのは、友達と一緒に戦う協力プレイや対戦プレイなんじゃないかなと。
つい最近、親戚の結婚式の二次会を自宅でやる羽目になり、小学生??中学生前後の男子数名がヒマを持て余しているのを見かねて自室の360を引っ張り出してやったんだけど、その際面白い体験が出来た。
彼らは最初はこぞってゲームに興じていたんだが、1時間ほど経った頃にそのうちの一人が俺の所へやってきて「********って人がオンラインになったみたいだけど…」と、まるで怒られるのを覚悟したかのような態度で言ってきた。俺はそれが何を意味しているのかよく分からず、ハングアップでもしたかと思って様子を見に行くと、ゲーム自体は正常に起動しているのに誰も本体やコントローラに触れようともしていなかった。
理由を尋ねてみると、フレンドのオンライン状態が分かる(自分のオンライン状態が相手に知らされる)というのは、かなりの精神的圧迫感を感じるらしい。ゲーム中にそういったポップアップが頻繁に表示されるのが気になってゲームに集中出来ない、もしくは何をすれば良いのか分からず怖くなった、というのが彼らの主張だった。
片っ端からフレンド登録している俺の360はしょっちゅう誰かがオンラインになったりメッセージが届いたりしているんだが、それが彼らにとってはパニックを引き起こす引き金となっているようだ。
それは、彼らが「フレンドからのメッセージ」を「同級生からの携帯メール」に相当するものと解釈しているからなのだろう。俺にはよく分からないが、「同級生からの携帯メール」は彼らにとって「xx分以内に返信しないといけないもの」らしく、それを怠るとクラス内の人間関係に色々と軋轢を生んだりするらしい。それが当たり前になっている彼らにとって、ゲーム中にいきなり外人から「hello :-)」とかメッセージが届いたりする機能がどんな風に映るのか、想像に難くない。シームレスなコミュニケーション機能が、相手からの呼びかけにシームレスに反応する事を強要されると受け止められている点は興味深かった。
随分昔(と言うほどでもないが)「ぱど厨」というのが問題視された事もあったが、もしああいった発想の持ち主が360に大量に流入してきたら?
たとえば「オンラインになったらフレンドには必ず挨拶を送る事」なんてルールを勝手に仲間内で作って、それとは無関係なフレンドにまで波及させて「○×厨」といったカテゴライズされて疎まれる、なんて未来を想像して頭が痛くなってきた。18歳未満が登録出来ない(というタテマエになっている)Mixiですら、足跡だけ残して日記にコメント付けないのはダメだとかいう妙なルールをクリエイトする人も居るしなあ。
他にも上記URLの記事には、
また先日のアップデートで、パーソナルプロフィールや、フレンドのフレンドが見られるようになりました。SNS的な広がりもこれからはできるのかな、と。
巽氏 結構、その人の性格が見えてくるのが面白いですよね。498文字まで書けるので語っている人とかもいたりしますね。
これも色々と厄介な問題を起こす事になりそうだ。プロフィールにクラスメートの悪口書きまくったり、共謀して特定の人物の悪評を送りまくったり、協力プレイでヘマした相手の陰口をどこかに書き込んだり。
別に俺個人が心配する事でも何でもないんだが、360の普及を願う立場の人は、360の「売り」そのものが普及の妨げになっている可能性も考えた方がいいんじゃないかと思う。
俺には好きな人がいる。いや、いた。いたんだけど、そいつにはずっと前から彼氏がいて、ついにそいつと結婚することになったらしい。
そいつは本当に魅力的な奴で、一年半くらい前かな?最初に会ったときは何だよ彼氏いるのかよーとか思いながらも普通に遊んでたんだけど、何回か会ってるうちにいつの間にかマジ惚れしちゃってて、何とかして寝取ってやろうと画策した。でも、俺自身は大した奴じゃなかったし、彼氏との結びつきもヤケクソに強くて、どうしようもなかった。で、まあしつこく付きまとって(今思うとよく拒絶されなかったもんだ)、微妙な友人として遊んでるうちに運良くお鉢が回ってこないかなーとか思ってた。
彼氏がどんなやつかってのは結局わからなくて、どうやらなんか物書きらしいってくらいしか情報がなかった。彼女も、物書きじゃないけどクリエイター側の人で。コンシューマーにはあんま興味ないとか言ってたから、対抗して、って言ったらばからしいけど、俺もいっちょクリエイトしてみるかと思って創作を始めたんだ。
元々俺は本読むのが好きだったから、書いてみるのも楽勝楽勝とか思ってたんだけど、やっぱり世の中そんな甘くなくてこれがすごい難しい。難しいんだけど、すげー面白かった。「小説 書き方」とかでぐぐってみたりとか。村上春樹好きだったから風の歌を聞けを全部書き写してみたりとかやった。楽しかったんだ。これが。書いてると読むときも何か色んな視点で注意深く見てやろうって感じになって、それをフィードバックしてまた書く。
で、こういうの書いてみた読んでよとか言って彼女に送ってみたりするんだけどやっぱ評価は散々で。描写が足りねえとか生きてる気がしないとかすげえ言われるの。でも落ち込まずにそっかそっか言って全部取り込んでずっとずっと読書と創作の日々を続けてた。さっさと別れねえかなあとか思いながら。何だかんだで満足してた。
結婚のニュースを聞いて、俺が最初に感じたのは驚きじゃなくて、困惑でもなくて、何て言ったらいいのかなあ。来るべき時が来たなあ、間に合わなかったなあ、てだけだった。あんまり実感わかなくて。遊びに誘っておめでとーって言ってやろうとか思ってたんだけど、会ってみたら、今までつけてなかったのに薬指に何か光っててさ。そんときやっと実感した。絶望した。彼氏のこと全然知らなくて良かったよ。
それが一週間くらい前なんだけど、それから全く何も書けないんだ。あれだけ面白い楽しいって毎日アホみたいに書いてたのに、もう全然。
俺は本当は創作なんてどうでもよかったのかな。単に彼女の気を惹きたかっただけで。何か書こうと思っても全然面白くないの。今までも面白いって思い込もうとしてただけなのかな。あれだけ好きだったのに。本当は好きじゃなかったのかな。もう、ほんとわかんない。嫌なことがあったらそれを創作につくりかえて私小説風のなんかに仕上げてみたりとかさ。やってたのに今回はそれもできない。本当のことしか書けない。
混乱してるだけかもしれない。でももう意欲がなくなっちゃった。今まで書いたやつも全部ゴミ箱突っ込んで消した。俺しばらくしたらまた書くようになるのかな。でもわかんない。もう書くことはないような気もする。俺どうしたいんだろう。なんで俺創作なんてやってたのかな。俺はどうしたらいいんだよ……
ただ、通常はライブラリは権利関係で限定されたものになるし、その組み合わせでしか作れないとなると小さくまとまってしまう。結局それなりのものにするには自前で用意したり作り込む手間がかかったのだが、デジタル化した世間をいいことに身の回りのデータを利用権フリーのライブラリとみなしてクリエイトしたら生産性すげーってことなんだろ。
実際は問題はあるし、ライブラリの範囲でしか発展しないという問題にも変わりは無い。
似た環境として誰でもそれなりの音楽が作れるAppleのGarageBandがあって海外では音楽ファンに相当人気になって競って「オリジナル曲」が発表されたそうなんだが日本ではそこまで盛り上がってないよな。なんでだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20070801200939
うん、出す。ありがと。
一番元気出たかも。共感が欲しかっただけなのかな俺?
http://anond.hatelabo.jp/20070801203941
「わからない」とやる気が出なくなるってすんごいわかる。
目の前にあることにしっかり照準当てるしかないんだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20070801203941
そだよね。
わかっててもなんかくじけそうになることがあるけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070802002253
うん、あるある。なんとかハックスって本にも書いてたね。
でも、昨日はホント何してもダメだった。
おれもそう思ってた。
でも、それは本当のクリエイティブとはまた別物だってことがだんだんわかりはじめてきた。
単なるクリエイティビティと、“何か”をクリエイトすることは違う。
クリエイティブっていうのは、その“何か”をクリエイトすること。
一流のクリエイティブ作品には全てその“何か”がある。
その“何か”がわかりはじめてきた。
http://anond.hatelabo.jp/20070802002253
金貰ってるから褒める
いや、ベタ褒めされたことだろうけど、
その大御所は金のために褒める人じゃないし、そういう状況でもなかった。
それがわからないほど馬鹿じゃない。
状況詳しく書いてないからしょうがないけど。
んで、金払ってるからけなすってのは違うと思う。
金払ってるから言いたいこと言うだけで。
http://anond.hatelabo.jp/20070802010247
そうですよね。
燃やし続けることが大切。
それは自分でも思ってて、でも今回やる気が消えた理由がわからなくて。
なんでだろう。
大御所に褒められたことで、脳が“何かを達成した!”って勘違いしちゃったのかな。
まだ何も成し遂げていないのに。
おれ、がんばるよ。
増田さんたちもがんばって。
http://www.atmarkit.co.jp/fembedded/column/yoshida/yoshida02a.html
「薬といってぱっと頭に浮かぶものは何ですか。商品名でいってください」
私はとっさに「タイレノール」と答えた。
「では、タイレノールはどんなときに飲みますか」
「頭が痛いときに飲みます」
「そう、いままでわれわれは“頭が痛いからタイレノールをください”と指名買いができるお客さまを相手にビジネスをしていたんです。いわれたスペックを満たせばよく、そこでのヒーローはタイレノールを開発するエンジニアやそれらを高い品質でかつ低コストで作る工場の工場長でした」
「では、具合が悪くなったけれども原因が分からない。そういうときはどうしますか」
「病院へ行きます」
「病院は何をしてくれますか」
「レントゲン撮影をしたり、採血をしたりして、具合が悪い原因を調べ、病名を明らかにして、薬を出してくれます」
「それは医療というサービスが提供されたわけですね。その中身をこちらから指名したわけじゃない。求められるものがモノからサービスに変わったんです」
「求められるものがユーザー・エクスペリエンスに変わった」というのは、もはや手垢のついた言葉だ。
しかし、今現在でも、それをどれくらいの人間が実感しているかという話になると、とたんに疑問符がつくような気がする。
私も、初めて聞いたときには正直言って、ピンとこなかった。なんというか、それはそうかも知れないけれど、それほど重要なキーワードなのだろうか、毒にも薬にもならないような言葉ではないかと聞き流していた。要するに、理屈は分かるけれど、実感がないので、重要性が良くわからなかったのだ。
そして、この言葉の重要性に気づいたのは、仕事で悪戦苦闘しているときだった。私は、顧客の職場に常駐している、その辺によくいる一山いくらのIT業界人で、指示されればやるけれど、それ以上のことはできない(やらないのではなく)という典型的な人間の一人だった。そして、そういう若者が多くなったと嘆かれたりした世代の一人だった。
しかしながら、そういう仕事のやり方をしていると、必ず壁にぶつかる。私も例に漏れずに壁にぶつかった。上司に怒られ続け、顧客に怒られ続け、自分はなんて無能なのだろうと呪った。学生時代、周りの連中より真面目だと自認していたが、ここでは、そんなものは意味がなかった。求められるのは結果だけだ。どうすれば自分の無能をどうにかできるのかとライフハック的なものや自己啓発的なもの本にも手を出して片っ端から試してみた。が、望んだような結果は出なかった。(もちろん、このとき学んだノウハウが今、別の面で役に立っている部分ある。確かに無駄な経験はないのかもしれない。)
閑話休題。そんなわけで、私の悩みは続いていたのだが、ある日、ふと、ようやくなぞの一部が解けたような気がした。
要するに、私はIT業界の本質を誤解していたのである。考えてみれば、当たり前なのだが、IT業界は、昔から(そうずっと昔から)「サービス業」に分類される業種だったのである。決して「製造業」ではないのだ。
何が言いたいのかというと、サービス業の仕事を請け負っている私に求められていたのは、「ユーザー・エクスペリエンス」=「顧客の体験性」を想像し、それを考慮に入れた行動だった。例えば、報告すべきことはすべきだが、顧客にとって意味の分からない余計な報告は、するべきではない。余計な報告で顧客を混乱させるべきではないのである(私はそれまで全ての状況を報告すべきだと思っていた)。相手の望んでいることを考え、相手が「万能な人間でない」ことを忘れずに適切な情報量を適切なタイミングで適切に提供するように努力する。
思うに、その辺を早めに知る機会を作るのは重要なことかも知れない。
たとえば、一部のマスコミでよく取り上げる、勘違いをしている高齢独身女性の問題。
彼女たちの不幸は、「自分が心地よい体験を相手から提供される」ことには関心はあるが、「自ら心地よい体験を相手に提供する」ことには関心がないことだ。
非モテ問題(あるいは非コミュ問題)も同様だ。つまり問題の本質は上記の彼女たちと一緒であり、「自分が心地よい体験を相手から提供される」ことには関心はあるが、「自ら心地よい体験を相手に提供する」ことには関心がないことなのだと思う。
もちろん、才能のやる人間は、自己中心的に好き勝手に生きても、問題ないだろう。しかし、そうでない大多数の人間が、豊かな社会で自己中心的に青春時代を送った場合、厳しい社会に出てそのギャップに苦しむのである。
「相手の体験性を想像し、それを考慮に入れた行動」というのは、「慣れ」と「技術」で、ある程度なんとかなるものだと思う。もちろん、ストレスはたまるし、自分の本音を吐き出す場所というのは必要だが、凡人の場合、そういうノウハウをまず身につけないとまず「お話にならない」というのが、厳しい社会の現実なのだと思う。
よく考えると、一時期、日本のゲーム業界の勢いがなくなったのも、「プレイヤーの体験性を想像せずに、フォーマットにのっとって機械的にゲームを作った結果」なのだと思うし、使えないアプリや、ソリューションはそういうことが原因で使えないのだと思う。(と、つい万能的に使ってしまったが)
しかし、繰り返すが、「求められるものがユーザー・エクスペリエンスに変わった」というのは、もはや手垢のついた言葉だ。
そして、ふと思ったのが、下の記事。
> 豊かな時代の究極の楽しみは「クリエイトすること」、それがWeb2.0
> http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070419/1176961765
クリエイターは、相手の体験性を想像し、それを考慮に入れて作品を作らなければ、良い作品は作れないと思う。要するに、あらゆる人間がクリエイターになり、良い作品を作ろうと努力していけば、「相手の体験性を想像し、それを考慮に入れた行動」ができる人間も増えるかもしれない。都合のいい考えかも知れないけれど、そんな社会を期待してしまった。
鬱になったのは自業自得とか、食わせてもらっているとか、家庭に没するという考えを捨てれば、幸せな人生が手に入るよ。
「専業主婦」という名称があらわす立場が昨今では軽蔑されたり忌避されたりするから、男性も女性もとにかく職に就こうとするけれど、よい家庭を築くために家庭内で働くことは社会で働くと同等に大事なことだと思うよ。
けど、自分は実感しているこの大事さ、増田さんにうまく説明できないのがもどかしい。
この記事がヒントになればと思う。
くうねるところに住むところ
http://www.asahi.com/housing/diary/TKY200703260134.html
「本当の百姓は、ただ野菜や米を作るだけではありません。着るもの、食べるもの、住むところをすべて自分の手で作るのが百姓です。農業はひとつのなりわい。百姓は、生活すべてをひっくるめて百姓なのです」
これは百姓としての話だけど。
百姓でなくとも、よい家庭をクリエイトするなりわいってキリがないと思うんだ。