(俺の偏見が入ってどこかに偏るだろうから本当は資料読んで自分で判断して欲しいです)
2000年にThe EMBO Journalに掲載された論文について
(研究不正はなかったが研究ノートがなかったことを謝罪 → 謝罪したこと・一部実験ノートがなかったことが大きく報道される)
インターネット上で指摘されている当研究室からの論文についての疑義について(PDF)
石井俊輔氏が責任著者となっている論文に関する疑義を頂きました - warblerの日記
(匿名からの相談で片瀬氏が代理で検証されている。研究者らしい健全なやりとり)
(研究不正はなかったが「疑念を抱かせてしまったこと・迷惑をかけたこと」について謝罪 → 「図の切り貼りがあった」「疑義をかけられた」として大きく報道)
ここまで。
間違ってるかもしれんから自分で資料読んで判断してくださいよほんとに(2回め)
以下、おまけ
上記の2つの場合、10 年前の当時のルールとしては問題ないと判断していまし た。2004 年 7 月に JCB が「レーンの継ぎはぎをする際は線又はスペースを入 れる」というガイドラインを作り、その翌年から徐々に他のジャーナルも追随 し始めました。
この記述を見る限り、2004年以前の論文に片っ端から「疑義」をかけることができそうだ。
小保方さんの審査員になるひとは片っ端から「疑義」をかけられるのではないか? と思っていたら そのとおりになったようだ
一番の問題は疑義をかけられた人及び審査員が1年近く研究できない状況になることだ。現時点で 4件 x (審査員数 + 1) が研究不能だ。おめでとう
愉快犯なのか小保方さんの熱心なファンかわからないがヒドイことになったと思う
(上で書いた2つの疑義のことではないよ。善意の指摘かもしれない。あと念のためいうと片瀬氏はボランティア。時間を浪費された被害者側だ。)
(今日報道された小保方さんの審査員からさらに2人というのは偶然見つけたにしてはあまりに不自然だと思う)
STAPのように誰も追試成功していない、しかも「常識を覆す大発見」の場合は論文の不備なり不正なりを暴くのは大変有益だ。
他の研究者が時間を無駄に浪費しなくて済むからだ。浮いたリソースで他の研究が進むだろう。
一方、すでに何度も追試成功している論文のあら探しは 得られるものに対して失うリソースがあまりに大きいように思える。もちろん、指摘すること自体は悪くはないはずなのだが
ではないかと思う。
「騒ぐ人達」がいなくなれば少なくとも愉快犯はいなくなるのではないか?
僕らにできることは脊髄反射で叩かず、1次資料を見て判断することだろう。(これは研究不正に限らず、科学報道はだいたいそうだ)
一部書き直しました