エイリアンロムルスはすごく良かったです。おすすめ。公開初日なのでネタバレしません。
それはともかく、見ていてふと、思ったことがあったんです。
スタートレックの話。
スタートレックは長寿SFで1番人気があるのは初代よりむしろ2作目の新スタートレック(TNG)で、1番人気があったキャラはデータ少佐というアンドロイドのキャラクターでした。
データは端的に言うとオズの魔法使いの人間になりたいブリキ人形です。スタートレック世界でもデータのようなアンドロイドがたくさんいるわけではなく、彼はイレギュラーな存在で、周りも戸惑いはしますが、そのトンチンカンさを愛し、有能さを認め、彼が彼であるままを受け入れている、そういうキャラでした。
シリーズが終わったあとの映画で、データにはついに感情チップが搭載され、データはついに人間の感情を理解し、戸惑いはしたのですが望んだ「人間」になることができました。ヨカッタネ。
これに当時子供だった私は猛烈にガッカリし、腹を立て、何か自分の大事にしてきたものを壊されたような気がして失望しました。
その時はうまく整理できなかったんですが、今日ふと思ったんです。データって、今風に言うと、ニューロダイバーシティの体現みたいなキャラだったのに、そしてそのありのままが受け入れられている姿を描いていたのに、無理くりに「定型の人間」にさせられてしまって、それをハッピーエンドとしたことが私は悲しかったんだなと。
もちろん「レインマン」とかわかりやすい作品はあると思いますが、明らかにニューロダイバージェント、もっと言うとすごくASD的なキャラクターが普通に出てきてでも悪役ではなくて、「こういう人もいるよね」とキャラとして受け入れられていて立ってる作品というとシャーロックあたりからかなと思います。その前は、人間は人間らしく、感情をたっぷり描くキャラが正しくて、そうじゃない「サイコパス」的なキャラは出てきても、理解のできないおかしな悪役が多かったと思います。(シャーロックの後はハンニバルのウィル・グラハムとかちょっと普通じゃないけど社会に生きていて、こういう人もいるよねという作品も増えましたね)
子供の頃の私はデータに感情移入していたんだと思います。多くの、定型じゃないSFオタクたちもみんなどこかしらそうだった気がします。(TNGには、socially awkwardなオタクの心を無茶苦茶に傷つけるようなレジナルドバークレーというキャラもいますが、それは置いといて。)だから、socially awkwardでもいいんだよ、社会は受け入れてくれるよっていうデータのことを、彼の幸せを、製作陣がぶち壊してしまったのが悲しかったんだなと30数年越しに思いました。