2024-06-01

anond:20240601171434

あのね

社会ってね

死んだ人間の居場所はないんだよ

死んだ人間就労する場所とか、避難場所とか、遊技場とか、死んだ人間人権ってみたことある

そんなものはないんだよ

社会には社会必要ものしか作らないんだよ

結果それが社会的に不要な動きをしてもそう判断された時に処分されるだけで

基本的には社会必要ものしか作らないんだ

社会には死んだ人間のためのものは何一つとしてないか

そういう人になるためのものって作る意味もないし

社会にいる人間を減らしてそちらにもっていく必要もないしむしろ行かれると困るから

そういうのは作らないんだ

でも生きた人間が生きていく上での都合でほかの人を殺すという事はある

それを自分自身にむけるという抜け道もある

自分に向ける殺意というのは人間が唯一自分思考現実のものにできる手段

現実に起こりえるのにだれもその間、心の中とか想像したものに手出しをすることができない

宗教なんかで無理にでも「罪」って言うくらいしか否定のしようがない

逆にいうと手がつけられない個人のものからそれについて権利を主張してみようって人もいる

けどね社会ってとにかく生きている人間が生きていくためにあるものから

それ以外のものを作るという事はないんだよ

でも実際に自殺を罪にはしないって国がもう出てきてるよね

社会においての健康とか生きているの段階を引き上げた結果がそれなんだ

たとえば優秀な人だけが生きていければよりより国になるとしたら

からどんどん人権を無くして生きている状態保障されなくなり無視されて

生きているかどうか判別不能になっていく つまり結局終わりにさせられてしま

同じように心が病気だったら体の病気と同じと扱う健康レベルとして扱って

末期患者治療選択肢の一つとして生きていくのを放棄できるって段階に

引き上げられたらそれも可能って結果のひとつだね

その線でいうなら実現可能ものひとつ視野として自殺を認める事になったら

ほかの人たちの生活レベルが引き上げられてしまって

あなたはつらさから解放されるかもしれないけど

道連れにほかのつらい人たちの選択肢も奪うことになるんだ

もしそれを実現したいと思ったなら

他のつらい人たちの選択肢がのこる方法を備えたもの

あなた解放される方法を考えるべきだと思うよ

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