2023-02-02

ゆるやかな支配と、その敵

山上徹也被告の凶行に対し、メディアはこぞって報じた。

暴力による訴えはあってはならないことだと。

対話など建設的な行為によって世間に伝えるべきであったと。

そのため首相国葬を行った。

それは国家政府暴力には決して屈しないという意思表示のために。

しかメディアの言説にしろ意思表示としての国葬しろ重要なのはそれが誰に向けて行われたかということである

一介の国民同士の喧嘩と、元総理暗殺が決して同等のことではないことぐらい子供にも理解できる。

その上で、メディアに出演するコメンテイターは総じて「暴力はよくない」と思考停止したように繰り返す。

物と行為の質の違いについて、理解が及ばず配慮に組み入らない。

メディアも国も謳う「暴力反対」とは誰に向けてのメッセージか。

それは国民に対してである

より具体的に述べれば、それは社会的地位が高い人間による、社会的地位が低い人間に対する警告であり懇願なのだ

暴力絶対に駄目だ」

このメッセージ意味することは、文化社会による対話解決常識と据える事なのではなく、逆に「暴力絶対に駄目だ」と洗脳的に植えつけることによって社会立場の高い人間たちを守る城壁として機能させようという一種イデオロギーに他ならない。

かに暴力は駄目だ。

直接的暴力支配する世界文明とはいえない。

しかしだからといって対話での解決不可能にする社会形成した上で「暴力反対」を一方的に謳うのは、現政権を守り、己が権力を誇示し利用するための洗脳しかない。

彼らが確固たる意思で行った国葬

国民の声を無視し、強行したことに対する批判を耳に入れないその姿勢こそ独裁さがある。

国民の声を聞かなかったがために山上徹也被告はあのような凶行に走ったのだから国葬は全く皮肉ユーモアに溢れている。

暴力はいけない。

しか暴力しか崩せない社会を構築しておきながら、暴力一方的批判することは支配に他ならない。

ゆるやかな支配は誰にも気付かれずひっそりとわれわれの影を捉え、身動きを出来なくする。

暴力は悪だが、そのメッセージを誰がどのような意図で広めているのか、その意味検証するだけの価値がある。

  • 統一教会は対話では変わらんかったやろうなあ

  • いやだから 今ある社会を崩す気がガチであるなら、暴力でもよその国の軍隊でもなんでも使って、堂々と力で訴えてくりゃええねん そこまで覚悟キマった奴に止めろ言うたって聞くわけ...

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