2022-09-12

本当のファン(野球について)というもの

プロ野球ファンでよく見かけるのが

「本当のファンなら批判するな」

文句を言うなら見るな」

批判するならファンやめろ」

という返信をよくTwitterで目にするのだが

それについて考察してみようと思う。

まずこれは全般的に言えるのだが

選手または監督誹謗中傷することは

あってはならないことだし

それを許してはならないと思う。

(バカとか辞めろとか死ねなど)

根拠が明白であり

その根拠となる数字も併せて持ち合わせているのなら

私は批判してもいいと思う。

しか根拠なき感情論だけで批判しては

ならないと思う。

「本当のファンなら批判するな」

文句を言うなら見るな」

批判するならファンやめろ」

などの投稿についてだが

ファンならばこうあるべきですはなく

命令形であることに注目したい。

この投稿者に果たして

このような発言の通りにさせる権利はあるのだろうか。

またはそれをしなければならない義務

そこに存在するのであろうか。

それでは投稿者にとって本当のファンとは?

何があっても一切批判せずに黙っているファンである

どんなに情けない試合でも絶対に何も言ってはならない。

強制的に。

言った瞬間ファン強制的に終了させねばならない。

そう定義できる。

私の持論だが

あくま野球試合コンテンツ

お金を何に対して払ったかによるものだと思う。

購入した人、この場合だとファンになるのだが、

その人が勝利することに対して対価を支払った場合は、

言ってもいいのではないかと思う。

例えば、自分が欲しいと思った商品(コンテンツ)に対して、

期待外れの商品が届くとすると、そこで批判なりは必ず起こる。

(進撃の巨人フィギュアとかひどかったなぁ)

そこでファン(好きなもの)だからという理由

クレームを一切言ってはならないは違和感しかない。

もちろん先ほども述べた通り

悪口殺害予告なんどはもっての外で

侮蔑的言葉で罵ったりすることは絶対

言ってはいけないと思う。

しかしながら自分が購入したものの期待した対価に対して

黙るのもまたおかしいと思う。

野球は筋書きのないドラマ」と昔から言われているくらい

正直言うと勝敗については対価は求められない。

なので、「勝つ」という内容については不確定要素である

そこに対してものを言うのも違和感である

不確定要素を確定要素にするということに

対価を払っているわけではないので。

問題は内容のことについてである

内容として野球作戦や起用法などがあるが

これも不確定要素なので対価対象ではない。

(スポーツ場合怪我など予測できないことがある)

では、どこに求めるのか。

答えは「プロらしさ」「全力プレー」だと思う。

人は絶対素人じゃできないプレー

選手が織り成す全力プレー

求めてスタジアムに観戦しに行っていると思う。

「これぞプロの技」というプレーを。

もしそうでなかったとしたら

アマチュア野球を観戦するでしょう。

プロに入ってくる人は

当然基礎がみっちりできていて

そこをクリアした上で

さらに素晴らしい「プロであるプレーを求められる。

(レベルの高いプレーという意味)

それに加えて全力プレー

この二点は不確定要素はないので

対価として求めていい部分だと思う。

なので、基礎ができていないプレーや、

怠慢プレーは論外だと考えられる。

そういった部分に関しては

ファン批判していいのでは?

なんて思う次第でした。

  • 馬鹿は中傷と批判の区別がつかない

    • それめちゃくちゃ分かります。一緒にしていまうんですよね。野球ファンってドルオタと同じ気質ですし。

      • 空気が全てに優先する日本文化においては、批判と批難の区別は元来存在しない。少なくとも大学やそれ以上の機会で西洋風の思考様式の教育を受けていないと、日本人にそれらを区別...

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